노래 norae

 노래(歌)
 発音は「ノレ」
 英語で song ですね

 かろやかに歌うように
 一日をはじめたい

『絶対悪』

2017年09月27日 | 少しだけ政治のことなど

北朝鮮の核保有に関して、前置きとして「私は核を否定するが・・・」とエクスキューズをのたまいながら
「しかし・・・」と続く北朝鮮擁護論を展開する人たちがいる。

そこに共通するのが「アメリカの脅威から北朝鮮が自主国家として自国を防衛するためには
必要悪として核保有を容認しなければならない」的なことを言う。

つまり、北朝鮮擁護者は「核を保有することは良くないけれど、それなりの理由がある」




 さて、どこかで聞いたような論理だ。

 アメリカの広島・長崎の原爆投下を正当化する論理が、戦争犯罪国アメリカでは根強く残っている。
それは「日本に降伏を早く決断させて戦争を終わらせ、アメリカ軍の日本の本土侵攻を防ぎ
日本全土を沖縄戦のような悲惨な結果を招かないため必要な行為だった」という。




また「差別することは良くないことだが、差別される側にもそれなりの理由がある」・・・

構図的には全く逆だが、核による犠牲者にとってみればこの構図が成り立つ。


先日Facebookで、常々北朝鮮を擁護するあるジャーナリストが

「私は核は絶対悪と考えていますが、北朝鮮が核を開発保有せざるを得なかった理由を考えましょう。
誰が一番悪いのか?誰が先に核を持っている?
核の保有数を比較したらはるかにアメリカが多くの罪を犯していることに気が付かなくてなならない・・・」


「絶対」という言葉の意味が全く分かっていない。

 核は1発もとうが10000発もとうが絶対悪でありそれは等価に評価される。

 絶対とは他との比較対立を越えていることであり、すべての肯定と否定を意味するのだ。


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「ひとつしかない祖国のために」

2017年08月18日 | 少しだけ政治のことなど


特攻や玉砕を美化する、高須克弥のツイートにうんざりしている。






ふと、朝鮮戦争で戦死した北朝鮮の英雄とされる、朝鮮人民軍兵士リスボク(李寿福)を思い出した。

朝鮮戦争が熾烈になった頃、1211高地という軍事戦略上重要拠点となった最激戦地で敵のトーチカに身体でもって塞いだとされる。

(この高地の奪還戦は映画『ブラザーフット』でも題材となっている)

 彼は戦地に赴くとき、事実かどうかわからないがこんな手記を残しているとされる。

****************

「ひとつしかない祖国のために」

私は解放された朝鮮の青年だ
生命も大切だ 輝かしい明日の希望も大切だ
しかし、私の生命、私の希望、私の幸せ
これは祖国の運命には代えられない
ひとつしかない祖国のために
二つとない生命ではあるが
私の青春をささげること以上に
尊い生命、美しい希望、偉大な幸せが
ほかにあるだろうか!


*****************



非常に情緒豊かで美文に思う。

彼のこの手記が事実であり、それが彼の心情と信条を表しているのなら、
私は彼がとった行動を賞賛するつもりはないが(政治性を排除すれば)全否定されるものでないと思う。

しかしそれは、あくまでも「反戦」という思想根幹の上で語る場合のみ肯定され許されることであるはずなのだ。


上記の彼の手記をもって『一つしかない祖国のために青春も生命も惜しみなくささげた』と美化する人たちがいる。
よくよく見るとそういう人たちは往々にして、
現在の北朝鮮における核開発の正当性を訴える人たちが多いのは否めない感がある。


その人たちは特攻を美化する高須克弥と同じ思想根幹を有していることに気づかされる。


特攻も玉砕もリスボクの犠牲精神も、あくまでも「反戦」を文脈とした過程で語らなくてはならない。

それ以外のところから発せられる美辞は全否定されなければならない。

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重国籍

2017年07月12日 | 少しだけ政治のことなど

日本の最大野党、民進党代表の蓮舫議員がどうやら戸籍謄本を開示するという。
彼女の父親は台湾人でかつて台湾国籍を所持していたが、日本国籍取得をしたことで
台湾国籍を離脱した経緯を証明するため、自身の戸籍謄本を公開するそうだ。

いかに公人といえど、戸籍という最大級の個人情報を公にさらすという行為がどういう意味を持つのか?

元外国人であったという理由だけで、今を生きる日本人が日本人に向かって「私は日本人です」
ということを証明させられることがどれだけ差別的で、これを「当然」と考える日本人の持つ
純血主義がいかに排外的であることの証明になった。まさしく現代日本人の自像画を見せつけられた。

私の住む日本国は重国籍を認めない。
私は「国籍」とは、単なる書類上そして社会契約上にすぎない「記号」と考える。

しかし「日本国」という国家権力はそれに忠誠とアイデンティティーを要求する。
「同じ制服」を着ていないと仲間と認めない社会だ。

驚くことに、それは権力側の要求だけでなく、その社会の構成員もそれを求めて脅迫する。




すこし話はそれる・・・


友人の知り合いに、アメリカ合衆国の国籍を有し同時にフランス国籍も有してる重国籍者がいる。

出自はアフリカのとある部族で自身もそこで生まれ育ち父母も兄弟もそこに在住している。
その部族は欧米列強の植民地政策の関係でアフリカの二つの国家にまたがってコミュニティーが存在するという。

非常に優秀な人で、フランスの大学を卒業しアメリカの大学院で博士過程を経て学位を得、
アメリカ企業に就職しパリの支社で就業しフランス人のパートナーと暮らしている。

その彼が日本に出張の際日本人からこういう質問をされた。

「あなたのアイデンティティーはアメリカですか?フランスですか?それとも生まれたアフリカの国家ですか?」

「私のアイデンティティーは国家ではなく自分が属する部族であり帰属するのはその部族の『長』であり、
大切にしているのはフランス人のパートナーと子供たち。それとアフリカにすむ私の家族だ。
国家にアイデンティティーを置こうとする貴方の意識が理解できない。ビジネスを行う上でそれの何が関係するのか?」



これは、単に日本社会におけるトレランスの問題だけではなさそうだ。

蓮舫さん・・・あなたは差別の固定化に加担すべきでない。
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china・chinois・支那

2017年05月24日 | 少しだけ政治のことなど


かなり以前、ある知り合いの若い高校教師から相談された。

彼の学校でこういう話題が生徒の間で出たそうだ。

「欧米人が中国のことを『チャイナ・シノア』と呼称しても問題ないのに、
日本人が『支那』と呼称すると、同じ語源なのになぜ中国人は怒るのか?
逆差別的な反日感情では無いのか?」

彼は生徒の質問に答えられなかった。
まぁ、考えてみれば保守系陣営から語りつくされた雛形のような幼稚なロジックだ。



さて、人々が何かを語るとき意識していようがしてまようが、
また好むと好まざるにかかわらず言葉にはそこに政治的意図が含まれてしまう。
今を生きる日本人が語る『支那』はまさにそうなのだ。

っで「日本人が語る『支那』」に反発する中国人は果たして
逆差別的な反日感情なのだろうか?

英語で china(チャイナ)フランス語でchinois(シノア)と呼称しても問題ないが、
日本人が『支那』と呼称することに不快を感じる中国人の心理は、
正当であり当然の感覚なのであるとおもう。

それは『支那』と言う言葉が背負ってきた歴史的経緯が大いに関与してくるのではないだろうか。

『支那』と言う語彙そのものにはなんら差別的な意味を含むものではない。
しかし、多くの日本人はかつて『支那』と言う言葉で、
多くの中国人を侮蔑の文脈で語ってきた経緯がある。
言葉とは時代(時間)とともに政治性をおびる可能性を秘める。

つまり言葉に「手垢」がついてくるのだ。

ましてや今を生きる日本人が『支那』と言う言葉をわざわざ使用しなくとも、
そのオルタナティブはいくらでも存在する。
わざわざその言葉を使用しようとする、その意図は明らかに政治性を帯び、
その発話者の政治的主張が読み取れる。

メディアでお天気姉さんが「東シナ海に発生した台風〇〇号は・・・」
この文脈にお天気姉さんの政治的、思想的主張は存在しないが、
かつての東京都知事が「支那を中国と呼びかえる必要がどこにある」
と言った場合、その意図は明らかなのだ。

差別とは決して語彙に存在するのではなく文脈に存在する。



その教師に尋ねてみた。
「バカチョンカメラは差別語か?」



彼は「バカチョンのチョンは朝鮮人のことをさすと聞いている。
バカと同列に語るのは差別と言わざるを得ない。」と言う。

「バカでもチョンでも」は昔から日本で使われている言い回しなのである。
「うんともすんとも」「何でもかんでも」・・・同じような言い回しはいくらでもある。

しかし、かつて多くの日本人は「チョン」という言葉で
朝鮮人を差別し侮蔑してきたし今もその文脈で語られる。

異論は多いが、私は日本人が「バカチョンカメラ」と言う言葉を使用するなとは言いたくない。
「言葉狩り」になる可能性もある。

しかし、朝鮮人がその語彙で不愉快になる感情も与すべきだろう。

『差別』とはそれがどういう文脈の中で、その話者のどういう意図で語られるかが重要だろう。

その語彙を使う側にその感性と人間性が要求される。


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悔しくて・・・(差別の現場に立ちつくして)

2017年04月27日 | 少しだけ政治のことなど




俺が住む街、俺の子供たちが故郷とする街、この大好きな神戸の街が穢された。

今日が初めてでなないことくらい俺も知っているが・・・でも神戸の街が穢された。

 卑劣な最低の人間のクズ連中に穢された。

 悔しくて悔しくて身震いするほど穢された。

 これで何回この現場を見てきたのだろうか。神戸の街もこれが初めてではない。

今日、在特デモに飛びかかっていった青年を見た。
公安に閉じ込められ制止されながらレイシストデモ隊になりふり構わず突っ込もうとしていた。
彼の怒りがビリビリと俺の心を刺激した。

彼が警官に取り押さえられながら発していた言葉にならない怒りが、俺の心臓を鷲づかみにしてきた。

吐き気が襲ってきた。川東がにやつきながら「除鮮中」と言う横断幕でその青年を煽った。

以前、在特のyoutubeで名古屋の青年が「おどれ~~!!!」と言いながら
在特に突っ込んでいた動画を思い出した。あの怒りを思い出した。あの悔しさを思い出した。


 怒れ!若者!
 加納町の交差点を過ぎる頃、俺は泣いていた。

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