「詩客」短歌時評

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短歌時評127回 中村稔『石川啄木論』と、人間について 藪内亮輔

2017-06-06 12:08:00 | 短歌時評

 

 中村稔は一九二七年生まれの詩人。私が彼の文章を知ったのは『ユリイカ』誌上であっただろうか。確か永田和宏の『近代秀歌』という近代短歌のアンソロジー本が出た直後、中村がこの本に対して徹底的な批判を載せたのであった。これは間違いだと徹底的に意義を唱えられる信念と熱さを私は生来好むが、それよりもむしろ中村の挙げている近代短歌のセンスというか、単純に言えば選歌のおもしろさに、興味を持ったのを覚えている。

 その中村が石川啄木について書いた本が出た。かなり分厚く、丁寧に啄木の生涯を追いかけている本だ。私は啄木の生涯にはあまり興味はないから、その部分は読み飛ばしてしまったのだが、むしろ私としては本書において、中村が啄木を詩人として評価、歌人として評価をする部分が面白かった。

 さて、実際に中村による啄木の詩歌の評価をみていこう。これはいろいろと具体的に説明されているのだが、私なりにまとめると次の2点に尽きる。啄木らしさ、かの時代に啄木だからなし得たことというのは、1.瑣末な日常に詩を見いだしたこと、2.十分に人生の辛酸を嘗めた者には、(啄木の)痛切さが胸をつく、という2点である。北原白秋は「詩」と「歌」を焦点とする楕円であると評されたが、これを喩として使うならば、啄木の作品世界にとって、1と2は作品の魅力を作り出すための2つの焦点であったといえる。

 

 啄木は若くして第一詩集『あこがれ』を上梓し、その類い稀なる巧みな模倣によって、天才少年詩人の名をほしいままにした。つまり、啄木はもともと技巧の人だったのである。青春期の感傷をうたった歌人、という通俗的なイメージからすると少し不思議な感もあるが、実際、「あまりにも巧みな模倣(北原白秋)」、「その態度その技巧ほとんど年少未熟の痕跡を残さず、当代名家の詩情と技巧の感化をたつぷり受けて、その亜流の間に在つても、一流とあつて二流以下とは下らぬ程度の修辞法を示してゐる(日夏耿之介)」と当時は技巧・修辞面に関してかなりの評判を集めていたようである。

 しかし中村はその評価に反駁する。実際、『あこがれ』中の「隠沼」において、啄木の詩は「希薄な内容に比して殆ど破綻を見せぬ技巧(今井泰子)」と評されているが、中村は「修辞はむしろ拙い」とする。むしろ、「泥土に似た、永遠の悲しみにつながれた人間として自己を規定した」作品として、本作品はまことに痛切であり、「これほど敗残者の痛切な嘆きによって出発した詩人」はいない、これこそが啄木のオリジナリティだったのだ、と述べる。啄木はわずか二十数歳において、想像し難いほどの辛酸を嘗めていた。すなわち、啄木の歌を鑑賞するに堪える読者とは、感傷的な青春期の青年というよりはむしろ、「人生の辛酸を嘗めてきた」「漂泊、流浪の気持ちを理解できる」成人ということになる。実際に、本書によれば、啄木が自身で書いた『一握の砂』の広告文の中で、「広く読者を中年の人々に求む」と書いているそうである。

 

 晩年の啄木は、「われこそは詩人だ、これこそが詩だ」といわんばかりの作品の中に詩は無い、瑣末な日常のなかにこそ「詩」は現れるのだ、という考えに到達していた。これは一つの思想の到達点であった。一九〇九年の「食ふべき詩」という有名な評論である。啄木は、瑣末な日常の裡において瞬間瞬間に現れては消える感情の陰翳を、巧みな無造作と巧みな言語化により「短歌」に縫い付けることに成功した。すなわち啄木は、「そのままに書く」ということの難しさを、前もって持ち合わせていた技巧と、「辛苦」を通り抜けていくときに得た何かによって、見事に乗り越えることができたようにみえる。瑣末な瞬間に脈絡も無く現れては消える感情の陰翳そのものが、自らを懸けてうたうだけの重みを持っているのだ、という思想に到達したのである。

 

いのちなき砂のかなしさよ/さらさらと/握れば指のあひだより落つ

 

 短歌の定石では、よく「悲しい」とか「寂しい」は使ったらダメ、その気持ちを別の言葉で表現するのが短歌なのだ、と言われるが、これは対症療法である。恐らく啄木にすると「そのような約束事を意識する時点で、詩人として詩を作ろうとしている」ということになるのだろう。

 

何がなしに/頭のなかに崖ありて/日毎に土のくづるるごとし

ふと深き怖れを覚え/ぢつとして/やがて静かに臍(ほぞ)をまさぐる

目の前の菓子皿などを/かりかりと嚙みてみたくなりぬ/もどかしきかな

 

 特に二首目は素晴らしい。このような怖い歌は見たことがない。歌の背後に流れている時間の緩急が、巧みである。時間の流れが「ぢつとして」のところで凍り付き、また動き出す。恐怖感と時間感覚がリンクする。

 中村は啄木のこのような感覚を、「このような神経ないし精神は正常とはいえないだろう」「狂気としか考えようがない」と考察しているが、むしろこれらの作品は、一般的に皆が持ち合わせている精神のなかの風景を、きわめて正常な感覚で切り取ってきたという風にみえる。つまり、私はこれらの歌に精神を写し取るだけの「正確さ」を感じる。そもそも、詩の世界でしばしば言われる「狂気」という評が私はよく分からない。詩歌とはぎりぎりまでわれわれが突き詰めた「正気」であり、そうでなければただのナンセンスなでたらめである、と思う。よくニコニコ動画やネット、私たちの最近(といってもここ十数年くらい?)のコミュニケーションでは、素晴らしすぎるものや人を褒める意味合いで「いかれてる」とか「バグってる」「変態」などと呼ぶことがあるから、そういうニュアンスなら納得なのだが……。中村は啄木の「食ふべき詩」を「詩人たる資格は三つある。詩人は先第一に「人」でなければならぬ。第二に「人」でなければならぬ。第三に「人」でなければならぬ。さうして実に普通人の有つてゐる凡ての者を有つてゐるところの人でなければならぬ」と引用し、重要である旨を語っているが、果たしてどこまで「普通人の有つてゐる凡ての者を有つてゐるところの人でなければならぬ」を重要としているか。啄木は確かに天才的であり、一般に比べて異常な人格であるところもあったのかもしれない。人生の痛苦、辛酸も、人一倍嘗めてきた。しかし彼が「広く読者を中年の人々に求む」と言ったとき、そこにはどこか、人間の精神の風景はもとより中村の言う「狂気」でできており、われわれは通底する「狂気」をお互いに持っているはずだ、という前提があるように感じるのだ。よって、中村が「啄木は狂気によって他の表現者と一線を画する」と主張しているならば、それは誤りであろうといえる。むしろ、人の精神はもとより狂気でできており、それを正確に無造作な形で抜き出せたのが啄木の独自性と考える。

 

 

 ***

 

 本書において中村は啄木の歌を、「痛切さ」「人間的」という点から何度も評価している。本書での口ぐせは「痛切さが胸を打つ」である。

 昨今、馬場あき子が自伝『寂しさが歌の源だから─穂村弘が聞く馬場あき子の波瀾万丈』において、短歌とはもともと「人間を、心を差し出す」ものであったのに、今ではアイディア勝負になってしまっていて、「当たり前のことを言い方によっては、「えっ、そうなんだ」と思わせるテクニックが現代の若い人たちのおもしろがり方になっている」と述べて、議論を呼んだ。というか、ひどい論争になった。

 

 そういえば、テクニックで思い出したこと。フィールズ賞を受賞した数学者の森重文という人が、面白いことを言っていたのを覚えている。記憶に頼って書くので、ニュアンスは合っていると思うのだが、違ったらごめんなさい。高校数学の受験テクニックに対して、「こんなものを覚えて何になるのか」、「ただのテクニックで本質ではない」という意見がある。しかし実際に大学で研究を始めると、受験テクニックを使う場面がしばしば出てきて驚いた、と。

 

 まあ、数学の話と文芸の話をくっつけて関連ありげに話すのもナンセンスなのかもしれないが、つまり何が言いたいかというと、啄木を語る中村も、馬場の発言を受けとる私たち読者も、そしてもちろん馬場自身もだが、「テクニック」や「人間」をあまり神格化しない方がいいんじゃないかな、ということである。たとえば、馬場の

 

夜半さめて見れば夜半さえしらじらと桜散りおりとどまらざらん(馬場あき子『雪鬼華麗』)

 

などは、私は最初「夜にも桜は止まることなく散る」という発見におののいたことを覚えている。つまり私にとっての「桜」は、この歌を読んだ一瞬から、「夜半さえしらじらと散っている」時そのものの止まらない出血のような桜へと更新されたのだ。次から桜を見ては、この認識を思い返さずにはいられない。当たり前だと思っていた世界の認識を更新することは、昔から詩歌の持っていた大きな魅力であり、欠かせないものである。しかし、この歌はアイディアの歌ではないのか?

 

車にも仰臥といふ死春の月(高野ムツオ『萬の翅』)

 

という句が話題になったことがあった。これは3月11日の大震災の日、津波のあとに残された惨状を詠んだものである。車がごろごろと転がっている。車が腹をみせている様子を、「仰臥といふ死」と表現した。この地獄のような地上を、春の月が照らしている。片山由美子は、この句は「春の月」の本意を広げた、と評した。「春の月」という言葉の持つイメージが更新される。

 

 読み方によっては、これら二作品はアイディアの優れた作品ということができる。しかし同時に、これらの作品の背後には、痛切な思いがあることも知っている。「歌林の会」HPで、馬場は次のように回顧している。

 

……宿泊した宿の中庭の桜を、夜半に起き出して眺めていた。灯火のほのかな明りの中に浮かび出た桜は、人々の寝しずまった静かな闇に佇んで、誰の目にも見られないまま、自ずからなる摂理に従って、白い花びらをはらはら、はらはらと惜しみなくこぼしつづけていた。四十九歳で職を捨てた私の感じている、惜しまずにはいられない時間の、刻々の消滅のようにも、私という存在を残して過ぎてゆく非情な時間のようにも感じられた。(歌林の会HP「さくやこの花(44)」)

 

 私自身も、理想から外れた人生の中で、何の分野でも一流になれずいつか死んでゆくことを毎晩のように思い患い、時の流れを思っているから、分かるとは言えないまでも胸は打たれる。

 しかし、それでさえ、というか、それであるからなお、掲歌はアイディアに優れた作品として評価されねばならない。夜半にさえとどまらず散り続ける桜という具体的なアイテム、アイディアによって、われわれは個別の哀惜をそこに込められる。アイディアを使わなくていいというなら、上記のエッセイのようにして自分の気持ちを好きなだけ語ればいいわけで、日記帳にでも個人的に書いてもらえれば結構なのである。作者にどんな人生や、哀惜や、悲痛さ、気持ちがあるにせよ、短歌という特殊なフィルターを通過させ、作品という形式で保存する以上は、少なからずテクニックを用いている筈である。いや、テクニックは手段であって、本当の気持ちの方が大事なのだ。人間の為にテクニックはあるのだ。などと言うものがいたら私は反吐を吐いてしまうだろう。結果の為に手段を選ぶというのは尋常であるように思われているが、むしろ手段によって結果が変化するということの方が大いにある。というか、本来は、歌人はそのことを信じているからこそ歌を続けている筈なのだ。歌という不自由な枷、手段を用いることによって、初めて自分の中から発見される気持ちがあり、考えがある。つまり、吉本隆明の言った「書くものがあるから詩は作るんじゃない」。詩歌を作るから、汲み上げられるものがある。


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