神話でなかった古事記

日本の歴史を知るために、いろいろ考えてきました。古事記に残されていることから、思いついた事を書いてみようと思います。

神話にすぎない日本書紀(5)

2016-11-05 04:30:00 | 古事記
 喪山が伯耆の何所にあるかは、国土地理院の米子の地図を拡げて頂きたい。
溝口町に御墓原の地名があり、これは原とあるが、現地を訪れば山である。
御墓原の御は御所の御と同じ意味で、貴族の墓所である。
 この御墓原から流れ出した河は会見を流れ「伯耆の会見の河上の御墓原」
こそは天若日子を葬られた所であった。現古事記は日本書紀に合わせて改ざん
され、日本書紀は原古事記を没収して参考にして書かれたと考えてよくなった。
この御墓原はイザナミ命がもがりにされた場所だった。これは前著に証拠が示
されている。又日子穂穂出見命が葬られた所だと古事記に書かれている。

 倉吉平定が出来て、奴国の大国主命と国譲りの交渉がまとまる、古事記では
「筑紫の日向の高千穂のクジフルタケ」に都を移した。日本書紀では、「日向
の襲の高千穂峯」に降ったと書かれ、これは明かに九州である。原古事記では、
「木尽しの日向の高千穂」と書かれていた筈だ。木が生えてない地点が「尽し」
と考えればよい。これが筑紫に改ざんされた。


私から一言---このタイトルは間違っていますね。
日本書紀には神話が書いてあるどころか、嘘が多いですね。

今、日本史 五色塚古墳はイザナギのお墓 イザナミのお墓(90)目印-日御碕(72)  出石
http://obitikuoosaka.blog.fc2.com/blog-entry-2217.html
において、出石は、北緯35度27分の上にあることを確認しています。
この線上にある遺跡は、全部天皇に関する遺跡で、古代の人は、緯度を測量する技術を
持っていただけではなく、徹底的に、拘って、寺院や墓地、宮城を造り、城山という山
を造成し、基準としていました。

 一日に、40kmは、移動したと思われますが、日本の地図は、身体で覚えて活発に
移動していたと想像しています。
 出石の先は、天座と皇大神社を残すだけとなっていますが、これは、間違いなく、
天照御大神と関係あります。しかし、出石も天皇から許されてこの地に住むようになった
と思っていましたが、なんだか、変な予感がしています。

 出石神社は、但馬の一宮です。その神社に祀られているのは、天日槍命 と出石八前大神
です。天日槍命は天皇と関係があると思っていましたが、直接、関係はなさそうです。
何故かと云いますと、出石神社は、北緯35度27分の上に無いからです。

 天皇と関係のある神社が、現在の城山の近くにあったのではと考えています。このような
見方をしながら、天日槍命はどのような人物だったのかを考えていますと、無理やりに造ら
れた神社ではないかと考えている最中です。

 みなさんも、先ず、天日槍命は、日本書紀では、どのように書いてあるか、又、古事記では、
どこに書いてあるか、そして、どの様に書いてあるか調べてください。
訳が解らないということが、判ると思います。 私は、簡単だと思うようになっています。

日本書紀には、やたらと精しく、天日槍命の系統が書かれています。精しく書かれているのは、
おかしいと思わないといけないと考えています。


お知らせ
今日から、 同じ、「神話でなかった古事記」のタイトルで、次の所で書き始めましたので、
合わせてご覧頂けたらと思います。

http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/

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