「詩客」今月の自由詩

毎月実行委員が担当し、その月に刊行された詩誌から1篇の自由詩を紹介します。

第3回 「遠景 ─影の男─」八木幹夫・他 渡辺 めぐみ

2017-07-14 02:24:09 | 日記
 実行委員として「今月の詩」を紹介させていただくことになったが、執筆日が7月初めなので、7月号の商業誌や7月の発行日を持つ同人誌に限らせていただく。たまたま印象深かった作品を6篇取り上げさせていただこうと思う。
 「抒情文芸」(7月10日発行・抒情文芸刊行会)第163号より八木幹夫氏の「遠景 ─影の男─」。一九七一年一一月二四日に鉄道線路で電車にはねられて亡くなったお父上のことを回想した作品だ。悪夢のような父親の突然の死に時を経て愛情を持って向き合った詩人の思いが、巧みな展開感とシンプルな語り口で痛切に伝わってくる。「ゴムのように伸びる時間がずんずん引っ張られて/過去のある一点からいきなりぷつんと切れた/両目の視界が昏くなった/ショックは何度でもフラッシュバックする」という導入部から、亡くなった父親の最後の視界と息子である詩人の心象を重ねていて迫真力がある。「お前なあ、昔 俺が見たときのような顔じゃあないなあ」という髭面になった現在の詩人に語りかける父親の言葉や、「父さん 痛かっただろう」という父親の最期を思う息子である詩人の言葉が、心にしみた。お父上は自死だったと思われる。「あ という不安そうな眼/父さんは一瞬 正気にもどって/すまない と眼で詫びたのだ/時間はのびたり ちぢんだり/遠景はすぐここに来ている/時間は噓をつく/警報器が鳴りっぱなしだ」というどうしようもない事態を現在進行形のままに扱う終わり方に緊迫感があり、詩人の心にかかり続けた負荷の大きさと人間の命の喪失感の大きさを突きつけてくる。
 「詩と音楽のための洪水」(7月1日発行・洪水企画)第20号(終刊号)より財部鳥子氏の巻頭の作品「絶滅した狼へ・そして指と耳たぶのない人々へ」。財部氏は、旧満州で0歳から12歳まで育ち、引き揚げの最中に避難民収容所で妹と父親をはやりやまいで失った特殊な体験を持つ詩人だが、ここでも北満州の貧しい人々の生きることの悲哀を鮮やかに描いている。「北満州の寒冷の大地の/指のない人々は貧しかった/彼らは貧しい中国山東の村々から来たので/手袋をしたことがなかった/(それで指はうっかり凍って落ちた)/帽子もなかった/(それで耳たぶもうっかり凍って落ちた)」という第一連全文にまず衝撃を受ける。本人にとって深刻なことを淡々と記述してゆく。しかし、決して物見高い視点は感じられずグロテスクな描写ではない。貧しくとも寒い大地に精一杯生きている人々に対する郷愁にも似た親しみが作品全体を貫いている。財部氏たち移民の住んだ土地にも、「山東から来たという貧しい人々が群れていた」そうで、「我が家のボーイにも指が三本なかった」とある。けれども「狼と冬の支配下にある土地」「沃野」の自然と狼の脅威をどこか楽しげにたくましく受けとめている少女の詩人像が浮かんでくる。「血潮にぬれたベロを垂らして/長い夜を横断して朝にたどりつく/狼の群れがたどりついた/その遥かな朝に/わたしたちは/まだ存在するかどうか/星々は一心に存在するかどうか」部分の、危険と背中合わせのなかでの開き直った詩行に、独特の活気と魅力がある。
 「すばる」(6月6日発売・集英社)7月号掲載の若手詩人たちの詩はどれも興味深いが、文月悠光氏の「雪の眠りを漂う」を選ばせていただく。「雪」を媒介に自己と向き合う静謐な作品だ。例えば「暗闇ではげしく またたく。/それがまぶたの開閉であると知ったとき、/「わたし」へ たどり着いてしまった。」という冒頭の3行や、「布団を蹴って、荒々しく朝へ漂着する。/寝返りの輪郭が交わり、川面を揺らしていた。/まばたきするまに水は流れ去り、/そこに ふたたび影が生まれる。」という最終連の4行などの表現に、身体感覚や身近な生活空間から超時空的な詩の世界へと飛躍する文月氏らしい書法の巧みさを感じ、惹きつけられた。また、清浄で無垢な雰囲気がありながら、強い意志の叫びを持っているところにこの詩のインパクトがあるように思う。「空いっぱいの白いものが降ってくる。そう雪を指して泣いた二歳の少女は、自分がどこから来たのかも知らずに、二十年を生きた。」に続く次のような部分である。「迎えにきたよ。風にふるまわれた雪の死体を左右に分けて、わたしはそのあいだに身を横たえる。流れるものとして、死の岸辺を仲介する。渡ってください。結晶の小さな短剣が、涙の熱に壊されてゆく。」どこか雄々しく美しい詩行である。
 「ユリイカ 詩と批評」(7月1日発行・青土社)7月号より望月遊馬氏の「地図記号の庭にて」。14の断章からなる作品だが、各々の断章は望月氏ならではの繊細で哀切な抒情が透明感のある美しさを醸し出している。望月氏の場合、どの断片を引用しても望月氏の秀抜な言語感覚の特徴が表れているが、ここでは「母」の登場する断章を引く。「母の荷台には二体の死体がある。偶数のように怒る。しだいに手紙は焼かれていき、わずかな花畑がそっとひきずられていく。だらんと垂れた手足。しかし、没後にはたくさんの花畑がそのうつくしさを言う。つまり守れなかったと。けして誓うことのない挿話だ。母の荷台からおろされた死体が解剖室でそのうつくしさを歌う。奇数のように笑いながら。三体。五体。七体。花畑に顔が半分埋もれたまま楽譜をひろげた。シューベルト。母の荷台はいまだがらんどうだ。
 痛みがあり、癒やしがあり、回顧と現実と再起への何かしらの意志が、同一の次元で語られるがゆえにカタルシスがある。こよなく悲しいことは真実を知ることであることを、それでも見てしまったものは救われないということはなく痛みそのものへと同化して愛に結晶してゆくと言っているようにも受け取れた。詩情豊かな抒情の宝庫だ。「だらんと垂れた手足。」「つまり守れなかったと。」という詩行が光彩を放っているように思った。思いやりは形に結晶せずとも価値あるものだということを述べているのかもしれない。肉体からなる存在は、すべて生きる上で厳しく弱いものなのだから。
 同人誌「森羅」(7月9日発行・同人:粕谷栄市、池井昌樹、賓客小池昌代)5号より池井昌樹氏の「おつきさま」。「森羅」掲載作品はすべて池井昌樹氏の手書きの美しい文字で書かれており、今どき珍しい作者の筆跡と筆圧を楽しめるところに風情がある。「おつきさま」はその中でも全行平仮名であるところが印象に残った。前半部分を引く。「ええ/そうなんです/ともるんです/まどにあかりが/ぽうっとね/もうだれも/おすまいのはずないんけれど/なつのあつさにはせみしぐれ/あきのよるにはむしのこえ/ふるようにまたわくように/それはおおきなおやしきが/そのぬれえんに/いまもうっとりかたならべ/それはきれいなおつきさま/あんたも みてみ……」日々の暮らしの喧噪や人間関係のストレスなどで消耗している人間にとって、一服のお茶のような心の和む詩行である。平仮名であることで読者は勝手に詩語に色彩を付けて読むこともできるし、月の光のように窓に灯る灯りの清らかさによって詩行すべてが光の色一色になっていることが、平仮名で表現されていると受け取ってもよいかもしれない。この詩のタイトル「おつきさま」は、電灯が灯るはずのない人気(ひとけ)のない屋敷に灯る電灯のことを指すように思われるが、屋敷に人がいないはずであるばかりでなく、屋敷自体が現在は壊されて存在せず、懐かしき過去の風景の心象の中にすべてが存在しているのだということが後半に至るとわかってくる。「おつきさま」は良き思い出の象徴としての光であり、それは人肌のぬくもりや人々の優しさをも指すのだろう。私達人間が生き抜くことに精一杯で成長とともにいつのまにか忘れてしまっている何か大切なもののことを、この詩の「つき」は思い出させてくれているのかもしれない。
 同人誌「ガーネット」(7月1日発行・同人:やまもとあつこ、池田順子、萩野なつみ、大橋政人、高階杞一、高木敏次、嵯峨恵子、神尾和寿、廿楽順治)82号より新しい同人の作品を紹介したい。萩野なつみ氏の「はつなつ」。萩野氏は、洗練された詩語と豊かな余情が現代詩ならではの固有の作品世界を作り出す新人である。第1連の「いくつものあかるい肺が/埋め火のように透けるから/あなたは/ここが果てだと言う//微睡に腕を引かれて/岬をまわれば/足をさらう群青」部分から、簡潔な詩語が端正でどこか厳かな佇まいを感じさせて魅惑的だ。文脈よりも鋭い感受性と言葉の切れの良さとが先行する書き手であるように思う。読み進めると、例えば第2連の「おいで/縺れた背骨はここにある」や第4連の「無数のわかれを糧に/ひかりは泡立つ」という詩行がそのポエジーにおいて屹立しているような気がした。
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