超コトラー教授。近未来マーケティングのフロンティア、その進化した姿とは!

コトラー教授を超えて、近未来、最先端のマーケティングをINSECT`S,BIRD`SなEYEで展開!

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■ マーケティングのはじまり、猿が人になったときとは?!

2010年01月13日 | Weblog
■ 新年のはじまり、マーケティングのはじまり、猿が人になったときとは?!

実務的には、今週から新しい年が本格始動した方が多いと思う。
そこで、今週は「マーケティングのはじまり」について考えてみる。

A.人類のはじまり:

ある哲学者の問い?

猿が人になったのはいつか?

生物学者、遺伝学者の問いではなく、
哲学者のユニークな問いかけである。
頭の体操として、考えてみて下さい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
回答を明かす前に、
しばらくネアンデルタール人の話をする。

ネアンデルタール人。
3万年前に生存した、今の人類とは別系統の人類である。
その昔、現代人と共存していた時期もあったという。
既に滅んでしまっている。

ネアンデルタール人について、新しい発見があったという。
「貝」の装身具が見つかった。
飾るという文化が既にあったことが証明された。

この発見には、2つの意味がある。

・ネアンデルタール人には、今の現代人の祖先と同等の知恵が備わっていた。
・ネアンデルタール人は、身を飾ることで自己をアピールしようとしていた。
 その飾りが自分の身分、社会的な(コミュニティにおける)存在価値を示していたようだ。
 自己表現の価値、社会的秩序を示す価値である。
 「もの」に情緒的な価値を見出していたといえる。

遠い昔に、われわれの祖先の仲間たちは、
すでに物に対して特別な価値を見出していた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、冒頭の哲学者の問いかけへの回答を示すと・・・・・!

猿が人になった時とは、

”自分の家族・仲間が死んで埋葬し、その墓に花をたむけた時”

である。

この回答は、どのような意味を持つのだろうか。
猿でも仲間・家族が死ねば、何となく悲しそうな顔つき・仕草をする。
しかし、猿は「もの」を利用して、
悲しみの表現を示す情緒的道具として使うことはできない。

花は綺麗だ。
人は、きれいということに何らかの価値を発見した。
猿から人に変わるときに、
新しい人類は、或る意味を花に籠めて、花を死者にたむけた。

美しく咲いている花は、人の情緒的な感情を籠めた価値伝達のメディアとなった。


B.マーケティングのはじまり:

マーケティングも、人が死者に花をたむけたときにはじまった、といっていい。

花という自然なものに無形の情緒的な価値を見出した。
死者に花をたむけるとは、
人が、無形のソフト、ヒューマンという価値を創造し、制御をはじめたことを意味する。

最初は花の香りが死者の匂い、腐臭を消す、
というような機能的な使い方をしたのかもしれない

次に、以下のようなことを考えて猿は人になった?!

・この花は死者が喜ぶのでは?と考えた。
死者は、生前この花が好きだったから?
と思ったかもしれない。

・自分の死んだ家族・仲間を、
この花で、美しく、楽しく送り出してやリたい、
と思ったかもしれない。

・きれいな花もいつかは散るという諦念の感情を、
人の死に掛け合わせたのかもしれない。

猿から人になって、人は自分の感情を吐露したいと強く願った。
その方法として、花をつかう。
もともと植物である花が、人の感情を意味するものになる。
色の付いた鮮やかな色の花に自分の情緒を投影した。

猿が人に変わると同時に、
マーケティングが始まったのである。

マーケティングとは、
一言でいえば、「自分と他人との関係」の価値を考えることである。

ある「もの」にどのような価値があり、
それがどのように人の生活、仕事に潤いを与えるか、
人を喜ばせることができるか、
それを持つこと、使うことが人からどう思われるか、
等々
を考える学問、実務である。

マーケティングとは、人の感情を、情緒を考え、無形の価値を生み出すことである。

繰り返しになるが、マーケティング、猿が人になったときから始まった。

この稿おわり





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絵画の贋作、そのマーケティング、NHKの贋作ドキュメンタリーより

2010年01月02日 | Weblog
絵画の贋作、そのマーケティング、NHKの贋作ドキュメンタリーより

A.贋作というマーケット、その誕生の背景:

絵画は人の心をとらえる、狂わせる。

ある作品がどうしても欲しい、どうしても手に入れたい、
投資として買いたい・・・・・
と欲望が渦巻く。
絵画が好きな人なら、自分にお金さえあれば、
自分の好みのものを集めたい、投資したいと極自然に思うようになる。

名画と呼ばれるもの、また大作家の作品の供給の数は一定である。
しかし欲しがる人の数は限りがない。

贋作の登場する隙間が生じる。
贋作マーケットが生まれる、悪魔の瞬間である。
このマーケットでは年間何万点もの贋作が産み出されるという。

供給数がすくなく、しかも需要は多い中で、有名な作家の作品は青天井で吊り上る。
希少財のマーケティング論理がそのまま通ずる。

世間には、誰もが知っている有名な絵がある。
当然、高い。
また、自分が持つには憚られるくらいのオーラを放っている。
このような絵には、到底手が出ない。

やや低額で、自分の分にあったものを欲しがる。

絵画の愛好家の心理は以下のようになる。

もしかして、
有名な絵画には、似たような構図の類似作品が、
あるのでは、
その作家の、
初期の若いころの作品が、
だれかに与えた隠れた作品が、
旅の行きずりに描いた小作品が、
あるのでは・・・・・
と思いたい、
またそれが安く手に入るのではと思いたい心理が生じてくる。

事実、ときどきではあるが、新しい作品が発見されることがあったりする。


新発見というニュースには魔力がある。
心が踊る。
この心理の隙間に、贋作がすーっと忍び込んでくる。

マーケティングの鉄則がある。
需要がなければマーケットは存在しない。
マーケティング戦略・戦術も存在しない。

贋作は欲しがる人がいるから生まれる。
マーケットが生じる。

話は変わるが、
メトロポリタン博物館の元館長の話が紹介されていた。
生涯見た10万点の美術作品のなかの、実に4割は贋作だったという。
美術に携わるもの、贋作との戦いは避けられないことを意味している。

イタリアは世界の美術大国である。
古代から贋作に悩まされ続けてきた。
軍に贋作摘発の専門部隊がある。美術のスペシャリストが配属される。
イタリアは大観光国家である。
観光の目当ては古代からの遺跡や美術品である。
これらの美術品のマネジメントは国家の大事なのである。
観光という目先の話ではなく、
人類の文化遺産として美術品をしっかりマネジメントしなくてはならないという使命感もある。

B.贋作の意味とは?:贋作商品の作られ方

贋作への需要は大きい。
では、どのように贋作をつくり供給するのか?

贋作とはいっても本物をそのまままねするのではなく、
その作家の画風をまねをして、
あたかもその作家がつくったような絵を描くのである。

かなりの絵心がいる。
素人ではとてもではないが、
価値ある?贋作はできない。

イギリスで有名な贋作事件が起きた。
ジョン・マイアット事件である。

マイアット氏は、
当初は有名作家の絵を単に真似て描いていた。

それに稀代の詐欺師が目をつけ、
マイアット氏を巻き込んでオークションに出品した。
その作品の過去の所有記録を捏造してオークション会社まで謀る、
という用意周到ぶりである。

5−6年間面白いようにオークションで値がついた。
15人もの有名作家を真似した。
ゴッホ、ピカソ、マネ・・・・・。
その間何億円という金が動いたという。
マイアット氏は何かが違うと感じ、良心の呵責にかられていたという。

ついに逮捕の時が来た。
そして実刑判決を受けた。
服役の後、自書で模倣品、贋作を描き生計を立てた。

今、マイアット氏の絵が人気を呼んでいる。
プロさえ見抜けぬ、その腕前に皆が惚れる。
たとえ贋作とわかっていても、
好きな作家の作品に限りなく近いものが観賞できる、保有できる訳だ。
それも格安で。

面白いもので、今このマイヤー氏のサインを模倣した贋作が出始めているという。
贋作の贋作である。

人の欲望は限りがない。

この激しい、飽くなき人の欲求が現代の消費社会をつくり、
もの(金)の所有・使用という幸福をもたらした。
一方では、ものベースでの貧富の差を招いた。
グローバルでの格差も大きい。
また、リーマンショックという金融恐慌的な破綻を招いた。

さらに人類を脅かす大きな問題として、消費社会の負の遺産、環境問題をもたらしてしまった。

さて、絵画の話に戻る。

絵画鑑定は時代とともに進化する。

今は、科学的な鑑定によって、贋作判断がより正確になった。
(例えば、赤外線で下絵の有無、色、線の描き方等々を判定する・・・)
ある日、倉庫の、教会の片隅に放置された絵が大作家の作品と認定される、
ある日、大家の作品といわれていたものが贋作と見破られる、
ということがどんどん増えてくる。
絵画の贋作をめぐる悲喜劇はますます面白くなる?

真正の贋作がなくなる日は来るのだろうか?
贋作者にとってはつらい時代になったが、
人の欲望が続く限りは贋作はなくならないだろう。


この稿おわり

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■ ロビットという名前のロボットの二律背反の宿命?

2009年11月29日 | Weblog
■ ロビットという名前のロボットの二律背反の宿命?

A.素朴なロボット、ロビットの誕生:

TVCFで有名になった。
アメリカのグランドキャニオンに張られた1本のロープをよじ登るあのロボット。

そのロボットを作った人がまたまた快挙を成し遂げた。

飛び跳ねる二足歩行ロボットをつくってしまった。
つい最近まで二足歩行ロボットの難しさが言われていたが、
それを凌駕する技術革新である。

身長38CMの、かわいいミニロボットだが、8CMも跳ねる。
関節型ロボットでは世界一だという。

寝て、起きて、回って・・・と動きはきわめてスムーズである。
ロボットの可能性を感じさせるものであった。
見ていてロボットの動きは、純粋にほほえましい、素朴、イノセントな感じがする。

B.ロビットの示唆するもの:

今、3つのことが言われている。

1.この先、今の赤ちゃん的な動きにどのような、
人間的な精緻な動きを加えられるか?
今の次元の違う進化をもたらすことができるのか?

2.人間的な感情をどこまで技術化できるか?
今は人の口頭の指令を聞いて動く、跳ねる。
しかし、人間を真似た、ワンパターンのかわいらしい微妙な仕草ができる位である。

ここまでの2つは、科学の発展の楽しみ、夢の範囲の話である。
問題なのは、下記の3つ目である。

3.素朴なロボット技術が、今後は汚されていく?
  (今は、素朴な技術ということで、かわいらしさを振り撒き皆を癒してくれるが、
  実用可能性が高まるにつれ、どのような世俗的なことが起きてくるのか?)

・お金を付けるときの争い
 どんな実用目的のために政府や有力企業がお金をだすのか

・最初に、実用に使う人、時、場はどこかの争い
 介護?、癒しペット?、産業用?、戦争用?、緊急消防用?・・・・・

・変な応用が進まないか
 倫理に反する、社会の危機になるような使い方をされないか?

C.研究開発のマネジメント:

研究開発は、  
技術者の興味本位で、技術者の夢で、技術者の理想達成への欲求でどんどん進む。

基礎研究の実用化(低コストで、誰もが使えるようになる)には時間と金銭が掛かる。
そして、開発目標である空間(使用の場)の具体的なイメージが必要である。

最終的な応用・活用範囲は、
需要家(生活者が何を求めていくか?)により決定されるが、
技術展開はきわめて柔軟でどのようなことにも応用できてしまう。

どう使われるかは、
その時代・社会の品位、環境に大きく左右される。

・物質のエネルギー化(E=MC2/原爆&原子力発電へ)、
・遺伝子操作、
・受胎の人工化、
・古くはノーベル賞創設者ノーベルのダイナマイト、
等々

使われ方によっては、
社会の脅威にも、発展にもなる、重要な科学技術は、
過去世の中にどんどん生み出されてきた。

科学技術は、
いつも、否応無しに二律背反的宿命を背負って進んでいく。

人間は、負の応用を制御する知力と識見、良心を持たねばならない。

科学技術の今までの進展を見ると、
社会の発展に間違いなく寄与していると思われる。
今後も、そうなると信じたい。

ロビットはどのような道を歩み、どのように社会に貢献していくのだろう?

この稿おわり
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■エリートの効用、鳩山さんの25%CO2削減の意味

2009年11月15日 | Weblog
■エリートの効用、鳩山さんの25%CO2削減の意味

はじめに:新・リーダー考。

今は100年に一度といわれる変革期である。

・時代を変える、世界を変えるリーダーが待望されている。
変えるには、リーダーは理想を持たねばならない。

・理想を持つには素朴な心が必要である。
素朴な心をもつには、世俗の利害を超えたところに身をおかないといけない。

・今の自分の経済状況、門地・身分を気にせず、
また周囲におもねることなく、
純粋に理想を追えるリーダーの現状を打破するブレ−クスルーパワーが期待されている。

鳩山さんはこのようなリ−ダーになれるだろうか。

鳩山さんのCO2の25%削減発言は、
変革期の新リーダーを髣髴とさせる発言だろうか?

A.モルジブの閣議:辛く、痛々しい国家の主張

モルジブ。

水深6Mの海の中で大統領主導で閣議をおこなった。
ダイビングが出来ない閣僚は講習をうけて参加したという。

インド洋に浮かぶ楽園の島、独立国家モルジブ。
平均海抜は2M。

進む温暖化現象で海面が上昇し、
国家が消滅する危機にさらされている。
2100年に国家の大半が海の中に沈むという。

この閣議はCO2削減を主張したデモンストレーションであった。

過去の歴史で国家が消滅したという話はいくらでもある。
但しこれは他国に攻められての話である。
国土がなくなるという話はない。

国家は消滅しても民族は残り、後に自分の国家を復興しているケースも多い。
ユダヤ民族である。
その国家はイスラエルという形で強制的に実現したが、
今はそれが中東の火種になっている。

民族自決と国家、それは永遠のテーマである。

モルジブの危機は、人類史上初めてのもの。
地球温暖化という自然現象による国家消滅、
という危機である。

但し、自然現象とはいっても人間が蒔いた種である。
悲劇的な人災である。
海面上昇という形で直接的に現れてきてしまっている。

温暖化現象の影響をみると、
今は、
・熱帯の害虫の北上、
・台風の大型化、
・異常竜巻の発生、
・エリア毎の寒暖の大きな差
(あのアメリカでも冬、家にいて凍死する人が出るという有様である)、
といった断辺的なものにとどまっているが、
モルジブの海面上昇は次元が違っている。

いよいよスケールの大きな地球温暖化の影響が目の前に迫っていることを匂わせる。


B.鳩山さんの存在意味:

環境問題への対応は必須である。
その中で、鳩山さんのCO2の25%削減宣言は、画期的で思想的?ですらある。

鳩山さんの宣言は、
普通の神経ではとてもいえるような次元のものではない。
鳩山さんだから、周囲への気遣いなど関係なくしらっと言ってのけることができる。
いってのける人の良さ、育ちのよさがある。
あの人が言うなら仕方がないしばらく付き合うか?
という気にさせる。

理想的としては誰も反対できない。
しかし普通の神経ではとても言い出せるものではない。

その発言は、人をして、もしかしたらもの凄いことが出来るのではないか?
その先には、新しいフロンティアが開けるのではないか?
と感じさせてしまう発言である。

これぐらいの目標宣言がなければ、
環境問題の根本的な解決は望むべくもないことは、
頭では皆わかっている。

しかし、現実の国益を考えると、見込みが立たないというのも現場の本音であろう。
(生活・産業のリスクが大きく、その負担に及び腰になる)
また国際競争上も、他国が緩い目標で楽々と経済運営をする中で、
とても競争に勝てないというのも真実であろう。

しかし、25%削減は無謀のように見えても、また技術的に無理に見えても
意外と克服していけるかも知れないという予感もある。

鳩山さんが言うのだから、その線でやって見ようと何となく思わせるところがある。

その発言への周囲、社会の反応をみれば、
鳩山さんは凄いリーダーシップを発揮したということになる。

例えば、余談をひとつ。

今までの日本の危機で最大のものは、1971年のニクソンショックであろう。
米国ニクソン大統領が金とドル交換を停止した。
一ドル360円がニクソンショックでみるみる円高になり、
240円まで到達したときは、ほとんどが日本経済は崩壊に向かうという論調であった。
アメリカにしてみれば同盟国の日本西欧が苦しむことはわかっていても、
背に腹はかえられないとして、金本位制を放棄してまで米国経済を守ったのである。

しかし、一方では円高で経済が多少混乱しても再生は効くであろう、
との認識もあったようにも思う。
経済の景況は、いろいろな要因で乱高下するもの、
との原理論も、当時根強くあった。
政治、軍事、技術の変化の影響、経済のプレーヤーの行動で、経済はいろいろな動きをする。
従って、いまは急激な円高になっても、いつかはまた円安になるだろうと。

経済は人間の営みによって成立する。
いざとなれば、日本人の潜在能力を持ってすれば、火事場の馬鹿力を発揮して克服してしまうだろうとの楽観論が根強くあった。
実際は、このようになり100円まで円高が進行しても十分に国力を維持できたという経験を持っている。

C.貴族出身の政治家:

昔、香川から二人の大政治家がでた。
社会党の成田知巳委員長、自民党の大平首相の二人である。

成田氏は大素封家の出身で弱者を守ろうと社会主義的発想を持ち社会運動の道に進んだ。
大平首相は、どちらかというと貧しい層の出で、立身出世を夢見て大蔵省から自民党代議士の道へ進んだ。

成田氏は恵まれた層の出で、理想を直接的に追った。
自分の身分にこだわることなく、経済状況を心配することなく弱者の見方ができた。
鳩山首相に似ているところがある。

鳩山首相は、
普通の人から見ると少し恥ずかしくなるようなことが平然と言ってのける。
政治理念友愛、CO2の25%削減・・・・等である。
あまり周囲に気配りせずに、現実、現場の苦労を気にせずに発言でき、理想を追える。

このような混迷の時代のリーダーは、
いい意味で本当の理想が追える人物でなければならないのかもしれない。

今のところ鳩山さんは、そのようなリーダーになれる可能性を持っているような気がする?

欧米のリーダー論の中にノブレスオブリージュという言葉がある。
エリート(選良)ほど、自らを鍛え律し人民を導き、
いざとなれば戦場に赴き自ら戦い人民をまもらなければいけない、
とされる。
エリートとは、貴族、素封家、高学歴者・・・・と定義は変わるが、社会をリードしなければならない人のことを指す。
半端でなく、勉強し、体を鍛え、社会奉仕をしなければならい。

現代の貴族である、鳩山さんにはそのような期待を籠め、
今の社会、地球規模の大課題に挑んで欲しいと思う。


追記:

1.ケンブリッジ大学の研究が発表された。
20−30年後には北極海の氷がなくなるという。

2.日本の沖ノ鳥島ではもうすぐ島が生みに沈むという。
主たる原因は風、波の侵食である。

しかし、中期的には地球温暖化による海面上昇も大きい。
今護岸工事を行って、日本の排他的経済水域の縮小を防ぐという。
沖ノ鳥島は小笠原本島のはるか南方にあって、
その海域の海底資源の確保という観点から見て極めて戦略的な島である。

環境の状況は待った無しである。


この稿終わり


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■羽田のハブ化、成田はどうなる? 日本の将来とは!

2009年11月08日 | Weblog
■羽田のハブ化、成田はどうなる? 日本の将来とは!

A.二つのハブ空港:

ハブ空港を二つ紹介する。

ドバイ空港は24時間営業で四六時中にぎわう。
いろいろな言語が通用する。
荷物の引渡しがいらない。
進化したひとつの都市空間をつくっている。

秋田空港から香港へどのようにいくか?

日本からいきなりの韓国の仁川ハブ空港経由の香港行きは、
羽田、成田経由より45分早く、8万円もやすい。
荷物もの受け渡しもいらない。
楽だ。
そのまま次のルートへ積み込んでくれる。
仁川空港は、日本の28都市とつながり羽田より多いのだ!
仁川空港は、2020年には成田の5倍の規模になる。
半端ではない。


B.日本のハブ空港の可能性:

いま、羽田のハブ空港化の議論が喧しい。

成田からは、成田闘争も含めた長年の労苦から、
いまさら何で羽田なのかという反論がでている。
森田千葉県知事は怒り狂っている。

どうみても便利性から言えば羽田である。

官僚、自民党政治家で、
過去の成田の経緯にかかわった人では言い出しにくかったというのが人情であろう。
あの日本を二分する成田闘争を経て今やっと落ち着いた成田、
これから徐々に整備をしていこうというステージにあった。

しかし、滑走路が一本しかない空港、それはどうみてもローカル空港である。
このようなやさしく過去のしがらみを大切にするという日本の空気では、
なかなか思い切った政策転換は打ち出しにくい。

かといって、
羽田も一本滑走路を洋上に増やしてもせいぜい4本。
24時間発着陸は近隣への騒音配慮で出来ない可能性が高い。

C.日本の国家戦略の方向性:

つまり日本ではハブ空港はできないのだ。

では、世界のハブを目指すのではなく、
少なくとも日本の利用者の満足度を高めるような観点(つまり幸福度をUPさせる)で
整備することでいいのかもしれない。
本格的なハブ空港は近隣国家にまかせておいてもいい・・・・・?

港湾では、
既にシンガポール、釜山にその地位を任せてしまっている。
特にシンガポールは、
英語圏で、英国法が行き届いて、欧米からみると何かと都合が良いらしい。

シンガポールは自分の個性をよく見極めて国家戦略を描いている。
アジアの中心たらんとして動いている。

では、日本はどうするか?

日本は成熟した、
・コンテンツ国家(アニメ・POPS、歴史資源・・・・・)、
・ものづくり国家/技術蓄積国家、
・やさしいリレーション国家(人のやさしさ)、
・環境対応国家、
・最っとも東にある独自の文化国家(皇室、和食、千年の都・・・・・)
等々
世界に誇るネタがたくさんある。

つまり熟成された、ソフト・ヒューマン輸出、観光国家・・・・・
として生きていけばよいという考え方もあろう。

東アジアは距離的に近い。
比較優位で互いに譲り合って、国の持ち味を生かして得意なことをシェアして、
発展すればよい、
という発想転換である。

要は国家戦略のポジションの取り方の哲学が問われているのである。

国家の運営をマーケティングと考えればわかりやすい。

国民が、諸外国がなるほどと思う、
日本のアイデンティティを確立して掲げ、
過去の見せ方、今の状況把握、将来の展望、
について戦略的に提示すること、
即ち、
マーケティングミッション
が求められているといえる。

この稿おわり



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■ 発展途上の金融システム、マイクロファイナンスの可能性

2009年11月01日 | Weblog
■ 発展途上の金融システム、マイクロファイナンスの可能性

発展途上国のマーケティングのあり方とは?

A.マイクロファイナンスとは?:

発展途上国で、人々が貧困から脱却するときの小さな第一歩を支援するための無担保の融資システムである。

世界でも最貧国に属するバングラディシュのグラミン銀行は有名である。

国民に夢と現実的な改善方法を提供し、
現在の世界の大課題のひとつである、貧困問題を解決する道筋をつくったとして、
グラミン銀行と創設者のムハマド・ユヌス氏にはノーベル平和賞が授与された。

例えば、ある貧困のエリアがあるとする。

そこには、先進国から見れば極わずかなお金だが、
そのわずかなお金にこまり貧困を脱出できない人がたくさんいる。
そこに光を与えるのがマイクロファイナンスである。

例えば子供を学校に行かせたい村があるとする。
女性何人かがお金を作ってそうしたいと思ったとする。
手段として、
ミシンを購入し、衣料品をつくって売って、
そのお金を学費にしようと思ったときにミシン代を融資しようということだ。

では、返済はどうなるのか?

返済の管理はどうなるのか?
まずは、本人の返済の責任・義務の意識は当然であるが、
何といっても、ピアプレッシャー・周囲の目線が重要とされる。

皆がいい意味で監視しあってがんばって返さないといけない、
という前向きの合意、個人の心の構えを醸成していくことが大切とされる。
互いのプレッシャーを返済の担保としている。
いわば、心理的な、社会行動的な担保である。
日本で言えば、信用組合、講のような感じである。

B.マイクロファイナンスの育成:

今、世界にはこのマイクロファイナンスに投資するファンドが200ぐらいあるらしい。

日本では数社だという、
大和証券系がマイクロファイナンスの投信をつくって売り出しているという。
今のところは年利5%で回っているという。

マイクロファイナンスは今伸びている分野であることは間違いないらしい。
しかしこれからが正念場である。
プラスマイナスの様々な課題が出てくるに違いない。
借り手、貸し手のモラルハザードが生じてくるであろう。

話は変わるが、
世界がグローバル化して、世界的なコスト減・デフレ的な減少が起きている。
また、一方ではグローバル化で世界的な経済発展が進み、
BRIC‘S、準先進20カ国はこれから先進国への仲間入りをすべく、
国をあげて邁進している。

マーケティングも影響をうけずにはおれない。
今、発展途上国へのマーケティングは、外国勢を中心にかなりの勢いで進んでいる。
例えば、P&G、ネスレ・・・・・。

貧困国に消費財を提供するマーケティングにおいては、
お金のある先進国のマーケティングではなく、異なるやり方が求められる。

・まず、コストが半端でなく低くなくてはいけない。
・商品の使い方をきちんと指導しなくてはいけない。
・衛生上に不安のある地域ではそのような指導も合わせて行わなければならない。
・安全に問題がある地域では、従業員を守らなければない。テロ対策も必要である。
・消費者の消費意識を高め、建設的なクレーム(商品、販売等々の)が生じるようにしなくてはならない。
・法人の商法遵守、消費者保護意識を高めなければならない。
・公害対策もきちんとしなくてはならない。
・原材料の、製造の厳しいトレーサビリティーは避けて通れない。
・賃金を不当に下げることはできない。フェアトレードは必須項目である。

等々なかなか大変なのである。

発展途上国では、
法的、社会的な制度設計、個人的な消費意識が進んでいないので、
いろいろなリスクが生じる、
という前提でのマーケティングが求められている。

マイクロファイナンスもこのグローバルな政治・経済の発展という分脈の中で
登場してきている。

マーケティングの世界には今様々なパラダイムのものが登場してきている。
社会創業者、シニアマーケティング、環境マーケティング、公共マーケティング・・・、
等々
このマイクロファイナンスも、
同様に新種の新しい価値を提供するマーケティングのひとつである。

マイクロファイナンスも様々なリスクを内包しつつ、
発展していくことになるであろう。

この稿おわり
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■ 金の高騰、金のご利益、人を翻弄するその魅力とは?

2009年10月17日 | Weblog
■ 金の高騰、金のご利益、人を翻弄するその魅力とは?

今、金が史上最高値をつけているという。
改めて、金とは何か?
どのような価値をもっているものか?

その魔力について考えて見る。

A.憧れの金:

昔から「金」は皆の憧れであった。

・きれい(輝いている)
・変わらない(変質しない)
・少ない(入手できない)

これら3つの特性で金は並ぶもののない異常な魅力を放つ。

金は、物理的に見て様々なものの代替物としての価値をもつ。
金は、永遠の価値として通用しそうな雰囲気?
を持っている。
金への思いは人それぞれでも、
金が代替物になるということは誰もが認めるところだ。

代替物ということはあらゆるものの価値を代表しているということだ。
価値の頂点に位置しているということである。


B.金の態様:

金は社会の中ではどのように使われているのであろうか。

3つの金の態様がわかりやすい。

一つ目:国家経済を支える通貨としての形

金貨は最もわかりやすい、金の代替の形である。
ものの価値を金の輝きで代替する。
金(貨)であれば、皆がものを差し出す。(売ってくれる)
日本では秀吉の慶長の大判小判が有名である。
今の日本では金貨は基本的に流通していない。

二つ目:社会的な地位を示す形

金は、権威・財力を示す象徴であった。
昔、王様、皇帝が戴冠するときの王冠は金である。
横には金、宝石で散りばめられた衣装の王妃がかしずく。
フランス革命後の時代の寵児、ナポレオンの戴冠式は有名である。
今は宝飾品として、一般市民のファッションとして流通している。

三つ目:
民生、産業用途としてなくてなならない金属である。
金無しには現代の生活・産業の米、半導体は作ることができない。
いわゆるレアメタルと並んで必須のものである。

以上、理屈抜きに金は魅力的なもの、必須のものである。

しかし、現代は、
この金も、余ったお金の投資・投機のターゲットになってしまっている。
様々な投資、投機対象としてポートフォリオのひとつに組み入れられて、
その価格が大きく乱高下するようになっている。
金は、ファンド、投資家から見れば、とうもろこし、石油、大豆、株、投信・・・と同列にある
投資の対象でしかない。

金も、お金の魔力(人間のお金への欲望)には勝てない。
投資、投機資金の前では、金も崇高で最高位の、近寄りがたい絶対的な存在ではない。


C.金の価値:金の価値の意味とは

金は、今史上最高値になっているという。

原因は、

・安い米国ドルを嫌気して、金投資に廻った、
・オーストラリアがドル地金価格をUPした、
・インドのあるお祭りに合わせての婚姻届けが集中し婚姻用の金装飾品の需要が高まった、
・‘08秋、リーマンショック後の世界的落ち込みからの脱却途上の中で、
 半導体需要が急速にたかまり、そこに使われる産業関連の金需要が高まった、

等々の理由によるという。

代社会では、皆が金に魅かれる理由が多様になっている。
金も、否応なくグローバルな思惑や生活・産業のニーズの渦の中に飲み込まれていく。

昔のように、権威、経済力の象徴であれば、
金には憧れにとどまる小さな実需しか発生しない。
今は用途が多様化して拡大し、そして生産の拡大も進んで、
投機の思惑に翻弄されることになる。

金は今も昔も人のこころを翻弄する。
昔は富の象徴、憧れとして、
今は投機の対象として。

金の金銭的な相場は、様々な思惑で乱高下する。

しかし、なんだかんだ言っても、
金は、ブランド品、金融商品、原産品等とは違う、
最終兵器的な社会インフラ財という側面がある。

じっくりと長期にわたって貯金感覚で買いたいという、
健全な?ニーズが存在する以上、
どのような思惑の買いがあったとしても、
金は、堂々たる存在価値を放ち続けるだろう。

この稿おわり
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■振り込め(俺々)詐欺にはまる訳、日本人のこころを突く、その巧みな罠とは?

2009年10月10日 | Weblog
■振り込め(俺々)詐欺にはまる訳、日本人のこころを突く、その巧みな罠とは?

今週は話を変えて、マーケティング的に見た振り込め詐欺の心理分析である。

A.振り込め詐欺のトークと心理:

振り込め詐欺が横行している。
なぜ、こんなにも横行するのだろうか。

振り込め詐欺での会話とは、

・「俺々!! 今、0000で困っているんだ!助けて!」
と緊急かつ切迫した雰囲気で、
かなりの演技力で家族のふりをして電話をかけてくる。

お宅の子供が事故を起こした、
お宅のご主人が痴漢行為で捕まって示談を申し込まれている、・・・
と実に、緊急性の強いケース、やばい事件を想起させて、
他人がその事故の当時者のような振りをして、急いで金を送って!
といってくる。

怪しいと思っても、
もし事実ならどうしよう、
世間にばれたらどうしよう、
と考え始めた瞬間から
相手の催眠効果にはまってしまっているのである。

B.振り込め詐欺の被害とは:

但し、ここで重要なことは大半の人は引っかからないということである。

その理由は2つある。
・犯人グループの数がそんなに多くはないし、
 この手の事件に遭遇する確率はきわめて低い。
・また、そのような俺々の連絡があっても、その言に引っかかる人はほんの少数派である。

TVで喧伝される話は、
被害にあった人の話ばかりなので、俺々の電話があるとほとんどの人が引っ掛かっているような印象を世間に与えてしまっている。
確率的にはほとんど成立しない犯罪である、
ということを肝に銘じておく必要がある。

C.振り込め詐欺の話題性:

なぜ、こんなに皆の関心を集めるのか?
なぜ、マスコミの飛び付きがいいのか?

この犯罪が、日本人独特の
権威主義、
家族主義、
世間体主義、
をついているからかも知れない。
もっと言えば、日本人の「恥」の心理を突いているからともいえる。

権威主義とは:
警察官、弁護士、官庁の人の振りをした犯人が入れ替わり立ち代り電話に出てくる。
これらがもっともらしい話術を弄せば、ころりとだまされてもおかしくはない。
日本人はお上、士(弁護士、公認会計士・・・)に弱いところがある。

家族主義とは:
本人が俺々といって訴えかけてくる。
切迫感を持って迫ってくると、「もしかして」と思ってしまう。
少なくとも、何らかの形で事実を確認しようと思うのではないだろうか。
更に、横から弁護士のような専門家が、あなたのお子様が・・・、ご主人が・・・、お孫さんが・・・、といわれて説得されれば、心が動くのは人情であろう。
子供のしたことに親が謝る、関与するという文化が日本にはある。
子供と親は別々の人格ではなく、ある意味融合した人格になっているのが日本である。
振り込み詐欺は、結果としてその辺の日本人の特性をうまく突いている。

世間体主義とは:
身内が変なことに巻き込まれた、ということは日本人の世間体を気にする体質からして、
極めて辛いことである。
それは、犯罪に巻き込まれることから犯罪の当事者になることまで含まる。
いずれにしても変なことに関わることは出来れば避けたいというのが日本人の志向である。
身内が事件に巻き込まれることは忌避すべきこと、
と考えるのが日本人である。
世間からどんな目でみられるかということを気にするのである。

以上、3点でこの振り込め詐欺に異様な関心を示すのだと思われる。

D.振り込め詐欺の方法論:成功の法則

俺々と電話があっても、
普通なら何か変だな?と思い、だまされる前に気づき事なきを得る。
しかし、必ずある一定の確率でだまされる人がでてくる。

ここで問題なのは、犯人グループは何人にも電話をして、引っ掛かる人が出てくるまで頑張るということである。
犯人グループにして見れば、ほんの一人、二人引っ掛かる人が出てくれば成功なのである。

これは訪問販売の無差別アポイント方式と似ている。
一人のAPOをとるために100人以上へ電話をする。
そして、その一人に商品説明をして契約がとれればよいのである。
一般的には10−20人に会って説明して、ひとり契約がとれれば大成功である。

普通の商品販売でも、旨くいって1000分の1の確率である。
訪問販売とは、その位の確率のビジネスなのである。
振り込め詐欺は、ましてや犯罪であり、架空の取引を持ち込む話である。
恐らくは、もっと成功確率は低いはずだ。
だから、普通は引っ掛からない。
しかし、一方ではたまたま引っ掛かる人もでてくるのである。

E.世間の関心の高さの裏心理:

ここまで面白おかしく、マスコミに取り上げられるのは視聴率が上がるからか?

TVの事例をみると、あまりに見事にだまされる?
なぜ?と思う。
自分ならそんな手に乗ることはない、だまされるなんて馬鹿なやつだなと!
しかし、自分にそのような電話がきたら本当にだまされないのか?
等々
皆が、当事者意識で、この事件を見ているのではないだろうか。

要するに極めて臨場感がある事件なのだ。
また殺人事件とちがって気楽に面白おかしくニュースを聞いていられるようだ。

人間があまりにも見事に人を信用してだまされるので、
どうしても注目を集めてしまうのであろう。
なぜ、そんなに簡単にだまされるの?!
不思議でならないのだ。
だから関心が高くなる。
また、被害も何百万円単位で、それも瞬間的にやられるので、
余計になぜ?!という気持ちになってくる。

人は、よく訪問販売、宗教関連販売、マルチ商法にだまされる。?
いろいろな被害が出ている!
マスコミが気をつけましょうとPRしているにもかかわらず、
なぜだまされるのだろうかと?

自分は絶対だまされないと思っていても、
その場になるとやすやすと相手の話に乗ってしまうのでは、
と本音では思っている。

だれもが被害者になってしまうのではないか、
という不安があるから関心をもつのではないか。

また、お年寄りを狙い撃ちにしている。
一種の弱いものいじめである。
様々な言葉を弄し惑し、お年寄りがなすすべもなくだまされてしまう。
お年寄りをだます構図は実にけしからんの一言に尽きる!

これらの背景から、マスコミは大きく取り上げるのであろう。

F.振り込め詐欺のマーケティング的視点:

ここで、いささか不謹慎だが、
マーケティング的にこの振り込め詐欺(俺々詐欺)の意味を考える。

この振り込め詐欺は、
相手のどこを突くと、
相手の琴線に触れて相手から色よい返事をもらえるか、
どうすれば交渉相手を説得できるかの視点を示している。

不安・心配を少し煽れ、
話にのらないと損する心理を突け、
世間の目線を意識させろ、
家族意識を突け、
権威のある人の話で信用させろ、
・ 素直に信じてくれる人を攻めろ、
・ 興味にのある人にあたるまで電話(アタック)をかけつづけろ・・・・・

等々

いろいろな交渉におけるコツ(法則)を示してくれている。

マーケティング的に言うと、振り込め詐欺は実にいい線を突いているのである。

人はいつも幸福でいたいし、
他人と旨くやっていきたいし、
自分が、家族がいとしいし、
自己満足を得たいし、
と欲している。

残念ながら、
「振り込め詐欺(俺々詐欺)」は、
冷静に考えるとよく出来た「心理追求型商品」になってしまっている。

困った話である。

この稿おわり
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■ マーケティングの成果は人による。適材は誰か、選べるか!

2009年10月05日 | Weblog
■ マーケティングの成果は人による。適材は誰か、選べるか!

人を得ることこそビジネスの基本、原点である。
マーケティングが成功するかは人による。

マーケティングは全社的な機能である。

以下、マーケティングの総責任者、社長の人選について述べる。
誰を社長にあてるか、登用するか?
人財の登用に正解はない。
人材の登用の結果をどう判断するか?
永遠のテーマである。


A.社長登用の正解・不正解とは:

2つの事例で考察してみる。

誰かを当てて、うまくいかないならすぐ変える!ということが必要なのだが・・・?
ここで問題となるのは、
・うまくいかない、というのはどういうことか?
・誰が、うまくいかないという判断をくだすのか?
の2つである。

例1:ユニクロの社長交代劇

少し前になるが、ユニクロで若手経営者玉木氏が更迭された。
実質的なオーナー柳井氏から見ると成長のスピードが遅すぎる、
ということだったようだ。
このままではとても一兆円企業へは到達しないという不満があったようだ。
玉木氏はそれなりにやっていたといわれたが?

そういえば当時、オーナーの肝いりで東京ではじめた高級野菜の宅配は大失敗であった。
この責任はだれがとるのか?
柳井氏はオーナーだから責任は取っていないように見える。
金銭的損失、社会的ダメージは十分制裁を受けているということなのだろうか。

このユニクロの例が示しているのは、
最終的な「うまくいっている、いない」の判断は、
オーナーがするということである。
その責任の取り方も自由に選べるということである。
企業のオーナーは絶対的な権力を持っている。

今、結果を見れば、ユニクロをはじめとするファストファッション、
しまむら、H&M 、フォーエバー21
は皆旬のビジネスである。
若い女性の、
安くかつ高品質、高性能のものをコーディネートし気軽に買い、
あきたらまた別のものを買い、カジュアルに着まわす、
という現代のトレンドに合致した業態である。

いいものを大切に長く使う。
旧来からあるような、自分の感性にあったブランドをしっかり選んで長く愛用する
という感覚のファッションではないジャンル(ファッションスタイル)が出来たのである。

今の、ユニクロの成長を見れば柳井オーナーの決断は正解だったということになる。

例2:長島選手の監督登用は成功か?

かなり昔になるが、
長島選手が現役を退いてすぐ巨人軍監督に登用された。
後楽園球場で、感動の引退挨拶を行った。
監督の帝王学を学ばずにいきなりの監督登用である。

当時、巨人軍は九連覇は遂げたが、
ぼろぼろになった選手だけがのこされた。
当然だが、ペナントレースの長島監督の成績はめちゃくちゃである。
名選手、名監督にあらず、と言われた。
しかし、実践に使った若手はどんどん育っていった。
短期店に見れば勝てない監督采配だったが、
中長期的には、長島選手の監督登用は大正解ということになる。
その後の強い巨人軍の誕生に大きく寄与した。


B.マーケティング責任者・社長の選択基準:

新しくポジションが出来てそこに人を当てる、
その難しさとは?

典型的には社長人事にその難しさが見られる。
社長は会社の将来を担っている、
マーケティングの総責任者である。
社員の生活、協力会社の運命を預かっている。

誰が社長にふさわしいか?
なんて誰にもわからない。

或る人が社長になつた。
それなりの成績があがった。
しかし、それが最大の結果か?最適の結果か?
は神のみぞ知るである。

違う人を当てたら、もっと成績が上がったかもしれないし、全然だめだったかもしれない。

社長を選ぶ基準とは?

平時対応か、有事対応か?
長期的な成長の芽をつくるということに長けた才能か?
短期的な結果を作ることに長けた才能か?

等々・・・・・

いろいろな基準がある。

どの基準が、次期社長の人選のときに最優先されるべきなのか?
が実はわからない。

また、その基準が時とともに変わる。
今のように社会環境の変化のスピードが速い時は、
1−2年で状況が変わってくる。
基準が変われば、その状況にふさわしい社長を選ばなければならない。
社長機関説待望論である。
社長というのは機能であり、最適な人は機能で選ぶべきという論である。

そういえば、高度成長期の官僚のトップ、事務次官は1−2年で玉突きのように変わった。
このような猫の目のような変わり方は如何なものか?
といわれたことがあったが、人材の滞りをなくし、新鮮な人材をどんどん登用でき、
そのときの状況に機敏に適応出来たといえるのかもしれない。
このあたりの事情はTV番組・官僚たちの夏(城山三郎作)でリアルに描かれている。

会社は様々な個性の人間が集まって、
人間くさい組織として構成され動いている。
社長には、多様な人材を集めまとめ、目的に向かい実行させる
ファシリテーターという能力が求められる。

また、人望、リーダーシップ、意思決定力・・・・・
のようないわゆる帝王学的な能力も必要である。

C.社長の評価:

社長が、ある基準で選ばれたなら、
その基準で新社長の成果を判断してあげるべきなのだが、
ことはそう単純ではない。
社長業というのは、会社の業績をUPさせなければいけないという宿命を負っている
特にアメリカでは、短期の業績向上は株主資本主義の論理からしてマストの基準である。

そして何といってもツキが必要である。
そして、結果が出せなければダメである。

何せ、社員の、ステークホルダーの命運を握っているかかである。
倒産というような大袈裟な話ではなく、
社長が実績を残せるかどうかは、直接社員の給料、協力会社の収益にかかわってくる。
関係者の生殺与奪の権利を握っている。
社長の結果責任は、実に重い。

以下、比喩的な事例である。

A社長候補:
カリスマ性をもった所謂やり手のスーパーマン社長が登場した
開発、営業、財務と手を打つだろう。

B社長:
周知を集め民主的に意思決定する。
民主主義というロボットに徹し、過半数で物を決めていく。
おそらく保守的に現状維持的な経営になるかもしれない

バブルが到来。
Aのアグレッシブな社長は、財務戦略も前向きにやった。
一時は本業をしのぐ業績もあげた。
しかしバブル崩壊で大赤字会社は倒産、銀行管理下へ。

Bのロボット社長は過半数主義でバブルでも踊ることはなく、
財務戦略も平凡に徹っした。
何の問題も起きなかった。
安全に着実に業績を上げた。

結果は、B社長が正解となる。
周知を糾合できる大人の将の将たる大将軍と名状される。

実際の実業でみても、

A社長は先行投資を健全な赤字投資と考え打ってでた、
しかしあまり実りがなく先行投資が焦げ付き大赤字になった。

B社長は、既存の商品、事業を着実に積み上げ、マーケットで優位ををとり、
サステナブルな黒字事業とした。

社長業とは皮肉なものである。

アメリカBIG3の経営者はインテリジェンスでは間違いなく優秀であろう。
しかし経営者として、アメリカの製造業の代表者として、健全な資本主義の具現者として、
成果をあげたかというと極めて残念な結果だった。

何がいいたいかというと、
優秀な経営者という存在はいないということである。

時代の要請にミートし、業界の環境を踏まえて意思決定をする。
この前提が覆るような社会、制度のパラダイム変化がおきない
という運があれば、経営者は、無難に役職をこなし成功し皆の賞賛を勝ち取る。

しかし、ちょっと状況が変わったり、長期ダウントレンドにある業界の会社だったりすると、
そう簡単には実績は上がらない。
実のところ誰がその危機を乗り越えハッピーな状況にしてくれるのかは、
わからないのである。

そのときに社長になった人に、成功するように頑張ってもらうこと以外にはない。

社長人選の正解・不正解は、
結果論でしかいえない。
結果としてあの経営者はいい結果を出した。
ということが後からわかるのである。

自虐的だが、マーケティングの総責任者、社長の適材は神ののみぞ知るである。
であるからして、時局を見際め適材をあてていく方法論、マネジメントの仕組みが求められるのいである。
これは社長というトップの職責だけでなく、
マーケティングの中間管理職、プロマネなどの人事においても同様である。

この稿おわり

追記:

アメリカのグリーンスパン連銀議長が、経済・金融遠泳のカリスマと称されもてはやされたが、
今やその名声は落ちた。
連銀議長といえばアメリカの、世界のお金を管理する会社の社長と思えばよい。
今ある評価は、
金融緩和をもたらし、サブプライムローンの温床をつくり投資銀行の自己取引を増幅させ、
超バブルをもたらし、ついには世界の金融経済を崩壊させた、
その遠因をつくったとされる有様である。

しかし、決して負の側面だけではない。
長きにわたってアメリカ経済の繁栄をもたらし、資金をアメリカに呼び込み
IT革命を実現したという正の結果もたらしている。

グリーンスパン氏の評価はまだ定まらない。


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■ 「省機能」で優位に、ポメラ、ディズニーの省の差別性

2009年09月28日 | Weblog
■ 「省機能」で優位に、ポメラ、ディズニーの省の差別性

A.「省」のメリット:

一般的にマーケティングの差別性には3つの態様がある。
差異性、新規性、優位性の3つである。

この中で「優位性」で勝つ事例で面白いものが出てきた。
優位性とは、
新規性、差異性といった差別性ではなく、
既存の技術・ノウハウの中での優位的な展開で勝負する方法論である。

「省機能」という優位性である。
最近、省機能商品が面白い。

以下「省機能ヒット商品」の事例である。

・ポメラ
・スモールポット
・小型PC
・小型ミキサー
・ディズニーランド
・シニア携帯

省くと、次のようないいことがある。

・使う人が鮮明になる、
・使う場面が鮮明になる、
・使うベネフィットが鮮明になる、

従って、マーケティングが鮮明になる。

生活者のメリットは、
わかりやすい商品であり、購入時の検討がストレスなく進められる、
省機能なので価格が安くなり、
必要な機能だけなので使いこなすことが出来る、
いろいろ機能が付いたものを使いこなさねばという恐怖観念から逃れられる、
等々

企業のメリットは、
省機能に資源(時間、お金、知恵)を集中でき、奥の深い商品ができる、
コミュニケーションコンセプトがピンポイントにシンボリックになり、
ターゲットにしっかりと商品メッセージがとどく、
等々

「省」がキーワードである。


B.省の効用:

省することで、軽、速、安、頻、傍、小・・・・・が実現できる。
具体的な商品開発事例を見る。

1.ポメラ:

キングジムの製品である。
文字を打ち込むだけの、昔のワープロをもっとシンプルにしたものである。
・小さいのにキーボードは通常のPCと同じ大きさを実現(折りたたみ方式で)、
・立ち上がり時間が数秒(ソフトが重くないから)、
・小型で携帯性が高まる、
・手でとったメモではないので、もう一回PCにインプットする手間が要らない
(省手間、省時間)、
・思いついたときにすぐにどこでも打てる

いわば「携帯メモ専用マシン」といったところか?!

2.スモールポット(電気ケトル):

コーヒー2杯分のお湯が1−2分で沸く。
すぐ飲める。
朝忙しいときにうってつけで、
さくさくとコンパクトに作業が出来、小気味のよい、ストレスを感じさせない
ミニポットである。

3.小型PC: 

余計なソフト、機能をつけない、3−5万円の小型PC。
デスク上の正式な一台ではない、外部やデスクではない場所で使用する
二台目の補助PCである。
もちろん、メール、ネットサーフィンだけで十分という人には
これだけで十分である。

4.小型ミキサー:

大型のジューサーミキサーではない
材料をカットする、材料を混ぜる、調合する(例えばオリジナルの自家製ソースをつくる)
簡便道具である。

女性が手に持って簡単に使える。
軽くて使い勝手がよいのでキッチンの片隅に置いてすぐ使える。
「すぐ使える」が重要だ。
棚の奥にある大きくて重いミキサーを取り出すようだとだめで、
大きく重いものは使用頻度が減るし、使うのをやめてしまうのである。

5.ディズニーランド:

コンパクトなエリアにバ−チュアルなドリーム空間を閉じ込めた。
ユニークなアトラクション、キャラクター演出で面白さを凝縮し、
来場者に異次元の世界観を与える。
首都圏から、日本から、東アジアから人を呼ぶ。
デジズニーは、実は省時間、省エリアの超エンタメ空間である。

6.シニア携帯:

電話機能だけで十分。
必要ならGPSが付いて、ご老人の今の場所が確認できればよい。
シニア層は、その使用範囲を考え、使い勝手性を優先すれば、
電話機能だけで十分な世代であった。



C.「省」の妥当性・有効性:

よく言われることがある。

今、自分の机の引き出しを整理するとよいという。

この一年で使ってないものが8−9割ある。
それほど使っていない。

気持ちとしては、何かあったときに、この文書この道具がないと困る、
ということで捨てずにいる。
この話を機能に当てはめることが出来る。
即ち、携帯・PCで使わない機能も上記の割合位には達するのではないだろうか?

実務的、生活的には、道具に多機能は必要ではないことが多い。
ましてや、外に出る、違う場所で使うとなると、
自分の最頻使用機能の1,2番目に絞れば、
その道具の使い方が、もっとスマート・シンプルになり、
効果・効率的になるということを、われわれは日々実感している。

これらが省商品の存在意義である

この稿おわり


追記:

予断になるが、携帯と雑誌を比較して見る。
なぜ雑誌ではなく、携帯になってしまったのか。
電車の中では、皆が雑誌ではなく、携帯である。
メールする、インターネットで情報(占い、ニュース、通販・・・)が楽しめるいろいろなことは確かにある、

しかし、根本は、携帯電話は簡単に携帯でき、
軽快にすぐ出せて、どこでもすぐ使える、片手でもOK、
雑誌とは違いいつも傍らにある、
ということに尽きる。

すぐ使える状態にあるものは使用頻度が上がる。
それが面白いものであれば、ますますその頻度があがるのは当然である。
雑誌は、何ができるかというコンテンツで不利になったのではなく、
小サイズ(省サイズ)という物理的なインフラが提供するユースウェア性で負けたのである。

今、女性誌が買われる理由は、
・ファッションが大判で見れる、
・おまけがついたプレミアム女性誌で超お得感がある、
ということに集約される。
即ち、携帯と違い「大判」であることに逆に意味が出てきている。
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■ 東京発、「かわいい」マーケティングの深い意味。

2009年09月13日 | Weblog
■ 東京発、「かわいい」マーケティングの深い意味。

今回は、「かわいい」という言葉を考える。

日本の女性は何かを見れば、すぐ、かわいい!!という。
あかちゃん、服、雑貨、おんな色・・・・・、
何を見てもかわいいである。
かわいいが大好きである。
かわいい、無しには生きていけないという有様である。

今回は日本文化がすごいという話でもある。

A.「かわいい」の意味:

「かわいい」にあたる英語はない。

「かわいい」は日本独特のものらしい。

日本は比較的平穏で、内向き志向で生きてこれた国の一つである。
欧州のように陸続きでいつも互いに争い侵略をするという経験が少ない。
アメリカ合衆国のように、戦い続けて領土を増やし、かつ先住民と土地を争うという激しいDNAを持つ必要も無かった。

日本では、意識・行動は内側を向く。
「かわいい」は日本独特の内向きの社会の中で育まれたようだ。

男性から庇護され家庭を守る、ということで社会の安定と安穏を求める日本。
内向きだが、凝縮した、隠微な関係、例えば、男尊女卑的な社会を求めた。
女性が、異性から、年上から、家長からかわいく見られる、
は必然的に身に付けた知恵かもしれない。
長年たまりに溜まり本能にまでなってしまった?ようでもある。

男の長幼の序にも現れる。
年輩からみて年下を見るときの表現、初やつ(ういやつ)の意味とは?
上から見て、かわいく見える後輩は好ましいものだろう。
年輩の知恵、経験を尊ぶことで維持される社会・組織の秩序。
初やつ、にはそのような感情が籠められている。

話は変わるが、恥も日本独特の意識といわれる。
恥も、内向きの閉じられた社会で醸成されたひとつの知恵である。

「かわいい」には奥深い意味がある。

B.「かわいい」のインパクト:

今、「かわいい」が外国の人を魅了する。

外国の人に人気である。
他の文化圏の女性も、この「かわいい」を受け入れる本能に目覚めた。
欧米の中においても、長い平和と成熟でライフスタイルが多様化し、
かわいいという情緒を感じる人々が出てきたようだ。
一種の成熟社会の幼稚化現象と説明する向きもある。

アニメを通して日本文化が浸透し、
「かわいいキャラ」が外国の人の安らぎをうむ。
秋葉はオタクの聖地でもあるが、外国のオタク族の聖地でもある。
原宿もだ。
コスプレ的な「かわいい女の子文化」が外国人を魅了する。

宮崎駿、北野たけし・・・。
アニメ文化を中心に欧米、アジア諸国へ浸透していく。
日本が、世界に文化を発信する時代にいよいよ入った。

高松宮殿下記念世界文化賞という賞がある。
かなりの権威を持つ賞である。
ノーベル賞がカバーし切れていない文化領域を補完している。
ノーベル文学賞以外の文化関連を網羅している。

高松宮殿下記念世界文化賞が世界的な権威を持てるのも、
日本文化が、最古の木造建築法隆寺、1000年前の源氏物語・・・以来、
人々を魅了する内容を保ち続けて来たからである。
そしてそれを認めるグローバルな世界の人々の思いがあるからである。

「かわいい」というキーワードが、日本、世界の女性を動かす。
改めて、凄いことである。
「かわいい」を抜きに、
女性のマーケティングを考えることが出来なくなっている。

この稿終わり

追記:

かなり前のことであるが、
フランスの著名なデザイナーが半分あきらめ顔でいっていたのを思い出す。
日本人は地味でモノトーン系のファッションが多いと。

今は違う。
東京ガールズコレクションズやアニメイベントには
外国からたくさんの女性が訪れる。
日本の女性はきれいでかわいいという。
原宿には、たくさんの外国のアパレルバイヤーが服の仕入れに、
また、ファッション動向を探りに訪れる。

今や東京はファッション等文化の発信基地である。
「かわいい」は日本文化のシンボリックなキーワードになっている。

かわいいは、
今やエロカワ、キモカワ・・・・・と進化している。
かわいい、恐るべし?!
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■ ホルモンヌ。うごめく肉食系女子!女性は強い!

2009年09月07日 | Weblog
■ ホルモンヌ。うごめく肉食系女子!女性は強い!

新しい女子の誕生、ホルモン焼きに群がる新・女類の誕生!

A.ホルモンヌとは:

池袋はホルモン焼きの大激戦区である。
内臓肉を食らう人々がうごめく。
主役はホルモンヌである。

夜な夜な肉食系美女が出没し、意外と安いホルモン焼きを食らうらしい。
主婦、ホステスさん、OLさんが出入りする。

ホルモンヌとは、ホルモン焼きを食べ歩く女性達のことである。

熟年主婦もドレスをきてハレの場(何かの集まりの後?)からの帰りに集まってくる。
生ビールでホルモン焼きを食べようと、ホルモン焼き屋に出入りする。
おじさんの専売特許である食物・ホルモン焼きが、
おばさんに奪われた格好である。

ホルモン焼きは、ありきたりでない味の肉を食べる楽しみを提供してくれる。
肉食系女子が完全にその味をしめてしまった。

うまいものはうまい!、
単純に正直にうまいものをうまいといって食べるのである。

B.女性の本性、本音:

女性は自身の「地」をさらけ出す。
本音で生きる動物と化した。
肉食系女子などという言葉がまことしやかに言われるようになってしまった。

以降、余談である。

以前の日本の理想の女性像とは?

控えめ、従順にというのが日本の文化であった。
・幼き時は父に、嫁いでは夫に、老いては子に従え、
・良妻賢母が理想、
・夫を立てろ、

女性は自分を殺し、家族、家のための裏方に徹するのが、通例であった。

つい最近まで、‘70年代初頭までの高度成長の企業中心社会では、
女性は短大卒で企業に就職することが多かった。

企業に就職し相手を見つけ結婚して、寿退社するのが理想とされた。
専業主婦として主人の企業戦争の銃後をまもる、
というのが女性の普通のライフスタイルであった。

三食昼寝付きで、空いてる昼間の時間を、スポーツ、自己啓発、趣味・・・にと、
最も楽で、楽しい職業(?)といわれたこともあったが、
夫唱婦随で家庭、コミュニティを守り、社会的な安定感を作り出していた。
三食昼寝つき就職は、実は日本の重要なソフトインフラであった。

今や、高度成長時代が終わり、バブルの後の不安定な経済・社会状況をへて、
家庭、社会、女性の、男性のスタイルが変化・変調をし始めた。

今は、状況が違う。
女性は、どんどん社会進出をしている。
男女共同参画のうねり、優秀な女性の活用、女性特有の能力の活用など、
社会は女性は家庭にいることを許さなくなった。
また、家計の立場から言えば、
パートとして働き、家計を助けなければやっていけないという経済事情もあった。

その結果というべきか、
今や「ホルモンヌ」という女類が誕生するに到った。
いよいよ女性も、本音でのびのびと発言し生きられるようになった。
女性の「性」の特性を本音で表現し始めた。

話を変えて、視点を男子に当てる。

草食系男子といわれるように、
男性も弱い人、優しいひとは、
その地で生きることが出来るようになった。
草食系男子が増えたわけではない。

逆に、感情を素直に出す肉食系女性が、
静かな草食系男子をいい相棒と思い、そう唱えるので、
もともと存在していた草食系男子という存在にスポットライトが当たって、
目に見えるようになったともいえる。


C.女性の消費行動、その主導権:

裏の女性の強さ。

実は、もともと消費を牽引してきたのは女性であった。
家計の消費はすべて女性が行ってきた。

男性はお金をだすという権限だけ確保して、
かろうじて存在感を保つという有様であった。

住宅でも、車でもいまは女性が女性の息のかかった家族(=子供)が、
何を買うかを決める時代である。

昔から女性は、夫婦となり子供が出来ると俄然強くなり、
家庭の中でイニシアティブを握ることになる。
もともと、男子は裏側では完全に押さえられていたのである。

今は、女性はもっと進化してしまった。
ホルモンヌである。
女性が表舞台にも立った。
女性も、表も裏も地で勝負の時代になってしまった。

実は、女性はいつの時代も強かった。
古代から女性は太陽として崇められた、まぶしい存在だった。

それが、今や表でも、裏でもイニシアティブを握ることになってしまった。
正に、ゴッドマーザーの誕生である。

この稿おわり

追記:

ホルモン焼きについて、すこしまじめな話を!
ワタミの渡邊社長が言っている。
ホルモン焼きがあまりにはやり過ぎ、
品質のよくない肉が出回ると、やがて客離れをおこすだろうと。
実は品質のよいホルモンは5、000頭しか取れないという。

業界が自ら姿勢をたださないといけないという。
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■小売業は生きもの、リアルで、速い・・・半端でない経営感覚の鋭さが求められる

2009年08月30日 | Weblog
■ あのイオンもだめか?流通業界再編の行く末?

小売業は生きもの、リアルで、速い・・・

半端でない経営感覚の鋭さが求められる

A.イオンの憂鬱:

イオンの話である。

ここしばらくは、ダイエーがおかしくなって、イオンが一人勝ちの様相を呈していた。
マイカル、ヤオハン・・・とホリゾンタル(水平)に規模を拡大してきた。
また、自社出店を強め、商品の価格交渉等のバーゲニングパワーを確保し、
PB・トップバリューを増やし収益を上げてきた。
高齢化、いわゆる消費世代人口の減少に対応した規模の追及である。
この10年で売り上げを5倍にして、今は連結で5兆円をこえる。

イオオンは、勝ち組のひとつである。

しかし、そのイオンも社会・経済のパラダイム変化の大波に抗しきれなくなった。

規模のメリットが得にくくなってきた。
既存店には不採算店が目立ち始めた。
スケールメリットが固定費の重さでデメリットになり経営を圧迫し始めた。
今期は、赤字転落になる。
幹部からも「横の規模」の充実はおわったという声も聞かれる。

次は「縦の規模」ということらしい。
三菱商事から5%の資本参加を受け入れ筆頭株主にむかえ、商品の国内外の調達力を強め、物流効率を高めるという。

イオンはもともとPBの比率が高い。
これを欧米並みにより高めようという意図である。

いずれにしてもスピード感のある、スコープ感のある品揃えでマーケットのこころをグリップしなければ、高収益を維持できなくなっている。
これが横から縦になっただけで出来るのだろうか。
まだ、資本遊びの域をでないのではないか?
と危惧する向きもある。

B.小売業の本質・ジレンマ:

小売業は生きものである。

ここにある建物(スペース)があるとすると、
そこでどんな品揃えをすればもうかるか、
小売が儲かるとは、その地域の人にどれだけ賛同を得られるかということでもある。

但し、マクロの総論的なMDの話ではない。
ミクロの各論的なMDが重要なのである。

小売業は、どんな店(業態)が出来、どんな商品がおかれればお客様に喜ばれて儲かるか、を考える業態である。

しかし、ここに経営的な視点を入れたとたんに辛くなるのである。
経営であるから、長期的に儲かりつづけなければならない。
生活者の移り気な志向を、小まめに長期にわたって考えつづけなければならない。

季節変動を考えつつ1ー2年で変わる生活者の志向とはなにか?
これがなかなかむずかしい。
わからない。
だから常に売れ続けるということが難しくなる。
メーカーの商品開発が、生活者の志向を確認しながら試行錯誤できるのとは基本的に違う。
すこしMDがずれると、たちまち競合店と比べられて劣るとされ、売れなくなるのである。

C.小売新業態への挑戦の意味:

小売の新業態の方向性とは?
2−3ケ月単位で、MDの改廃を行い入れ替える。
これは単なる季節変動の取り込みではない。

はっきり言って、商圏の志向は、MDを変更して売り上げへの影響(効果)を見てみないとわからない。
意外にうまくいくかもしれないし、全然だめかもしれない。
OKなら、うまくいった要因を更に強化する、
ダメならすぐ変更して、入れ替える、
臨機応変のMDが求められる。

新しいMDを仕掛けた後、客の様子をみてすぐにMDを変更していくのである。
CVSはこれを忠実に実行している業態である。
少しでも、売り上げが少なければすぐ棚落ちになる。
新しい売れるものに入れ替えられてしまうのである。

これをへたにトメガタで共同開発すると、売れないときには極めて不都合になる。
いずれにしても業態、MDを固定化させて、
うんうんうなって投資をし、長期で回収しようという業態はないと考えた方がよい。
精魂籠めて業態、MDを考え実行しても、
極端な話近くに別の店ができればたちまち売り上げが減少してしまう。
また、生活者のニーズから少しでもずれていれば、これもまた売り上げが減少してしまうのだ。

ジャパネット高田は放映の直前までどんな商品をどんなトークで訴えるか議論しているという。
その日の出来事、天気等で臨機応変に変えることで売り上げは1−3割も違うという。
今や、ジャパネット高田はブランドになり、高田社長のTVトークが始まると間もなく値段も聞かずに注文のコールが鳴るという。

流通は生き残りをかけて自分の再編をおこなう、リストラをおこなう。
しかし、小売が縮小均衡になれば、会社は部分最適でOKとなるかもしれないが、それが日本全体でそうなると明らかに、消費の減少になる。

部分最適が全体最適にならない。
合成の誤謬ということになる。

縮小均衡に向かう経済の処方箋はなかなか難しい。

D.小売業態の業態転換の制約:

セブン&アイは儲からないGMSを、
安売り業態、HC・・・へ転換している。

器がある。
その中になにを入れていくか?
建物という器を経営資源と考えれば、可能性は無限である。
中に何をいれて、どう住民にサービスしていくか?
自由度は100%である。
経営者の発想転換、創造性が求められている。

巨漢店の流通も迫力があり社会的な意義が大きいが、
今苦戦している普通の規模のGMS、小規模のSMにも、
また駅前店の駐車場のないハンディを抱えた店にも、
発想を変えれば、チャンスは生じてくる。

もちろん企業には経営理念、社会的責任がある。
中に入れるものは何でもいいか?
と問われればそうではない、と答えるしかないが?!
元GMSの店のなかに、風俗、ゲーセン、コンピューターソフト・・・、スパ・・・、
なんでもいいと言うわけにはいかない。

しかしそれが地元の商圏で求められ、客数が増え収益があがるなら、それは社会正義にかなっているということもまた真である。

追記:
小売業態は、またぞろ冬の時代の入ったといえないだろうか。
ただし、一部の製造販売業態(ユニクロ、ニトリ・・・)は極めて元気である。

この稿おわり
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■ ナノの誕生、車のパラダイムをかえる車!!

2009年08月17日 | Weblog
■ ナノの誕生、車のパラダイムをかえる車!!

A.車ではない車の誕生:

これは車ではない。

従来の車の範疇では捕らえられない「新・移動手段」である。

世界的規模で起こっている新・産業革命台頭の流れの中の
シンボリックなアウトプットと見るべきである。

2つの意味がある。

・低所得エリアにおける新経済システム台頭の一環にあるものである。
(ノーベル平和賞を獲得したマイクロローン等の流れも同様である。
たとえばP&Gが全世界で展開しようとしている
超低所得国向けのマーケティングもその流れを汲むものである。)

・従来とは一桁以上違うコストで同等のパフォーマンスを達成するという、
生産から生活すべての局面でのマインドの革新を求める大胆な試みである。


日本円で22万円の車、ナノ。
ついにインドで発売開始、第一号の納車がなった。

「安い&チープ」ではない。
徹底した部品削減によって低価格を実現している。

前面のパネルでは、速度メーターと燃料メーターだけ。
カーナビ、ラジオ、パワステ、クーラー、助手席サイドミラーはない。
手動式ウィンドウ、マニュアルシフトである。
インドでクーラーがないと汗びっしょりになる。

B.ミニマムクオリティの確保:

しかし、押さえるMUSTポイントは押さえている。

欧州の衝突安全性の基準をクリアしている。
ボンネットあをあけてみるとタイヤがはいっていて、安全性確保に役立っている。
644CCの車であり、最高速度は100KMを超える。

室内を広く確保するための工夫もしており、
例えばバッテリーは座席の下においてある。
身長180CMの男性でもゆったりと乗れる。

インドで、車を持っている人は人口の1%台である。
日本のスズキが大きなシェアをもっている。
この現状を打開するために
インド三大財閥のひとつが車を作った。

今後、一億台の売り上げが見込めるという。
インドの国民車の誕生である。

C.インドの革新、シンボリックなナノの意味:

インド経済の今後は、日本の昭和30年代を思い起こさせる。
BRIC‘Sの一角を担う国インド、
辛い記憶だが英国の植民地であることで英語が普及し英語でのビジネスが可能になり、
それが今アドバンテージになっている。

長い歴史を見れば、
インドはもともと先進国である。
この2−300年の経済的な遅れはながい悠久の時間の流れの中では、
大したハンディキャップではない。

ここ10年は、
インドはITのアメリカのアウトソーシング先として脚光を浴びた。
いよいよ、シンボル・ナノに始まる実物経済での存在感を示す時が訪れた。

がんばれ、「0」を発見した国インド!!

この稿終わり
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■小選挙区型政党政治の行方、政治のマーケティングとは?

2009年08月08日 | Weblog
■小選挙区型政党政治の行方、政治のマーケティングとは?

今回の総選挙をマーケティングする!

A.選挙とマーケティングの関連:

今回の衆議院議員選挙は世紀の大対決選挙である。

小選挙区制に移行して20年、政権交代を可能にしたといわれる選挙制度導入後、
やっと政権交代が現実味を帯びてきた選挙になる。
いろいろな意味で大切な大イベントである。
政党側の真剣さも求められるし、国民側の真剣さも求められる。

この稿では、
マーケティングの観点から今回の戦挙をみる。
選挙という閉じられた、また短期で運命を決する市場では、
より鮮明にマーケティングの本質が見えてくる。

まず、マーケティングの主要なエレメントとは

・ミッション
・ゴール
・ターゲット
・USP(ポジショニング、プロミス&プライス)
・ベネフィット・オケージョン
・メソッド(プラクティス・戦略実行/コミュニケーション、プロモーション、チャネル)
・スケジュール

の7つ、ラッキーセブンである。

これらは、民間企業が事業、商品を展開するときには、
きちんと決めている事柄である。

ところが政治の世界になると全然だめである。

公約がいままで守られてこなかったこともあって、
政党側も公約をきちんと整備して国民に提示して、実行するということに、
ややいい加減なところがあった。
また、国民の側もマニフェストのあり方、監視ということに慣れていなかった。

しかし、今は、特に世界経済が危ういときであり、
環境も含めた人類の生存が問われている時である。
政党のマニフェストは極めて重要である。
以下のことが盛り込まれなければならない。

・このような難局において日本はどのような使命感をもっていくべきか?(ミッション)
・このような時に、日本丸をどこへ導いていくかというビジョンが求められている(ゴール)
・だれを標的にして政策立案すれば一番国民生活全体に効果をもたらすか?(ターゲット)
・そのゴールへ向かう上での日本の持ち味は何か?(USP)
・具体的には、日本の生活者に何をもたらしてくれるのか?(ベネフィット)
・その財源は、どんな手順で、反対勢力をどう制御し、政策を実現していくか?(メソッド)
・どのような工程表で進めるか(スケジュール)


いままでの公約、マニフェストは歯抜けもいいところである。
それは何のペナルティもないからである。
企業なら倒産するというリスクを常に背負っている。

政府はそのような心配がない。
極めて無責任であった。
しかし政府をコントロールする政権政党は、
政権運営に失敗すれば選挙で野に下るというリスクを本来はもっていたはずである。
それが今回の選挙でようやく現実のものになってきた。
政治の正統な評価システムがやっと機能し始める時がやってきたのである。

B.小選挙区制の課題:

1.小選挙区は政策を選ぶ、政策の違う2大政党を選ぶので、
選挙結果は自分の生活に直結する。
従って、だんだんと人物で選ぶのではなく政策で選ぶ以外になくなってくる、
という傾向がある。

即ち「政策」で選ぶという訓練が不可欠である。

イギリスの小選挙区制はその典型である。

候補者は党本部から落下傘で降ってくる。
その人の人柄、政策は良くわからないまま政党、政策に投票する。

アメリカは多少事情が違うらしい。
共和党、民主党のもともとの基盤が資本の論理の側、労働の論栄の側という、
2分された由来があるが・・・
今は両政党の違いを認めつつも、
人物的魅力、その人の個性的な政治信条、政策理念も加味して
選択されているといわれている。
日本の小選挙区制度もどちらかというとアメリカに近いといわれる。

2.一方、小選挙区制の「負のベクトル」については、
よくよく踏まえておく必要がある。

日中戦争、第二次世界大戦前、
当時の二大政党はお互いの「政策の誹謗中傷」と「予算のばらまき合戦」
で国民の不信を買った。

政党政治への不信は軍部台頭につながった。
1920年代の恐慌を向かえ、国民生活を導く政治が消滅して、
軍部の単純な大東亜共栄圏なるスローガンのもとに
日中、渡米戦争への突き進んでしまった。

二大政党制、小選挙区制の「2つの課題」は肝に銘じておく必要がある。


C.小選挙区制の政党選択の論点:

現実、今回の衆議院戦挙は8月30日の投票である。

国民は、必然的に投票しなくてはならない。
戦後初めての本格的な政権交代がなるかもしれない、
といわれる中でどのように政党を選べばいいのか?
関心は高まっている。

どのような観点から投票先をきめればいいのか?
大体、7+1=8つぐらいの観点がある。

0.まず、各党のマニュフェスト(政策体系)をみて、選ぶということである。

しかし、政策だけで選ぶということは本当にいいことなのか?という論もある。
政治を行うのは、人である。人は選べないのか?
改革は痛みが伴う。
その痛みに対応する方法論、スピードを考慮しなくてもよいのかという論もある。

1.実は、小選挙区制は人物を選ぶ選挙である。

次期首相になるべき人物を選ぶということでは、人物を選ぶ選挙でもある。
 (従って魅力的なヘツドを立てなければいけないということになる)

2.政策が同じ方向を目指すようであれば、
 その方法論の違いを選ぶ選挙でもある。
 (ゆっくりか、急いでか?/犠牲をすくなくするか、多少の犠牲を容認するか・・・・・)

3.政策の方向性が概ね似ていても、
国民生活に直結する政策での「微差」をしっかり受け止め、
その微差で選ぶということも必要である。

この背景には、外交は長いスパンで判断すべきもので、
どちらの政策がいい結果をもたらすかなんて誰にも判断できないというのが本音である。
また、現実政治を考えれば、外交はどちらが政権をとっても同じようにはなるという予定調和がある。

であれば、内政的な国民生活に近い政策で選択するというというのは生活者の知恵である。

4.もともと議会はイングランドで起こった。

当時の、絶対王政の徴税の権限を制限、監視しようとして出来たシステムである。
主な貴族が監視委員会をつくった。
だから、税金のあり方で政党を選ぶというのも極めて、本質的なことである。
議会制民主主義の原点である。

5.政府の大きさも大問題である。

・小さな政府:
自助の精神で、他人(大きくは政府であるが)の助けを受けずに頑張る。
これは自立的な世界に冠たる独自技術、独自ノウハウ立国の支柱になる思想である。
自分を大切にし、想像力で眼前の課題に挑み、
新境地を切り開おていけるような社会をつくることにつながる考え方である。

・大きな政府:
他人と互助し、安定的な社会を作る、
大きなところでは、政府の支援を最大限発揮する社会である。
弱者徹底的救済社会でもある。

小さな政府でいくか、大きな政府でいくか
実は、最も大きな選択肢になる。
ひとつだけいえることは、放っておけば政府はどんどん大きくなる。
生活者、企業からの要望が増え、エントロピーの法則ならぬ、ばらばらの、無制限に拡大する総花的な財政、人員状況になるのは間違いない。
政府の役割の範囲、深さと予算規模について、
そろそろ国民全体で責任を持つ時代になってきたという、自覚が必要である。


6.本来は外交問題が選択の中心になってもよい。

他国では世界の平和にどのように貢献するか、は大きな焦点になる。
・軍事を中心とした強いパワーを多とするか?
・外交を中心都市各国の文化、歴史、民族性を重視した、多重価値観世界を重視するか?
の選択も重要になる。

日本で言えば、これからの日本は外交で、世界の中でどのような貢献をしていくか?
は重要な課題である。
この方向性で政党を選択していくことも重要である。

・対米、対アジアというようなスローガンではなく、
 アメリカ、中国、ロシア、アセアンとどのようにうまく折り合って、日本の持ち味をだしていくか?
・環境問題、貧困問題でどう貢献していくか?


7.最後に世の中のムードで選ぶという手もある。

ムードというのは、マスコミ、口コミいろいろなルートから、
情報がもたらされて交錯し複合的に増幅されてラウドになり、
やがて社会的な流行現象となる。
それが、
ものの本質を案外捕らえているということが多いのだ。
だからムードで捕らえて投票しても案外いい結果を生み、
いい政治結果を生む可能性が高いのである。
但し、それが政府にコントロールされた世論である場合を除いての話である。
(全体主義的が排除されているとの前提である)

社会的に出来るムードというのは、全体の一部ではあるが、
本質的な部分がシンボリックに尖がって世間に伝わった結果でもある。

要は、ムードというのは案外いい線いっているものなのである。

主要TV局・新聞、三文雑誌・新聞であっても各々独自の視点を提供している。
日本はもともと民力が高く、インテリジェンスがある。
どんなメディアでも、それなりにいい点をついているケースが多いのである。

わかりやすい例でいえば、
小泉さんの郵政選挙の論点はひとつであった。

この選挙結果を、
刺客送り込み、ワイドショー選挙と呼んで非難する論調があるが、
それは違う。

そのときはそれが国民のニーズだったのだ。
実際に、郵政選挙はつぎの3つの論点を提供するものであった。
・財政投融資で郵政事業のお金をじゃぶじゃぶに公共事業に使い、
やりたい放題のところを小泉さんは止めようとした。
(お金の無駄遣いをなくし、有効な投資先を開拓しようとした)
・民間銀行を圧迫する郵貯を同じレベルにしようとした。(民間活力を引き出す)
・政府改革の端緒である郵政民有化が頓挫すれば他の改革もできやしない、
(改革を本格的に進めるエンジンとしようとした)

説得性があったのだ。
つまり郵政選挙はシングルイッシューでありながら、
本質的な政策選挙で国民はそのあたりを独特の勘で見抜いて与党に300議席超を与えたのである。

大体がマニフェスト自身が世間のトレンド、流行を敏感に捕らえ作られているものでもある。
故に、マニフェストは、案外あいまいで本当に日本の政治を考える上で、
不可欠の論点を提供しているかというと極めて怪しいところがある、という意見もある。
しかし、時の国民のニーズを捕らえ、それなりの水準を確保していると見るべきなのである。

E.小選挙区制の政党選択の本音:

冷戦時代は選択肢はわかりやすかった。

・共産主義サイド:皆で共存する、助け合う、共産、社会民主的政府か?
・自由主義サイド:自由競争を重視し、多少の格差が生じても資本の論理で富を増やす政府か?

の選択でよかった。

社会党か自民党か?
の選択の中でアメリカの核の傘、自由主義連合のなかで経済発展に邁進できた。

結果はそのどちらにも組しない、
中間的な修正資本主義的なバランスのとれた選択肢が政策の機軸とされてきた。

いまはこのような陳腐化した選択肢はありえない。

選択ポイント1:
バランスの中の微妙な差をしっかりと見据えた選択肢を、
つむぎ出して選択していくことが求められいる。
国民の微差を見抜く微妙なセンスが求められる時代である。


選択ポイント2:
自分が重要と思う分野でこ、
れはと思う政党を選ぶことが大切である。
総合的な観点から政党を選ぶということも大切だが、
ひとつの議員任期のなかで、ひとつの内閣の中で、出来ること、大きな革新はひとつである。
それを考えると、その議員任期・内閣のミッションをひとつにしぼって選ぶ、
というのも現実的な有権者の態度である。

F.選挙とマーケティングの関係:

選挙マーケティングと通常の商品マーケティングとでは、
何が同じで何が違うのであろうか。

・選挙というのは、まずマーケットが明快である。
候補者にしてみれば、与えられた選挙区がマ−ケットである。
(もちろん、本部では全国でのイメージ戦略も必要である)

・短い期間で勝負がつくということでは通常の商品マーケティングとはやや違う。
(本来は、長年の政治活動の集大成としての選挙なのだが???)

・ターゲットはかなり複雑になる。

性・年代別、職業別、小エリア別、政策視点別・・・・いろいろと多様化している。
どこに向けてどのような政策を打ち出すかが結構難しい。

個別ターゲットの政策とそれが集まった時の整合性がとれなければいけない。
つまり全ターゲットに対してうまい話はいえない。

厳しい話を打ち出し理解を求めるターゲットも生じてくる。
商品マーケティングでは、自分でターゲットを選択して、
そこに対してUSP,ベネフィットを打ち出すことが出来る。
自由度が高いのが商品マーケティングの特徴である。

選挙マーケティングはトレードオフになっているところが悩ましところである。
あるターゲットに得なことが、あるターゲットには不利になるというのが通常の姿である。
財源、人材に限りがあるから仕方のないところである。

・USPとベネフィット、そしてスケジュールもかなり複雑になる。

国民に対して、政府は何ができて、どんな便益を与えることが出来るのか?
これがなかなか難しい。
マニフェストという形では、言葉はいろいろと出せるが(言語を弄することは出来るが)、
実行可能性ということがなかなか担保できない。
抵抗勢力の力、時の経済的・社会的環境変化、政治家のスキャンダル、
衆院、参院の勢力図の変化・・・
等なかなかうまくいかないことが多い。

選挙はどうしても大衆迎合的にならざるをえない。
厳しいことをすべて明らかにして選挙に臨むことはできない・・・・・
あとから君主豹変す、ということが大いにありうる。

ともあれ、
いろいろあってマニフェストの提供する期待値に対して、
実行結果はなかなか100%までは届かない。

国民は、期待に対しても、その結果に対しても大人の対応が必要である。

この稿おわり



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