南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

今年のマイプライベート・10大ニュース

2006-12-29 13:16:30 | Weblog
一昨日から日本に来ています。会社で打ち合わせがありました。
東京の下町にいるのですが、全く寒さがなく、かなり用心して
きたのに拍子抜けした感じだと思っていたら、今日の金曜日は
ちょっと寒くなりました。シンガポールから比べれば、
かなりの気温差です。

さて、今年もほとんど終わり。あと二日ですね。一年ははやいも
のです。ということで今年の自分の十大ニュースをまとめてみ
ましょう。まあ今年もいろんなことがありました。振り返って
みれば、悲しいこともあり、嬉しいこともありのまるでドラマ
のような一年でした。

第一位:母との別れ
今年の三月四日、私の母が逝去しました。今年の正月に田舎に
帰ったときは、まだ家で、おせち料理を美味しそうに食べてい
た母が、まもなく入院しました。私は3月にお見舞いのために
帰国していたのですが、その間に母が亡くなりました。その日
は、東京から私の妻もお見舞いに来ていました。自らの死期を
悟り、自分の最後のときに、海外にいる私が立ち会えるのか
どうかを気にしていた母ですが、偶然にも私が田舎にいるうち
に亡くなりました。花が好きな母でしたが、春まだ早い季節に
菜の花が咲いておりました。私がその場に居合わせたことも
奇跡的でしたが、私の妻がいたのも奇跡的でした。
何十年ぶりかに立ち会った葬式が、自分の母親の葬式だった
なんて,,,

第ニ位:東京での結婚披露宴
母の四十九日も過ぎて、悲しみから立ち直り始めた5月7日、
東京の銀座のレストランで、私たち二人はささやかな結婚披露
パーティーを行いました。結婚式は、去年の12月8日に、ハワイ
の山の中の小さな教会で二人だけであげていたのですが、披露宴
は5月でした。手作りの感じの小さなパーティーでしたが、その
日の夕方、妻方の親戚一同、そして私の兄弟で屋形船に乗ったの
が思い出です。生まれて初めてのった屋形船でした。

第三位:桜
四月の初旬に母の法要で日本に帰ったときに、東京の千鳥が淵
に妻と行きました。桜が満開でした。長い事近所にいながら、
千鳥が淵の見事な桜を見たのは生まれて初めての経験でした。
桜の花は毎年だいたいどこかで見ていたのですが、これほど
見事な桜の花を見たのは初めてでした。

第四位:引っ越し
九月に田舎のお祭りで日本に帰ったとき、ついでに東京に持っ
ていたマンションを引き払いました。引っ越しは小雨模様の日
でしたが、妻のご両親が手伝ってくれて、あっという間に、
引っ越しが完了。粗大ゴミを業者に頼んだのですが、その料金
が高くてびっくりでした。家具から、本から、CDから、衣類か
ら、いろんな過去のものを思い切って処分しました。過去の物
をなかなか処分しきれていなかったのですが、かなりの物を思
い切って捨てました。

第五位:バンコクでの会議
11月の初旬にバンコクでの会議がありました。その会議は、ア
ジアにあるいろんな関係会社をバンコクに集めて行う会議だっ
たのですが、自分で企画から運営まで行った会議は初めてでし
た。しかも外国人ばかりを20数人集めて仕切れたので大変でし
たが、何とか無事にこなすことができてよかったです。

第六位:功名が辻
今年のNHKの大河ドラマ『功名が辻』は今年一年、ずっと見続
けたドラマでした。テーマが夫婦愛ということもあって、歴史
には弱い妻も最後まで見続けました。私たちは日本とシンガ
ポールに離ればなれになっている夫婦ですが、このドラマに
教わったことも数多くありました。私達のこの一年は、この
ドラマとともにあったと言っても過言ではありません。

第七位:メディアコープ見学
商工会議所の見学会でシンガポールのテレビ局に行ったのです
が、これをアレンジしました。シンガポールのタレントの
皆さんに生で会えたりして、参加者の方がとても喜んでいた
のがよかったです。

第八位:初めてのナイトサファリ&セントーサ
10年もシンガポールにいるのに、私はナイトサファリに行った
ことがありませんでした。また、シンガポールに何度も来たこ
とのある妻も、定番のセントーサには行ったことがありません
でした。しかし、今年、私は初めてナイトサファリに行きまし
た。そして妻は、生まれて初めてセントーサ島に行きました。
二人そろって、今まで行ったことのなかった観光の定番スポッ
トを訪問することができたのでした。

第九位:インド
今年の一月、インドに出張に行ったのですが、これまで何度か
行ったことのある、デリーとムンバイだけでなく、バンガロー
ルとハイデラバードにも行きました。とくにハイデラバードは
ハイテクパークもある一方で、昔ながらの遺跡も多く、他の
都市とは違うなあと思いました。

第十位:アジア各国への出張
今年の9月、マレーシア、中国、フィリピンなどへ、ビデオの
撮影で出張しました。ハードスケジュールだったのですが、
日頃行けない場所で、いい思いでとなりました。

というような感じで、今年一年も終わりです。なんだかばた
ばたして落ち着きのない一年でした。また来年はどんな年に
なるのでしょうか。来年もたぶんいろんなことがあるので
しょう。がんばっていきたいと思います。

皆さんにとりましても来年がよい年でありますように。

「功名が辻」マイベスト10

2006-12-26 02:15:21 | 戦国時代
メリークリスマスのメッセージをアップしようと思っていたら
すでにクリスマスも終わってしまったので、年末のまとめとし
て「功名が辻」のシーンのマイベスト10を公開したいと思い
ます。

この間、総集編があったのですが、あらためて見て、いろいろ
と思い出に残るシーンがあるなあと思いました。これに順番を
つけるということは、なかなか難しいのですが、自分のまとめ
として、勝手にランキングをつけてみようと思います。

言っときますけど、これはあくまでも個人的なランキングなの
で、皆さん、これは納得いかないとか思われるところもあるか
と思いますが、悪しからず。独断と偏見のランキングです。

いきなり第一位:炎の中の「婚儀承知」
4回めの「落城の抱擁」の回でのシーンですが、落城間際の
稲葉山城で、千代の親代わりの不破市之丞が自害しようとして
いるのを、秀吉が止めて、一豊と千代の結婚を承諾させてしま
うという場面。状況的にはちょっとわざとらしいのですが、死
のぎりぎりのところで実現する結婚。「千代は、生きて、一豊
様の妻になりとうございます」という必死のアピール、そして、
その後の市之丞の「婚儀承知!」という台詞。これは忘れられ
ません。

第ニ位:一豊の最後の「喉が渇いた」
一豊の最後の時、よりそう千代が、「まだまだこれからでござ
いますよ。私たち、誰もおよばぬ、日の本一の夫婦になるので
ございます」という台詞。その後に一豊の「喉が渇いた」とい
う言葉。戦国の世に、これほど平和な最後はないのでしょうが、
これは感動です。こういう最後を迎えられたら、一番幸せなの
ではないかと思いました。

第三位:仏門に入る拾の「かしこまりました」
武士への未練が残る拾が、一豊と千代に仏門に入るよう説得さ
れる場面。「ご下命とあらば従います。されど、そうでなけれ
ば、いやでございまする」と拾。一豊が、「父の命である」と
厳しい口調で言うと、拾が「かしこまりました」と言う。この
場面、いつ見ても感動です。

第四位:副田甚兵衛の「待っておるぞ」
北条攻めの回に出てくる話しで、メインの話しではないですが、
死の床にある旭の前に、針売りに扮して甚兵衛からの手紙を読
むという設定の副田甚兵衛。「もはや、この世で叶わぬならば、
あの世でゆっくり語り合おう。互いの苦労自慢をいたそう。そ
して笑いあおうぞ。旭、いかなることがあろうとも、わしらは
夫婦じゃ。病をしっかり直せ。待っておるぞ」
この台詞、泣けてきます。

第五位:吉兵衛の「上手の大将になられましたな」
亀山城への一番乗りを果たした五藤吉兵衛が、致命傷を負い、
一豊に「わしの城の天守に立て」と励まされる。一瞬こぼれる
笑い。まだまだ、吉兵衛は、これから一豊を助けなければいけ
ないのにここで死んでしまう。もっと生きてほしかったと、思
う人物でした。このシーンも泣けます。

第六位:信長の最後の「痛いのう」
本能寺の場面での濃と信長。「あの世で会おうと仰せになられ
ても、殿は地獄、私は極楽、これでは死に別れにござります」
という濃の台詞、すごくかっこいいです。ここにも愛を全うし
ようという一組の夫婦の姿があります。でもその後に、鉄砲で
撃たれた信長が、発する「痛いのう」という言葉。自分は神だ
から痛みは感じないと豪語していた信長も所詮は一人の生身の
人間だったということが、この一言に現れています。さらに
濃が撃たれる場面で、光秀が「きちょうさま」と叫ぶ。ここに
もまた遂げられなかった愛の姿が。本能寺を単に信長の最後と
してだけでなく、濃の生き様、そして光秀と濃の秘められた愛
なども表現していて実に面白い場面でした。

第七位:一豊の「黄金十両!」
内助の功を表すエピソードとして一番有名な名馬を買う場面。
「暮らし向きのことには使ってはなりませんよ」と言われて
いたのを、ここぞと使う千代。それに最初は不満を覚える一豊。
しかし、千代の説得で、馬を買うことを納得する一豊。これは
有名な場面ですが、やっぱり印象に残ります。

第八位:千代の「私も同じ夢を追いとうございます」
一豊と千代が祝言をあげた夜、二人で語り明かす。「一国一城
の主になることが夢」と語る一豊に、「戦は嫌いでございます。
されど一豊様の夢が一国一城の主なら、私も同じ夢を追いとう
ございます」と言う千代。とくにドラマチックな場面ではない
のですが、記憶に残る台詞です。

第九位:千代の「お命の持ち帰りこそ功名の種」
この言葉だけで、感動してしまいます。命惜しむな、名こそ惜
しめと言われていた時代に、命の大切さをストレートに訴える
千代の気持が感動的です。

第十位:その他いろいろ
その他、市の台詞も印象に残っているし、三成、淀も鮮明です。
秀次の最後のシーンもよかったです。あと、細川ガラシャの
「首か胸か」のシーン。寧々の台詞もよかったなあ。いざ、
選びだそうと思うと、選ぶのが大変です。まだ忘れてる名場面
があったかもしれませんけど。

皆様、何で六平太が入っていないのかとか、何で竹中半兵衛が
入っていないのかとかご不満の方もいらっしゃるかもしれま
せんが、これはあくまでも個人的な意見なので悪しからず。
では、おさわがせいたしました。

トゥーランドット追記

2006-12-21 02:44:10 | Weblog
ちょっと前にプッチーニのオペラ「トゥーランドット」に関し
てブログに書いたのですが、ページビューのスコアが自己最高
を記録しました。興味を持っている人が多いんでありましょう
か?で、トゥーランドットに関して、その後いろいろ調べてい
るうちにわかったことがありますので、ここで追記させていた
だきます。

まず、トゥーランドットの主人公のカラフというなの王子(元
王子ですが)は、ダッタン国が敵に攻められたので、父親の
ティムールという国王とともに、命からがら中国に逃れてきた
という設定です。

ここで、ダッタン国とは一体どこにあった国なのかという疑問
が湧き出て、夜も寝られぬ状態になりました。そういえばどこ
かで聞いたことがある名前です。世界史には、中国の西のほう
に韃靼という国が出現したような気がします。タタールとも
言っていたような…

タタールというのは、ロシア語読みらしいのですが、ロシアに
はタタール人種というのが民族として残っているようです。
一般にタタール人というと、モンゴル高原から、ロシアにかけ
て活躍したモンゴル系、ツングース系など、様々な民族をさす
ようなのですが、西欧の人たちから見ると、勇猛果敢で、怖い
存在であったようですね。

そういえばシェイクスピアの中に「ダッタン人の矢よりも速く」
という表現が出てくるくらい有名だったのです。ロシア語では
タタールと言い、日本でも「タタール」を現在では使っています
が、以前は韃靼(だったん)と言っていたようですね。これが
フランス語や英語ではTartar(タルタル)となるのです。そう、
あのタルタルソースや、タルタルステーキのタルタルです。

タルタルステーキは、東欧の近くまで押し寄せてきたタタール人
が残した食文化の一部だったのかもしれません。そのワイルドな
肉を生で食べるという食べ方は、野蛮で粗野だったと思うのです
が、それがドイツから西欧に伝わっていったようですね。タルタ
ステーキを作るような雰囲気で、タマネギやゆで卵などを刻んで
作ったソースがタルタルソース。カキフライや海老フライには欠
かせませんですね。

タルタルソースのタルタルは実はダッタン人と関連があったとい
うのは驚きです。

王様の名前がティムールというのは、14世紀、モンゴル帝国後の
中央アジアから、中東、インドまでも制服する王朝の名前ですが、
軍事的には天才的であったようです。ちなみに、上の写真は、
インドのハイデラバードの街の写真をベースにしていますが、
なんとなくタタールとかの雰囲気にあうのかあなという勝手な
思い込みです。

ところで、「トゥーランドット」の中では、ダッタン国のカラフ
(元)王子に、三つの質問がトゥーランドット姫から与えられま
す。それはこんな感じです。

第一問:「闇夜に虹色に飛ぶ幻。全人類が求める幻影。それは
心の中に蘇るため夜毎に生まれ、朝に死ぬ…」

答えは「希望」です。王子は正解してしまいます。

第二問:「炎のようにありながら炎ではなく、生命を失えば
冷たくなり、征服を夢見れば燃え立つ。その色は夕日のよう
に赤く、その声も聞こえる。」

答えは、「血潮」です。またまた正解してしまいます。

第三問:「お前に与える氷は炎、その炎は私にはもっと冷たい。
自由を求めれば奴隷となり、奴隷になりたいと望めば王となる。」

その正解は、「トゥーランドット」です。カラフ王子はこれも
正解してしまいます。この3つの質問は、次のサイトから勝手に
引用させていただきました。
http://www.sutv.zaq.ne.jp/infinito/operastory/turandotto.html
詳しくはそちらをご参照ください。

この最後の質問は、何でトゥーランドットということになるのか
よくわかりませんが、この「氷は炎」というのは、荒川静香さん
が氷上で舞った演技に通じるところがあるのかなということを
ふと思いました。

そして、あのイナバウアーというのは、カラフ王子に無理矢理
抱きしめられて、口づけされたときのトゥーランドット姫の恍惚
を表現しているのではないのだろうかなどと勝手に想像してし
まいました。

動物うらないで人生観を調べてみる

2006-12-20 01:53:29 | Weblog
ここ数日、シンガポールはひどい雨の日が続いています。こん
なに上空に水があったのかと思うほどの土砂降りが続いていま
す。今日なんかは一日中雨が降っていて、こんなに続けて降る
のは珍しいとみんなで言い合っています。

先ほど、ちょっと飲み会のような忘年会のようなものがあって、
クラブストリートのお店で、7人くらいで飲んだり食べたりし
ていたのですが、その時に、主催者の人が自己紹介をかねて
動物うらないをするということになりました。以前やったこと
があったのですが、どの動物が何を象徴するのかはすっかり
忘れておりました。

ごぞんじの方もいらっしゃるかもしれませんが、面白いので紹
介します。

5匹の動物がいます。牛、虎、猿、羊、馬の5匹です。あなた
はこの5匹の動物と一緒に、旅を続けています。長い道のりで
す。全員一緒に旅をするわけにはいかず、あなたは一匹づつ捨
てていかなければなりません。さて、あなたはどの動物から捨
てていくのでしょうか、というのが問題です。

どの動物が自分にとって不用かという判断と、どの動物と最後
まで一緒にいたいのかという判断で、順番が決まってきます。
さて皆さん、騙されたと思って、やってみてください。

いろいろな判断ができると思います。旅をする上でどのような
動物が役にたつのかという基準で選んでいく人もいるでしょう。
あるいは自分にとって、どの動物と一緒にいると居心地がよい
かということで考える人もいるでしょう。あるいは、この動物
は食べられるかどうかという判断の人もいるでしょう。

ちなみに私の答えは、こうでした。まず、私は虎を捨てました。
身近に置いておくとあぶない感じがして、扱いに困ると思い捨
てました。そして、二番目に牛を捨てました。とくに理由はあ
りませんが、そんなに愛着を感じられなかったのです。それか
ら三番目に馬を捨てました。そして羊と猿が残りました。どち
らを先に捨てるのか、どちらを最後まで残すのか、ということ
で悩んだのですが、羊を先に捨て、猿を残しました。

じつはこれは、その人の生き方を象徴しています。虎が象徴し
ているのは「権力」です。私は、まず権力を捨てました。まあ
たしかに、地位や権力には執着はないです。次に私が捨てたの
は牛ですが、牛は「富、財産」を象徴しています。私は、それ
をあっけなく捨ててしまいました。たしかに財産などは、永遠
のものではないなあと常日頃思っています。次に捨てた馬は、
「キャリア、仕事」です。仕事も大切ですが、たしかに永遠の
ものではありません。そして最後に残った羊と猿、これは一体
何を象徴しているのでしょうか?じつは、羊は「配偶者」そし
て、猿は「子供」なのだそうです。

な、何と私は家庭的な考え方の人間なのでしょう!私たちには
子供はいないのですが、私が子供のことをそれほどまでに大切
に考えているのでしょうか?そういう意識はまったくないので
すけどねえ。私は蟹座でO型で、ひつじ年生まれなので、何とな
く全体の整合性はあるような感じですが、なんだかすごく家庭
中心の人間のようであります。まあたしかに「愛」とかを重視
している感じはたしかにあるので、この中では羊と猿が愛には
最も近いですよね。

他の人で、羊を真っ先に捨てた人がいました。この結果は絶対
に奥さんには言えないと笑っていました。虎を最後に残した人
もいました。馬を最後に残した人もいました。この占いの結果
がどれほど正確なものかわかりませんが、何となく人生観の違
いが出ているようで、面白いですね。

さてあなたはどの動物を捨てて、どの動物を残したのでしょう
か?年末にちょっと自分の生き方を振り返ってみるのもよいか
もしれません。


プッチー二の「トゥーランドット」を聞きながら

2006-12-19 03:01:49 | シンガポール
今朝、NHKの「生活ほっとモーニング」の番組を見ていまし
たら、NHKの協力家族へのアンケートの結果、2006年最も感動
したニュースは、トリノ・オリンピック、荒川静香選手の金
メダルだったということになっておりました。これに続けて
クイズが出されました。それはこんな4択の問題でした。

Q:荒川静香選手がオリンピックの演技で使用したオペラ曲
「トゥーランドット」。演技でフィニッシュを決める瞬間の
原曲の歌詞を日本語訳するとどうなるでしょうか?
1)私は勝つ
2)私は美しい
3)あなたを祝福する
4)神様ありがとう

4番目の「神様ありがとう」というのが人気が高かったので
すが、じつは正解は一番の「私は勝つ」でした。これは全く
知らなかったのですが、この番組を見た直後、急にこの原曲
を聴いてみたいと思ってしまったのです。「私は勝つ」という
歌詞に秘められたその意味を探りたくなってしまったのです。

私はシンガポールで働いているのですが、早速会社の近所に
あるCD屋に行き、オペラの名曲集のようなCDをゲット。原曲
の名前しか書いていないので、荒川静香選手が使った「誰も
眠ってはいけない」というのが元のイタリア語でどういうの
か想像もつかなかったのですが、"Nessun dorma!"(Turandot)
というのがそれらしいかな?と当てずっぽうで買ったら、正
解でした。しかもそれは、かの有名なパバロッティのもので
した。

大体私はオペラとかに関しては全くの無知で、このCDが生ま
れて初めて買ったオペラのCDとなりました。オペラの歌い方
とかがもともとあまり好きではなかったのですが、この
パバロッティが歌う「トゥーランドット」の中の「誰も眠っ
てはいけない」を聴いたら、これはすごいと感動してしまい
ました。荒川静香選手のイナバウアーも感動でしたが、原曲
の歌だけ聴いても、その迫力、表現力、繊細さは見事でした。

このプッチーニの「トゥーランドット」という歌劇は、一体
どういう話しなんだろうかと調べてみたら、何と、舞台は
中国の紫禁城。紫禁城と言えば、ラストエンペラーとかで
おなじみの場所ですが、私も何年か前に北京の紫禁城に行っ
ことがあるので、「トゥーランドット」の舞台設定が北京の
紫禁城だということでびっくり。

そして、トゥーランドットというのは、この話の主人公であ
るお姫様の名前だとのこと。美しいけれど、氷のような心を
持ち、誰とも結婚しようと思っていない。結婚を申し込んで
来る男たちに三つの謎をかけ、それが解けなければ処刑とい
うルールを設けます。何人もの求婚者が命を落とします。

ある日、はるか西の国、ダッタン国のカラフという名の王子
が北京にやって来て、トゥーランドット姫に一目惚れします。
謎がとけなければ命はないのですが、彼は勇気を持ってその
謎を解いていきます。そして奇跡的に三問とも正解してしま
うのです。

トゥーランドット姫は、動揺します。まさか、正解してしま
うとは。でも私は結婚などしたくない。と、父親の皇帝に訴
えます。カラフ王子は、トゥーランドット姫に言います。
「それではもし明日の夜明けまでに、もし私の名前を言い当
てれば、それで潔く私は死にましょう」と。この異国では、
誰もカラフ王子の名前を知りません。

トゥーランドット姫は、街中にこの謎の男の名前を探り出す
ようおふれを出します。それほどまでに結婚がいやなのです。
「誰も眠ってはならぬ。命がけで男の名前を調べあげるのだ。
もし誰も発見できぬとあらば全員死刑と心えよ」というすごい
命令を出してしまうのです。この場面で歌われるのが、「誰も
眠ってはいけない」という歌なのです。

その歌詞は、こちらのページに出ていますので、ご覧くだ
さい。カラフ王子は、誰も私の名前を知らないけれど、自分は
もちろん知っている。それを明日の夜明けの時に、あなたに
口づけて伝えよう。明日はあなたは私のものとなる。夜よ早く
去れ。星よ早く消えよ。夜明けには、私は勝つ。私は勝つ。
というような歌詞です。

カラフ王子は、じつはリューという女の召使いを連れてきてい
ました。彼女は、じつはカラフ王子のことを慕っていたのです。
その夜、リューが捕まって、拷問を受けます。しかし彼女はカ
ラフを救うために、自らの命を断ってしまいます。トゥーラン
ドット姫は心を動かされます。カラフ王子は、トゥーランドッ
ト姫を無理矢理抱きしめて、キスをし、自分の名前を姫に告白
してしまいます。姫は感動します。カラフ王子の愛と勇気に。

トゥーランドット姫は、その氷の心をカラフ王子に溶かされて、
民衆の前で、「彼の名前は...愛です!」と宣言。二人は
結婚し、めでたし、めでたしという結末になるのです。
深い話です。愛は勝つ、ということなのでしょうか。

こんな話だというのは全然知りませんでしたが、このストーリー
を知って、あらためて荒川静香選手のイナバウアーを見ると、
また感動もひとしおなのではないでしょうか。荒川静香さん、
感動をありがとうございました。そして、プッチーニのこの
歌を選んでくれてありがとうございました。感謝です。

「功名が辻」に関する追記

2006-12-18 02:15:06 | シンガポール
昨日アップしたブログの「功名が辻」の漢字が、「巧妙」に
なっているとの指摘を、東京の下町にいる妻より知ら
され、チェックしてみたら間違っておりました。それも一カ
所ではなく10カ所近くも間違っておりました。これはちょっ
と恥ずかしかったですね。

で、上の写真は、昨日アップで紹介したクリスマスツリーの
全体像です。文字はペンタブレットで入れてみました。これ
は「功名が辻」には関係ありませんですが。でも、季節的に
大河ドラマの終わりはだいたいクリスマスの時期になるので、
なんとなくこの画像を使ってみました。

「功名が辻」に関して、まだまだ語りつくせぬことが多くあ
ります。

大坂夏の陣で、淀の最後が描かれています。往生際の悪い淀
に我慢できず、大蔵卿局(おおくらきょうのつぼね)が息子
の大野治長に命じて、淀を刺し殺させるという展開になって
います。短い場面ですが、いろいろ考えさせられます。

最後まで天下に執着する淀。潔く死ぬことを望む秀頼。そし
て淀に最後まで付き従ってきた大蔵卿局、そして、その子
大野治長。二組の親子がそこで最後を迎えるのですが、秀頼
は、母親の言いなりにはならず、自らの意見を主張します。
家康からしたら、たしかにこの人物を生かしておいたら徳川
の時代が無事に訪れなかったかもしれぬと思わせるほどの
カリスマの片鱗を漂わせています。

大蔵卿局は「はるなが!」と声高に命ずると、息子の大野
治長は、「御免!」と言いながら、淀を一突き。淀は倒れな
がらも、なおも「天下は渡さぬ」と言い続けている。大野
治長は、大蔵卿局の指示に忠実に従っている息子という感じ
ですが、じつは彼は彼なりに複雑な心境だったのでしょう。

大野治長は、淀がまだ茶々と呼ばれて、浅井の小谷の城に
いた頃から幼なじみとして、一緒に遊んでいたと言われてい
ます。また、秀頼は、じつは秀吉の子ではなく、大野治長が
淀に生ませた子であるといる説もあります。もしそうだとす
ると、この場面は、失楽園にも似た(?)心中の場面として
見えてきます。しかも我が子(?)と、母親の目の前で。
考えれば考えるほど、すごい状況です。

一方、淀の立場になって見ると、これもまた納得のできない
ことばかりです。自分の息子こそ、織田、浅井、豊臣の血筋
を継承する最も正統なる天下人なのに、しかもかつては家臣
の一人でしかなかった家康に天下を奪われようとしている。
これはとっても悔しいと思います。

おまけに、攻めて来ている徳川家は、自分の妹のお江与の
嫁ぎ先。徳川秀忠は、妹の旦那なのです。また、秀頼に嫁い
でくる千姫は、妹の娘なのです。妹の娘を、自分の息子と結
婚させるってのはいいんでしょうか?なんだか狭い範囲で
血縁が複雑にからみあっていて、めまいがしそうです。

妹のお江与は、徳川三代目家光を生み、結果的に、織田、
浅井の血筋を徳川家に継承させることになります。姉と妹で
こんなにも違った人生になるなんて。余談ですが、家光の
乳母が春日の局で、このあたりから大奥の歴史が始まります。

昔、滝田栄が徳川家康を演じた大河ドラマの「徳川家康」を
見たら、淀を夏目雅子が演じていました。今回の永作淀が天
下に執着しているのとは対照的に、夏目雅子の淀は、死に際
して美しく潔い感じです。自らの悲運を理解した淀は、別れ
の水杯を飲んで、自分の刀で胸を突き刺し自決します。同じ
淀でもこんなにも違います。

「葵・徳川三代」のときは、淀が小川真由美。秀頼が尾上菊之
助でした。淀としては年を取りすぎていますが、最後の場面
の台詞は二人ともすごくかっこ良かったという記憶があります。

それらに比べて、今回の淀の描き方は、非常に人間的です。
決して潔くはなく、最後の最後まで見苦しく執着しています。
こういう人が身近にいたりすると困りますが、こういう人は
どこにでもいそうで、そのリアリティがとてもよいですね。

こういう人生があるからこそ、千代の人生の最後が非常に
やすらかだったことが強調されるのではないでしょうか。
自分の人生を終えるとき、そのときは、淀のような最後には
なりたくないですよね。

今年も残すところあと数日。新しい年がすぐそこまで来てい
ます。自分の年齢の頃には、織田信長はもうすでに亡くなって
いたのかと思うと、自分が何もたいしたことをしてきていない
という事実に情けなくなってしまいます。まあ、織田信長と
比較しても意味がありませんですが。

シンガポールの聖なる夜と「功名が辻」

2006-12-17 01:49:26 | シンガポール
この上の写真はシンガポールに新しくできた巨大ショッピン
グセンター、VivoCityのクリスマスツリーの飾りつけのアッ
プ写真です。あまりに奇麗だったので、全体ではなく、飾り
だけを撮影してしまいました。その画像に、最近ゲットした
ばかりのワコムのペンタブレットで文字を書き入れてみまし
た。まだ慣れていないので、なかなか上手くいきませんが、
熟練すればいろんなことができそうで楽しみです。

このところブログをさぼっていたので、どうしたのかと心配
なさっていた方も多いのではないでしょうか。事故があった
わけではなく、病気をしたわけでもないのですが、多忙の為
なかなかブログを書くことができませんでした。ご心配をお
かけし申し訳ありませんでした。

ところで、もう一週間も前の話になりますが、NHKの大河ド
ラマの「功名が辻」が最終回となってしまいましたね。一年
間、欠かさず見続けていただけに、終わってしまうのは寂し
いです。大石静さんの脚本はとてもよかったし、豪華な配役
もとても楽しめました。NHKさま、ありがとうございました。

何がよかったかと言って、歴史にはまったく興味のなかった
私の妻が、「功名が辻」の最初から最後までずっと
見てくれたことです。そして、この間の最終回は、二人で
一緒に見ることができたのです。じつは、この大河ドラマの
一年間は、私達の夫婦としての一年目とだぶっているので、
感慨もひとしおです。

去年の12月の8日に私達はハワイで結婚式をあげたのですが、
ハワイに行く途中に、成田の空港で、私は司馬遼太郎さんの
「功名が辻」を買いました。ハワイの雰囲気と「功名が辻」
は全く関連がなかったのですが、夫婦関係の勉強になるかも
しれないということで、持っていったのです。

ハワイに滞在している間は、ほとんど読めなかったのですが、
帰りの飛行機で読み始め、1月のあたまにやっと四巻を読み
終わったのでした。年末から年始にかけて日本に帰ったとき、
江戸東京博物館で開催されていた「山内一豊とその妻」展を
妻と見に行きました。その頃妻は、歴史はほとんど知識があ
りませんでしたが、この時見た展示は、その後のドラマを理
解するうえではとても有益だったと思います。

このドラマを見ながら、一豊と千代の夫婦関係を、自分たち
に重ね合わせて見ていました。けっして自分たちの関係が、
一豊と千代と同じというわけではありませんが、似ている
部分もあり、今後の参考になる部分がいくつもありました。
歴史嫌いの妻が、ここまで一生懸命に見た大河ドラマは
「新撰組」以来でした。なにしろ、「赤穂浪士」というのを、
赤穂という名字で、浪士という名前の一人の人間だと思って
いたくらいで、ドラマを見て47人もいたのでびっくりしたと
いうくらいなのです。

最終回を見ていて、妻は感動して涙を流していました。水を
飲みたいという一豊に口移しで水を飲ませるところからうる
うる。一豊が死んで、千代が「旦那様~」というあたりで、
涙が。家康が死んだときに、秀忠が「父上!」と言ったあと、
輪唱のように他の子供たちが「父上!」「父上!」「父上!」
というところは不謹慎にも爆笑でしたが、最後の浜辺のシーン
で感動していました。

私は最後のシーンはドラマにありがちな回想シーンなのかと
思っていたのですが、妻によれば、あれは、千代が死んで、
死後の世界で一豊に再会するという表現なのだということで、
だから一豊の表情が、「よく来たね。待っていたよ。おつかれ
さま」という表情だったというのです。妻に言われてそういう
ことだったのかと初めて気づいた私でした。いつもは私のほう
から教えることが多かったのですが、最後で逆転されてしまい
ました。

原作の司馬遼太郎の本が、種崎浜での虐殺事件がほぼ最後の
場面になっているので、ちょっと読後感の悪い、尻切れとんぼ
的な雰囲気だったのですが、今回の大河ドラマでは、一豊が
死んだ後、淀の最後を描き、家康の最後を描くことで、戦国
時代の結末を千代が見届けるというストーリーになっています。

一豊が亡くなった後の淀の場面は蛇足のような気もしたのです
が、千代が歴史の結末を見届けるというためには必要なシーン
だったのですね。思えば、明智光秀が息絶える間際に、一豊に
「最後まで生き延びて、戦国の結末を見届けてくれ」と頼む
セリフがあるのですが、一豊が死んだ後は、千代が代わりに
時代を見届けたということなのですね。

大坂城炎上の後、寧々=北政所=高台院が、千代=見性院と
二人でしみじみ語り合っているやりとりが、戦国の世の終焉を
見事にまとめています。
高台院「山内家は残り、豊臣家は滅びたのう。
されど、これで戦はなくなる」
見性院「時代が変わるんですね」
高台院「女が男と手をたずさえて、世を開いてゆくのは
これで終わるのやもしれぬ」
これは「功名が辻」の最終回の台詞としてはすごくよいですね。
江戸時代になると、女性が歴史の場で活躍できるチャンスが
実際なくなってしまうのですね。

家康が亡くなるときも、「幕を閉じるのじゃ。戦の世の
幕を閉じるのじゃ。秀忠、たわけ、そなたは、気が...」
と言っています。千代はまさに戦国時代の終わりを見届ける
のですね。戦のない世の中を夢見ていた千代ですが、最後に
それが実現するのですね。

千代をおんぶした一豊がフレームアウトした後、波打ち際の
画像にナレーションがかぶります。このナレーションの内容
は、その後も、戦は絶えないというまとめになっているので
すが、ちょっとここのナレーションは戦争のことよりも、
むしろ夫婦愛のこととかでまとめてほしかったなあと思いま
した。たしかに人類の歴史は戦争の繰り返しですが、この
ドラマが語りたかったことは、そういう歴史認識よりも、
歴史を超越した愛だったんじゃなかったのかなあ。戦争の話
にしちゃうと、せっかくの「永遠の夫婦」のテーマがかき
消されてしまうような気がしたのです。

「功名が辻」の一年間がこれで終わりました。でも一豊と
千代が教えてくれたものは、ずっと私たちのなかに残り続け
るのだと思います。

真夏のクリスマス

2006-12-02 08:31:00 | シンガポール
もう12月。シンガポールでは、11月に入ってからクリスマス
モードに入っています。この上の写真は、オーチャードの
パラゴンのクリスマスツリー。シンガポールは赤道の近くで
12月でも30度C前後の気温なので、真夏のクリスマスなので
すが、飾り付けはやはり雪とか、サンタクロースなど寒い冬
のイメージです。まわりの気候と、クリスマスの飾り付けと
のギャップが異様に大きいですけど、そういうことを気にし
ないのが南国風のクリスマスです。

真夏の格好をして、アイスクリームを食べながら、クリスマ
スツリーを見上げる。クリスマスの飾り付けの中では、シン
ガポールでは絶対に降ることのない白い雪。その上には灼熱
の太陽。夏と冬とのこの強引なコンビネーションで、意識が
おかしくなりそうなシンガポールのクリスマス。でも光を贅
沢に使ったイルミネーションは見事です。省エネとかは全く
関係ない感じです。シンガポールはがんばっています。

今日は、インド関係のセミナーが日本人会でありました。
シンガポールでは毎月のようにインド関連の講演会がありま
す。来週の月曜日にも、また別のインド関係のセミナーがあ
ります。最近、話題のインドですが、シンガポールからは
比較的近いので、インド熱は高いです。シンガポールの現地
法人からインド市場を見ている日本企業も多く、一月に一度
くらいのペースでインドに出張に行っていたりする担当者も
何人もいます。

インドは大昔、アフリカのあたりから分かれた島だったので
すが、それが、アジア大陸のほうに流れてきて、ぶつかって
しまいます。インドは結構固い岩盤でできていたので、ダン
プトラックが民家に突っ込んだようなインパクトで、アジア
大陸に衝突、その事故現場がぐしゃぐしゃになったところが
今のヒマラヤ山脈とチベット高地ということですね。これは
何万年、何億年という時間の中で起こった出来事ですが、早
送りでみるとそういう感じになります。

ところで、新語・流行語大賞が発表されましたね。今年の大
賞は「イナバウアー」ですか。まあ、これは納得ですね。
でも、シンガポールにいますので、トリノの冬季オリンピック
はNHKのワールドプレミアムでは放映してくれなかったのです
ね。放映権の問題ですけど。だから私は「イナバウアー」を
リアルタイムで見ることはできませんでした。最初にそれを
見たのは、物まね番組で、荒川静香の真似をした前田健がやっ
たイナバウアーでした。前田健は、松浦亜弥とかの物まねが
秀逸ですが、この時、荒川静香の物まねでMVPを受賞していま
した。しかし、最初に見た「イナバウアー」がモノマネの
前田健バージョンだったというのがちょっと情けないですね。

トップテンの中で、「エロカッコイイ」とか「シンジラレ
ナ~イ」とかは知っているのですが、他のものはあまり実感
がないですね。海外にいて、日本のマスコミと離れていると
日本では日常的に流行っている言葉も伝わってこない場合が
あるのですね。だいたいこちらではNHKしか見てないですから。
「ハンカチ王子」というのも、甲子園の試合の実況はこちら
でも見られたのですが、その後の報道は見ていないので、
何でそのようなことが話題になったのか、いまだによく理解
できていません。お笑いの中で「ハンカチ王子」を使った
ギャグを見ましたが、その部分がいまいちついていけません
でした。やっぱり、日本文化の中にどっぷりと浸かっていな
いと、同時代感覚からは乖離していくのですね。まあ、どっ
がいいのかわかりませんが。

私がシンガポールで働きだした1997は、アジア通貨危機直前
の年でした。これからはアジアだということで、アジア熱が
どんどん盛り上がっていった年で、その波に乗って当社も
シンガポールに進出してきたのですが、その年の後半、タイ
の通過暴落を発端にアジア通貨危機となります。1997年の
流行語大賞は、何と『失楽園』だったのですね。失楽園は
川島なお美のテレビ版も、黒木瞳の映画版も見ましたが、
これが流行語大賞だったのは初めて知りました。

この1997年のトップテンの中に、「郵政3事業」というのが
入っていて、受賞者は当時厚生大臣だった小泉純一郎さんで
した。私がシンガポールに来ている間に、総理大臣になって、
もう辞めてしまっていたのですね。ちなみに小泉さんは、
2001年の大賞を、いくつかの言葉で受賞しています。「米
百俵」「聖域なき改革」「恐れず怯まず捉われず」「骨太の
方針」「ワイドショー内閣」「改革の痛み」などです。2001
年に総理大臣になった小泉さんは、ものすごい勢いで流行語
を量産していたのですね。あらためてびっくりです。

シンガポールは、そういう流行語とはあまり縁がなく、淡々
と南国の季節が過ぎていきます。季節のない町で、日本の
流行のことを思いながら、ずいぶん長いこと日本を離れて
しまっていたんだなあと思う今日この頃でした。

バンコクを旅するジャック・バウアー様御一行

2006-12-01 02:46:42 | アジア
この写真は、バンコクのスクムビット通りでのナナという名前
の繁華街で見かけたゲテモノの唐揚げの屋台です。タガメのよ
うなのや、バッタのような虫が唐揚げになっています。そばを
通った酔っぱらいの白人が「こいつはコックローチだぜ」と
わめいていました。何だかよくわかりませんが、いずれにして
も気味の悪い形のものばかりです。

さて、昨日、ブログにドラマ『24』の主人公のジャック・バウ
アーを登場させてみたのですが、調子に乗って、さらに彼に
バンコク市内を観光させてみようと思います。ジャック・バウ
アーは、テロ集団からアメリカを守るために超人的な活躍をす
る人物なのですが、ドラマの中では、常にスリルとサスペンス
の連続です。そんな彼が、普通の観光客としてバンコクに来た
場合、どんなことになるのだろうかと考えてみました。昨日に
引き続き、以下は全くの勝手なフィクションです。

*********************

ジャック・バウアーは、夜のパッポン通りにいた。パッポンは
両側にゴーゴーバーが並ぶ歓楽街なのだが、通りの真ん中は
観光客向けの土産物の屋台がぎっしり立ち並んでいる。屋台が
通りのかなりの面積を占めているので、そこが歌舞伎町のよう
な歓楽街であるということは、ほとんどわからない。

ジャック・バウアーはTシャツを売っている屋台の前で立ち止
まった。FBIとかCIAとか、でかでかと印刷されたTシャツが並べ
られている。「なんでCTUのがないのかしらね」と声のするほうを
見ると、しかめっつらで腕組みをしているクロエ・オブライエン
がいつの間にかそこに立っていた。

「クロエ、君もここに来てたのか?」とちょっと驚いたような
表情のジャック・バウアー。クロエは、FBIのグレーのTシャツを
触りながら、皮肉そうな表情で笑っている。「FBIのシャツは
死んでも着たくないわよね」とため息をつく。そこにタイ人の
おばさんの売り子が割り込んでくる。「このTシャツ、いいで
しょう。有名なFBIよ、どう、あんたらが着たら、本物のFBIに
見えるわよ」とおばさんは積極的にセールス攻勢をかけてくる。

ジャック・バウアーは、自分の身分をこれ見よがしに主張して
いる衣類は嫌いだ。バーバリーとか、グッチとかのロゴがつい
ている衣類も好きではない。しかし、もしCTUのロゴがついてい
るTシャツを売っていたら、エドガー・スタイルズへのお土産に
買っていくのにと思うジャック・バウアーであった。

次に、目に入ったのは、偽物時計の屋台だった。そこにロレッ
クスのサブマリーナ・デイトのような時計があった。もちろん
偽物だが、思わずそれを手にとって見るジャック・バウアーだっ
た。

「社長さん、安くしまっせ」と間寛平をやせこけさせたような
タイ人のおっさんが、粘りっけのある声をかけてきた。「いく
らだ」と横から割り込んできたのは、トニー・アルメイダだ。
「トニー、悪いが、このロレックスは俺が先に見つけたんだ。
この物件は俺が担当させてもらう」と、トニーを押しやる。
「5000バーツ」とやせこけた間寛平が値段を告げる。
「高すぎる!」と即座にコメントするトニー・アルメイダ。
「だから、これは俺の案件だ。余計な口出しはしないでほしい」
と厳しい表情で、トニーを制する。

「じゃあいくらだったら買うか?」やせこけた間寛平が聞いて
くる。瞬時に計算をするジャック・バウアー。通常、このよう
な屋台ではかなり吹っかけてくるので、50%に値切ってから
交渉を開始するというようなことが昔から言われていた。しかし
売り手のほうもそのパターンは把握しているので、仮に50%に
なってもまだ十分利益があるくらいの値段で吹っかける。
「100バーツ!」ととんでもない安値で先制攻撃をかけるジャッ
ク・バウアー。さすがにその値段には、トニー・アルメイダも
クロエ・オブライエンも唖然としてしまう。やせこけた間寛平
のほうは、咳き込んで首を横にふりながら、「とんでもない」
というふうに答える。

4900バーツくらいにはできるが、それ以下だと儲けがないと
主張する間寛平。「嘘を言うな、儲けがないわけがないじゃない
か」と怒りだすジャック・バウアー。「500ドルしかだせない」
とつけくわえる。間寛平は、もう売る気を失っている。
「4800バーツ」彼は言う。売値と買値が離れすぎていて、この
両者の値段が接近する気配がない。

ジャック・バウワーは、短絡的に銃を出す。「500バーツで承諾
しろ」と間寛平を脅迫する。トニーが、「それではこの人がかわ
いそうだ。1000バーツは出してもいいんじゃない?」と横やりを
出す。クロエもそうだと頷いている。「それじゃあ1000バーツ
でいいか」と聞くジャック・バウアー。間寛平は仕方なく頷く。
そんな強引な根切り行為で、偽物ロレックスをゲットしてしまう
ジャック・バウアーであった。

値切りはリアルタイムで起こっている。

今日は、このへんで。