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■ マーケティングの成果は人による。適材は誰か、選べるか!

2009年10月05日 | Weblog
■ マーケティングの成果は人による。適材は誰か、選べるか!

人を得ることこそビジネスの基本、原点である。
マーケティングが成功するかは人による。

マーケティングは全社的な機能である。

以下、マーケティングの総責任者、社長の人選について述べる。
誰を社長にあてるか、登用するか?
人財の登用に正解はない。
人材の登用の結果をどう判断するか?
永遠のテーマである。


A.社長登用の正解・不正解とは:

2つの事例で考察してみる。

誰かを当てて、うまくいかないならすぐ変える!ということが必要なのだが・・・?
ここで問題となるのは、
・うまくいかない、というのはどういうことか?
・誰が、うまくいかないという判断をくだすのか?
の2つである。

例1:ユニクロの社長交代劇

少し前になるが、ユニクロで若手経営者玉木氏が更迭された。
実質的なオーナー柳井氏から見ると成長のスピードが遅すぎる、
ということだったようだ。
このままではとても一兆円企業へは到達しないという不満があったようだ。
玉木氏はそれなりにやっていたといわれたが?

そういえば当時、オーナーの肝いりで東京ではじめた高級野菜の宅配は大失敗であった。
この責任はだれがとるのか?
柳井氏はオーナーだから責任は取っていないように見える。
金銭的損失、社会的ダメージは十分制裁を受けているということなのだろうか。

このユニクロの例が示しているのは、
最終的な「うまくいっている、いない」の判断は、
オーナーがするということである。
その責任の取り方も自由に選べるということである。
企業のオーナーは絶対的な権力を持っている。

今、結果を見れば、ユニクロをはじめとするファストファッション、
しまむら、H&M 、フォーエバー21
は皆旬のビジネスである。
若い女性の、
安くかつ高品質、高性能のものをコーディネートし気軽に買い、
あきたらまた別のものを買い、カジュアルに着まわす、
という現代のトレンドに合致した業態である。

いいものを大切に長く使う。
旧来からあるような、自分の感性にあったブランドをしっかり選んで長く愛用する
という感覚のファッションではないジャンル(ファッションスタイル)が出来たのである。

今の、ユニクロの成長を見れば柳井オーナーの決断は正解だったということになる。

例2:長島選手の監督登用は成功か?

かなり昔になるが、
長島選手が現役を退いてすぐ巨人軍監督に登用された。
後楽園球場で、感動の引退挨拶を行った。
監督の帝王学を学ばずにいきなりの監督登用である。

当時、巨人軍は九連覇は遂げたが、
ぼろぼろになった選手だけがのこされた。
当然だが、ペナントレースの長島監督の成績はめちゃくちゃである。
名選手、名監督にあらず、と言われた。
しかし、実践に使った若手はどんどん育っていった。
短期店に見れば勝てない監督采配だったが、
中長期的には、長島選手の監督登用は大正解ということになる。
その後の強い巨人軍の誕生に大きく寄与した。


B.マーケティング責任者・社長の選択基準:

新しくポジションが出来てそこに人を当てる、
その難しさとは?

典型的には社長人事にその難しさが見られる。
社長は会社の将来を担っている、
マーケティングの総責任者である。
社員の生活、協力会社の運命を預かっている。

誰が社長にふさわしいか?
なんて誰にもわからない。

或る人が社長になつた。
それなりの成績があがった。
しかし、それが最大の結果か?最適の結果か?
は神のみぞ知るである。

違う人を当てたら、もっと成績が上がったかもしれないし、全然だめだったかもしれない。

社長を選ぶ基準とは?

平時対応か、有事対応か?
長期的な成長の芽をつくるということに長けた才能か?
短期的な結果を作ることに長けた才能か?

等々・・・・・

いろいろな基準がある。

どの基準が、次期社長の人選のときに最優先されるべきなのか?
が実はわからない。

また、その基準が時とともに変わる。
今のように社会環境の変化のスピードが速い時は、
1-2年で状況が変わってくる。
基準が変われば、その状況にふさわしい社長を選ばなければならない。
社長機関説待望論である。
社長というのは機能であり、最適な人は機能で選ぶべきという論である。

そういえば、高度成長期の官僚のトップ、事務次官は1-2年で玉突きのように変わった。
このような猫の目のような変わり方は如何なものか?
といわれたことがあったが、人材の滞りをなくし、新鮮な人材をどんどん登用でき、
そのときの状況に機敏に適応出来たといえるのかもしれない。
このあたりの事情はTV番組・官僚たちの夏(城山三郎作)でリアルに描かれている。

会社は様々な個性の人間が集まって、
人間くさい組織として構成され動いている。
社長には、多様な人材を集めまとめ、目的に向かい実行させる
ファシリテーターという能力が求められる。

また、人望、リーダーシップ、意思決定力・・・・・
のようないわゆる帝王学的な能力も必要である。

C.社長の評価:

社長が、ある基準で選ばれたなら、
その基準で新社長の成果を判断してあげるべきなのだが、
ことはそう単純ではない。
社長業というのは、会社の業績をUPさせなければいけないという宿命を負っている
特にアメリカでは、短期の業績向上は株主資本主義の論理からしてマストの基準である。

そして何といってもツキが必要である。
そして、結果が出せなければダメである。

何せ、社員の、ステークホルダーの命運を握っているかかである。
倒産というような大袈裟な話ではなく、
社長が実績を残せるかどうかは、直接社員の給料、協力会社の収益にかかわってくる。
関係者の生殺与奪の権利を握っている。
社長の結果責任は、実に重い。

以下、比喩的な事例である。

A社長候補:
カリスマ性をもった所謂やり手のスーパーマン社長が登場した
開発、営業、財務と手を打つだろう。

B社長:
周知を集め民主的に意思決定する。
民主主義というロボットに徹し、過半数で物を決めていく。
おそらく保守的に現状維持的な経営になるかもしれない

バブルが到来。
Aのアグレッシブな社長は、財務戦略も前向きにやった。
一時は本業をしのぐ業績もあげた。
しかしバブル崩壊で大赤字会社は倒産、銀行管理下へ。

Bのロボット社長は過半数主義でバブルでも踊ることはなく、
財務戦略も平凡に徹っした。
何の問題も起きなかった。
安全に着実に業績を上げた。

結果は、B社長が正解となる。
周知を糾合できる大人の将の将たる大将軍と名状される。

実際の実業でみても、

A社長は先行投資を健全な赤字投資と考え打ってでた、
しかしあまり実りがなく先行投資が焦げ付き大赤字になった。

B社長は、既存の商品、事業を着実に積み上げ、マーケットで優位ををとり、
サステナブルな黒字事業とした。

社長業とは皮肉なものである。

アメリカBIG3の経営者はインテリジェンスでは間違いなく優秀であろう。
しかし経営者として、アメリカの製造業の代表者として、健全な資本主義の具現者として、
成果をあげたかというと極めて残念な結果だった。

何がいいたいかというと、
優秀な経営者という存在はいないということである。

時代の要請にミートし、業界の環境を踏まえて意思決定をする。
この前提が覆るような社会、制度のパラダイム変化がおきない
という運があれば、経営者は、無難に役職をこなし成功し皆の賞賛を勝ち取る。

しかし、ちょっと状況が変わったり、長期ダウントレンドにある業界の会社だったりすると、
そう簡単には実績は上がらない。
実のところ誰がその危機を乗り越えハッピーな状況にしてくれるのかは、
わからないのである。

そのときに社長になった人に、成功するように頑張ってもらうこと以外にはない。

社長人選の正解・不正解は、
結果論でしかいえない。
結果としてあの経営者はいい結果を出した。
ということが後からわかるのである。

自虐的だが、マーケティングの総責任者、社長の適材は神ののみぞ知るである。
であるからして、時局を見際め適材をあてていく方法論、マネジメントの仕組みが求められるのいである。
これは社長というトップの職責だけでなく、
マーケティングの中間管理職、プロマネなどの人事においても同様である。

この稿おわり

追記:

アメリカのグリーンスパン連銀議長が、経済・金融遠泳のカリスマと称されもてはやされたが、
今やその名声は落ちた。
連銀議長といえばアメリカの、世界のお金を管理する会社の社長と思えばよい。
今ある評価は、
金融緩和をもたらし、サブプライムローンの温床をつくり投資銀行の自己取引を増幅させ、
超バブルをもたらし、ついには世界の金融経済を崩壊させた、
その遠因をつくったとされる有様である。

しかし、決して負の側面だけではない。
長きにわたってアメリカ経済の繁栄をもたらし、資金をアメリカに呼び込み
IT革命を実現したという正の結果もたらしている。

グリーンスパン氏の評価はまだ定まらない。