北朝鮮の核保有に関して、前置きとして「私は核を否定するが・・・」とエクスキューズをのたまいながら
「しかし・・・」と続く北朝鮮擁護論を展開する人たちがいる。
そこに共通するのが「アメリカの脅威から北朝鮮が自主国家として自国を防衛するためには
必要悪として核保有を容認しなければならない」的なことを言う。
つまり、北朝鮮擁護者は「核を保有することは良くないけれど、それなりの理由がある」
さて、どこかで聞いたような論理だ。
アメリカの広島・長崎の原爆投下を正当化する論理が、戦争犯罪国アメリカでは根強く残っている。
それは「日本に降伏を早く決断させて戦争を終わらせ、アメリカ軍の日本の本土侵攻を防ぎ
日本全土を沖縄戦のような悲惨な結果を招かないため必要な行為だった」という。
また「差別することは良くないことだが、差別される側にもそれなりの理由がある」・・・
構図的には全く逆だが、核による犠牲者にとってみればこの構図が成り立つ。
先日Facebookで、常々北朝鮮を擁護するあるジャーナリストが
「私は核は絶対悪と考えていますが、北朝鮮が核を開発保有せざるを得なかった理由を考えましょう。
誰が一番悪いのか?誰が先に核を持っている?
核の保有数を比較したらはるかにアメリカが多くの罪を犯していることに気が付かなくてなならない・・・」
「絶対」という言葉の意味が全く分かっていない。
核は1発もとうが10000発もとうが絶対悪でありそれは等価に評価される。
絶対とは他との比較対立を越えていることであり、すべての肯定と否定を意味するのだ。