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移転しました(2014/1/1)

源氏の里・八幡様 5

2007-01-12 | ヒストリ:平安の風


 義家さん。

幼名は源太丸または不動丸と呼ばれていましたが、7歳で元服。
元服っつーのは今風に言えば成人式ですが、この時代でも7歳で元服と言うのは異例な速さです。
幼すぎる。大体13~15才が平均かな~。

名乗りを八幡太郎義家と言うのですがこの八幡太郎は何処から来たのかというと、京都の男山・石清水八幡宮で元服したからです。

八幡 → 石清水八幡宮
太郎 → 嫡男(長男)

義家さんには弟が2人いますが、それぞれ元服した神社が名乗りに入ってます。

次男・義綱 → 賀茂二郎義綱(かものじろう よしつな)京都の賀茂神社
三男・義光 → 新羅三郎義光(しんらさぶろう よしみつ) 近江の新羅明神

八幡神と言うのは、源氏の氏神です。
総社は大分県の宇佐八幡で、元来は農業の神様らしいです。
宇佐八幡宮と言うのは、道鏡の宇佐神宮神託事件の舞台になった神社。
石清水八幡宮はこの宇佐の八幡様を勧請してきたものです。

大分から都まで勧請された、と言う事ですが…
先日このブログでも写真を乗っけましたが、日本最古の八幡様・誉田八幡宮の祭神が応神天皇と言う事でどうやら皇室からの崇敬もあったらしく、その関係で都の傍の鎮守としてお呼ばれ(笑)したみたいです。
更に先日、源氏は皇族が臣籍降下したものと書きましたが、どうやらこの関連で源氏も八幡様を氏神として崇敬した模様。
八幡様と言えばまず頭に浮かぶのが「武神」とか「いくさ神」なんですが、これは何時頃から言われ始めたんでしょうね?
寡聞にして知りませんが、恐らく "武門の源氏が奉った"→"武門の神様"というようになったんじゃないかな~と。

まあとにかく。
八幡宮は源氏一門からは篤く信仰されたわけですよ。
例えば屋島で那須与一が唱えてますよね~お題目を。
「エロイムエッサイム エロイムエッサイム 我は願い訴えたり」
「南無八幡大菩薩 神よ波を静めたまえ」
というやつ。
(…エロイムエッサイムなんて若い子には分かるまい(笑))
源氏にとってはそういう大切な神様ですが、大分:宇佐八幡宮から京都:石清水八幡宮に勧請され、更に源頼義・義家親子によって河内壷井に勧請されました。
それが先日紹介した壷井八幡宮です。
こちらは、この親子が前九年の役後、関西に戻ってきた時に招いたもの。
そして更に、この壷井八幡を勧請して建てられたのが、鎌倉に有る鶴岡八幡宮です。

元々河内源氏の総氏神は壷井八幡宮だったのですが、頼朝が鎌倉に幕府を開いてから鶴岡八幡宮に移ったのだそうです。


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