わたしの愛憎詩

月1回、原則として第3土曜日に、それぞれの愛憎詩を紹介します。

第2回 ―ある詩人― 森川 雅美

2017-06-14 23:27:46 | 日記
 「愛憎」というのは複雑な言葉だ。「愛」と「憎しみ」というまったく反対の感情が同居している。
 憎いくらいに愛す、あるいは愛するくらいに憎む。どちらにしろかなり激しい感情だ。
 そのような詩人が私にも一人いる。出会って何回目かにその詩人の、「きみは病んでいるのだから、直そうとせずにその病とつきいなさい」という言葉に、まだ若かった私は救われたのだ。心酔した。20代の後半から30代の後半くらいまで、私はその詩人をこそ真の詩人と考え、その言葉でものを考えていた。いわば自分で判断すのではなく、その詩人の考えで物事を考えていたのだ。より正確にいうと、その詩人がそう考えていると私が思う考えで思考したていたのだ。それはともすれば思い込みでその詩人を判断していたことであり、その詩人にとっても迷惑なことだったろう。
 ある日、その詩人に主催する詩の会の出入り禁止を言い渡された。私は大きなショックを受け暗澹とした気持ちなったが、詩を書くのはやめなかった。そうこうしているうちに私は自分の詩が変わってきているのに気付いた。
 はじめて自分の詩が書けた実感があった。
 その詩人がそのことを考えて私を遠ざけたのかもれないが、それはわからない。その詩人が私のことを嫌っているということを、人伝手に何人からか聞いた。
 私は今でもその詩人を師と思っている。それだけに越えたいと思っていたし憎かった。
 しかし、いまはその詩人を越えようという気はない。遠く離れて自分の詩を書けばいいと思っている。しかし、やはり感謝の気持ちと憎い気持ちはいまだに消えない。
 その詩人は高齢で存命だが、親しく話す機会はおそらく2度とないだろう。死んであの世があればまた親しく話せるかもしれない。

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