「今月の詩」、8月。この夏は詩誌、詩集はおろか一篇の作品を読むことさえ叶わなかった。幼児長男の夏休みに加え、乳児次男のやんちゃぶりは日に日に更新されている。詩を読むには体力がいる、は本当だった。それから静寂と、空きスペースも。
ここは、逃げ出したい場所なのか
それとも、逃げ込みたい場所なのか
かつてわたしにとって、詩はシェルターだった。掻き疲れた手足を冬の虫のように折り畳み、現実の靴底から逃れうる愛すべき異界だった。今は? 洗いたての肌着を透かす午後の日差しに、積み重なった本の影が身を竦める。音もなく乾いていく。
雨が降っていない日
ひきがえるは雨のことばかり考えていました
隙を見て詩を前にすると、今度は身構えてしまう。書くにせよ読むにせよ――感想を述べようとするときが最も酷い、妙に格好つけて強張るのだ。先の春で36になったが、詩はいよいよわからなくなった。知るほど遠去かる。昔はただ、傍にいたのに(離れたのはわたしの方か)。
見えないふりをすると
見えるでしょ
さあ8月刊行の詩誌から選ぼう、できればあまり知られていない方を、と考えたものの。硝子のようにかけらが抜けず――あるいは侵食され――結局、素直に従う。
黄色いバス 秋亜綺羅
きみを待っているあいだに
核戦争がありまして
いちめんの真っ黒い空です
無数の黒鉛筆が降り注いでいる
ラジオの天気予報は
あしたは晴れるべきだ
と繰り返しています
売れやしないとわかっている絵の
額縁を作っていた画廊主はお手上げです
死んでも埋葬される土地など、もうどこになく
生きて見上げる空すらない
死刑も廃止になり
最高刑は懲役三〇日になりました
ただし食事は与えない
予定ばかり作って暮らした男も
いよいよあすは、ありません
雨が降っていない日
ひきがえるは雨のことばかり考えていました
時間はどのくらい止まったままかを
正確に刻んでいる時計がありました
きみは元気だという風の便りを知りました
きみは病気だという風の便りもありました
ここは、逃げ出したい場所なのか | 見えないふりをすると
それとも、逃げ込みたい場所なのか | 見えるでしょ
終点という名のバス停のまえで
きみを待っているあいだに
タイトルから、思わず「黄色い救急車」を連想する。発狂した者が収容されるという都市伝説の、アレ。ぺかっと明るい塗装はどこか胡乱で、悪夢的。実際にある黄色いはとバスや幼稚園バス、「十勝バス」にそういった印象は受けないが、詩の頭上に置かれたそれからは、幽かに不穏な匂いが漂う。
まず「きみ」を黄色いバスと捉えて読む。バスを待つうちに核戦争が起こり‥‥‥いや、「きみ」の健康に関する「風の便り」があるから違う。では、この語り手がバスかもしれない。黒い空、尖った雨が塗り潰す土、絵空事を謳うラジオ、塞がれゆく人々を尻目に運行する、狂者のための黄色い箱。お、それっぽい。しかし、終盤がしっくりこない。「終点という名のバス停のまえで」に立ち止まる。
ならば、バスに乗ろうと「私(ボクでもいい)」が「きみ」を待っている、ではどうか。‥‥‥どこか引っかかる。この語り手は「終点という名のバス停のまえ」で、いつまでも、今も、「きみ」を待っているのだ。戦争が起こり、終わり、民も制度も軋みながら動き、待ち人に纏わるいくつかの噂が過ぎゆくほどの長い間。きみ、この世にいるの?
そして。たとえ「きみ」とバスに乗れたとしても、そこは「終点」だ。来ても来なくても、どこへも行けないじゃないか。
ああ。ああ。この語り手こそ死んだのだ。だからこそきみを、見えないからだで、終点のまえで、待ち続けている。黄色いバスに乗るために。終点の先――黄泉へと共に、旅立ちたくて。
あるいは「きみ」とは今、この詩を読んでいるきみ、かもしれない。
ここは、逃げ出したい場所なのか
それとも、逃げ込みたい場所なのか
かつてわたしにとって、詩はシェルターだった。掻き疲れた手足を冬の虫のように折り畳み、現実の靴底から逃れうる愛すべき異界だった。今は? 洗いたての肌着を透かす午後の日差しに、積み重なった本の影が身を竦める。音もなく乾いていく。
雨が降っていない日
ひきがえるは雨のことばかり考えていました
隙を見て詩を前にすると、今度は身構えてしまう。書くにせよ読むにせよ――感想を述べようとするときが最も酷い、妙に格好つけて強張るのだ。先の春で36になったが、詩はいよいよわからなくなった。知るほど遠去かる。昔はただ、傍にいたのに(離れたのはわたしの方か)。
見えないふりをすると
見えるでしょ
さあ8月刊行の詩誌から選ぼう、できればあまり知られていない方を、と考えたものの。硝子のようにかけらが抜けず――あるいは侵食され――結局、素直に従う。
黄色いバス 秋亜綺羅
きみを待っているあいだに
核戦争がありまして
いちめんの真っ黒い空です
無数の黒鉛筆が降り注いでいる
ラジオの天気予報は
あしたは晴れるべきだ
と繰り返しています
売れやしないとわかっている絵の
額縁を作っていた画廊主はお手上げです
死んでも埋葬される土地など、もうどこになく
生きて見上げる空すらない
死刑も廃止になり
最高刑は懲役三〇日になりました
ただし食事は与えない
予定ばかり作って暮らした男も
いよいよあすは、ありません
雨が降っていない日
ひきがえるは雨のことばかり考えていました
時間はどのくらい止まったままかを
正確に刻んでいる時計がありました
きみは元気だという風の便りを知りました
きみは病気だという風の便りもありました
ここは、逃げ出したい場所なのか | 見えないふりをすると
それとも、逃げ込みたい場所なのか | 見えるでしょ
終点という名のバス停のまえで
きみを待っているあいだに
(季刊「ココア共和国」vol.21 より)
タイトルから、思わず「黄色い救急車」を連想する。発狂した者が収容されるという都市伝説の、アレ。ぺかっと明るい塗装はどこか胡乱で、悪夢的。実際にある黄色いはとバスや幼稚園バス、「十勝バス」にそういった印象は受けないが、詩の頭上に置かれたそれからは、幽かに不穏な匂いが漂う。
まず「きみ」を黄色いバスと捉えて読む。バスを待つうちに核戦争が起こり‥‥‥いや、「きみ」の健康に関する「風の便り」があるから違う。では、この語り手がバスかもしれない。黒い空、尖った雨が塗り潰す土、絵空事を謳うラジオ、塞がれゆく人々を尻目に運行する、狂者のための黄色い箱。お、それっぽい。しかし、終盤がしっくりこない。「終点という名のバス停のまえで」に立ち止まる。
ならば、バスに乗ろうと「私(ボクでもいい)」が「きみ」を待っている、ではどうか。‥‥‥どこか引っかかる。この語り手は「終点という名のバス停のまえ」で、いつまでも、今も、「きみ」を待っているのだ。戦争が起こり、終わり、民も制度も軋みながら動き、待ち人に纏わるいくつかの噂が過ぎゆくほどの長い間。きみ、この世にいるの?
そして。たとえ「きみ」とバスに乗れたとしても、そこは「終点」だ。来ても来なくても、どこへも行けないじゃないか。
ああ。ああ。この語り手こそ死んだのだ。だからこそきみを、見えないからだで、終点のまえで、待ち続けている。黄色いバスに乗るために。終点の先――黄泉へと共に、旅立ちたくて。
あるいは「きみ」とは今、この詩を読んでいるきみ、かもしれない。