日向の夢

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

エロゲーオタクが嫌われる理由?

2005年05月22日 23時28分01秒 | 雑記
なぜエロゲーオタクは嫌われるか  (自前)
線で分けられているので、便宜上「第1章」「第2章」・・・「第5章」とする。

第1章冒頭に、
「とある事件によって、15年前を彷彿とさせるオタクバッシングがまた始まった」
とある。これはもちろん例の少女監禁事件のことを指しているのだと思う。思うのだが、あの事件でオタクが叩かれているという話にはイマイチ実感が無い。エロゲー千本所有とか、調教ゲームとか、そのあたりの報道以来とくに目立ったニュースなどは流れていないように思う。これらの報道に関しても、エロゲーを千本所有していたことは事実なのだろうし、その中に調教のジャンルのゲームがあってもなんら不思議じゃない。まぁ、その所有ゲームの中にKanonとかAIRが入ってる可能性もまた否定できないわけだけど。

その次の
「今回はオタク文化の理解がある程度進んでいる」
は、そうか? と思いつつも、15年前のことなんか知らないし、今現在の一般の人の認識も分からないので反論はしない。そこはまぁ、各自判断ではないだろうか。

次の2章は概ね同意できる。
確かに調教したり輪姦したりするエロゲは存在自体が「悪い物」とみなされても仕方が無いというか、自然だと思う。俺だって、周りに「鬼畜ゲー大好き! 調教サイコー!」とかのたまう人がいたら激しく引くし、好き好んでお近づきになりたいとは思わない。とはいえ、何度かそういう類のゲームをやってみたいなぁと思った俺が強く言えるものではないのだけれど。
もちろん、一般の人がそういったものに嫌悪感を持って、それを愛好する人たちを排斥しようとするのも理解できる。
あーでも、小学生に性的なイタズラをするようなゲームはないはずだぞ! なんてったってゲーム中にそんな記述無いから! Fateも、ちゃんと「このゲーム中の登場人物はすべて18歳以上です」みたいな断りが出るし。(ギャグですよ~)

第3章の
「今では健全なオタク趣味は肯定はしないまでも少なくとも嫌悪感までは持たれなくなったからだ」
には、とりあえず「違う」と言っておきたい。その人がラノベスキーだろうがエロゲスキーだろうが、一般の人にはそんなに違いはないと思う。そもそも、オタク同士だって、相手がどんなジャンルが好きなのかちゃんと聞いてみなくては分からないのだ。だから無論肯定なんかされないし、だいたいの人は変な目で見てくる。あぁ、俺は初対面の人にいきなり「僕はオタクです」的なことを言ったりはしないので経験無いですが。
自分の所属しているゼミに、自己紹介でいきなり「入っているサークルはSF研究会です」とカミングアウトしちゃった人がいたが、そのときの場の凍りかたはそれはもうヒドイものだった。

その次、
「エロゲーをやっていると言うと「キモい」と言われるのは、人がエロゲーのことをよく知らないからではない。おそらく、よく知れば「キモい」どころじゃ済まなくなるだろう。理解されていないからこの程度のバッシングで済んでいるのだ。有難いと思え」
と書かれている。
うーん、これはどうだろう。一般の人がエロゲがどういうものか分からないのはそうだろうけど、その場合、一般の人は自分の頭の中に「エロゲってこういうものだろうな」という想像を持つことになる。だから、あとはその「想像したもの」次第じゃないかな、と思う。実際に知ったものが「うわ、なにこれ。こんなヒドイもんなの?」か「ふ~ん、こんなもんだったんだなー」かは本人以外のあずかり知るところじゃない。
とはいえ、その反応が前者であることが多いだろうなぁ、という予想もつく。実際にプレイしかことのない俺が言ってもしょうがないけど、ヒドイものはホント、倫理的に異常だ。

3章の中盤はあんまし意味がよくわからないので触れない。要はキモイものはキモイのではなかろうか。

そして3章の最後。
「対人コミュニケーションが得意になれば、自分のようなフィギュア趣味の人でも嫌悪されないと思うのはきっと間違いだ。おそらく、対人コミュニケーションが得意になればフィギュア趣味もなくなるだろうからだ。その頃には、「なんで俺はこんなものを集めていたんだろう」と自己嫌悪に陥るに違いない。もちろん、ただ技術だけを磨くだけでは無意味で、肝心なのはこころなのだが。」(引用長くてすみません)
はじめの
「対人コミュニケーションが得意になれば、自分のようなフィギュア趣味の人でも嫌悪されないと思うのはきっと間違いだ」
は、まぁそれなりに当たっていると思う。とりあえず俺はいくらか仲良くなった友人(一般の人)には自分がいわゆる「オタク」だということを話している。というか勝手にバレるのだが、それが原因で友人関係が壊れたことはない。ないのだが、それはたまたまかもしれない。オタク趣味が極端に嫌いな人だって世の中にはいくらでもいるだろう。
だが、その後の「対人コミュニケーションが得意になればフィギュア趣味もなくなるだろうからだ」は、あぁ、バカだなと思った。この人が「対人コミュニケーション」というものをどう定義しているかによるのかもしれないが、少なくとも俺は大学に入ってから、その点にけっこう気をつけて生活している。その中にあって「対人コミュニケーション」とやらが大失敗したことはないと自負する(意味がないかもしれないが) 女の子ともまぁ、積極的に声をかけることは出来ないものの、話はふつうにできる。
しかし、全然アニメ見たりゲームしたりを止める気にはならない。つーか俺のどうでもいい例を持ち出さなくても、それがおかしいと分かる人は多いはずだ。

3章の最後の文が
「もちろん、ただ技術だけを磨くだけでは無意味で、肝心なのはこころなのだが」
となっている。
つまり「大切なのは他人と関わろうとする心だよ」という意味だと思うのだが・・・・・オタクの人って、世に言う「イイヒト」が多いよ? 今日行って来た「杜の奇跡」っていう同人誌即売会イベントの終了後にじゃんけん大会(負けかあいこだったら座っる、普通の王様じゃんけん)があったが、負けたりあいこだったらちゃんと座るもん。100人くらいの規模でやると、ズルをする人結構いるでしょ? 普通。そういった人たちに比べれば正直だし、素直だし、礼儀正しい人が多いと思う。って、コミュニケーションとはあんまし関係ないかもしれないですがね。
外見の面からコミュニケーション能力を見ると、たしかに服装がマズい人は異常なほどいた。いまどきシャツのすそをしまっているような人にあったら俺は引くし、20度の超える気温の中、ふくらはぎまでのコートを着ている人も見た(その人はかなりかっこよかったが、すぐに変だと気づいた)。仙台という都市にあって髪を染めている人が極端に少なかったし、髪をワックスなどで固めている人も(俺の主観的な基準からいって)ヒジョーに少なかった。全然似合ってない(こういうと失礼だが)長髪(しかも染めてない)の人を何人か見たし、俺も含めて、ひげとかまゆとかの手入れが為されていない印象を受けた。ここら辺は、改善を要する点だと思う。
といっても、服装とかをちゃんとすればオタクでなくなる、というのが明らかに間違いであることは変わらない。

4章に
「エロゲー撲滅論でよく見る「エロゲーのせいで性犯罪が増える」というのは当たっていないだろう。エロゲーがあれば、エロゲーがない時よりはきっと性犯罪は減る。普通ならば性犯罪に至る異常者のはけ口となるからだ」
とある。
エロゲーのせいで性犯罪が増えることがないのは当たり前。はじめから陵辱や調教・輪姦に特別な愛着を持って「エロゲオタク」になる人などまずいないだろう。
オタクの人たちはもともと内向的で大人しい人たちが多い、という認識はおそらく間違っていないと思う。赤の7号さん「オタクだからこそ女の子を守ります」宣言や、もしくは電波男なんかを読んでもらえればわかる(と思う。というか分かって欲しい)けど、オタクの人たちは基本的に心優しいし人畜無害。それよりも、中学生くらいからタバコをすってバイクに乗って万引きして・・・といういわゆる「不良」のバカ共のほうがよっぽど女性をモノとしか見ていない。

4章のその後は、一応同意できる。わざわざエロゲを表に出していく必要なんて無いだろう。
ただ、俺はいままで大通りでエロゲのポスターやチラシを見たことは無い。風俗関係ならあるけどな。

5章に
「ここでは「エロゲー」とひとくくりにして言ってしまったけれど、健全なエロゲーと不健全なエロゲーとがあり、ここで問題にしているのは不健全なエロゲーだけである」
とある。
どういう意図があってこんなふうな書き方をしたのか理解できないが、どうせ書くなら初めに断っておくべきだろう。語の定義(それがキーワードならなおさら)を初めに書いておくのは常識じゃないのか?

順序が逆になるが、
「エロゲーオタクが嫌われるのは、エロゲーをやっているからではない。エロゲーをやりたいと思うような、そしてエロゲーを面白いと思うような心理状態にある。そしてそれは人間性の未熟さに起因する。こころの問題なのである。」
「そしてここで言う「心の問題」とは何か。これは複雑な問題だが、ここではあまり深入りせずに「人をモノとしてしか見られないこと」としておこう」
とある。
主張の繰り返し=大切 なので取り上げたのだけど、やはりこれは間違ってはいないと思う。調教・陵辱系のエロゲが人間的・倫理的に異常で、社会に馴染まないのはその通りだろう。だけど、前述したとおり女性をモノとして扱ったり、単なる性欲の捌け口としか見ていないのは「不良」とか「スーフリ」とかのバカ共だと声を大にして言っておきたい。
それと、最後の
「自分のかかえている問題を無理に肯定して目をそらすのではなく、問題をかかえている自分そのものを肯定してほしい。人間はいくつも問題をかかえているのが普通なのだから」
は、イマイチ意味がわからない。最後の最後を抽象的に締めくくってしまうのは俺もよくやってしまうことなのだけれど・・・・・触れないほうが吉?


最新の画像もっと見る

コメントを投稿