真実を求めて Go Go

今まで、宇宙についての話題を中心に展開してきましたが、今後は科学全般及び精神世界や歴史についても書き込んでいきます。

虚数次元は存在するのか

2012年02月26日 | 宇宙

私達は、「次元」の本質についてどの程度認識しているのでしょうか。

次元とは、「私たちの脳で認識できる次元」ということのようなので、「次元」を次のように表すことが出来そうです。

 「次元」=認識の段階・視野の領域(あるいはレベル)

つまりこれまで私たちが単純に考えていた「次元=空間構造(xyz軸といった3次元構造等)」というものではないということです。
逆に云いますと、こう規定されることで、物理量などで使われる速度や長さ、スピンなどの値の領域を「次元」とする事も可能なのです。
すなはち、「次元」が空間を規定する数値ではない(結果としてそういう形もありなのですが、それだけではないということです)ということは、一般に語られている整数次元だけを考えなくてもよいということでもあるのです。

現在、次元については、現代物理学(M理論)でもひとつの素粒子の中に11次元が閉じ込められているという表現を用いています。
ですから同じ空間に多くの次元空間が重なっている(あるいは存在している)と考えてもいいかもしれません。
しかし実際はもっと多くの次元が存在します。
今の量子力学の限界(認識の)が11次元なのです。
ちなみに私たちの住むこの世界は3次元ではありません。
3次元と申しますのはいわゆる立体物とお考えいただいて結構ですが、その立体物の世界だけでは動くことができません。
つまりそこに時間がないと「動き」が存在しないのです。
しかし私たちの世界はちゃんともの(物体)が動き回っておりますので、立体物(3次元)に時間を加えた世界なのです。
しかしここでよく誤解されているのは「それでは時間が4次元軸ではないか」ということなのですが、実際はそうではないのです。
時間はベクトル空間(次元)ではないのです。
時間と申しますのは二元性を超えるまでは、形や認識は異なりますが何次元になりましょうが存在しております。

先ほどの整数次元についてですが、数学の世界ではフラクタル図形を論じる時にフラクタル次元(ウィキペディアを参照 http://ja.wikipedia.org/wiki/フラクタル次元)という整数値ではない次元構造が設定されています。

そして次元がフラクタルという構造を伴っているということは、私たちの認識そのものがフラクタルという構造を基本にしているということでもあります。
ですから「私たちの脳で認識できる次元はフラクタル」ということも出来ますが、「限定されているからフラクタル」というのではなく、もっと積極的、本質的にフラクタルという構造はこの宇宙そのものの本質に関わってきているのです(実際この銀河系宇宙もそうですが、銀河系宇宙を超えた領域をに対しても、必ずそこには「フラクタル」「カオス」「ゆらぎ」という非常に曖昧な構造が、私達人類の認識の前に立ちはだかってきます)。 

この宇宙がフラクタル次元であるとするなら、整数次元に対しての「無理数次元」に関しても、実は無理数という数字(数学)上の一つの事実が(いわば机上の空論が)現実世界と深くかかわる関係性を見出すことも可能と成るはずです。

それでは、「無理数次元」とはどのような次元を想定すればよいのでしょうか。
有理数(循環小数も含む)に対して無理数といえば、すぐに想像する数字に√(ルート)を使った数字を思い出します。
√1,√2、・・・の数字を縦軸と横軸に碁盤目上にxy座標のように作成すると、この無理数に規則性が存在することが見えてきます。
それは、√1、√2、√3・・・を二乗すると当然の事ですが整数値1、2、3、・・・に成りますが、さっき作成した無理数xy座標において、例えば√2と√3の交点座標(√2、√3)での関係式は

 √2+√3=√5

この様になり、一般式(a,b)で表すと

√a+√b=√(a+b)

となって、√の有無に違いは有りますが、無理数の座標が確認できます。
この事から、無理数次元の存在は可能であるといえます。

NHKでも放送されたのですが、「リーマン予想」という内容の番組をやっていました。
「リーマン予想」とは簡単にいいますと、私たちが普通に日常で使う数字(実数の整数)の中にある素数という数字の特異性(実数の中における素数の出てくる順番がでたらめに見える)が、ゼータ関数化するとある値(ゼロ点)において、規則性を持つのではないかという予想のことです。

素数とは「その数自体か1以外では割り切れない数」・・・例えば1・2・3・5・7・11・・・とおそらく無限に続いていく(出現する)数のことです。
この数、素数が1・2・3・4・5・6・7・8・9・・・という実数の数値線上に出現する間隔がバラバラで、ある時は1・2・3のように密に現れることもありますが、数値のケタが大きくなりますとその出現間隔が開いてしまうこともあるのです。
そしてその出現間隔が私たちから見るとバラバラで、まるで規則性がないように見えるのですが、ある処理をしますと(これがゼータ関数化なのですが)規則性のあるような形が見えてくるのです。
そしてその「規則性があるような」という所をキチンと解明しよう(規則性がありますよと証明すること)というのが「リーマン予想」の証明なのです。

この数学上の難題には賞金さえもかかっておりますが、今から150年前に提示されたこの命題はいまだに誰にも完全には解き明かされていません。
そしてここからが本題なのですが、リーマン予想から導き出されるある数式が、現実にある物理的な数値(つまり現実世界における物理量)と深く関わっているということが解ってきたのです。
その数式は、素粒子の中でも重いカテゴリーとされる粒子がとり得るエネルギー準位の数式と同じ構造式になっていたのです。
つまり私たちの現実世界における構造を表す数式が、机上の空論から出てきたはずの数字上の数式といつの間にか合致してしまったのです。

これは一体どういう意味を持つのでしょうか。
その詳細な付け合わせは専門の数学者や物理学者にお任せすることにしますが、私たちがどうしても認識しておかねばならないことがあります。
それは「どうして頭の中だけで考えだされた数式が、現実世界の現象から導き出された数式と合致するのか」ということです。
それはあたかも私たちが頭の中で「こういう乗り物があったらいいなあ」という想像をしていると、現実世界に実際にそういう乗り物が存在したようなものなのです。
実はそこには人類の意識からこれまで全く抜け落ちていた単語が存在していたのです。
それが「意識」であり「認識」という単語です。
単純に頭の中で考えることでも、そこにはまず私たちの意識や認識、思考、記憶というものが先行して存在します。
それから様々な命題について考えをめぐらし、過程を踏んで結論を出すのですが、その思考過程を見つめる意識があり、その意識が人間の肉体脳を使用して認識ということをするのです。
つまり私たちは「思考する・考える」ということをしている時でも、その土台には「認識作用」や「意識」そしてそのもっと根本には「私」という主体が存在することを理解しなければならないのです。
つまりあらゆる科学は「私たちの頭の中」という根本を飛ばして(ないものとして)その先にある(と思っているだけなのですが)世界から検証しているにすぎないのです。
そしてそれは現実世界の物理的な認識においても同じことなのですが、これまで(量子力学まで)は、人間の認識範囲内という限定的な視野を想定していなかった・考えていなかったということがありました。
私たちは純粋な(単純な外界とはまったく関係のない)思考、認識があるという前提のもとで「数学」という構造を構築しています。
あるいは古典物理学では、やはり純粋な現実世界、純粋な物、純粋な空間、時間というものがすでにあって、厳然としてあるものとして(私たちとは関係なく)存在するという前提のもとで科学を作り上げていったのです。
しかし物質もそうですが、そのもっと基本的な空間や時間でさえも、実際にはまだその正体をつかめていないのが現実です。
とりあえず「時間」というものがあって、時計を見ているとそれが流れているように見える・・・「だから私たちは時間の中にいる」と思い込んで物理量の中に時間という単位(次元)を組み込んでいるのです。
しかし科学が進化してきますと、そこに多くの矛盾や謎が提示されてきています。

その大きな象徴が数学と物理学という全く出所が異なる(と思っている)学問が得た一つの結論にいつの間にか同じ答えが登場していたのです。
私たちはこれまで宗教・精神世界というカテゴリー内だけで扱っていた「精神構造」「認識」「自我」「意識」「人間の本質」「神」という命題を現実世界にも適応しないとそろそろどうにもならなくなってきてはいるのです。
「リーマン予想」では数学者と物理学者があるカフェで出会うことで、双方が独自に取り組んでいた命題の中に共通項が存在することが分かりました。
そして今度は数学者と物理学者が精神世界というより深く広大なカテゴリーを扱う領域にまで歩み寄ることで、より明確なこの世界の構造を明らかに出来るのかも知れません。
なぜなら数学者も物理学者も双方ともその理論なり原理、法則を得た大元は、その方たちの頭の中にあったからなのです。
それならばまず私たちは私たちの肉体、そして肉体の上に存在する、思念、そして精神、またその上にある良心(あるいはこれを一番身近な神といってもいいかも知れませんが)を探求すべきなのではないでしょうか。
そのことを現代科学の最先端は教え始めてくれているのです。

「リーマン予想」=「規則性があるような」と、先ほどの「フラクタル次元」=「フラクタル・カオス・ゆらぎ」という非常に曖昧な構造が数学と物理の世界に作用しているようです。

それでは、「整数次元」及び「無理数次元」とは違った次元も存在するのでしょうか?

数学や物理学の世界には、実軸と虚軸からなる「複素平面(ガウス平面)」が出てきます。
この中で、虚軸の基になる虚数(複素数)・「√(-1)=i 」が実数と直交して座標として表されています。
先ほど無理数次元では√についてでしたが、虚数に1i、2i、・・・等の目盛りを付けて無理数次元の時と同じ様に虚数xy座標を作成すると、同様の理由で「虚数次元」が存在することが確認できます。
この「虚数次元」はいわゆる「無」という境地の次元に似ています。
「無」そのものではないのですが、あくまでもその領域に「似ている」次元ではあります(あるいはその一部の領域とでもいいますか)。

今までに、「整数次元」「無理数次元」「虚数次元」と3種類の次元構造(仮に三つ巴構造にします)が存在することを書いてきました。
この「三つ巴構造」が、
 ・私たちは「思考する・考える」ということをしている時
 ・土台には「認識作用」や「意識」
 ・もっと根本には「私」という主体が存在する
ということなのでしょうか。


「次元」の本質について、「整数次元」「無理数次元」「虚数次元」の3種類が全てなのでしょうか?
実は、「私たちの脳で認識できる次元」とは全く異なった、いわば私たちの世界から見た「鏡像」の世界のような「反(マイナス次元)三つ巴構造」としての宇宙が在るようなのです。

その世界は、「マイナス次元の世界」、あるいはドン・ファンはその世界を「陰胎」と呼んでおります。
この陰胎世界は非常に面白い世界で、その認識はこの宇宙の理解には欠かせないもののようです。