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人体の連続性と滑らかさを調べる 2

2016-05-19 12:00:54 | 症例から考える

前回の「1」では連続性について述べたので、今回は滑らかさについて。

身体において外部的な構造や内部的な化学反応に連続性が保たれていることは、正常に機能するための最も基本的な条件と言っていいだろう。けれどもほとんどの場合、構造や反応はただ連続であればいい、ということにはならない。生体が生体として機能するためには、滑らかさが必要なのだ。

では、その「滑らかさ」とはどういうものなのだろう?

数学で言う「滑らかさ」とは、要するに微分可能性のことだ。滑らかでないものは微分できない。ここでも簡単のために、ごく一般的な2次元の(x, y)空間で定義された関数y = f(x)についての微分可能性の定義を述べる。ただHTMLはそもそも数学的な式を書き表すのにはふさわしくないので、少々見づらいものになってしまうことはご容赦願いたい。

関数y = f(x)が点(a, f(a))において微分可能(可微分)であるとは、
f(x) = f(a) + α(x - a) + g(x), lim[x→a]{g(x)/(x - a)} = 0
となるようなαが存在することを言う。そしてこのαを微分係数と呼び、f'(a)で表す。
※上記のlim[x→a]は、xをaに限りなく近づけた時の極限、という意味。


この定義で、例えば上記の関数f(x)がx = aで連続でなければ、lim[x→a]{g(x)/(x - a)} = 0とはならないことからわかるように、その関数なり図形なりが微分可能であるためには、まずそれが連続でなければならない。

しかし、連続であっても微分可能とは限らない。その簡単な例はy = |x|で与えることができる。この関数はx = 0では微分できない。xをマイナス方向から0に近づけた時とプラス方向から0に近づけた時とでは、αの値が前者が-1、後者が1となって1つに決まらないため、その点では微分できないのである。
実際、y = |x|のグラフを書くと、点(0, 0)の部分は尖っていて滑らかではない。こういう点を特異点という。

さて、数学では連続な関数をC^0級と呼び、1階微分可能でその結果がなお連続な関数をC^1級と呼ぶ。以下同様にしてn階連続微分可能でその結果がなお連続な関数をC^n級と呼ぶ。上に述べたように、微分可能であるためには滑らかでなければならない。n階連続微分可能とは、それだけの回数だけ微分できるほど滑らかであるということを意味している。そして、果てしなく微分可能な関数がC^∞級と呼ばれる関数だ。

C^∞級関数としては、y = 0といった定数関数があるが、これは非常につまらない例。もう少し気の利いた例としては、y = sinx、y = cosxがある。sinxは微分するとcosxに、cosxは微分すると-sinxになるから、これらは果てしなく微分可能な関数だ。

ここで身体の話に戻ると、例えば関節部分などはC^∞級の滑らかさがなくてはならない。だから関節周りの障害では連続性だけでなく滑らかさの度合いを調べる必要がある。仮に関節周りを治療して痛みが軽減し可動域が広がったとしても、その部分の滑らかさがC^1級やC^2級程度なら、ほどなくして元に戻ってしまうだろう。

筋肉でも同じようなことが言えるが、筋肉については更に複雑で、C^∞級では足らずC^ω級の滑らかさが求められるようだ。C^ω級関数(あるいは実解析関数)の定義はちょっと複雑で、

C^∞級関数y = f(x)がある開集合OにおいてC^ω級であるとは、f(x)がOの各点(a, f(a))の近傍においてベキ級数展開できる、つまり
Σ[k=0,∞](1/k!)(f^(k)(a))(x - a)^kが絶対一様収束して、この和がf(a)に等しい
ことである。
※上記のΣ[k=0,∞]はkを0から∞まで1ずつ変化させた時の和、f^(k)(a)はx = aにおけるfのk階導関数を表す。

調べる順番としては、その部分がまずC^0級(つまり連続)かどうかを見、次にC^1級(つまり1階微分できるだけの滑らかさがある)かどうかを見て、それがクリアできたらC^∞級、更に必要ならC^ω級かどうかを調べることになる。

というわけで、ウンザリしながらもここまでついてきてくれた方、ありがとう。これで主要な話は終わりだが、1つ追記しておかなければならないことがある。

ここまでは議論をできるだけシンプルにするために、定義や例を2次元の(x, y)空間だけで呼べてきた。けれども実際には身体は少なくとも3次元の構造を持っている。なので、本当に用いるべきは高次元空間における連続性や微分可能性についての話でなければならない

──のだが、ありがたいことにちょこっと認識を変えることによって、高次元空間においても上記の議論がほとんどそのまま適用できるのだ。では、その「ちょこっと認識を変える」とはどういうことかというと、

普通y = f(x)と書いた場合、xもyも1次元の値(つまりスカラー)というふうな認識になるが、これをそれぞれ多次元のベクトルと見なすのだ。一般にはスカラーと区別するために太字でxyと書くが、x = (x1,x2,…,xm)、y = (y1,y2,…,yn)とみなしてy = f(x)と書くと、あら不思議、関数fはm次元空間をn次元空間に移す関数になってしまった。

こういうふうに認識を変えた上で定義を眺めると、2次元の(x, y)空間だけで述べていたはずの話が、(厳密には形はより複雑にはなるが)ほぼそのまま多次元空間についての話として使えるって寸法だ。


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