金谷武洋の『日本語に主語はいらない』

英文法の安易な移植により生まれた日本語文法の「主語」信仰を論破する

第77回「和子は、どうして「かずこ」と読むのか」

2012-06-18 09:44:09 | 日本語ものがたり
今回の話題は「和子・和夫(和男)」という名前についてです。あるとき「和子・和夫(和男)という名前の人はみんな長女・長男だよ」と主張する人がいて、それが全く初耳だった私はとても驚きました。ましてや、その直後にバンクーバーで会社を経営されている上田(こうだ)和男さんとお会いする機会があり、そのことをお話したら「確かに、私は長男です。それに妻の名前は和子で、やはり長女です」とおっしゃるのではありませんか。そう言えば、最近ちょっと話題になっている「鶴見和子を語る:長女の社会学」(2008年:藤原書店)という本がありますが、この題なども上記の主張にぴたり当てはまりそうです。

あまりに気になったので、インターネットで調べてみました。すると、「和子・和夫という名前の人に長女・長男が多い」というのはあくまで傾向で、そうでない場合もあることが分かりました。例えば、著名なマルクス主義思想家、経済学者で、一時は日本共産党を理論面で指導し、「福本イズム」という用語に名前を残した福本和夫は長男でなく三男です。その福本は、生前、自分の名前について、両親が「明治日本の出世頭」鳩山和夫にあやかったものだ、と述べていたことを知ったので、次はその鳩山和夫の方を調べてみましたら、こちらは四男でした。女性の「和(かず)」を使う女性の名前の方は、先ず「皇女和宮」が思い当たります。第14代将軍徳川家茂の正室になった女性ですが、江戸時代のみならず日本史を通じて、皇女が武家に降嫁し、関東下向した、唯一の例です。和宮は、仁孝天皇の第八皇女、つまり八女でした。

それから、昭和になった途端に「昭一、和夫、昭子、和子」が急増したということも分かりました。ですから、大正から昭和に変わった、1926年生まれの人などは、別に長女・長男でなくても「和子・和夫」と命名されたものと思われます。もっとも、大正天皇が崩御されたのは1926年12月25日なので、大正15年が一年近くあっても、昭和元年の方は僅か一週間もなかったことになります。こうしてみると、「昭和」という元号が理由で「和子・和夫」になった人たちのほとんどが昭和二、三年の生まれなのではないでしょうか。

次に気になったのは「和」という漢字を「かず」と訓読みする理由です。一体この読み方はどこから来たのでしょうか。和平、平和などの意味からは和語の「かず」は見えません。この件について、モントリオール日系文化会館の図書館から借りた「お言葉ですが…」(高島俊男、文春文庫)」に面白い説明がありました。中国文学者でエッセイストの高島は、足し算の答えを「和」と呼ぶことに注目し、例えば「2+3=5の5は「和」という数(かず)であるから、と、何とも簡単に片付けています。そして、かけ算の答の「積」も、人名で「かず」と呼ばれることを傍証としています。「積」を「かず」と読む人名の具体例もメモしておいたのですが、その後、うっかり無くしてしまったのは残念です。高島の、「増える数は縁起がいいので」人名で「かず」と読まれるようになったのだろうという主張はなかなか説得力があり、そう言われてみると、引き算の答え「差」、割り算の答え「商」の方は、いずれも「かず」と読ませません。さらに想像を膨らませてみると、「和夫、和子」に長女・長男が多いとしたら、「この子を初めに、子沢山になれますように」という親の思いがあったのかもしれません。もっとも、「かずお」なら「一雄、一男、一夫」などという書き方もあって、こちらは文字通り「一番先の」という意味です。ちなみに上に述べた「お言葉ですが…」は、高島氏が文春文庫のシリーズで11冊、別巻4冊を書いている著作ですが、言葉に関する深い知見満載の大変面白い読み物ですので、ご興味のある方は一読をお勧めします。

さて、高島の説明に納得してこれにて一件落着かと思っていたらそうではありませんでした。記事の最後に驚くべき内容の追記があったのです。高島は決して自分の主張に固執せず、異論があればそれも公平に紹介する大変良心的な学者です。「和:かず」についても、読者からの反論を正直に載せており、正否の判断は読者一人一人に委ねようとしています。さてその反論ですが、著者のレベルが高いと読者のレベルも高くなるという好例でしょうか、何といきなり本居宣長の「玉勝間(たまがつま)」が引用されます。江戸期を代表する国学の大家、本居宣長(1730-1801)が漢字「和」の「かず」という読みを既に考察していたばかりでなく、正しい読みは「かづ」ではなく清音の「かつ」であると指摘していたと知ってさらに驚きました。それでは「玉勝間」の当該個所をここで孫引きしてみましょう。

「人の名に、和(ノ)字を、加受(=カズ)とよむは誤也。これは加都(=カツ)にて、都(=ツ)は清音なり。此言は、かつ・かて・かつると活用(=ハタラ)きて、物を和合(=アハス)こと也。万葉歌に「醤酢(=ヒシホス)ニ蒜(=ヒル)都伎(=ツキ)合而(=カテテ)」とある、此合而(=カテテ)なり」

足し算の答え、「和」は(増えるので)縁起がいい「かず」だから、和を「かず」と読むという高島説と本居説は真っ向から対立するものです。また。この引用部分にもある「物を合わす」が動詞「かつ」の意味であるという本居説が正しければ、料理の方で言う「ホウレンソウのごま和え」の「あえ(る)」を同じ漢字「和」で書くことも至極もっともと言わねばなりません。聖徳太子が憲法17条(604)の冒頭においた「和をもって貴しとなす」とは調和・中和の和であり、対立を好まず、性質の異なるものの出会いだからこそそこに和音(ハーモニー)が生まれる、とする思想と言われますが、まさに「和」とはその意味で「和(なご)む」であり「和(やわ)らげる」であり、「和御魂(にぎみたま)」と様々な訓に読まれたのでしょう。因みに古代、日本は中国から「倭」と呼ばれ、その漢字の意味は「背の低い人」であったのを日本人の祖先が嫌って、同じ発音の「和」に代えたと言われます。和風、和室、和食、和英辞典などは、どれも日本(あるいは日本語)の意味です。なお、平仮名の「わ」、かたかなの「ワ」はともに「和」が字源となっています。

「何故和子は「かずこ」か」の答えはどうやら本居宣長が教えてくれたようです。長い間このことを考えてきたので、今では「和子さん」や「和夫」さんに会うたびに「もしかして長女(長男)ですか?」と尋ねるのが癖になってしまった次第です。そして、最後にふと思い出したことがありました。子供の頃に北海道で、遊んでいる子供たちの所へ行って言った言葉が「かてて~!」だったことです。これも確かに「みんなの中に僕も加えて」という意味で使っていました。 (2012年6月)

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2 コメント

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約10年ぶりです (スグン)
2012-06-26 22:18:38
信太さん たきさん スグン で検索すると懐かしいログを読むことができますが、あの「スグン」です。

英語> A and B
中国語> A 和 B
日本語> AかつB

「且つ」=「和」ということでしょうね。
(数理論理学では and ではなく or という面倒な話は別として、、、)
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Unknown ()
2015-05-22 13:49:43
母は八人兄弟の末っ子で和子ですが、由来はサンフランシスコ平和条約で、同じ由来の和がつく名前が同級生に多かったそうですよ。
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