超コトラー教授。近未来マーケティングのフロンティア、その進化した姿とは!

コトラー教授を超えて、近未来、最先端のマーケティングをINSECT`S,BIRD`SなEYEで展開!

■ インターネット・ブログの本質とは?!

2009年08月02日 | Weblog
■ インターネット・ブログの本質とは?!

いまさら、なぜブログか?
ブログの可能性を探る!

ブログは、日本では1000万件前後、全世界で1億件弱あるともいわれている。
こんな簡単なITがなぜかくも広まってしまったのか!?
どのような本質的なノウハウだったのか?

A.ブログコミュニケーションの本質:

よくよく考えて見ると、
ITができていろいろなコミュニケーション手段が考案されてきたが・・・・・
「メール」の発明は画期的であった。
電話の発明、普及を乗り越える手段だった。
相手にいつでもどこでも気持ちを伝えられる。
相手がそこにいないということで妙に素直になれる。
これが様々な感情をうまく伝えられることにもつながる。

また、それまでのフォーマルな手紙の活字文体を口語、タメ口に変えて、
コミュニケーション文化を大きく変えてしまい、
みんなが気軽に利用しはじめることが出来るようにしたことが大きい。
1:1のコミュニケーションをこれほどスムーズにカジュアルにしたものはない。

もうひとつ画期的なのは「ブログ」の発明である。

ブログとはそもそも何か。
ブログはなぜこのように世界に広まったのか。

ブログは否応無しにコミュニケーションの世界を変えた。
自分の気持ちを表現する場としてメジャーとなった。
この表現するという点が重要である。

本音で言えば、
ブログとは、自分のひとりよがりの、
TWO-WAYではない「ONEWAY」の表現形態である。
しかし、ここにこの手段(ブログ)の本質がある。
発表するという自己行為で自己満足できるメディアというところが、
その本質かもしれない。

人は時間、空間によって、
言いたいことはどんどん変わってくる、どんどん生み出されてくる。
それに即応するには、ブログいう手段が最適なのであった。

構えずににいつでも、どこでも使える、ほとんどPCリテラシーを要求しない、
という優れものだったことがブログの普及を促した。

ひとは表現するのは好きだが、難しいことは大嫌いだ。

口でしゃべるように、簡単に手紙を書くように、電話で気軽にはなすように、
PC上でできたからブログは半端ではなく広がったのである。

人は、電子空間上に別の言語空間を持ったというべきであろう。

B.表現の場としてのブログ場:

人類が類人猿から進化して脳の発達とともに言語を獲得した。
コミュニケーションをとるようになってから、
人は、自らを表現するDNAを持った。

自らしゃべらずにはおれない存在となった。
口で、文字で・・・・手段はいろいろある。
何かを訴えたい人、それがホモサピエンスである。

ホモサピエンスは遊ぶ人
という意味もあるという。
コミュニケーションをとりながらいりろな遊びを作ったことが容易に想像される。

人は何らかのメディア(ブログ)に書き込みたくて仕方がないのである。
書くと嬉しくて仕方がないのである。

実は、アクセスが何件あるということは、二の次で、
だれか一人でも読んでくれるだけでも大感激なののである。

ユーチューブ、SNSも基本的にはブログ的発想の延長線上にあるものである。
コミュニケーションというよりは、発表の場である。
その場を使って他人の発表したものを鑑賞して喜ぶ空間である。

C.ブログの絆の特性:

ブログのもうひとつの特性で面白いものがある。

即ち、他人の発表したものを気楽に見て楽しむというのは、
不特定多数の人と間接的に、緩くつながるということである。

見方を変えれば、
1:1のしっかりした、ベタのコミュニケーションズを避けているということでもある。
ブログというのは、かなり楽なのである。
気軽に出来て、ゆるく仲間になる、という感覚が受けている。


D.もうひとつのブログの凄さ:

このブログという情報源の巨大な海の中に、
誰かが、ある時期、ある場所で欲しいと思っている情報があるとしよう。

それが、ブログ空間の中にきちんとビルトインしているということが、
半端でなく凄いことでなのである。
何億というブログの海の中には、自分の欲しい情報が、
その精度には議論があるが、存在しているということが凄いことなのである。

ブログという卑近な個人の情報網の中には個人が生き生きと発表した情報があふれている。
その生きている情報に触れられることで情報生活を豊かにできるのである。

ロングテールといわれる、マイナーな情報でも探せばそこにある、
という凄さ。
自分が何か情報が欲しくなったら、ほとんど必ずその「尻尾」のどこかにある、
という迫力は半端ではない。

それを底辺で支えているのがブログである。

但し、気をつけなければいけないのは、その信憑性である。
その真偽は、自己責任で判断しなければならない。

E.最後にブログをしたい心理とは!(まとめ):

ブログに書きたい心理はいろいろある。
このいろいろあるということがブログの豊かさ、可能性を示すものである。

1.自分の感情開放の場:

自分のことを聞いてくれるだけで心が晴れ晴れする。
しかし、人に話せないこともある。

こんな時にブログは打ってつけである。
不特定多数に自分の思いを伝達できるという凄さがある。
個人放送局だ。
ブログは唯一自分が素になれ、すき放題自我を放出できる場である。
学歴、格差、容姿に関係なくだれもが平等に出来る。
嬉しい場である。
嬉しい時間である。

2.匿名で表現できる場

匿名ということは他人にはばかることなく恥ずかしいこと、憎しみに満ちたことなんでも有りということだ。

憎しみを表す場とは何か?
こころの悪魔の部分を表現する場(嫉妬、怒り、情念、恨み・・・)、
むしゃくしゃする心を発散できる場である。

教会で、懺悔で自分の負の行為を話し、後悔し、反省するのと似ている。
匿名性ということで共通性がある。

ブログの負の側面だが、なんといっても匿名性に起因する。
何でも言えてしまう。
場合によっては人のブログへいって中傷することさえ好き放題だ。

3.人とのリレーションの場:

ブログには、自分と他の人がつながることが出来る楽しみもある。
ブログは、同じ感性の人と、わずらわしさのない匿名の電線でつながることが出来る打ってつけのメディアである。
リアルなフェースツーフェースではない、気軽な有限責任な関係性が確保できるユニークな場である。

4.社会・仕事活動の場:

ブログは、社会的な、仕事的な発表の場としては、最高のメディアである。
ただで、自由に表現でき、専門的な情報を加味し、
不特定多数の人に自分のメッセージを届けることができる。
表現の量は無限にとれる、言いたいことは誰憚ることなくマイペースで言える。
こんな凄いメディアはこの世には無かった。

しかし、自分の言いたいことを表現できるとはいっても、
仕事となれば、社会的な表現行為であり、ある一定の評価を取らないといけないので、
緊張感があり、発想を鋭くする、表現をわかりやすくするという効用がある。
社会的な、仕事的な表現品質が向上させる上での訓練の場でもある。

ブログで表現することは、個人だけでなく企業にとっても必然になってきた。
会社も、法人として人としての使命を持った瞬間から、
何かをいいたくて仕方がない存在となる。
その時に、企業ブログはうってつけである。
ユーチューブ、SNSで企業メッセージを発信する企業も増えてきた。

5.おまけ/低コストの場:

ブログは自己解放の場である。
そして最後に忘れてはならないのは、
何といっても低コストということである。
時間コストを除けば、ただと言うことが大きい。

最後は現実に戻ってしまった???

この稿おわり

追記:

最近はツウィッターという短い文章によるSNSが台頭してきている。
ブログのバリエーションはどんどん広がる。
どこまで進化するのであろうか?








■ 返品のマーケティングの背景、ロッテリア、ユニクロ・・・

2009年07月29日 | Weblog
■ 返品のマーケティングの背景、ロッテリア、ユニクロ・・・

返品が旬!

A.ロッテリアの返品マーケティング:

このところTVで話題なのが、ロッテリアの
「おいしくなければ半分以上食べてなければ返品OK」、
キャンペーンである。

全額お戻しします、絶妙な味のバランスを確かめよう!
と銘打った商品キャンペーンである。

商品は360円の「絶妙バーガー」である。

■これを聞いたときの購買者の心理は如何!
この話を聞くと生活者はどういう心理状態になるのか?

1. 話題性があるので、ネタとして仕込みたい。
食べてみて、友人と話したい
2. 挑戦的なキャッチで、大いに好奇心、闘争心がくすぐられる
3. そこまで企業がいうなら試しに食べてみよう。
味を確認せずにはおれなくなる
4. そこまでいうなら間違いなくおいしいんだろう、と思う。

まんまと企業の作戦の乗ってしまうのである。
むしろ自分から喜んで飛んで火にいる夏の虫になる、という感じのようだ。

■企業サイドの計算は以下のとおり。

1. マスコミがただで広告してくれる。
ニュース番組だけではなく、ワイドショー、ヤング向けバラエティ番組でとりあげてくれる
2. 若者間で口コミが発生する
3. 既存客のロイアルティが上がる。
4. 新規客が増える。

等々の価値連鎖が生じる

この手のマーケティング戦術はだいたいの読み筋がある。
決して、返品が多くなってしまい、大赤字になるということはない。

むしろいい商品であれば、返品ロスを凌駕して余りあるメリットが生じる。

因みにアメリカは返品王国で、デパートには返品専用のエントランスがあり、人がひっきりなしに出入りしている。
お客様も返品前提で、包装紙を丁寧に開けるという。

ギフトでも、もらったほうがお好みで別のものと交換することが当然である。
受け取りのレシートがあれば極普通に交換できるお国柄である。

返品はお客様(消費者)の当然の権利なのである。

日本とアメリカとで、どんなときに返品するかをアンケートすると、
大体倍のスコアでアメリカのほうが大きな数値になる。
アメリカ人は合理的で、ドライで賢いともいえるだろう。

それに対して日本人は、
・ シャイで、
・ ひとを慮る(店員さんがかわいそう)
・ 因縁・ケチをつける雰囲気は嫌。
・ トラブルは避けたい

等々やさしい。
周囲とうまくやっていきたいのである。

B.見返りマーケティングの隆盛:

このところ、似たような,
物的なマーケティング手法が脚光を浴びている。


・下取り商法:
IYが、衣料品を一着いくらで下取りをしたところ、衣料品の売り上げが2割ぐらいの伸びたという。

・回収商法:
ジャパネット高田はTV、PCなどの下取りシステムで、億劫感、回収面倒解除冠、。エコ感などの心理をついて、好評である。

・ 無期限極限返品商法:
ファンケルでは無期限返品OKである。
どんなに使った後でもクレーム内容を知らせてくれたら返品OKである。

・ 徹底返品商法:
ユニクロでも、返品制度はある。
各店で実施している。
返品条件は多様である。
一度着用済み、すそ直し済み,洗濯済み、色落ち、汚れ付き、
もOKという。
かなり前から進んでいるのである。
さすがユニクロである。
因みに、ウォルマートは昔から返品はOKである。

ロッテリアは返品ロス分はお客様のご意見代だという。
そこまで自信があるのなら立派だと思う。
勝算あっての仕掛けであることは、
本日ロッテリアで絶妙バーガーを食べてみて納得した。
(結構いけてます!)

C.マーケティングパラダイムの変化:

A,Bのようなマーケティング戦略・戦術をみるにつけて、
そしてその効果があるとなると、
どうもマーケティングの世界が、それはとりもなおさず社会が、消費意識が、
かなり異次元の世界にシフトしてきている
と思わざるをえなくなる。

今、ランダムに、
世相、社会意識の本質を列挙するとすれば、
以下のような病的な意識の悪弊が世の中全体を覆い、社会のメガトレンドを負のベクトルへ向かわせているように思われる。

・ 経済危機の中、景気低迷ということへの過剰生活防衛主義、
・ 金融システムの膨張による超拝金主義
・破滅的世紀末思想主義
環境変化、金融危機、経済システム崩壊危機、人口爆発、世界ヘゲモニー変化、北朝鮮の危機、ウィルス万蔓延(エイズ、新型インフルエンザ・・)等々による破滅感の横行から来るものである。
(マイナス材料が頻発する世相における、
ある意味での平和ボケ的な、神経質な危機予兆シンドロームでもある。)
・じっくりではない即効的な結果追求主義、
・ITによるノウハウ・データオリエンテットなマニュアル主義、
・ アナログ的な戸惑い感を認めないデジタル合理主義
・ 劇的な環境変化による、破滅的な地球否定主義
・ 安全・安心という心理インフラ減耗感(食偽装問題等)
等々

これらの社会のマイナス因子の影響で、皆が、
何か変だ?、怪しい?怖い?悲しい?辛い?
と感じており、
それが消費行動において、即物的、短期回収的な行動へ、わかりやすい幼稚的な行動へと駆り立てているともいわれている。

情緒的な、思慮深い意識で、モノをおもんぱかり、行動するという感情は、奥に奥にと遠ざけられているかのようである。

いろいろな社会、生活環境の激変の中で生活者の気持ちがすさみ、揺らいできていることは間違いないようだ。。

当面のマーケティングの気分は臥薪嘗胆、我慢という「キ-ワード」になる。

知恵、情緒・・・という心理的、付加価値的な領域はなかなか主流にはなれない時代ということのようだ。

この稿終わり


■ スイカ、農業の遊びとマーケティングの革新

2009年07月19日 | Weblog
■ スイカ、農業の遊びとマーケティングの革新

意図して変えることの薦め!

A.型破りのスイカ:

四角い。
観賞用のスイカだという。

見事なくらいにユニークな形である。

香川県善通寺市から600個が出荷された
海外へもいくという

正に四角である。
ある型にはめて手作りするのであろう。
正に手作り農業そのものだ。

三角、ハート型、円錐型
といろいろあるらしい。

見て面白いではなくだけではなく、合理化効果もある。
物流の効率化、隙間がなく無駄が生じない。

スイカをただおいしく食べる、
だけではなく、
たのしんで食べる、
食事の中で話題になり、食事の満足度があがる、
観賞用としても面白い、
等々
いろいろな心理的、経済的効果が出てくる。

四角いスイカは、
お金換算でGDP(グロスドメスティックプロダクツ)を押し上げ、
楽しめるという幸福度換算でGNH(グロスナショナルハッピネス)に貢献する。

スイカを四角くするという、なんでもないような小さな革新が、
実はいろいろな効果をもたらしてくれる。

因みに、今、この幸福度という指標が注目されつつある。

B.マーケティングの型の意味:

普通のスイカではないが、経営やマーケティングにも旧来の型がある。

旧来の型とは、
既知の常識的手法、過去の成功体験等
予定調和的な読み筋の範疇に入る方法論、ノウハウである。

1.商品の型とは:

その商品カテゴリーがもつPOP(POINT OF PARITY/らしさ感)、
その商品デザインが連綿として醸し出してきた、独特のアフォーダンス
(デザインが醸し出す意図・意思)
などである。

商品の醸し出す旧来の型は、
守らなければならないものでもあるし、破らなければならないものである。
その差配・バランスのかけ方、バランスを破るタイミングで、
ロングセラーにもなるし、市場退場にもなってしまう。
極めて微妙なものである。

しかし、新しい型へチャレンジするということは、
プロダクトマネージャーの最大の、最高位のミッションである。

変化は、好んで、進んで、望んで、
起こさなければならないものである。

ただし、柔軟な気持ちが必要である。

・何かを試してみて、ちょっと違うな?と思ったら、
すぐ、変更すること。
・あるいは、変更せずに少し粘って様子を見て、
打開策を見出すという執行猶予的な態度もあるだろう。
・徹底的に頑張って結果がでるまでやり抜くという手もある。1.


2.マーケティングの型とは:その戦略・戦術の型とは

マーケティング戦略・戦術で、
既存の型を踏まえれば、効率的で、収益性が高まる。
いわゆる、学習の蓄積効果が発揮できる。

しかし、一方では、
旧来の型のマーケ戦略・戦術とマーケットニーズとの乖離が徐々に進んでいることを認めて、
つぎの「型破り」を常に意識しておかなくてはならない。

破って変化しなければ、生存はできない。

以下ダーウィンの種の生存の法則からの言葉である。

今に対応する体力、知恵はもちろん大切だが、
環境に対していつでも変わっていける勇気、熱意、行動こそ最も求められるものである。

変わるということが種の生存で最も求められるものである。

型を破るのに障害となるのは、
社員の、プロダクトマネージャーのマンネリの心、手馴れてしまった方法論である。

何もしない方が楽である。
型を破るには、

・手間(時間)がかかる、
・お金がかかる
・精神的な苦痛が伴う。
・マーケティングマネジメントの変更に伴う組織的なコストもかかる
(関係各位の協力という組織人間関係の妙も問われる・・・)

型を破ることはなかなか大変である。

でも少しずつおこなうことである。

”少年学なり難し、一寸の光陰軽んずべからず”
である。

少しずつ、試行錯誤することで、小さな成功体験を積み重ね、
またリスクについても少しずつ学習をし、その危うさを軽減することが求められる。

この稿おわり


■ フィギアと野球どちらがお好き?女性の感性に期待!

2009年07月13日 | Weblog
■ フィギアと野球どちらがお好き?、女性の感性に期待!

マーケティングにおける本当の戦力とは

A.女性の好きなスポーツ:

少し前になる。
お金を払ってでも見にいきたいスポーツ、そのランキングが発表された。

・男性:野球、サッカー、FI・・・とつづき五位にフィギアスケートがくる
・女性:一位にフィギアスケート、四位に相撲がくる

男女で好みは違う。
ランキングの順位間での差(%の差)は少ないという。

どんどん嗜好は多様化し、女性も主体的に好みを表明し行動していく。

大昔(戦後まもなく)は、スポーツといえば、野球、プロレスと相撲しかない状況であった。
団塊の世代はTVにかじりついてこの3つを見ていた。
力道山、長嶋・王、若乃花・栃錦というヒーローがいた。
小学校の休み時間では、三角ベース野球か、相撲ごっこ、プロレスごっこをしていた時代である。

全部、男のスポーツである。
スポーツは男のものであった。
当時、女の子はスポーツなんかせず、
女の子らしくしていなさい!という社会風潮であった。

今、野球の観戦希望率はピークに比べて10%減っているという。
TV視聴率でもゴールデンタイムの巨人戦は10%台がやっとで一桁台のときもあるという。
趣味の分野が分散して、メジャーなスポーツがなくなってきたということで、
驚くほどのことはないのかもしれない。
このランキング、また男女の差は当たり前なのかもしれない。

男女の観点からこのランキングを見てみよう。
いろいろなことがわかってくる。

野球が昔ほどメジャーではない。
実際に、野球観戦の不満は、
チケットが高い、座席が良くない、試合時間が長い、食事がプア、
そして有名選手(スター)がいない、
等になるという。
女性から見れば、とても行きたいスポーツではないのだろう。

フィギアスケートは綺麗という芸術性、そして身体能力の凄さが味わえるスポーツである。
一つで二度おいしいものである。
浅田真央、安藤美姫、荒川静香というようなスターがでて人気が出た。
フィギアは女性の憧れのスポーツになった。

女性の感覚は男性とは明らかに違う。
これからは、この違いに着目してマーケティングされなければならない。
女性の満足は、社会の満足である。

B. 女性の購入決定権/女性は消費のオピニオン:

商品購入は、誰が決めているのだろう?

お金は男性が出すことが多い。
しかし、決めるのは女性である。

家族で使う住宅、車購入でも、女性の声の方が大きい。
家庭内の食事の準備、子供の世話、家事は何だかんだ言っても女性が中心である。
これに女性特有の、健康・美容、ファッションへの旺盛な消費が加わる。
女性が日本の個人消費を引っ張っているといっても過言ではない。

女性は、男性の憧れである。
男性は女性がいるから頑張ろう、と思うところがある。
女性のためにプレゼントを買う。
女性の気を引こうとおいしい店に招待する。
等々
男性の消費の裏には女性がいるのだ。

いろいろな意味で女性の存在抜きには、マーケティングは語れない。

そういえば、女性の美に対する執念は凄い。
化粧品の売り上げ。
第二次大戦の最中だけが例外で、他の時期は減少したことがないという。
あの1920年代後半の昭和大恐慌時代でも売り上げが減ることはなかったという。
凄い消費パワーである。

C.企業の女性活用の及び腰:

購入は女性が牽引している。
男性は刺し身のつまみたいなものである。

一方、ものをつくる、うる企業の側の女性の活用をみると男性中心である。
女性の感性を、ものづくり、広告づくりに生かすことに、一部の消費財企業では
熱心に取り組んでいるとは思う。
しかし、まだまだと思う。

最大の問題は、
女性マーケケィングを推進する企業の体制・マネジメントの仕組みが出来ていない、
ことである。

企業内の表面的な女性の数の多さではなく、
女性の購入文脈、使用文脈を踏まえた、女性心理を突いたマーケティング開発で、

・どうセンスを培うか?
・どう意思決定(決済)するか?
・どう社内体制・マネジメントをつくるか?

等々について

明確な方法論が確立していない、
女性の感性を生かす方法論が確立していない、
ことが課題なのである。

以下、主な課題を列挙する。

■女性の男性化という一般的な傾向についての課題:

企業内の女性の仕事の仕方が男性化してくる。
男性の考え方、進め方になじんでしまいだんだん男性化してくる。
男性的な、いわゆる会社的な方法論に染まってくる。

論理性、筋道感、合理性といった近代社会が作り上げた
資本主義の原点、会社組織の思考法になじんでくるのである。
企業の長年培われた立場に立ったマーケティングの方法論に染まる。

単純な事例をあげる。

携帯電話のR&Dである。
今は当たり前だが、市場の多様性から、特に女性から要望の強かった、
携帯電話の数十種のカラーデザインの採用などは、
一時は、生産性、効率性からみて見向きもされなかった。
携帯電話の色は、シルバー、ホワイト、中心に+1色と、何となく決まってしまっていた。
マーケティングの決まりごとのように誰もいじくろうとはしなかった。
それが黒船のように登場したソフトバンクによって、
見事に常識を覆され実現されてしまった。

古い逸話。

ある女の子が誕生日プレゼントでオーディオを父親に買ってもらうことになった。
家電量販店に一緒に出かけた。いろいろ見て、店員さんにもいろいろと聞いた。
最後にあるアイテムを選んだ。
なぜ、それか?
それが自分の大好きな色、白だったから。
白はそのアイテムしかなかったから、それを選んだという。
当時は、黒とシルバーしかなかった時代である。

以上の2つは女性の感性が全く商品開発に生かされなかった事例である。

話はもとに戻るが、大体の会社組織では、
女性の最大のミッションである、市場の女性の感性の伝達者として、
振舞うことができなくなってしまう。

男性の論理からOJTをうけてしまうという結果になってしまう。

■ 意思決定、決済システムの課題:

実質的な決断の責任者はだれか?
最終責任を女性がとれるような組織でないと、
本当の女性対応マーケティングは進まない。

女性の感性を、男性の感性、社内の感性に脅かされることなく徹底的に生かす
ためにどのような意思決定システムが必要か?
現実の会社内のマーケティング体制、マネジメントでは、
なかなか女性がのびのびと意志を通すという訳にはいかない。

大きな壁がある。

女性も組織の一員になれば当然周囲の雰囲気、社風というものを考える。
いろいろと配慮しことを進めなければ、
商品でも広告でも、社内稟議では通るものも通らない。

実は、ここに落とし穴がある。

仕事に慣れてくると、女性の感性で提案するのではなく、
上の人のことを考えて、周囲の雰囲気を考えて、
あらかじめ通りやすいものを提案するようになる。
稟議にかける前から、通りやすいものを、自分でスクリーニングしてしまうのである。

市場の女性の意思ではなく、社内の論理でことを運ぶようになる。

特に女性は社内の状況に応じた政治的な根回し、駆け引きが苦手な人が多い。
また、粘り強く社内ネゴして、自分の感性をいかしていい商品、いい広告を通していくことはしんどいようだ。

女性は次のように考える傾向があるという。

・自分の感性だけで、女性の感性としてそれが正しいとしても、
稟議が通らないことは目に見えている。
・仮に稟議にかけても修正につぐ修正で最後はなんでもないものになってしまう。

であれば、最初から少し通りやすいものにして提出し、
稟議を待ったほうが得策と考えるようになる。
案外したたかなのだ。

■ 女性の意識革新という課題:

女性の、女性による、女性のためのマーケティングの確立には、
女性の意識革新が不可欠である。

女性が、男性や・会社に甘えることなく、おもねることなく、怖がることなく、
女性自身で自立的にマーケティングの課題を解決するようになって、
初めて真の女性マーケティングシステムが出来上がってくる。

男性の世界観の中で女性の感性を通すには、かなりの努力が要るはずだ。

・接待、残業、肉体労働などの男性的なWAYにも譲歩しなければならないかもしれない。
・女性の感性、そして女性特有の持ち味の意味について、社内での地道なPRが必要かもしれない。
・また、ヒット商品、ロングセラー商品を生み出すという結果も求められる。

いろいろな意味で男性文化の壁を破るのはなかなか大変なことである、

しかし、この試みは、女性に対応した、真の消費社会を実現するために
避けて通れないものである。

この稿おわり



■ アメリカの就職人気ランキング、グーグル1位、日米の学生心理は同じ?

2009年07月05日 | Weblog
■ アメリカの就職人気ランキング、グーグル1位、日米の学生心理は同じ?

ドリームオリエンテットなグーグルの話。

A.時代を反映する人気企業ランキング:

あるニュースでアメリカ就職人気企業ランキングが発表されていた。

1位:グーグル ITトップ世界の情報を整序する
2位:ウォルトディズニー 世界の、夢を売るエンタメ企業
3位:アップル スティブジョブズのカリスマ、iフォン、ipod で世界を牽引

5位;国務省 世界の警察、世界の民主主義の守護神
6位:FBI テロ、犯罪から国家を護る組織

8位:NASA 優秀な人材のメッカ、宇宙とい永遠の夢にかかわる喜び

43位:トヨタ
68位:ホンダ

BIG3は100位にも入らず
ゴールドマンサックスは2位から20位へ

日本もアメリカも学生心理は変わらない。
‘08秋以降の金融恐慌の中で、アメリカも、日本も学生心理はかわらないように思う。
どこの学生でも、成長している勢いのある企業にあこがれる。
また、不況であればより安定志向になる。
国務省、FBIにはそのような心理があらわれている。

それにしても1,2,3位は、格別にかっこよさ、たのしさ、あこがれ感を
放っている企業である
うきうきする感じがにおってくる!

B.グーグルという企業の意味:

ランキング、一位はグーグルである。

しかし、グーグルも大きくなりすぎて、いろいろな訴訟がおこり、
独禁法との絡みで当局とのつばぜり合いが起こっている。

ディズニーも昔の話であるが、倒産の可能性が叫ばれたこともある。
アップルもジョブズが引いた後、ウィンドウズとの競争で危ない局面もあった。

1,2,3位とはいっても企業は生き物である。

いいことばかりではない。

経営環境(社会、政府、競合、生活者、・・・その他のステークホルダー)と葛藤を繰り返す。

高成長しているときは様々な矛盾が裏に隠れて表面化しない。
成長が普通になり成熟してくると、成長の過程でおきた負の遺産、例えば排除された人たちからいろいろな声が聞こ得てくるのはいたしかたないことである。

グーグルももしかしたらそのような時期にさしかかってきたのかもしれない。

アメリカはダイナミックな国であり、企業の盛衰は日常茶飯事である。

グーグルは今はイケイケドンドンである。

創業者の天才に牽引され、世界の情報を整序するという途方もない?夢にのり、
採算を考えずに、世界の情報の共通化という、
大いなる夢に邁進できる企業である。

ドンキホーテなのか、賢者なのか、それは未来のみぞ知るである。
しかし、そう遠くない将来、10年後には判明しているであろう。

グーグルはその夢で人材を確保し、鼓舞できるうらやましい企業である。
企業体として、大いに活気ずいている。

グーグルの壮大な実験が今も続いている。
インカムでもなく、ビジョンでもなく、カリスマでもなく、
「夢」
で企業を発展させるという壮大な実験が成功するように祈るばかりである。

採算に関係なく、株主の利益にかなわなくてもOK、
というグーグルは、
資本主義の中ではまれだが、
真の人類の発展は、このような無限の可能性を生み出しそうな、
勢いのある、雰囲気のある企業から生まれてくるのかもしれない。

この稿おわり


■ 世界金融恐慌!最大プレーヤー年金基金の凄さ!

2009年06月28日 | Weblog
■ 世界金融恐慌!最大プレーヤー年金基金の凄さ!

■ 世界金融恐慌!最大プレーヤー年金基金の凄さ!

その運用の光と影。
今金融恐慌が少し落ち着いてきており、ここで総括をしておきたい。

A.日本の年金基金の、今の状況とは?

年金基金の運用担当者の気持ちは晴れない。
経済がまだら模様で運用がうまくいかない。
高齢化で給付はどんどん増える。

その昔に蒙ったITバブルの損失等もカバーしなくてはならない。

日本の年金基金は、
高度成長時代には信託銀行に貸し付けておけば5-6%の運用益が出て、
かつ働き盛りの団塊世代がまだ人数がすくない60歳以上高齢者を支える
ということで極めてうまくいっていた。

低成長で、成熟経済の単純線形成長経済ではなくなったこの20年ぐらいは
話は変わる。
リスクマネーで勝負しなくてはならなくなった。

ここへきて、この秋以降大きな損をだしてしまい、今悪戦苦闘している。

B.カリフォルニアの巨人のもがき:

話は変わる。
カルパース、カリフォルニア州職員年金組合の年金基金のことである。
年間1兆円の給付をおこなう半端ではない、でかい基金である。

世界で一番最初に、国債などの安全な運用先から
株式、債権などのリスクマネーの投資に打って出た。

政府へのロビー活動を
ニューヨークの投資会社の支援を受けおこなった。
カリフォルニア州の年金基金の運用に関する法律を変えて、
運用先の自由化を実現するためである。

80年代である。
それ以降、世界の年金マネーがウォール街へと流れた。

危ない企業へも投資した。
経営が怪しければ、経営へも口出しした。
ものいう株主の登場である。
IT時代前の低成長の時代にも、40%もの利回りをあげることができた。

しかし、いい話はそう長くはつづかない。

2000年ITバブルがはじけると2年で3兆円超の資金を失った。

その損失を埋めるために、また増える給付の圧力もあり、
ヘッジファンドという選択肢に手をださざるを得なかった。
ヘッジファンドへの投資は当時は反対もおおかった。
しかし、結局はハイリスク・ハイリターンマネーに手を出さざるを得なかったのである。

バブル崩壊後、米国議会のヘッジファンド責任者公聴会で、
ヘッジファンドは取引方法、内容が全く開示されていない。
開示せよ!と迫られた。

ある日突然破綻といわれて、
周囲の人ははじめてこのファンドはよくなかったんだということがわかるような有様である。

コークがフォーミュラを開示していないのと同じだという。
それは存続を左右する企業秘密だという。

さて、カルパースは個のお金融危機でどうなったか?!
カルパースは7兆円を失った。
それでも高い給付を維持するにはヘッジダンドを使わなくてはならないのだという。

C.懲りない話:

面白い話がある。

今、受けているのは、
「破産した企業に投資して蘇らせ利益を上げる」
というものだそうだ。
正に転んでもただではおきない。
ハゲタカの面目躍如である。

たいしたものである。
当時を振り返って、ファンド責任者たちは、年金基金は強欲だったというが、
半分の真理をついていると思う。
お金の運用は、お金を出す人と、運用する人の2人3脚で成立するものだからである。

しかし、それにしてもである。
お金を直接扱う投資銀行、証券会社、ヘッジファンドこそお金に取り囲まれアップアップしている金の海におぼれている人のように見える。

年金基金は強欲だったかもしれないが、PCの前に座って利益を追い求める人は、
もっと強欲で金の亡者であろう。

もちろんあらゆる金融商品はそれなりの存在感をもっている。
それを真に必要している製造業、個人にとってはである。
よりスムーズな資金調達のためには必要である。

また、
資金を抱えている人にとってはその資金は運用されなければならない。
タンス預金では意味がない。
インフレで、ほうっておけば目減りがするからである。
また、資金が必要なところへ供給され、社会、雇用、いい商品の研究開発にために役立たねばならない。

しかし、今回のサブパライムローンで急速にリスクを増した金融の取引は、
どうみてもお金のためのお金の投資にしか過ぎない。
ファンドを通じて世界の必要なところへ資金が供給される。
このことは社会正義にかなうことである。

しかし、しかしなのである??!!

バブルは繰り返す.
お金が世の中に発明されてから、どこかにお金は必ず偏在するようにある。
金が余れば、投資・投機の資金となって必ずバブルを生むのである。

人間の性(さが)は直るべくもないということか!?

この稿おわり

■ ルーブル美術館展の感動!絵画とマーケティング

2009年06月21日 | Weblog
■ ルーブル美術館展の感動!絵画とマーケティング

絵画のもつマーケティング価値の意味!

A.ルーブルの傑作に感じること:

国立西洋美術館に、17世紀の、ルーブルの71の傑作が集まった。
レンブラント、フェルメール、ベラスケス、ラ・トゥール、ルーベンス・・・

17世紀ヨーロッパ絵画の世界は、

・黄金の世紀
(王侯貴族文化が花開き、オランダでは豊かな市民が台頭し、芸術もその社会的な背景から隆盛を迎えた/ベルサイユ宮殿で有名なフランス、ルイ14世・太陽王に代表される光と戦争、飢餓等による市民社会の荒廃という影が存在した時代)、

・旅行と科学の世紀
(大航海時代に発見された地域の探検、征服、文化・人への好奇心が頂点に達し航海・旅行が盛んになり、また科学革命が起こり、それが美術にも反映された/ニュートン、ガリレオ、デカルト、パスカルという天才が輩出した時代)、

・聖人の世紀
(聖者が、尊敬を集め人間味を持った絵が描かれた時代)、

と呼ばれた。

17世紀は、時代の空気を反映し、感慨深い、感情豊かな絵画が数多く生まれた。
ルーブル美術館はその宝庫である。

これら17世紀絵画の、絵具、筆からかもし出される不思議な空間、情感は何であろうか!

ラツール作「大工ヨセフ」、
大工であるイエスの父。
その艱難辛苦の人生を髣髴とさせる厚みのある表情、からだ
ろうそくの光に映し出される小さいキリストの手。
イノセントな表情、仕草はこの世のものとは思われない。

ドルチ作「受胎告知・天使」
受胎告知を受けた神々しい、聖母の母性的な何ともいえない、やわらかい、やさしい、慈しみに満ちた表情、
どれも、天才でしか表現できない、人の内なる情感そのものである。
写実を超えた、目に見えない、気持ちのエネルギーがほとばしる。

傑作といってしまえば、狭いアート(技術)のことになってしまう。
神が光臨してキャンバスに描いたこの世のかりそめの姿、
といったほうがいいのかもしれない。

絵は皆に見えるようにリアルに描かれるが、
実際はこころのキャンバスに思い浮かべる、バーチュアルな情感なのかもしれない。

この世界にはすごいものがあると思う。
自然とこうべが垂れる。

すごいものを見て心がやすまる。

自分の小ささ、いい意味で限界を感じさせてくれ、
背伸びした自分のつらさから開放してくれる。

B.絵画とマーケティング:絵の価値をどうみるか?!

絵はこの世でたった一つのものである。

それが欲しければ、欲しい人同士で所有権を争わなければならない。
欲しければ金額はいくらでも吊り上がっていく。

その希少性が価格に反映される。

ひとつしかないということは、

・誰かが一人で独占して一人で所有していることの満足を味わうか?
(一人でお酒を飲みながら鑑賞する)

・公私を問わず美術館が所有して、公共財として皆が楽しめる状況にするか?
すなわち皆の財産になるかの選択肢しかない。

ひとつしかないので法外な、値段になる。
これが1000枚あれば、値段は1000分の1になるのだが。

C.絵画の文化価値:

美術館が所有すれば、美術館同士で作品をレンタル、移動させ、様々なエリアで様々な人が鑑賞できるようになる。
公共財になるのである。

傑作作品は、
美術館に所有された瞬間から、経済的な価値がなくなる。
国家破綻でも起きない限りは、売り買いという概念が基本的にはなくなるからである。

その代わり、文化的な価値が生じてくる。

その作品を所有し、万民の財産にしていくということが、
国家の威厳、威信を高めていく。

その作品があるということで国家の懐の深さを皆が感じていくようになる。
黙っていても国家のポジションが上がり、皆から尊敬される国家になっていく。
人類がつくりだした文化を守って後世に伝える、素養と財力を持った国家として。

そういう意味では、芸術は計り知れない価値を生む。

昔その作品を描いた画家はそこまでは意識していないかもしれない。
お墓の中で苦笑しているかもしれない。
自分の作品が、オークションで何百億円という値段がつくことに。
ましてや、自分が生存しているときには見向きもされなかった作品が、
後世にとんでもない価値を生んでいることに驚いているかもしれない。

やはり芸術の魔力は恐ろしいものがある。

改めて、マーケティング価値はその品質と希少性に基づくということがわかる。

世界でひとつしかないものの何百億円という価値は、
法外でもなんでもなく、実は価格のつけようがなくプライスレスであり、
無限の価値を持っているのである。

この稿終わり

■ 団塊世代の消費意識、仕事現場から退場の影響

2009年06月14日 | Weblog
■ 団塊世代の消費意識、仕事現場から退場の影響

団塊世代を消費者と見たときの影響・本質とは?
団塊世代のマーケティング、消費を考える!

A.団塊世代の定年後の消費行動:

日本経済の高成長を牽引してきた団塊世代、
今後、団塊世代は定年退職を迎え、第一線から退場していく。
今後、団塊世代はどう消費、経済に影響を与えていくのだろうか?

まず、前提として、団塊世代が第二の人生に突入すると、
大きく2つの方向に向かうと思われる。
(注:団塊世代の55歳定年退職が大量に生じると思われた‘07問題は、
企業の定年延長処置で今のところ小康状態になっている)

方向1.
退職金をもらい時間的にも、金銭的にもゆとりのある生活に入る
(定年後に働くかどうかは別)
この生活に入る人は、退職金をもとに、消費をある程度牽引する。

方向2.
退職金が少なく、定年後も働き生活費を稼がなくてはならない生活に入る
この生活に入る人は、収入が落ち今までのように消費をするわけにはいかない。

前提として、見ておきたいこと:
老後負担を考え、全体的には消費マインドは下方へ向いている。
逆に、子供の独立で家族負担が少なくなり、
可処分所得が増える可能性も見ておく必要がある。


B.団塊世代の今後の消費パターン:

今後は、「上記1」の人が新しい消費をつくっていく。
以下、団塊世代の消費に関する仮説である。

1.プラス点:
団塊世代の新しい需要創造

こだわりのQ(旧)世代の思いとは?

・ポイント1.今まで出来なかったことをしたい/できる。
(若いとき、子育て画大変で、時間がない、お金がない、こころのゆとりがない・・・
で出来なかったことをする)

・ポイント2.定年を契機に新たな挑戦をする/したい。
(自己啓発、趣味・・・)

例えば・・・・・

ゴルフ、
旅行、
投資、
ボランタリー、
コミュニティ活動、
PCサーフィン、

等々である。

但しこのポイント1、2は要注意である。
一時的に退職金等から消費は伸びるが、
将来は老後不安等への備えで消費は鈍くなることが予想される。


2.加齢で必然的に増える支出

医療、
サプリメント・健康食品、
介護、
シニアリフォーム
(終の棲家として、夫婦二人のライフスタイルに合わせた改造需要が起こる)
等々


3.団塊世代の総需要の減少

例えば、仕事まわり・・・・・

・スーツが減る
(現時点でも、10年前に比べて売り上げが半分に/ジャケット増える、カジュアルが多くなった・・・)

・日経新聞が減る
(自宅ではとらなくなる、会社でも活字世代が減り、徐々に企業でもとらなくなる・・・)

・接待感覚のゴルフは減る

等々

4.団塊世代の隠れた需要

家族への所得移転需要である。

・子供が住宅購入時の支援
・孫へのお小遣い

等々

なにしろ団塊の世代は日本の高度成長を牽引してきた大きな塊である。
いろいろな影響を社会、消費に与えることは間違いない。

C-1.団塊世代の消費特性:

余談になるが、
「消費世代」という消費者行動論の言語がある。
消費世代とは40代のことである。

世帯人数が増え、収入も増えてきて、
食費はもちろんだが、
住宅消費、家具、車、家電、教育・・・など半端でなく消費が大きくなる。
ポイントは、この40代に人口のボリュームゾーンが入ってくると、
異常な?までの個人消費を生みGDPをかなり押し上げることだ。
もう20年前になるのだが、
高度成長の後期に体験した日本のバブルは、
団塊世代が、40代・消費世代になって旺盛な消費をし、かつ当局の金融緩和も手伝って起きたとされる。

何が言いたいかというと、
団塊世代は半端ではなく凄い世代だということである。

しかし、厄介なことも多い。
団塊は紛れている?

人口動態的には大きい。
団塊世代が20,30,40、50代前半までなら、
生活に必需なものを買って生活を豊かにしたいので、皆似たようなカテゴリーの商品を買う。
ボリュームゾーンがあり、まとまったマーケティングが可能になる。

但し、いまの60歳前後の団塊世代はハードの年齢ということではおおきな塊であるが、
中は分散が激しい。
健康状態、収入レベル、したいことの多様性、家族構成、仕事の地位、
等々バラバラである。

つまり、まとまった商品・サービスをマス生産・販売することは不可能である。
商品ロットは極めて小さくなる。
収益効率は悪くなる。

団塊世代の分散した、細分化された新セグメント(ターゲット)に対して、
そこが要求するこだわりのある商品・サービスをマーケティングしていかなければならない。
商品開発の手間は掛かりそうだ。
しかもロットは小さい、ライフサイクルは短いかもしれない。

しかし、その制約条件で儲けなければ成らない。
シニアマーケティングは結構大変なのである。

C-2.団塊ジュニアの消費特性:

団塊ジュニアは、言うまでもなく団塊世代の子供たちである。
今、30代前半-半ばである。
これが5-6年もするといよいよ40台、消費世代に入り始め、
ミニバブルを起こすことになる。

但し、この世代は団塊とは違い、標準世帯という家族構成が少ない。
子供二人の一家四人の家族も少なくなっており、子供一人という世帯も多い。
独身も多い、単身一人世帯も多い。
例えば、首都圏の単身世帯は20-30%にも達する。

つまり人口的な塊は多くても、家族というかたまりでは父母世代の団塊世代と比べるとかなり迫力を欠く。
しかし人口の多さは何といっても魅力的である。

また豊かな時代に育っており、個人の志向、好みがまちまちである。
他人と比べてものを持ってる、持っていないといことにこだわらない。
あまり見栄を張らない。
以前の団塊マーケティングのように、
似たような商品をマスで売るような展開はなさそうだ。

ひとつの商品で、50億円、100億円というようなものは成立しにくい。
仮に瞬間的に売り上げが立っても、なかなか長続きしない可能性が強い。

但し、団塊ジュニアでは、
親である団塊世代の母&本人である娘、場合によってはその子供の三世代目の3者の組み合わせ消費という特殊な消費形態も期待できる。

D.結論:(仮説!)

結論は、マクロレベルで見れば、団塊世代(&団塊ジュニア世代)が定年を迎えると日本全体の消費は落ちる。

但し、マーケティングはミクロで見なければいけない。
企業レベルでは、団塊世代は大きな存在なので狙わなければいけない。
日本経済への団塊世代の縮小影響とは関係なく、ターゲット化しなくてはならない。

企業にしてみれば、団塊世代は極めて魅力的な存在であることには間違いがない。
マクロの国民経済では、消費は落ちる。
しかしミクロの企業活動はいくらでもチャンスが増える。

この稿おわり




■ ピンポントターゲッティング、棄てるということの魅力とは!

2009年06月07日 | Weblog
■ ピンポントターゲッティング、棄てるということの魅力とは!

人を排除する、拒否する異端のマーケティングの勧め

A.棄てるマーケティングの事例:

2つ、事例をあげる。

1.人を棄てる/人を絞る:

・ジンジャー
(幻冬舎の女性誌、4月新発売である。
ターゲットは30歳、「大人の女の子」という訴求ポイント)

・フォーエバー21
(この連休に原宿で開店。
いつまでも21歳のあなたに/1万円で上から下、バッグまで揃う)

2.機能を棄てる/機能を絞る:

・ポメラ
(キングジムがだしたデジタル文字打ち機
/インターネットはできない、通常のPCに入っているソフトもない、
外で長めのメモを取りたい人に絞る)
機能を棄てるということは、結果としては人を絞るということになる。

これらのポイントは「棄てるマーケティング」である。
棄てるということは、わかりやすくするということである。

これらの棄てるという話を聞いた時の人の反応は、以下の3つになる。

■ポジ反応:
それこそ私の欲しかったものだ!

・・・ピンポイントではまる!即、購入行動が起こる。

■中間的反応:
ほう!、割り切ったものだな!
ちょっとやり過ぎ/ちょっと物足りないかな?

・・・しかし、どんなものか見てみたいな!
即、店へ、ショールームへものを見に行く!

■ネガ反応:
私とは関係ないや!
何だ人を排除して!
即、怒る、気分を害する!

と・・・いろいろな反応が起こる。

どれも大成功である。
ネガも立派な反応である。
平凡で、何の刺激も与えられず、何の反応もないよりはるかに成功である。

B.棄てるマーケティングの効果:

共通していることは何か!?
ターゲットとされようか、されまいが皆、印象に残るという事である。
その話を記憶してしまうのである。

一見してターゲットと関係ないとされた人でさえ、
WOM(口コミ)が生じてしまう。
人に話題(ネタ)を提供してくれるのである。

このわかりやすさが面白しろさがあって、マスコミも取り上げてくれる。
ただで広告をしてくれるというわけだ。

棄てるマーケティングで、
仮にターゲットが狭くなったとしても、日本は人口がめちゃくちゃ多い。
その狭いターゲットでも十分に購入者は出てくるのである。
収益は結構あがる。

しかし、本当のヘソは違うところにある。
タ-ゲットは狭めても、ターゲット以外の人には売らない、買ってはいけないということではない。
話題になれば、その周辺の人も反応して買う。
棄てることで、
むしろ強いメッセージが生じるのである。

ターゲットに関しては、巧みな仕掛けが織り込まれている。

・ファストファッションの「フォーエバー21」は21歳に限ったということではない。
21歳ということへのこだわり、ノスタルジーがある人は皆大歓迎ということで、
実際のターゲットは極めて広いのである。

・新スタイル誌「ジンジャー」も同様である。
30歳はひとつのシンボリックメッセージである。
30歳というひとつの節目に焦点をあわせ、
その周辺にいるこだわりに訴求しているのである。

C.棄てるマーケティングの本質的な意味:

棄てるマーケティングには、もともと排除するという意味がある。

この商品は、サービスをこのような人には
”売りたくない”という、
拒否のメッセージを送っているのである。

この商品に、サービスに合わない人はこんな人です、
と排除感をだし、それ以外の人は皆OKですよ!
という「大きなターゲットフレーム」を提供するマーケティングなのである。

言い換えれば、排除するという強烈なメッセージを送り、
非関与者をなくするマーケティングある。

運良くターゲットにされた人も、排除された人も皆、否応無しに関心を持たされてしまうのである。

確率論的にいえば、関与者全体の中から、
即ち、
完全排除、中間排除、周辺排除者(ピンポイントではない周辺の人)の大きな塊の中から、
確率的に利用者が生じて来るのである。
要は、結果としてあいまいなコンセプトよりも、
むしろターゲットは広がり、売り上げも増えるということになる。

「棄てるマーケティング」とは、

言葉は悪いが、正に人を差別する。
良く使われる差別化というマーケティング言語を、人次元でおこなうという、
冒険的な、極地にある方法論である。

「差別化マーケティング」の中の、異端ではあるが、実に本質的な方法(態様)である。

この稿終わり




■ GMの破綻、まもなく破産法適用へ

2009年05月31日 | Weblog
■ GMの破綻、まもなく破産法適用へ

世界の車産業を牽引し、20世紀の資本主義を先導し繁栄をもたらした、
あの世界一の製造業GMに破産法が適用されるという。
(‘08の生産台数ではトヨタが世界一であるともいわれる)

A.なぜGMは破産したか?

日経新聞のコアラムに面白い記事があった。

アメリカのBIG3のトップにインタヴューする。
このところ財務出身の社長が多い。

BIG3は、大組織になり、全体をお金という共通言語で見ざるをえなくなる。
大きくなりすぎて、必然的にそうなる。
企業はなんだかんだいっても最後は金銭換算で評価される。
ROI、ROE,・・・といった経営のインデックスを用意してこれでもか、これでもかと評価する。
収益をもたらす車のことは補足説明で若干擦れられるだけである。

BIG3の社長にインタヴューすると、売り上げが上がる、利益がでる・・・
という話はよく出るという。

しかし、車の話がでない。
こんないい走りの、こんな便利な、こんなエコの・・・・・、
低所得国へこんな車・・・・、
とう熱い車の話はとんとでてこないという。
ニューヨークの金融会社の社長のインタヴューのような感じなのではないだろうか。

数字が目的になる。
車産業の本来の目的は、
いい車をつくって社会に供給し、生活の便利性、進歩に貢献する、
車を、ドライブを楽しむ、
というもののなずなのだが。

いい車の定義、時代にあった車の中身に言及することはないという。

すべては金銭換算の話に終始してしまう。

そのようなことであれば、会社全体が車への熱意を失っていく。

車が好きで、いい車を作ろうという人材が枯渇して、技術は蓄積されず、
世の中の進歩に資するような車を作ってやろうという気持ちなどはでてこない。
要するにモラルの低い組織になる。

コスト意識をもって収益体質を目指す
という範囲を超えて、「利益を上げる車」ということが自己目的化してくる。
中長期的な車の収益を考えるのではなく、短期の短絡的な収益を考えることになっていく。

車屋魂は死語になる。
エコカー、低燃費、低コスト、小型・・・・
といった時代の社会のトレンドに沿うマーケティングはとんと進まなくなる。

大きな組織のエネルギーを最良のミッションへ向かい糾合して、
社会に貢献し、会社の利益もあげる、ということにならなかった。
世界最大の製造業も、使命があいまいで、社会の役に立たないということになれば、
市場から退場することになる。
資本主義の現実は厳しいものである。

ここに、一時的に政府が支援してお金をいれても、それは一時しのぎに終わる。
債権者を保護することはあっても、企業の再生は、今の技術・人材・マネジメントノウハウでは、
とても無理ということになる。
破綻作業を粛々と進め、いかにソフトランディングさせるかということになっていく。

B.日本の社長の熱き語り?!

さて、一方の日本企業である。

日本企業では、トップが熱く車の話を語るという。

環境対応車、車のデザイン、軽自動車の意味、・・・・
経営環境に対応することで社会に必要な車会社になり、
結果として、収益が生じる。
車を作る会社のミッションを踏まえて頑張っている。

その姿勢を何十年も続けてきた会社とそうでないBIG3との差の明暗が、
ここへきて明確についた。

アメリカのBIG3は金融会社になってしまっていた。
GMがここまで悪くなる前に、
実は収益の大半は金融収益によるものという期間が長く続いていたという事実があった。
実はGMはかなり前からおかしかったのである。
景気がよければ、販売がそれなりのシェアで取れ、そこから金利収入がうまれる。
ローンの未払いもなくきちんと利益があった。
また、ゆとり資金は、財テクでそれなりの運用益がとれた。
その構図がこの超バブル崩壊で、すべて崩れ去った。

現場をわすれたコンピュータ上の数字だけを追うPC経営は破綻をしたということである。

「くるま屋さん」はくるまで勝負しなくてはいけない、
という当たり前のことを痛感させられる出来事である。

結局は資本主義なので、最後は儲かって何ぼ!で勝負がつく。

儲かっているるときは、だれも非難はできない。
車がどうのこうのということは関係なく、企業の資本の論理が一人歩きする。
車でなくてもGMが化粧品を売って儲けてもいいのだ。
ここまで極端ではなくとも、車のラインはそこそこ動いて稼動していれば、
金融でもうかればいいことになる。

繰り返すが、
車づくりは目的ではなく、お金を儲けるための単純な手段になってしまってた。

C.マーケティングの原則とは?!

USTR(米国通商代表部)の元高官はいう。

当時、日本車輸入へのバッシングをしていた、クリントン政権下の話である。
アメリカにBIG3を助けようと国家を挙げてのエネルギーに満ちていた。

今は違う。

重い状況にあるBIG3は退場しかないという雰囲気である。
時が変われば、ムードもかわる。

そのときから15年間。

その執行猶予は終わったが、本当の刑期を迎える時を迎えてしまった。
この15年間GMは米国国民を裏切り続けてきた。
製造業としての改革を何もしてこなかった、

その高官はいう。
国民はもうあきらめたということらしい。

マーケティングに基本は生活者ニーズである。
ニーズとシーズが融合した、いい商品が供給できて、社会に貢献できる。
その結果として、収益がもたらされる。

マーケティングの原則に沿わない会社には市場からの退場、
という厳しい現実しかない。
世界一の製造業でもこのマーケティング原則には逆らえない。

しかし、この原則が、まさか
世界一の製造業、
資本主義の最もシンボリックな企業に、
アメリカの企業に
適用されるとは!
時代のパラダイムムが変わったという他はない。

この稿おわり

追記:

GMの破綻は、車産業のパラダイムが変わるということの象徴として、
起こったと考えるべきであろう。

公共交通機関の活用、
カーシェアリングの台頭、
本格的な環境車へのシフト、

車産業は次世代へ向かって激しい陣痛のときがつづく。




■ アメリカのバブル崩壊!日本のマーケティングはどうなる?

2009年05月24日 | Weblog
■ アメリカのバブル崩壊!日本のマーケティングはどうなる?

今回の秋以降の恐慌にも似た超バブル崩壊は、アメリカ発の金融恐慌である。
日本の企業に、マーケティング活動に致命的な打撃をあたえた。
各消費財関連企業でも、
通常のマーケティングセンスではどうすることも出来ない状況に追いこまれた。

この1-3月のGDPは態昨年15,2%の落ち込みである。
これは比較的調子の悪くない食品など前年並みを維持している業種を除くと、
30%近い落ち込みということを意味している。
工作機械の一部では、受注が70-80%減とも聞いている。

以下、今回の準恐慌のてん末を整理、総括しておきたい。

A.今回のバブル崩壊の萌芽(終わりの始まり)

80年代。
当時のソロモンブラザーズは、
投資銀行の中で後塵を拝していて、
何か新しい金融商品をつくらなければ、
そのポジションを維持できないジリ貧の状況にあった。

当時のグッドフレンド元社長、
モゲージ債というものをつくった。
当時の住宅ローンという借金(ローン会社からみれば住宅債権)を
自己資金で買い集めそれを様々なタイプに分類、再編成して、
優良な新しい債権に仕立て上げ売り出した。

自己勘定取引の始まりである。

モゲージ債は、適切な投資先、運用先として一斉を風靡した。
何しろリスクが分散されていて、借り手が個人で責任のある生活者であり、
着実に借金を返してくれる人である。
その借金返済義務を担保として作られた新しい債権である。
こんな安全で間違いない債権はないという触れ込みであった。

モゲージ債は、
・安全で、
・それなりの金利をとれ、
・債権相場では優良債権として値上がりする、
と人気をあつめた。

年金資金など巨額の資金が運用先を探しているという絶好の間合いもあった。
跳ぶように売れた。

B.ソロモンの宴:

自己勘定取引、モゲージ債。
ソロモンの社員は金融界の最大の発明として自分の超高収入への期待と
ダイナミックなビジネスに身をおいていることへの感激をかみ締めた。
大規模なトレードルームは繁栄の象徴だった。

ソロモンのグッドフレンド元社長は、
この取引を先導して、見事なソロモンの収益の向上を実現し、
ソロモンを業界のトップに躍進させた。
グッドフレンド元会長は、
投資銀行(日本で言えば証券会社)業界の中でカリスマと称えられた。

しかし、成功の裏におおきな問題が起きていた。

1.この方法は他社も真似をする。次の手を打たねば成らない。
つぎからつぎへと新金融所品を編み出さなければならなかった。

2.また、内部的にも重大な問題が起こった。
モゲージローンを作った若手が自分の報酬にたいする不満をいいはじめた。
グッドフレンド社長は、
思い上がるな!
会社のお金で収益が上がったのだと!
説き伏せた。
しかし、他社がモゲージローンの秘密を探ろうと、
若手を高額でスカウトするような動きに出ていたのである。
成功報酬導入は時間の問題であった。

3.何といっても最大のリスクが生じていた。
レバレッジの額の増加が半端でなく大きくなってしまったことである。
さすがに内部からもやりすぎという声が聞こえてきた。
しかし、儲かっている中でのその声はたちまちかき消されていった。
発言者は会社を去ることになる。
だれもがこのいい状態が続くと信じていた。
また信じざるを得ないといういう気持ちだった。

会社の中で組織で、その社風でやっているときにはリスクが見えなくなっている。
よくある話である。
お金が嫌いな人はいない。
自分がもうかればよいという気持ちもあり、この暴走を止める人はいなかった。
超高額報酬で人材を雇い、どんどん青天井であがっていった。
一時期は会社の利益より多額の報酬をとった人もいたという有様である。
利益を追うこと、報酬が上がるということに集中したマネジメントの仕組みができてしまった。
報酬はスパイラルで上昇していった。

このアメリカの金融バブルの10年で各投資銀行は10倍もの規模に成長していた。

C. 超バブルの崩壊:

いま、アメリカの金融の暴力が白日のもとにさらされ、
いままでのアメリカの経済が金融デリバティブをバックにした超バブルだったことがわかった。
因みに、アイスランドは国家をあげての金融の天国をつくり、世界中からお金を集め、
そして破綻した。
80年代は、世界のGDPと金融市場の総額は同額であった。
それが今回のバブル崩壊時には金融市場の方が4倍になってしまっていた。

今、30年前のモゲージ債が償還時期を迎えた。
しかし、その主役であるソロモンは既に買収されて、もはや存在しない。

バブルが崩壊して、反省、悔恨だけがのこった。

自己勘定取引の何が問題だったのか?
自己勘定取引はエスカレートし、公平なゲームではなかったという。
様々なエリアの種類の債権を買い取り組み合わせて、マージンを乗せて
複雑で新しい証券を作った。

・もともとの債権とは何か?
細かすぎてどんなものが混ざっているかは誰もわからない。
それをつくった担当者本人とそのチームだけが知っている。

・そこにつけられた金利には妥当性があるのか

格付け会社がそれを優良と認定し、それを疑うものはいなかった。
誰もが正しいと信じた。
(元ディーラーの証言)

D.金融崩壊、最大の要因レバレッジの本質:

自分で債権を買い集めるためには借金がいる。
銀行から、株式市場からお金をあつめた。
レバレッジという。

自己勘定取引がエスカレートして、レバレッジなる言語が当然のごとくに錦の御旗となり
金融取引を拡大させてしまった。
最近リーマンが倒産したときは何と自己資本の40倍ものレバレッジをしていたという。
90年代後半になると普通の銀行までが、この金融バブルに参加していた。

レバレッジといえば紛れて特殊な言葉のようだが、要は借金である。
右肩上がりの時にはOKだが、一度下がり始めるとアウトである。

純粋な仲介で市場からお金を集めて、その企業の発展に寄与するというソロモンの設立当初の初心からは程遠い金融システムになってしまった。

少し経済の様子がおかしくなると、過大なレバレッジによる自己勘定取引はみるみる馬脚を現し、
崩壊していった。

E.バブリーな金融取引、そのあやしさとは:

ここで、冷静になって考えてみたい。
自己勘定による新債権は、もともとの借金(債権)が元になっている。
このもともとの借金がきちんと返済されるという保障がなければ何の意味ももたない。
その新しくできた債権は、
何をかき集めて編集しリスクを分散させたとしても、
それはもともとの借金の質、つまりそのもともとの債権の優良度の上を行くことはない。

アメリカの住宅ローンのひとつ、サブプライムローンのあやしさ。
誰が見ても、どこから見てもおかしいとしかいいようがない。
これが元になった新債権(新モゲージ的な債権)に妥当性があるはずがない。

さらに、格付け会社が提灯評価をしてあおるという有様であった。

今回のサブプライムローンの場合は、他の債権と複雑に組み合わさって、
本質が見えなくなってしまっていた、という側面は確かにある。
日本の私の友人も、健全な投資信託という触れ込みで以前から購入した債権が、
秋以降のバブル崩壊で値崩れしてしまい、1000万円の損を出した。

自己勘定取引、ノーベル賞受賞のブラック・ショールズ方程式、デリバティブ、
成果報酬制度・過大な報酬
等々
はあくまでも手段である。
最後は、それを使う側のモラル・倫理観、使う側の情報分析力等が問われる。

要は倫理観である。
投資銀行の本来持つべき矜持である。
それが今回は大きく欠落していた。
お金に取り付かれていた、お金の亡者になっていたということにつきる。

F.買う側の責任とは?!:

買う側の態度も重要である。
金融商品を作る側だけ責めてもだめだ。

金融商品を買う、金融取引を行う、
というときには、
以下のポイントが理解されなければリスクを覚悟しなければならない、
と肝に銘ずるべきである。

根本的なポイント:
・全世界的な危機が生じれば紙くずになるということ。
・もともとの債権が優良でなければいつでも紙くずになるということ

購入時のポイント:
・買い手にその債権が優良であることが納得できる情報がなければ、
その金融商品はリスク商品と同義であると考えること
(情報がなければ買わないことである)

保有時リスク:
・その新証券をしっかり管理して、売るという処分を最適時に実行できる
自信がなければ買わないこと
・損切りする勇気をもてなければ買わないこと

元ディーラーは証言している。
年金をはじめとする機関投資家なんて素人も同然だったという。
ましてや証券会社の窓口にくる一般投資家においておやである。

情報の公平性はなかった。
一部の人にしか新しい債権の内容をわからなかったのである。
一見してプロらしくしている銀行マン、証券マンでさえそれが優良かどうかわからずに取引していた。
世の中全体がダウ1万ドル超で浮き上がっていた時代である。

ソロモンのグッドフレンド元社長は証言している。
金融界には賢い人はいない。
賢かった人は皆外部の人だった、
金融界の人は皆強欲で、自己演技が強い人だけだった、
と。

この稿おわり


追記1:

CDOとは、
レバレッジのお金を使い、債権を集めてつくられた新しい債権は福袋のようなもの。
中に何が入っているかが全くわからない。
ジャンクなものから、素性のわからないものまでごちゃ混ぜにして、
リスクを覆い隠して質の悪い福袋にすることもできる。
今回は、結果としてはそのようなことになってしまった。
モゲージ債に端を発し、増幅してきた自己勘定取引は、実は中身の薄い、はずれの福袋だった。

それにしてもサブプライムローンというのは筋が悪い。
皆がそれに踊らされた。

追記2:

ゴールドマンサックスの話。

ゴールドサックスマンは、最高のエコノミストを擁し、組織力で世界中から情報を集め、
どこにチャンスがあるかを嗅ぎ取り、(成長分野はどこか)そこに投資する。
また、そこにある有望債権を他の国に持っていき利鞘をかせぐ。
ゴールドマンサックスは個人のトレーダーのつき、センス・・・というより、
組織力で基盤を作ってきた会社だという。

買収されたソロモン、つぶれたリーマンとは違うという。

末期のリーマンはビッドになるとどこでも、ハイリスクな取引にほとんど勝ってきたという。
バブルという枠組みがあるうちはまだよかった。
バブルという利益が出る枠組みがあるうちは、リスクがあってもお金を突っ込んでも儲かるからである。
しかし、そのようなことが長続きするはずはない。

今期ゴールドマンは、黒字になるともいわれる。
最悪期の秋冬を過ぎ、時価会計が変更され、見かけの黒がでるらしい。

もしかしたら、この秋以降の相場が下がる局面でも儲けていたかもしれない。
転んでもただではおきない・・・・・?


■ 結婚問題と消費意識・マーケティングへの影響

2009年05月17日 | Weblog
■ 結婚問題と消費意識・マーケティングへの影響

女性が結婚しない、あまりしたがらない理由とは?


Z. まず、問題提起!:

いろいろなマスコミ報道をみていると、
結婚問題になると、どうも女性のほうが主導権を握っている感じがある。
女性は、なぜ、かくも強くなってしまったのであろうか?

結婚しない男女が増えると社会が変わる。
消費、マーケティングにはどのような影響があるのだろいうか?

以下、ランダムに列挙する。

・子供がうまれない。
いわゆる少子化社会になる。
中・長期的には、労働人口が減る。
それは消費人口が減ることを意味している。
国民経済的には個人消費が減ることになる。

また、高齢化社会になり、高齢者への社会福祉負担が増え、
かつ、人口が少ないとなると現役世代への自分への投資シェアがますます減ってくる。
一回、国に富が吸収され、高齢者中心に再配分される。
若い現役世代の消費が減ることは大きい。
可処分所得の中で、特に40台の消費世代(衣食住情・・・の消費が最も盛んになる年代を指す言語である。)での個人消費が減少することは大きい。
シニア層に再配分された富はすぐ消費にされることはなく、
一回は貯金という金融間接部門へまわされる。
末端の消費がへればGDPは減少する。
(イコール輸出依存体質は一向に改まらないことになる)

・家族消費が減る
結婚しないと、家族という単位が間違いなく減少する。
家族消費は減る。
身近なところではファミリーレストランは厳しくなる。
居酒屋の家族利用は減る。
家族旅行という概念がなくなる。
標準世代(夫婦子供二人の四人家族)がどんどん減り、
3-4人分入りの調味料、食品が減り、1-2人入り容量のものが増え、
マーケティンコストが増えて企業収益を圧迫する。
子供への教育費が減る。

・女性の消費が増える。
家族を考えて、いざというときのために蓄えをする、
大きな買い物をするときにあらかじめ貯金をする、
という制約がなくなり、
欲求が生じるがままに消費をすることが増えてくる。

例えば、女性を磨くための消費が増える。
一般的に女性は家庭に入り主婦になると、
「いい女」になるための消費を減らしていくことが多い。
結婚をしないで、独身をつづけると、
例えば、エステ、旅行、自己啓発、高級化粧品、ファッションなど、
アラサー、アラフォーの消費が豊かなものになっていく。

・個人の持ち物が増えてくる。
大きいところで言えば、マンションである。
女性が自分の城をマンションという購入で実現する。

物事を単純化して考えると、
家族で80平米のマンションを買うよりも、
男女が結婚せずに、二人が別々に60平米のマンションを買うほうが、
消費は大きいということになる。

いろいろなことがあるが、要は財布の紐がゆるくなる。

結婚が少なくなることは、いろいろな影響を与える。
消費が自由に、のびのびとしてくる「正の影響」と、
家族減少社会に加えて高齢社会がもたらす「負の影響」
とが微妙に交錯してくる。

即ち、消費・マーケティングのあり方も大きく変わらざるをえない。


さて、結婚の話にもどる。

A.結婚しない男の事情:

ある番組での発言。
女性から見るに、
男が草食化しているらしい。
迫力がない、
迫ってこない、という。

男がフェミニスト化して、妙にやさしいという。
これも別の番組で見た話だが、
環境ホルモン(外から体内にはいった化学物質が自然のホルモンのような振る舞いをして男性化の方向をブロックする)のせいなのか、
男性の精子の密度が少なくなっているのだという??

責任感が妙に強いのか、弱気なのか?
負担に対してリスクをとりたくない。
女性の人生を背負うのが怖い、という感じがある。

相手が鬼嫁、場合によっては離婚される・・・・・
というリスクがあるとも考えているようだ。
極めて草食的なのである。
今の男子には、声をかけたい、こころをときめかしたいという雰囲気がないらしい。

B. 結婚しない女の事情。

仕事が忙しい。
仕事が面白い。
仕事でキャリアをつみたい。
収入を捨てたくない。

結婚したら、収入が減る、
子供が生まれたら、仕事はやめることになる。
/キャリアが途絶える。

社会が未婚を変な風に見ない。
本人も自由を謳歌して気にしない。
親からのプレッシャーがない。

恋人同士の気楽さの方が良い。

結婚したら、だんなに気をつかうのが大変そう。
逆に変に気を使ってほしくないし。
だんなの親戚、親との付き合いも面倒そう。

意外と保守的である。
今の生活パターンを崩したくないというのが本音のようだ。
今の生活パターンを崩してまで結婚したいという男子がいないということでもないようだ。
結構いい男子がいても、結婚となると面倒くさい、
ということらしい。

社会的に強くなって、ひとりでも寂しいとは思わなくなった。
また、世間に独身が多くなると、同じ生き方の仲間がいるということで
妙な安心感がでてきてしまった。

C. 結婚の必然性の喪失:

結婚相手がいない訳ではない。
恋人もいる。
結婚しなくても不自由はない。不都合はない。
セックスには困らない。

今は、強制感がない。
昔は親が決める、
社会から変に見られる、その切迫感で妥協して結婚していた。
今は、自分の好み、タイプがいないかと、選べる時代である。

あえて、昔風に言えば、言い意味で自分の分をしって男に尽くそうとは思わない?
女性の特権をいかして、自由に男を翻弄するかのような気分さえある。

客観的な結婚拒否の理由はいろいろとあるが、
周囲の結婚への強制力が働かない中で、
結婚する必然性は、
唯一自分の結婚したいという意志ということになる。

要は、「結婚願望がない」(一所懸命に結婚しようとは思わない)ということが、
最大の未婚者増加の原因である。

しかし、しかしである。

30歳を越えて、40歳の声を聞くと、
デートのオファーがとたんに少なくなるらしい。
友人は結婚している。子供なんかも出来て何となく楽しそうにしている。

40歳になり、仕事、私生活にストレスが生じていろいろと悩み始める。
さみしくもなるらしい。
年齢を重ねると一人で生きていくことのつらさ、寂しさが募ってくるようだ。

結婚について言えば、なかなか簡単には割り切れない問題を含んでいるようだ。

D. 結婚の目的(意味):

結婚の目的とは何だろう?

・まず、好きな人と一緒にいたい、
という素直な気持ちがある。

結婚の目的のひとつに
夫婦の愛情を深めるということがあるのは間違いはない。
しかし、夫婦の問題は個人の問題である。
どう捕らえるかは、個人が自由に考えればよい。

次に、ざっくばらんな話になるがセックスがある。
セックスは、夫婦の間の子供を産み、子育てをするという使命を意味している。
しかし、子供を産むだけなら結婚は必要ない。
むしろ子育てにこそ結婚の意味がある。

結婚の目的の二つ目に、
家庭(巣)を築き、子供を育てる状況を作ることがあるならば、
子供をつくり、育てる負担・マイナス点とプラス点の比較考量ができ、
明らかにプラス点が勝るような政策的なインセンティブを用意する必要がある。
特に少子化問題と絡めて結婚問題を捉えるならば、
極めて重要な政策課題になる。

いろいろな結婚観があるが、
それぞれの結婚観を見守るコミュニティの包容力が必要である、
また、社会的・政策的な支援をすることも必要である。

昔は社会の規定、親からの圧力で強引に結婚させられた。
結婚は大前提で、その中で夫婦の関係をつむいでいった。
強制力がない分、結婚したくない人が結婚しないのは当然である。
昔、本当は結婚したくない、相手との相性が悪い、わからない時でも、親の進め、社会の目線で結婚してしまうことも多かった。
今は、自分が納得しなければ、結婚しない。
従って、今が一概に結婚率が低いとはいえないのではないか。
もしからしたら、愛情のある、相性のいい結婚率は、今も昔も同じかもしれない。

追記:

結婚を統計でみる。

1.第二次大戦直後は、全結婚中に閉めるお見合い婚率が60-70%であった。
いまは10%前後である。
いまは社会的に強制され、お見合いで結婚ということがない。
従って、個人の結婚観が素直にでる。
気の弱い人は男女の付き合い、結婚にびびる。
その気のない人は結婚しない。

2.収入が少ない人の構成率が多く、
男の収入をみると200万円位が一番多い。
今のけいざい情勢では、収入がふえる見込みはないという。
400万円超は全体の2-30%である。
このままでは子供も産めないという。
実際に低収入の非正規社員の方が結婚率がすくない。
実収入が低い、将来の安定収入も心配(男女とも)だという。

3.面白い統計もある。
経済成長率が高いと初婚率が高くなる。
経済がどんどんよくなるという実感がないと、
結婚して家族を養い、いい暮らしをさせてあげたたい
という気持ちが萎えるらしい。

経済、社会が成熟すると社会全体に頑張ろうという気分がなくなる。
ハングリー精神を持って、仕事、社会活動に頑張ろうということはなくなる。
従って、結婚して子供を作って家族単位のひとつになろうというい意欲も
なくなる。

今後の日本はどうか?
もはや日本がわかりやすいひとつの方向へ成長するということは考えにくい。
アメリカは移民を受けいれて人口を増やし、高度成長を実現する。
移民は消費者であり、労働力でもある。
社会の成長を担う人々である。
だから、アメリカは何だかんだいっても成長する。

これから日本は世界で一番の高齢化社会を迎える。
社会が成長するということはなかなか難しいだろう。

また、個人志向の多様化・個性化で、
個人が自由にいろいろいな分野にエネルギーを分散させる。
昔のように国をあげて、鉄、車、石油に、重点的に予算を傾斜配分し、国を成長させ、
それに伴って、個人の収入が上がり、家を持つ、車を買う、
カローラから始まって、最後はクラウンへと進む、
というような単純線形の成長意欲はなくなる。

結婚しない人。

実は一番正直な人かも知れない。
勢いや、周囲のプレッシャーで結婚してしまうよりは?!

この稿おわり

■ 現代のタイムカプセルが開けられた!軍艦島のノスタルジー!

2009年05月10日 | Weblog
■ 現代のタイムカプセルが開けられた!軍艦島のノスタルジー!

軍艦島に見る伸び盛りの良き日本の姿!
ライフサイクルの終焉という宿命!

A.軍艦島の宿命:

軍艦島。

船から見ると本当に軍艦のように見える。
異様な感じさえする。

軍艦島と呼ばれ始めたのは大正時代からという。

正式名は端島(はしま)、長崎市にある。
海底炭鉱の廃墟である。無人島である。
長崎半島の沖合い4.5KMの、480M×160Mの長方形の小さな島。埋め立てで今の輪郭ができたという。

1960年の最盛期の人口は約5000人、人口密度は80,000人で世界一、東京の9倍もあったという。
江戸時代後期から採掘が始まり、戦後は良質の強粘炭で、日本の高度成長に大いに貢献した。

改めて、高度成長時代とは?
今日より明日のほうがもっとよくなる、生活レベルがどんどんよくなる、と信じて皆が一生懸命に働いた時代であった。
生活・仕事の使命・目的が、線形のわかりやすい時代で、誰もが自信をもって生き
生きと頑張っていた時代であった。

しかし、宴は長く続かなかった。
エネルギーの石油への転換が進み、
60年代から陰りが出始め、
石油を巡るオイルショックの後、
石炭時代を担った軍艦島は幕を閉じた。
1974年であった。
ユートピアは廃墟となる運命となった。

B.軍艦島のよみがえり:

人が去る。

建物は残るがいずれ朽ちていく。
もちろん島は残る。
国敗れて山河あり、である。
軍艦島は、タイムカプイセルに閉じ込められた。

今、35年ぶりにそのタイムカプセルが開けられた。
皆の思い出がよみがえってきた。

35年ぶりの上陸がOKになった。
今回は、軍艦島のごく一部のエリアの見学である。
中まで入り込むのではなく、外から眺めるだけである。
島の建物、坑道は朽ちていく状況に意味がある、
とされ、改修してまで中を見学出来るようにする考えはないという。

産業資源としての使命は35年前に終わった。

しかし、今、観光資源としての使命が始まろうとしている。
また、昭和という戦争と高度成長時代の生き証人?
としての価値を持った。

今、世界産業遺産に登録する動きがあり、
2009年に世界遺産暫定リストに登録された。

軍艦島は最後は朽ちてなくなるが、
20-30年しか続かない世界遺産でもよい、
という発想だそうだ。

人の思い出、記録メディアの中にいきていけばよいということであろう。
日本独特の滅びの美学かもしれない?


C.マーケティング的な意味:

軍艦島には産業として寿命があった。

生きとし生けるものは必ず滅びる。
産業施設も同様である。

夕張炭鉱も朽ちた。
その後の夕張市は残ったが、
全市民を養うだけの価値・使命を持てずに負債を背負い破産状態となった。
結局は、社会にとって価値のある使命がなければうまくいかない、
退場するしかないという厳しい現実がある。

軍艦島は1974年に廃止になり、人は撤去して清算された。
実に潔い最後であった。

あと腐れのない始末をしたというべきである。
逆に言えば、軍艦島は離れ小島であり、あくまでも仮の住まいだったのかもしれない。
石炭というエンジンで動いていた特殊なユートピアだったのであろう。
エンジンがなくなれば止まり棄て去るしかない運命だったというべきかも知れない。
住民は新しいエンジン(使命)を見つけるという選択はしなかった。

夕張は、市民生活が定着しており、街を廃棄し移動するという選択はありえなかった。
しかし、新しいエンジン(使命)をなかなか見つけられなかった。

旧エンジン(使命)がなくなっても、
別のエンジン(使命)を持てば蘇る。

マーケティングの鉄則である。
企業は、サステナブルで続かなければならない。
商品は、ロングセラーを目指さなければならない。
もちろん廃棄、廃止という選択もあるが、
一般論としては、新しいエンジン(使命)を持って頑張るのが鉄則である。

この稿おわり

追記:

話は、時間をさかのぼる。
軍艦島とはどんなところだったのか?

日本で初めての7階建高層鉄筋コンクリート住宅、
65棟あって、傘なしでも全棟を歩けたという。
第二次世界大戦中、国内では物資統制があり、軍艦島だけが鉄筋コンクリートが許された。
狭い島で高層住宅しか住居を確保できなかったからである。
幹部宅は一階建木造住宅であった。

この狭い島は社会の縮図。
学校、警察、病院、保育所、郵便局、寺院から、
遊興施設まで整備された。
海水プールがありそこで泳いだ。
映画館、パチンコ屋、雀荘もあった。

水道などユティリティはただだったという。

島にないものはない、
正に、閉じられたユートピアだった

日本の良き時代・高度成長を体現した場所、
縮図・ミニチュアだった。

軍艦島では、まるで劇画のような、生き生きとした生活が営まれていた。


■ 宇宙飛行士誕生秘話、宇宙飛行士の覚悟・ミッションとは?

2009年05月04日 | Weblog
■ 宇宙飛行士誕生秘話、宇宙飛行士の覚悟・ミッションとは?

09‘2月25日、2人の日本人宇宙飛行士が誕生。
今回は、宇宙飛行士と覚悟・ミッションマーケティング話。

A.集結した10人のエリート:

NHKのドキュメンタリー番組から。
宇宙航空研究開発機構(JAXA・ジャクサ)が選抜試験を実施した。
過去最多の963人の応募があり、当番組は最終選考に残った10人のドキュメンタリーである。

応募者は宇宙へ行きたい、スペースシャトルに乗りたいと願い夢を抱いて試験に臨んだ。

09‘年初頭、女性一人を含む最終選考の10人が、ある場所に終結した。
ペーペーテスト、精神科医からの資質試験
等を経て残ったエリートたちである。
理科系、語学力が基本条件。
社会人としての実績などが加味されて
10人が残った。

年代は30代である。
パイロット、医師、科学者・・・
自衛隊、海上保安庁、民間航空会社、べンチュア企業・・・と所属組織は多様である。

最終選考では、
宇宙空間を模した閉鎖空間に一週間入り込んで過ごす。
一挙手一足動すべてが専門審査員に監視される。

この10人との競争環境の、閉鎖環境のストレスに勝たなくてはいけない。
自分との戦いでもある。

B.宇宙飛行士の資質:

最終選考では、主に資質をみられる。
今回は単純な個人能力ではなく、
宇宙でリーダーを勤められる資質も望まれるという。

与えられる課題はかなり高度のものである。
常人ではとても手のつけられるものではない。

具体的には、どんな資質か?

1.リーダーシップ

様々な部品が与えられる、もちろんプログラムをつくるPCも。
こころをいやすロボットをつくる!という命題が与えられた。

誰が、
切り口をだすか
話を進めるか、
まとめるか

油井さんが最後は出てきてベクトルを決める。
その力が評価された。

2.ストレスへの耐久性

おり鶴一日一時間、4日で100羽が目標である。
飽きずに同じ事をやっていく。

宇宙空間での地道な継続的な作業への精神的な耐性を見る

3.場を和ませる力

宇宙飛行船での共同生活を円滑にすすめるために不可欠の資質である。

特技で皆を楽しませる、という課題が与えられた。
ひとりミュージカルで大西さんが受けた

4.緊急事態への対応力

象徴的な事件はアポロ13号の月面から地球への帰りに起きた電気トラブルだ。
機内のありあわせのものでトラブル解消。
奇跡の生還を果たした。
トムハンクスの映画で有名になった出来事である。

今回は作ったロボットがプレゼン時に出された。
作られた「おみくじロボット」の改善を急に求められた。
制限時間は2時間である。

動きのある動作をいれて見事クリアした。

5.覚悟

アメリカでのNASAとの面接である。
先の宇宙飛行士の土井さんも面接官である。

面接の場にTVカメラが入ったのは初めてという。

質問内容は本質的なものだ。

Q.宇宙飛行士の仲間の命を預かれるかね?

Q.あなたはだれなのか?

Q.なぜ、あなたはここにいるの?

最年少31歳のベンチュア企業の技術者安竹さんは、
これまで仲間の経歴、資質に圧倒され苦戦していた。

面接では一気に挽回したという。
高校時代の恩師の森先生から見せてもらったスペースシャトルのVTRを
一週間何回も聞き、書き写しレポートを見せた。
これが私をここに連れてきたと。
面接官は皆びっくりしていた。
面接官からは、彼がスペースシャトルに一番詳しいかもしれないね!
という冗談もでた。

C.合格者(宇宙飛行士候補)の使命:

なぜ宇宙飛行士なのか?
宇宙飛行士とは何か?
仲間の命をまもれるか?

いよいよ東京での合格発表の日。
480倍の狭き門を突破したのは2人。

合格者は、
全日本空輸副操縦士の大西卓哉さん(33歳)
航空自衛隊パイロットの油井亀美也 さん(39歳)
であった。

合格発表の日、最終先行者10人が祝福で集まった。
皆の寄せ書きが渡された。

宇宙飛行士選抜は激しい競争である。
しかし、最後は競争仲間から祝福されて選ばれなければならない。

そのような人でないと、
宇宙飛行士が持つ、地球・人類の期待を担った大切な使命は果たせないであろう。
宇宙空間で仲間の命をまもることはできないであろう。

基本能力は当然ないといけない。
しかし、最後は宇宙飛行士になる覚悟だという、ミッションだという。

どれだけミッションが理解されているか?
どれだけミッションがDNA的に自分のものになっているか?

が大切である。

D.マーケティングミッションと覚悟:

マーケティングに携わる者のミッションとは?
宇宙飛行士ほどの派手さはない。
テーマも極めて実務的、生活的で細かい。

しかし、改めてマーケティングのミッションを考えてみたい。

マーケティングは、
社会のインフラをつくる生活現場・仕事現場の活力、便利性、スムーズネス・・・、
を創造する大切な分野である。

商品開発、コミュニケーション開発、ブランド開発・・・・

具体的に言えば、
どんなプロトタイプが次世代のトレンドか?
どんな商品が旬か?
どんなシーンで商品の潜在力が一番発揮されるか?
どんなチラシが受けるか?
どんな広告が気持ちをグリップするか?
等々を
考えることである。

社会のインフラの中で生きているのは、仕事をしているのは、生身の人間である。
その人間は大げさに言えば命をかけて生活している、仕事をしている。
日々励み、ストレスを感じながら一所懸命生きている。

そこに関与するマーケティング担当者・企業は、
やはりそれなりのミッションを持って、覚悟を持って
コトに当たらないといけないと思う。
責任は大きいと思う。

何しろ、生活、仕事が掛かっている人、企業を支援しているからである。

日々の業務になれてしまい、いい加減になってはいないだろうか。
覚悟を決めて、
最高品質のものを提供しようとの意気を感じてやっているだろうか。

マーケティング担当者として、戒めなければいけないと思うことがひとつある。
末端で生活する人、職場で頑張る人が、
実は最終顧客なのだが不特定多数であるが故に、
いつのまにかお客様を人ではなく物理的なターゲット感覚で見てはいないか?
いつのまにか生身の、夢のある、悩んでいる人としての体温を
忘れてしまってはいないか?
ということである。

消費財企業、小売業者でマーケティングしている担当者は、
企業マーケティングをサポートする広告会社、デザイン事務所、クリエイティブハウスの担当者は、

最終顧客(生活者・仕事者)からどんどん遠くなっているように思うのだが・・・?

不特定多数の生活者、職場の仕事者のことが、
いつしか抽象的な存在になってしまい、
場合によっては忘れられてしまい、
マーケティングの空理空論に陥ることこそ、マーケティングの落とし穴である。

自戒したいと思う。

今、はやりの「インサイト抽出」、「生活文脈志向」という視点は、
この流れの中で考えなければならない、

と思う。

この稿おわり

■ しゃぼん玉石鹸、32歳のイケメン三代目社長頑張る!

2009年04月26日 | Weblog
■ しゃぼん玉石鹸、32歳のイケメン三代目社長頑張る!

製造業マーケティングの原点はものづくり、世のため人のため!

A.父の遺産:

父である先代は数年前に他界した。
なめられる石鹸を作った人だ。

父・先代は、昔、旧国鉄(現JR)から、
車両を普通の石鹸で洗浄するとすぐさびるのでさびない石鹸をつくってくれと頼まれた。

真に体にいい石鹸をつくろう、
なめられる石鹸を作ろうと思ったという。
無添加。
牛の油と天然塩を使っている。
本当に体に優しい石鹸をつくってしまった。
いい石鹸は甘い味がするという。

今でも78歳の元工場長が、石鹸の最終段階ので上がり具合をチェックする。
石鹸のソムリエならぬ、熟成タンクの中へ包丁を入れとろみを確認、舌で味を確認をして、
一週間の石鹸の化学反応の熟成度をチェックする。
通常の化学合成石鹸は4-5時間で出来てしまうという。

しかし、いいものを作ったが、価格はかなり高くなってしまった。
売り上げは大激減、従業員も8人まで減ってしまった。
一ヶ月の売り上げも78万円に減った。
17年間の連続赤字に陥った。

生命保険に入ったという。
いざとなれば、屋根から滑り落ちて死ねばいい。
そのお金で従業員にも迷惑かけずに会社を清算できると考えたという。
三代目の若社長はそのような話を聞いていたという。

父の最大の遺産は出来た石鹸ではなく、製造業の責任者としての矜持である。

B.若社長への試練:

今、日本全国健康シンドロームで、健康・美容大好きブームである。
この石鹸を作った前社長の企業理念が、今の時代がこの会社を蘇らせた。

これで、しばらくは食べていける。
会社はやっていける。

しかし、天は30代のしゃぼん玉石鹸の若社長に天命を下した。

今、父と同じ30代で社長をついだ若社長にも宿題が課せられた。
消防署からである。
消防で使う消化液を自然なものにしてほしいという。
放水して火を消化しても、家の中の家財がまったく使えなくなくなるという。
消化液を自然なものにすれば、家は失われても、家財は後も使える。

液状で、自然のものを!
液状は水分を含み品質に問題が生じるといわれていた。
父は液状には手をつけなかった。

若社長は、700回の試作を繰り返した。
ついに、液体石鹸が誕生した。
もちろん同じようになめることが出来る。

今では売り上げの4割は液状石鹸が占めるという。

父に追いついた。
これから追い抜こうとしている?

C.製造業のマーケティングとは:

製造業の開発投資は、
果たして株、投信、債権、様々な金融商品への投資と比べて見合うものなのか?

製造業のROI,ROEを見るとわかるが、
10年ぐらいのスパンでみると、本当に儲かっているのかどうか疑問ではある。
銀行預金にでも入れていた方が、
いくら低金利時代とはいってもましだった、というような状況のほうが多いのだ。
倒産件数をみればわかる。
個人資産を投げ出してかすかすでやっているというケースも多い。
収益なんて概念はなく、毎日のキャッシュフローにあくせくしているという状況もある。

では、なぜそこまで苦しい思いをしてまで製造業をやるのか?

大もうけしてやろう、という野心もある。
野心とまではいかなくても、
資本主義なのである程度の利益を出そうと思い、多少でも楽な暮らしをしようと思いもある。

しかし、儲けたいだけで製造業をやっているわけではない。

・素朴にものづくりが好きでやっている人も多い。
・ある特異技術があってたまたま製造業に参入した人も多い
・父から事業を受け継いだ人も多い。(中小企業の事業承継である)

要するにいろいろなしがらみから製造業に携わっている人が多いのだ。

自分に与えられた立場を尊重し、運命のようなものを感じて、
いい意味で世の中にものを供給していくという責任を果たしている、
という矜持がある。
責任という意識がつよいのが日本の製造業の現場なのである。

製造業のマーケティングは、
マーケットのニーズを先取りして開発し、生産し、最適価格で、安定的に供給すること
に尽きる。

企業のミッションがすばらしい。
しゃぼん玉石鹸は、製造業の見本のような会社である。

追記:

しゃぼん玉石鹸の社長は、
今でも、7時ごろに一番で出社して早くから掃除をしたりと・・・・・・
三代目の立場をよく理解した努力の人、謙虚な人である。

若社長、頑張れ!

この稿終わり