わたしの愛憎詩

月1回、原則として第3土曜日に、それぞれの愛憎詩を紹介します。

第7回 ―吉野弘 「奈々子に」― 愛したわたしが、恥ずかしい 萩原 健次郎

2017-12-03 23:54:29 | 日記
 この詩が好きだった十五、六歳の頃を思い出す。もちろん憎んでなんかいないし、嫌いでもない。素朴じゃないか。至極、まっとうではないか。はじめて出会ったのは、教科書だったかもしれない。「I was born」は、教科書だった。わたしは、詩人の清潔な言葉の技に惚れた。
 思春期をすぎて、青年の入口に立ったばかりの若造を、参らせるには常套の詩行が連なっている。確かに、その連なりは、ヒューマニストの愛に満ちている。それだけで、引きこむのだから、いい詩なのだろう。「いい詩」を読んで「いい気」になった、その頃のわたしが恥ずかしい。
 まだ詩は書いていなかった。書いていないどころか、詩という体裁の代物に出会ったのもはじめてだったようだ。わたしはその頃、ジャズと蝶が好きで、休日は、一人山に入って蝶を採集していた。やわなヒューマニストであったにすぎない。どんな作品なのか、掲げてみよう。

  奈々子に       吉野弘

  赤い林檎の頬をして
  眠っている 奈々子。

  お前のお母さんの頬の赤さは
  そっくり
  奈々子の頬にいってしまって
  ひところのお母さんの
  つややかな頬は少し青ざめた
  お父さんにも ちょっと
  酸っぱい思いがふえた。

  唐突だが
  奈々子
  お父さんは お前に
  多くを期待しないだろう。
  ひとが
  ほかからの期待に応えようとして
  どんなに
  自分を駄目にしてしまうか
  お父さんは はっきり
  知ってしまったから。

  お父さんが
  お前にあげたいものは
  健康と
  自分を愛する心だ。

  ひとが
  ひとでなくなるのは
  自分を愛することをやめるときだ。

  自分を愛することをやめるとき
  ひとは
  他人を愛することをやめ
  世界を見失ってしまう。

  自分があるとき
  他人があり
  世界がある

  お父さんにも
  お母さんにも
  酸っぱい苦労がふえた

  苦労は
  今は
  お前にあげられない。

  お前にあげたいものは
  香りのよい健康と
  かちとるにむづかしく
  はぐくむにむづかしい
  自分を愛する心だ。


 吉野弘の最初の詩集『消息』、1957年、謄写刷100部の一篇。57年とは、60年安保を控えた、政治の季節である。謄写刷とは、どんな体裁なのかわからない。ただ、吉野は、勇んでいなかったように思われる。あるいは、彼もまた、青年の恥じらいをひそませていたのかもしれない。この愛憎の感覚は、複雑に共振するのと同時に、なぜかうれしく感じられる。

 それからもうひとつ報告しておく。わたしはこの詩を読んだとき、自分の子がもし娘であるならば、「奈々子」と名付けようと決めた。これもまた、昭和時代の中庸的な、安っぽいロマンティシズムに毒されているようだが、はたしてわたしは、自分の長女の名を「奈々子」と名付けた。ちなみに次女の名は、桃子で、こちらは石井桃子にちなんだ。
 長男は、高倉健と菅原文太を混ぜた、健太と名付けた。

 現代詩文庫「吉野弘詩集」の解説で、清岡卓行は冒頭で、こう書き出している。「戦後の詩人たちの中でおそらく最も優しい人格」と。
 2017年の今。こういう詩を書くことは、明かに恥ずかしい。わが子の名を一篇の詩作品にちなむことも。しかし、愛憎。何度も書くようだが、わたしは少しうれしい。
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 第6回 ―鮎川信夫― 鮎川信夫... | トップ | 第8回 ―ピノキオピー 「ぼ... »

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事