ぶらりフォト日記

2005年開設以来あまり更新されていませんが、私の住んでいる地域や旅先の事を写真をまじえて紹介しようと思います。

昭和の町

2014年08月25日 00時31分03秒 | ふるさと散策

 今年もお盆の休みに実家のある大分に帰省しました。昨今、九州に接近したり上陸したりの台風により、実家も被害を受けているのかと心配しましたが、こちらの心配をよそに、実家のある大分県北部は驚くほど何も影響はなかったようです。駅まで迎えにきた父の話では、例年よりは雨が多いとのことでした。ただ今年から実家は米作りを止めているので、父はお天気には以前のように関心はありませんでした。そんな父の顔にはどことなく寂しさが感じられましたが・・・・・・。
 
 田舎での過ごし方、例年だと大概地元の河原にできたプールかちょっとドライブして、長崎鼻海水浴場に行くのですが、つい最近、近くの牧之原市の海岸での事故があり、子供たちを海に連れて行くのが怖くなったこともあり、今年は海水浴に行くのを止めました。その代わりにごく近くではありますが地元観光と洒落込みましただ。
 
 「昭和の町」というのが、私の実家のすぐ近くにあります。歩いてざっと5分くらいの、この「昭和の町」、私の生まれた町、大分県豊後高田市の商店街のことです。実家を離れすでに30年以上過ぎていますが、その間この商店街は驚くべく変化を遂げました。驚くことにこの商店街、観光地になっていました。地元の過疎化と大型ショッピングセンターの進出で閑古鳥が鳴いていたこの商店街は、2001年からの村おこしで変貌しました。資金不足で建て替えがままならない家屋が多数残っていることを逆手にとって、昭和の郷愁が残る町並みを再現しました。そして今や年間の観光客が27万人を超える観光地になったのです。そのことは今年3月にNHKのドラマでも放送されました。
 
 結婚してから、毎年帰省してはいますが、この「昭和の町」は実家までの通過点で、じっくりと散策したことはありません。近くだからいつでも行けるからとあまり知り合いに会いたくないという事もあり敬遠していたのです。今回は子供、特に上の娘が例のNHKのドラマを見ていたこともあり、ぜひ行きたいとの切望していたので、厭々重い足を上げたのですが、予想以上に面白く、当の私が一番興奮して、ついつい帰宅する時間が遅くなってしまいました。「昭和の町」は昭和30年代を髣髴させる街並みとともに、昭和の懐かしグッズなどを資料として展示もしています。食堂には学校給食をメニューとしているところもあり(ちょっと値段はありって感じでしたが・・・)、町にはボンネットバスが走ります。映画「三丁目の夕日」を見ているようで、この町が賑わいがあった昭和30~40年代にここで過ごした記憶も僅かであるが思い出すことができました。あそこの店に行って何を買った、此の店はまだあるんだ!鉄道がなかった豊後高田市は大分交通のバスターミナルが交通の要所、今はモータリゼーションの波に押され見るに無残な姿ですが、当時は朝早くから賑わいを見せていました。ただこの町でも栄枯盛衰はあるようで、メインの通りの一つである中央通商店街にあった同級生の両親がやっていた店はすでになく空き地が駐車場になっていたり、空き店舗になっていました。また何もすることがない日曜日、中高生の溜まり場的存在だった本屋も廃業していました。
 
 3月に放送されたドラマで、主人公の駄菓子屋のアイスキャンディが紹介されていました。娘はそれがどうしても食べたかったようですが、私の記憶ではそのお店の記憶がなく、それらしきものを見つけましたが、時間とお金が無くなっていたので泣く泣くあきらめました。娘はショックだったようです。

 安東薬局
 亀の井呉服店 
 昭和の町 展示館
 展示館 展示品
 展示館 展示品
 展示館 展示品 

 千嶋茶舗

 昭和の町 アーケード看板

 昭和の町は、豊後高田市の8つの商店街(新町1丁目商店街、宮町商店街、新町2丁目商店街、稲荷商店街、中央通り商店街、駅通り商店街、銀座街商店街、中町商店街)から構成していますが、そのうちの銀座街商店街、中町商店街は桂川を挟んで、玉津地区にあります。この2つの商店街は昭和の町の中心である新町と中央通り、駅通り(駅はありませんが)から離れているため、余り観光客は訪れないようです。
 桂川 

 旧共同野村銀行社屋

 旧共同野村銀行社屋は昭和初期に共同野村銀行として建てられ、その後買収合併を経て、1993年まで西日本銀行高田支店として使用されていました。2009年6月に国登録有形文化財に登録され、現在では小さなギャラリーになっています。

 ウエガキ薬局

 森川豊国堂

 この店がNHKのドラマの舞台になったお店だと思います。ただ私はこの店に通った記憶がありません。

 昭和ロマン蔵

 昭和ロマン蔵は、大分県屈指の大金持ちと言われた野村財閥が昭和10年頃に米蔵として建てた旧高田農業倉庫を改装して出来た展示施設で、展示物のほかにレストランも併設しています。野村財閥はかつて豊後高田の商業街の中心に豪邸を構え、小作人に貸し付けていた田畑は西国東郡、宇佐郡、下毛郡の3つにまたがり、年間に1万俵の小作米を誇っていました。戦後は農地改革で田畑を没収され、没落していきました。

 大分交通ボンネットバス

 このバスは、昭和の町の周遊コースのほかに、市内の観光スポットなどを無料で廻ります。(知らなかった!)



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