■ インターネット・ブログの本質とは?!
いまさら、なぜブログか?
ブログの可能性を探る!
ブログは、日本では1000万件前後、全世界で1億件弱あるともいわれている。
こんな簡単なITがなぜかくも広まってしまったのか!?
どのような本質的なノウハウだったのか?
A.ブログコミュニケーションの本質:
よくよく考えて見ると、
ITができていろいろなコミュニケーション手段が考案されてきたが・・・・・
「メール」の発明は画期的であった。
電話の発明、普及を乗り越える手段だった。
相手にいつでもどこでも気持ちを伝えられる。
相手がそこにいないということで妙に素直になれる。
これが様々な感情をうまく伝えられることにもつながる。
また、それまでのフォーマルな手紙の活字文体を口語、タメ口に変えて、
コミュニケーション文化を大きく変えてしまい、
みんなが気軽に利用しはじめることが出来るようにしたことが大きい。
1:1のコミュニケーションをこれほどスムーズにカジュアルにしたものはない。
もうひとつ画期的なのは「ブログ」の発明である。
ブログとはそもそも何か。
ブログはなぜこのように世界に広まったのか。
ブログは否応無しにコミュニケーションの世界を変えた。
自分の気持ちを表現する場としてメジャーとなった。
この表現するという点が重要である。
本音で言えば、
ブログとは、自分のひとりよがりの、
TWO-WAYではない「ONEWAY」の表現形態である。
しかし、ここにこの手段(ブログ)の本質がある。
発表するという自己行為で自己満足できるメディアというところが、
その本質かもしれない。
人は時間、空間によって、
言いたいことはどんどん変わってくる、どんどん生み出されてくる。
それに即応するには、ブログいう手段が最適なのであった。
構えずににいつでも、どこでも使える、ほとんどPCリテラシーを要求しない、
という優れものだったことがブログの普及を促した。
ひとは表現するのは好きだが、難しいことは大嫌いだ。
口でしゃべるように、簡単に手紙を書くように、電話で気軽にはなすように、
PC上でできたからブログは半端ではなく広がったのである。
人は、電子空間上に別の言語空間を持ったというべきであろう。
B.表現の場としてのブログ場:
人類が類人猿から進化して脳の発達とともに言語を獲得した。
コミュニケーションをとるようになってから、
人は、自らを表現するDNAを持った。
自らしゃべらずにはおれない存在となった。
口で、文字で・・・・手段はいろいろある。
何かを訴えたい人、それがホモサピエンスである。
ホモサピエンスは遊ぶ人
という意味もあるという。
コミュニケーションをとりながらいりろな遊びを作ったことが容易に想像される。
人は何らかのメディア(ブログ)に書き込みたくて仕方がないのである。
書くと嬉しくて仕方がないのである。
実は、アクセスが何件あるということは、二の次で、
だれか一人でも読んでくれるだけでも大感激なののである。
ユーチューブ、SNSも基本的にはブログ的発想の延長線上にあるものである。
コミュニケーションというよりは、発表の場である。
その場を使って他人の発表したものを鑑賞して喜ぶ空間である。
C.ブログの絆の特性:
ブログのもうひとつの特性で面白いものがある。
即ち、他人の発表したものを気楽に見て楽しむというのは、
不特定多数の人と間接的に、緩くつながるということである。
見方を変えれば、
1:1のしっかりした、ベタのコミュニケーションズを避けているということでもある。
ブログというのは、かなり楽なのである。
気軽に出来て、ゆるく仲間になる、という感覚が受けている。
D.もうひとつのブログの凄さ:
このブログという情報源の巨大な海の中に、
誰かが、ある時期、ある場所で欲しいと思っている情報があるとしよう。
それが、ブログ空間の中にきちんとビルトインしているということが、
半端でなく凄いことでなのである。
何億というブログの海の中には、自分の欲しい情報が、
その精度には議論があるが、存在しているということが凄いことなのである。
ブログという卑近な個人の情報網の中には個人が生き生きと発表した情報があふれている。
その生きている情報に触れられることで情報生活を豊かにできるのである。
ロングテールといわれる、マイナーな情報でも探せばそこにある、
という凄さ。
自分が何か情報が欲しくなったら、ほとんど必ずその「尻尾」のどこかにある、
という迫力は半端ではない。
それを底辺で支えているのがブログである。
但し、気をつけなければいけないのは、その信憑性である。
その真偽は、自己責任で判断しなければならない。
E.最後にブログをしたい心理とは!(まとめ):
ブログに書きたい心理はいろいろある。
このいろいろあるということがブログの豊かさ、可能性を示すものである。
1.自分の感情開放の場:
自分のことを聞いてくれるだけで心が晴れ晴れする。
しかし、人に話せないこともある。
こんな時にブログは打ってつけである。
不特定多数に自分の思いを伝達できるという凄さがある。
個人放送局だ。
ブログは唯一自分が素になれ、すき放題自我を放出できる場である。
学歴、格差、容姿に関係なくだれもが平等に出来る。
嬉しい場である。
嬉しい時間である。
2.匿名で表現できる場
匿名ということは他人にはばかることなく恥ずかしいこと、憎しみに満ちたことなんでも有りということだ。
憎しみを表す場とは何か?
こころの悪魔の部分を表現する場(嫉妬、怒り、情念、恨み・・・)、
むしゃくしゃする心を発散できる場である。
教会で、懺悔で自分の負の行為を話し、後悔し、反省するのと似ている。
匿名性ということで共通性がある。
ブログの負の側面だが、なんといっても匿名性に起因する。
何でも言えてしまう。
場合によっては人のブログへいって中傷することさえ好き放題だ。
3.人とのリレーションの場:
ブログには、自分と他の人がつながることが出来る楽しみもある。
ブログは、同じ感性の人と、わずらわしさのない匿名の電線でつながることが出来る打ってつけのメディアである。
リアルなフェースツーフェースではない、気軽な有限責任な関係性が確保できるユニークな場である。
4.社会・仕事活動の場:
ブログは、社会的な、仕事的な発表の場としては、最高のメディアである。
ただで、自由に表現でき、専門的な情報を加味し、
不特定多数の人に自分のメッセージを届けることができる。
表現の量は無限にとれる、言いたいことは誰憚ることなくマイペースで言える。
こんな凄いメディアはこの世には無かった。
しかし、自分の言いたいことを表現できるとはいっても、
仕事となれば、社会的な表現行為であり、ある一定の評価を取らないといけないので、
緊張感があり、発想を鋭くする、表現をわかりやすくするという効用がある。
社会的な、仕事的な表現品質が向上させる上での訓練の場でもある。
ブログで表現することは、個人だけでなく企業にとっても必然になってきた。
会社も、法人として人としての使命を持った瞬間から、
何かをいいたくて仕方がない存在となる。
その時に、企業ブログはうってつけである。
ユーチューブ、SNSで企業メッセージを発信する企業も増えてきた。
5.おまけ/低コストの場:
ブログは自己解放の場である。
そして最後に忘れてはならないのは、
何といっても低コストということである。
時間コストを除けば、ただと言うことが大きい。
最後は現実に戻ってしまった???
この稿おわり
追記:
最近はツウィッターという短い文章によるSNSが台頭してきている。
ブログのバリエーションはどんどん広がる。
どこまで進化するのであろうか?
いまさら、なぜブログか?
ブログの可能性を探る!
ブログは、日本では1000万件前後、全世界で1億件弱あるともいわれている。
こんな簡単なITがなぜかくも広まってしまったのか!?
どのような本質的なノウハウだったのか?
A.ブログコミュニケーションの本質:
よくよく考えて見ると、
ITができていろいろなコミュニケーション手段が考案されてきたが・・・・・
「メール」の発明は画期的であった。
電話の発明、普及を乗り越える手段だった。
相手にいつでもどこでも気持ちを伝えられる。
相手がそこにいないということで妙に素直になれる。
これが様々な感情をうまく伝えられることにもつながる。
また、それまでのフォーマルな手紙の活字文体を口語、タメ口に変えて、
コミュニケーション文化を大きく変えてしまい、
みんなが気軽に利用しはじめることが出来るようにしたことが大きい。
1:1のコミュニケーションをこれほどスムーズにカジュアルにしたものはない。
もうひとつ画期的なのは「ブログ」の発明である。
ブログとはそもそも何か。
ブログはなぜこのように世界に広まったのか。
ブログは否応無しにコミュニケーションの世界を変えた。
自分の気持ちを表現する場としてメジャーとなった。
この表現するという点が重要である。
本音で言えば、
ブログとは、自分のひとりよがりの、
TWO-WAYではない「ONEWAY」の表現形態である。
しかし、ここにこの手段(ブログ)の本質がある。
発表するという自己行為で自己満足できるメディアというところが、
その本質かもしれない。
人は時間、空間によって、
言いたいことはどんどん変わってくる、どんどん生み出されてくる。
それに即応するには、ブログいう手段が最適なのであった。
構えずににいつでも、どこでも使える、ほとんどPCリテラシーを要求しない、
という優れものだったことがブログの普及を促した。
ひとは表現するのは好きだが、難しいことは大嫌いだ。
口でしゃべるように、簡単に手紙を書くように、電話で気軽にはなすように、
PC上でできたからブログは半端ではなく広がったのである。
人は、電子空間上に別の言語空間を持ったというべきであろう。
B.表現の場としてのブログ場:
人類が類人猿から進化して脳の発達とともに言語を獲得した。
コミュニケーションをとるようになってから、
人は、自らを表現するDNAを持った。
自らしゃべらずにはおれない存在となった。
口で、文字で・・・・手段はいろいろある。
何かを訴えたい人、それがホモサピエンスである。
ホモサピエンスは遊ぶ人
という意味もあるという。
コミュニケーションをとりながらいりろな遊びを作ったことが容易に想像される。
人は何らかのメディア(ブログ)に書き込みたくて仕方がないのである。
書くと嬉しくて仕方がないのである。
実は、アクセスが何件あるということは、二の次で、
だれか一人でも読んでくれるだけでも大感激なののである。
ユーチューブ、SNSも基本的にはブログ的発想の延長線上にあるものである。
コミュニケーションというよりは、発表の場である。
その場を使って他人の発表したものを鑑賞して喜ぶ空間である。
C.ブログの絆の特性:
ブログのもうひとつの特性で面白いものがある。
即ち、他人の発表したものを気楽に見て楽しむというのは、
不特定多数の人と間接的に、緩くつながるということである。
見方を変えれば、
1:1のしっかりした、ベタのコミュニケーションズを避けているということでもある。
ブログというのは、かなり楽なのである。
気軽に出来て、ゆるく仲間になる、という感覚が受けている。
D.もうひとつのブログの凄さ:
このブログという情報源の巨大な海の中に、
誰かが、ある時期、ある場所で欲しいと思っている情報があるとしよう。
それが、ブログ空間の中にきちんとビルトインしているということが、
半端でなく凄いことでなのである。
何億というブログの海の中には、自分の欲しい情報が、
その精度には議論があるが、存在しているということが凄いことなのである。
ブログという卑近な個人の情報網の中には個人が生き生きと発表した情報があふれている。
その生きている情報に触れられることで情報生活を豊かにできるのである。
ロングテールといわれる、マイナーな情報でも探せばそこにある、
という凄さ。
自分が何か情報が欲しくなったら、ほとんど必ずその「尻尾」のどこかにある、
という迫力は半端ではない。
それを底辺で支えているのがブログである。
但し、気をつけなければいけないのは、その信憑性である。
その真偽は、自己責任で判断しなければならない。
E.最後にブログをしたい心理とは!(まとめ):
ブログに書きたい心理はいろいろある。
このいろいろあるということがブログの豊かさ、可能性を示すものである。
1.自分の感情開放の場:
自分のことを聞いてくれるだけで心が晴れ晴れする。
しかし、人に話せないこともある。
こんな時にブログは打ってつけである。
不特定多数に自分の思いを伝達できるという凄さがある。
個人放送局だ。
ブログは唯一自分が素になれ、すき放題自我を放出できる場である。
学歴、格差、容姿に関係なくだれもが平等に出来る。
嬉しい場である。
嬉しい時間である。
2.匿名で表現できる場
匿名ということは他人にはばかることなく恥ずかしいこと、憎しみに満ちたことなんでも有りということだ。
憎しみを表す場とは何か?
こころの悪魔の部分を表現する場(嫉妬、怒り、情念、恨み・・・)、
むしゃくしゃする心を発散できる場である。
教会で、懺悔で自分の負の行為を話し、後悔し、反省するのと似ている。
匿名性ということで共通性がある。
ブログの負の側面だが、なんといっても匿名性に起因する。
何でも言えてしまう。
場合によっては人のブログへいって中傷することさえ好き放題だ。
3.人とのリレーションの場:
ブログには、自分と他の人がつながることが出来る楽しみもある。
ブログは、同じ感性の人と、わずらわしさのない匿名の電線でつながることが出来る打ってつけのメディアである。
リアルなフェースツーフェースではない、気軽な有限責任な関係性が確保できるユニークな場である。
4.社会・仕事活動の場:
ブログは、社会的な、仕事的な発表の場としては、最高のメディアである。
ただで、自由に表現でき、専門的な情報を加味し、
不特定多数の人に自分のメッセージを届けることができる。
表現の量は無限にとれる、言いたいことは誰憚ることなくマイペースで言える。
こんな凄いメディアはこの世には無かった。
しかし、自分の言いたいことを表現できるとはいっても、
仕事となれば、社会的な表現行為であり、ある一定の評価を取らないといけないので、
緊張感があり、発想を鋭くする、表現をわかりやすくするという効用がある。
社会的な、仕事的な表現品質が向上させる上での訓練の場でもある。
ブログで表現することは、個人だけでなく企業にとっても必然になってきた。
会社も、法人として人としての使命を持った瞬間から、
何かをいいたくて仕方がない存在となる。
その時に、企業ブログはうってつけである。
ユーチューブ、SNSで企業メッセージを発信する企業も増えてきた。
5.おまけ/低コストの場:
ブログは自己解放の場である。
そして最後に忘れてはならないのは、
何といっても低コストということである。
時間コストを除けば、ただと言うことが大きい。
最後は現実に戻ってしまった???
この稿おわり
追記:
最近はツウィッターという短い文章によるSNSが台頭してきている。
ブログのバリエーションはどんどん広がる。
どこまで進化するのであろうか?