公立相馬総合病院の研修医のブログ

被災地医療を支える公立相馬総合病院
http://www.bb.soma.or.jp/~psghjim1/

相馬に戻ってきました。

2019年06月16日 | 日記

はいどうも、お久しぶりです。

研修医2年目の中川です。今年に入ってはじめて、やっとの思いで相馬に戻ってまいりました。

5月上旬に投稿させていただいたように、私は5月の間只見町国保朝日診療所で研修をしておりました。

私が只見で感じたことを今回は書かせていただこうと思います。

只見町、私のいる相馬からは片道で4-5時間は間違いなくかかります。相馬で聞いても、「行ったことがない」という方々が大半ですが、逆に只見町で相馬の話をしても「行ったことがない」という方々が大半でした。改めて福島県ってデカいんだなと思いました・・・なんなら相馬と只見を行き来するよりも東京の方が近いという現実がありますので( ´∀` )。

只見町は面積として神奈川県がすっぽり収まるレベルの面積を誇るにもかかわらず、人口は約4000人とひじょーに人口密度が低いです。めちゃくちゃ広いので車がないとまず生きていけません。食糧確保も21:00を過ぎたら原則不可能になります。スーパーは19:00に閉まります。24時間営業のコンビニまで片道最低でも1時間かかります。これを読んでいる都会の方々、想像できますか。

これだけだと只見には何にもないってことをただ言っているだけになりますね。けれども只見には見渡す限りの山々とこの時期なら新緑、澄んだ空気、信じられないほど美しい星空があります。只見で見た星空は人生で見てきた景色の数々の中でも指折りの美しさでした。なお星空を撮れるようないけてるカメラは持っていないので写真はありません(^^)/。日常に自然が当たり前のように入り込んでくる環境はこの国にどれくらい残されているのか私にはわかりませんが、本当の宝物ってこういうことをいうのかなと思います。この環境で育てる子どもたちはきっと心のどこかにふつうには得難いものを得られるんじゃないかなと感じます。

ちなみに只見町の年間出生数はせいぜい20-30名とのことでした。亡くなる方が年間100名とのことなので人口は緩やかに減少しています。生まれる数も年々減っています。小学校は町に3つ、中学校は1つ、高校も1つとのことでした。たしかに子供は少ない、とてつもない高齢化を見つめる、日本の未来といえばそうでしょう。それでもそこに人の営みがある限り、その土地はどんな形でも後世に残せるんではないかと信じています。これだけの自然を抱え、育む土地は他にそうそうありません。

自然について語るだけでは病院のブログとしては好ましくないですかね。地域医療研修という形で勉強させていただいたので、地域医療研修について。私にとって地域医療研修はその土地を学ぶということだと思います。いや、地方で研修をすること自体がその土地を学ぶという側面を多く含んでいると感じます。私は本当の意味で僻地と言われる土地、中でも本州にある僻地と呼ばれる土地を実際に目で見たいと考え只見に行かせていただきました。私は学生時代に奄美大島の瀬戸内徳洲会病院という徳洲会系の病院に見学に行かせていただき、離島の医療を少しだけ見させていただきました。今度は離島ではありません。3次医療機関まで陸続きです(一応)。片道約2時間という他にはない環境がありました。離島ではドクターヘリのみならず、自衛隊のヘリがバンバン使われているとのことでしたが、こちらは制度やらの都合でヘリは日中のみしか使えません。天気が悪くても使えません。町の中に1台しかない救急車で必要時は片道2時間かけて、往復では5時間かけて会津若松に運びます。医療体制がどうなっているのか、どういう人を若松に運ぶのか、この土地にはどんな人が住んでいるのか、何が無くて何があるのか現地にいて初めて学び得たことはいくらでも出てきます。逆にそこで暮らしてみなければ、知ることはなかったといえることが山のようにあるんです。1か月間山に囲まれて暮らしただけに。

あんまりお堅いお話をしてもあれですよね。とりあえずそろそろ今回の締めに入ります。本当に現地では診療所の方々をはじめ、現地の方々、東京からたまたまいらっしゃっていた方々と本当にいろいろな方にお世話になりました。帰るときにここまで名残惜しいと感じるとは正直思っていませんでした。なんとお礼を言っていいか分かりません。では最後に只見町で撮った写真の内の二枚を。ダムを見おろす景色、そしてダムの上の雲海、車道から見える絶景で終わろうと思います。また只見に行きます!ではまたそのうち。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Part 2. Why Doctor live with 14 cats in Fukushima? --Leo's life

2019年06月02日 | 14 cats and resident Eiji

 Hello.

 My name is Leo, I am one of the 14 cats of Eiji who is a resident of Soma General Hospital.

 This time I (Leo) write this blog instead.

 I try to introduce you about one day of our life.

 Usually Eiji wake up at 6:30am and greeting us, take our breakfast and water, clean our toilet and room, and go to the job.

 One Saturday of April, we began to scream Nyau Nyaw Nyan…as we always do every morning.

 But, at that time the phone rang, it was from hospital.

 Eiji began to change the clothes and ran to the hospital in a hurry.

 Saw through the window someone running, we cried out loud

 “Hey Eiji hey! where are you go, come back!, you forget our breakfast!”

 Eiji had gone.

 Well, we are stray cats so it was okay we not eat once or two.

 As like you, we are very patient and strong enough to survive this tough world.

 In addition, Three years ago, there was a period when Eiji couldn’t come back at home for 3 or 4 days in a row.

 Because Eiji had a job after school, so we are used to waiting 3 or 4 days at home.

 Hey, while saying so, Eiji came back.

 It was 11:00am.

 Well, finally we could eat our breakfast at noon, and had cleaned our toilet and room.

 When we were eating our breakfast, the phone rang again, and Eiji ran to the hospital in a hurry again.

 Medical engineers and technicians went to the hospital also.

 At 9:30pm Eiji came back.

 We had our dinner.

 Eiji cleaned our toilet, and at last, began to ate ones breakfast.

 It was one day of our life.

 

Finally let me introduce myself.

I lived in the courtyard of the Fukushima Medical University. I don’t know my age, but I know I was old male cat.

Eiji thought I was strong like a lion, so named me Leo.

 

 

When I met Eiji first time, I was in a critical situation, thin, sick and weak. So I couldn't move any further until after one hour Eiji retuned with carry bag.  At that time, I think I was lucky in some sense...

 I couldn't escape or hide instinctively, as usual I did,

 I had scabies so I couldn’t open my eyes.

 Bastard insects gather in the wound on the right side of my neck.

 Two days later.

         After Two months.

To prevent other cat have a scabies, I was in the intensive care unit (private room) for about 3 months.

With Silver. But at this time I had diabetes mellitus. I started to lose weight again.

When I came out of 6 months of insulin treatment. Weigh 3.5 Kg, but I was fortunate to have recovered from diabetes.

Leo (now = three years after from first meet).Weigh above 6 Kg.

"Hey bastards (insects) I'm still alive!!" (Quotes from movie Papillon)

So I want you to alive even if you are bullied, ill or stuck in life.

Thanks for your visit. I am glad and happy to meet you.

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする