Forth!

移転しました(2014/1/1)

横顔

2012-06-21 | ヒストリ:近代MTS

最近伊藤博文をかするような感じで本を読んでいます。
かする?という感じですが。
伊藤博文の話ではないのだけど、伊藤博文が重要人物として出てくる本。
回りくどい。笑。
 
いやー…ね、私伊藤博文好きなんです。
そんな調べてる訳じゃないんだけど(幅広すぎて無理ww
もの凄い今更ですが、好きな政治家は明治は大久保利通、伊藤博文、大正は原敬、昭和は浜口雄幸です。あと加藤高明も好き。
昔は今と違って立派な政治家が沢山いた。
幕末に興味を持つきっかけになったのは日本テレビ『奇兵隊』(松平健)で、その流れで高杉晋作を好きになったのですが、元々はそのドラマに出ていた伊藤俊輔が好きだった。
伊藤はそこからずっと来てる。
 
今はどういう教えられ方をしているのか分かりませんが、私が小中高校生の頃は「伊藤博文=初代総理大臣、韓国併合を進めた(悪い)人」。
教えられたのはほぼこれだけだったな…
史料集には酷い風刺画が載っていてその絵や学校で習う『伊藤博文』と、私が自分で調べて得た『伊藤博文』像の間には随分ギャップがあり非常に混乱しました。
その頃は学校で習う事は正しいと思っていたので余計に。
言葉でうまく説明はできないけれど、伊藤はそんな感じじゃないと思うんだけどなあ、という…

あーあれだ。
内閣支持率のアンケートに出てくる「人柄が信頼できる」ってやつ。あんな感じ(笑)
昔よりはちょっと勉強を重ねて、資料慣れしたり資料の読み方も少しずつ分かってきて、そんな今は「伊藤はそんな感じじゃないよ?」。
…変わってねえ!(笑)ちょっと確信が強まっただけ!
なんというか、説明が難しい^^A
 
ただ、伊藤はもの凄くバランス感覚の優れた政治家だと思う。
片足で立っていてああ危ないな倒れそう、という時にスッと体重移動してみる、みたいな事を政治の世界で自然にやってる感じ。
伊藤が絡んでるんだったらそうそう変な事にはなってないだろうな、という感じ。
勿論そういう風に思いながら歴史を考えるのはあまり良くないです。
強い好悪が介在すると正しくモノが見えなくなる可能性があるので。
(と、えらっそーに言ってもですね…
私は学生の時に1920年代前半の陸軍と統帥権の関係を勉強していたのですが、その時調べた伊藤の事績に関してはいい意味での驚きの連続で、暴露すると「好き」にちょっと「尊敬」が入り混じっている状態になっています^^ゞ)

で、その時に知った事実のひとつは伊藤は韓国の併合に消極的だったということ(2年前にも史料が発見されていました→メモ発見 下の方)。
「伊藤はそんな感じじゃない」
この感覚、そうそう外れたもんでもなかったんだな、と今になれば思います。
  
先日ある方とメールをやり取りする中で司馬遼太郎さんの話になりまして、司馬さんの文章には著者本人の好悪が作品に出過ぎていると思うと私は書かせて頂きました。
影響力のある方だけに司馬さんの人物評がそのまま世間一般の人物評になっている所があり、気の毒だな、と思う人物が結構いる。
それは司馬さんのせいなのかと言われると、最終的には読み手自身の問題だと思うのですが。

一番気の毒だなと思うのは山縣有朋、寺内正毅、桂太郎辺りの山縣派。
井上馨もそうだろうな。
『竜馬がゆく』では佐々木高行が好きじゃないってそのまま書いてあった気がする。
官僚的な人間がどうもお嫌いだったようですし、どう考えても司馬さんは山縣が大嫌いだろう。
それは司馬さん個人の経験からくるものだと思うので分からないでもないですし、そうした理由からくる嫌悪は批難される事でもないと思います。
他人がどうこう言える事でもないしね。
何と言っても陸軍を作り上げたのは山縣だからなー…
 
でも司馬さんが諸々の本で描いた山縣が実際に近いかと言われたら、それはどうかと思ってしまう。
権謀術数に生きた人物で我が事、我が権力だけ、というイメージじゃないですか?
統帥権制度を確立して軍の横暴を許したのが山縣だ、とか。
違 う よ ね 。
少なくとも山縣がいたから大正期はまだ陸軍が抑えられたんだぜ…
統帥権制度を乱用して参謀本部の横暴を許したのは寧ろ上原勇作です。
 
統帥権にしても何にしても、明治~戦前の歴史の最終的な結末が敗戦だったという、そこから物を見過ぎている気がします。
日本が負けたのは山縣のせい?
いやいやいや。そう言う前にそこに至った過程を考えないと。
その上でそういう結論に至ったのなら仕方ないけど。
 
陸軍にしたって当初ははっきり言って山縣には人事権も何にもないんですよ。
だって軍の主要人事決めてたの大久保利通、木戸孝允、岩倉具視といった政府の有力者だし。
大久保や木戸が亡くなった後は伊藤博文やら政府の有力者がそうしたことをしており、つまり当初は軍の肝になる部分を決めていたのは文官だったんです(シビリアンコントロール)。
そこで諸々の力関係や能力を見て、こいつなら上手く纏められると最終的に陸軍を任されたのが山縣だった。

山縣は征韓論争や竹橋事件などで何度か失脚しかかりながら、段々と政治の世界に慣れ老獪になっていく。
いきなり派閥を作ろうとしてやった訳でもなく、軍を政治から独立させようとして参謀本部を作った訳でもなく。
そもそも参本独立だって伊藤や井上馨、岩倉具視らの賛成がなかったら実現しなかった訳で。
山縣が伊藤博文とやっと肩を並べられるようになって来たのが大体明治22・3年頃からですか。
そうなってから以降でも何もかも山縣の判断で決められたわけでもないし。
明治後期や大正期の山縣の影響力を明治初期中期に当て嵌め過ぎてる気がする。
近代の悪い事が山縣のせいだっていうなら、それはつまるところ山縣を選んだ元勲たちのせいだろう(そういう話になってしまう)。
  
それに戊辰の恨みとかで一部からは蛇蝎の如く嫌われていますが、あそこまで藩士が酷い目に遭ったのは藩主が情勢判断を誤った所にも一因があるでしょう…
別に何の恨みもないし酷い目に遭った人々には同情を禁じ得ません。
美談は美談で素晴らしいと思いますが、あんなことになったのは全て薩長のせい、山縣のせいというのはどうかと思う。(この件に関しては批判批難は受け付けません)
 
ただ政党政治に対する藩閥の大御所ということで、山縣は在世中より民間からの評判が悪い人物であったことは確かです。
そういう流れもあり、少し昔の入手しやすい伝記では初っ端から悪い評価の連続、悪の代名詞みたいな扱いになっている事が多いので、より一時史料に近い研究書や資料を見ないとそうした実態は分かり辛い。
しかしながら近年新しい研究書も出ているので、少しずつ偏り過ぎた光の当て方が改善されたらいいと思います。

まあそうは言ってもこいつひでえと思う事が結構あるのも確かです(^^;
でもそれだけではない筈で。
悪い所ばかりじゃない、良い所だってある筈で。
何もかも山縣が悪い、山縣のせいって言うのは、ちょっと真っ当じゃないと思う。
全部山縣のせいにすれば解決するもんでもないだろう…
 
それは児玉源太郎に関しても思うんだよね。
いい事ばかり言われる事の多い人物ですが、結構「は?」と思う事(列強との国際問題に発展するような)してるのよ… 
カッコいい。
確かにカッコいいけど、なんであんなに肯定的にばかり捉えられるのかがよく分からないorz
 
***
 
昨日の話、めっちゃ途中で切れているような終わり方ですね…
いや、あの話はあれで終りなのですが、なんというかオチがない^^A
大河ドラマで源三位が出て来て、あーそろそろそういう人も出てくるのね、と思いまして、その時から渡辺党の話を書こうとは思っていて。
そもそも羽曳野が源氏の棟梁河内源氏の始まりだということもあまり一般的ではないように思いますし、それ以上にあの造兵局や羅大阪城やらの辺りに瀬戸内一の港湾があり水軍がいた、という事さえ余り知られていない気がします…
関西人なんでね、やっぱりそういうの知らないのは勿体ないと思うんです。
後に源義経が屋島と壇ノ浦で平氏を下しますが、その時に協力した水軍が幾つかあり、その内のひとつが渡辺党になります。
そして義経は屋島の戦いの時、渡辺党の根拠地から出陣した。
有名な梶原景時との逆櫓の論争のエピソードもこの時のもの(大阪の福島駅付近に記念碑あり)。
      

***

ちょっとですね、季節柄うちにいる天使(=わんわん)の散歩時間が早くなっておりまして。
5時くらいなんですが、それに伴い眠くなる時間が大変早くなっております。
この前なんて4時半ごろに散歩行こうぜワンワンコールがかかり、流石に頭叩きに行った。
何時だと思ってんの。近所迷惑過ぎる。てゆーか一番迷惑蒙ってるのは私である。
夜11時過ぎたら起きているのが辛いです。11時てえらい早い…
ブログ書くのが非常に辛い状態です^^;
誤字が多くてスイマセン。確かめる前に寝てしまう。眠いんだよ!(笑)



最新の画像もっと見る