金谷武洋の『日本語に主語はいらない』

英文法の安易な移植により生まれた日本語文法の「主語」信仰を論破する

第76回 「百人一首の謎」

2012-05-16 20:41:13 | 日本語ものがたり
 前回、モントリオール大学の日本語3年生と日本人が対戦した弥生歌留多大会の様子を書きました。すると「北海道の木の板の取り札が懐かしい」とか、「作戦があったにしても日本人が負けたなんて信じられない」などの声が聞こえてきました。読者の皆さんのコメント、ありがとうございます。こうした反応に気を良くして、今回もさらに百人一首にまつわる話を続けたいと思います。実は、学生が「百人一首」に大いに関心を示したのは、歌留多というゲームに対する興味だけでなく、百人一首にまつわるエピソードあるいは「裏話・秘話」を大いに楽しみ、いえ、むしろ怖がってくれたからなのです。それでは、日本人にさえ意外に知られていない「百人一首の謎」を、お話ししましょう。

 何を隠そう、ずっと昔からこの百人一首は謎に包まれてきた歌集なのです。選者は藤原定家(1162-1241)ですが、その定家が日記「名月記」にこんなことを書いています。「小倉山にある私の山荘のすぐ近くに住む僧の蓮生に頼まれて、障子に貼る色紙用に天智天皇から今日までの歌人100人の和歌を一首づつ選んでみた。私は達筆ではないので気が進まなかったが、仕方なく筆を取って書いた。それらの和歌を選んだ基準は私の心の中にある」当時の知識人の習慣として、この日記の原文は漢文で書かれています。なお、蓮生というのは定家の息子の妻(つまり嫁)の父親のことです。ここで問題なのは、最後の「選んだ基準は私の心の中にある」という個所ですが、定家は何故こんな謎めいた言葉を残したのでしょうか。

 それもその筈、定家は実に不思議で不可解な和歌の選び方をしています。これまで多くの研究者が指摘してきた疑問点は主に次の3点です。(1)当時の有名な歌人が多数選ばれていないのは何故か(2)多くの歌の中から、いかにも駄作、愚作と思われる歌を敢えて選んでいるのは何故か(3)同じ様な歌がとても多いのは何故か。(2)でよく槍玉に挙げられる例は22番の「吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風を嵐と言ふらむ」で、これは単に「山」と「風」を重ねると「嵐」になるという駄洒落にすぎません。(3)の例では1番の「秋の田のかりほの庵のとまをあらみわが衣手は露にぬれつつ」と15番の「君がため春の野に出でて若菜摘むわが衣手に雪は降りつつ」の下の句がそっくりですし、さらにこの15番は4番の「田子の浦にうち出でてみれば白妙の富士の高ねに雪は降りつつ」と全く同じ終わり方をしています。かと思うと「ひとりかも寝む」で終わる和歌も二首あって、3番の「あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む」と91番の「きりぎりすなくや霜夜のさむしろに衣かたしきひとりかも寝む」です。以上、(2)と(3)の問題点を調べると、定家が当時の有名な歌人の代表作を選んだとは、とても思えません。定家自身、「一体どういう基準で選んだんですか」と問われるのを予想した上での答えが日記に書いた「和歌を選んだ基準は私の心の中にある」だったと想像出来ます。ではその隠された基準とは何だったのでしょうか。

 この問題に見事に答えたのが自身も歌詠みで作家の織田正吉です。日本語のクラスでその答えを紹介したところ、教室には数秒間の沈黙が訪れ、その後全員の顔に「そうか、それで納得した」という表情が浮かびました。出典は織田正吉「絢爛たる暗号:百人一首の謎を解く」(集英社1978)ですので、ご興味のある方は是非お読み下さい。

 織田は百人一首は定家が後鳥羽上皇の怨霊・祟りを畏れ、上皇の愛した水無瀬川離宮の絵を描いたのだと、驚くべき主張をします。後鳥羽上皇と言えば1221年に鎌倉幕府打倒を目指したクーデターを起こした歴史上の人物ですが、結局これに失敗し、上皇は隠岐、子の順徳天皇は佐渡にそれぞれ流されました。そして、苦境の中で二人とも流刑地で亡くなります。後鳥羽上皇の場合、隠岐で8年後に崩御するのですが、亡くなる前によく京へ手紙を送りました。その中で、まだ定家が若かった頃、水無瀬側離宮にも招待し、様々な形で援助してやったのに、最近は自分の歌人としての力量に慢心し、都を追われた自分に対して敬意に欠いているという恨みの言葉があったのです。真っ赤な呪いの手形を押した置文まで残っており、「言霊」という意識がまだ生きていたこの時代、定家は上皇の呪いが何より怖かったのです。それで、同じ言葉が使われている和歌を集め、それを縦横に並べ繋げると一幅の絵になる一世一代の試みを企て、「文学的絵巻物」に仕立て上げました。つまり後鳥羽上皇がこよなく愛した水無瀬側離宮の絵を、絵筆の代わりに和歌で織り上げたのが百人一首なのです。そうすることで、過去にお世話になった恩人で、今は流罪の罪人と化した後鳥羽上皇を追悼、顕彰しようとした訳です。そしてその秘密は自分の胸だけに留めておきました。それが「それらの和歌を選んだ基準は私の心の中にある」の意味であることを初めて見抜き、定家の深い恐れと800年間闇に包まれていた意図を明るみに出した織田正吉の洞察力にはただただ驚嘆し、敬意を表するしかありません。因に、百人一首は99番が後鳥羽上皇、そして掉尾を飾る100番が順徳天皇の歌で締めくくられていることも決して偶然ではないでしょう。(2012年5月)

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第75回 「咲くやこの花冬ごもり」

2012-04-24 08:59:52 | 日本語ものがたり
 今学期は久しぶりに日本語の最上級である三年生を担当したのですが、思い立ってクラスの学生七名に百人一首の短歌を教えてみたら驚くほど喜ばれました。その反応に気をよくしてさらに万葉集、いろは歌へと古語の森をさらに逍遥し、学期末まで大いに盛り上がりましたが、私自身、大昔に故郷の北海道北見市で百人一首を家族や友達と楽しんだ遠い記憶が蘇ってきて楽しめました。上級クラスですから、難解かつ長文のテキスト分析も勿論重要ですが、新春の国民的な知的遊戯に現れる歌留多大会の日本語なども、学習上大変有効であることを痛感した次第です。
 和歌ということは当然使われる単語がほぼ全て和語、つまり大和言葉です。それらは現代までほぼ同じ意味を保っていることが多く、日本語がいかに古い形を残しているかを知ってもらう、絶好の機会にもなりました。
それにつけても、同じ競技だと言うのに歌留多大会は地方によってルールがどうしてこうも違うのでしょう。「地方によって」とは言っても、実は北海道だけが何故か特殊なのだそうです。2つ大きな違いがあります。先ず(1)取り札が本州のように紙ではなく、北海道では木の板です。ご覧になったことのない読者の方は、銭湯で渡される下駄箱の鍵のついたあの板を想像してみて下さい。あの厚くて四角い板の上に、印刷ではなく、水茎の跡も麗しい筆で漢字交じりの下の句が伸び伸びと書かれています。(紙の取り札の方は、活字の平仮名4行書きです)。もう一つの違いに読者はさらに驚かれるかも知れません。何と、(2)北海道では、読み手が読み上げるのが上の句ではなくて下の句なのです。この「下の句読み下の句取り」を俗に「北海道ルール」と称します。
このやり方で何が変わるかというと、それは大人に交じって子供も参加出来ることです。読まれた札をそのまま取るだけですから、こんな簡単なことはありません。つまり、和歌三十一字の全体を丸暗記しておいて、最初の五「例えば:天津風〜」を聞いてとっさに下の句を予想し、紙の札に平仮名で印刷された「をとめのすがた」を探して取るのが「正式な」歌留多であるのに対して、北海道では読まれるのが下の句の「乙女の姿〜」なので、その通り「乙女の姿しばしとどめむ」と書かれた板の札を取ればいいわけですから、どんなに小さな子供でも「乙女、乙女」と頭の中で繰り返していたらその札はちゃんと取れます。今でもよく覚えているのは、幼児だった私の得意札が「乙女」と「夢の通ひ路」の二枚だけだったということです。「夢」と「乙女」を両方取れば大満足。その上の句はおろか、他の札やチームの勝敗は当時の私にはどうでもよいことでした。
 さて、学生に百人一首と歌留多大会のやり方を紹介したら、「実際に試合してみたい」と声を揃えて言うではありませんか。そこで「その意気や良し」と、日本人有志を同数の七名募って、日本人チームと日本語の学生チームの(新春ならぬ)「弥生」歌留多大会が催される運びとなりました。ときは3月30日、ところはモントリオール大学東アジア研究所。噂を聞かれた方も当地にはいらっしゃるでしょう。ご参加下さった皆さん、ありがとうございました。カナダ人学生が相手でもルールは本式。つまり上の句を読んで下の句を取る方式です。もっとも時間の関係で第一番天智天皇の「秋の田の」から第30番、壬生忠岑の「有明の」までの30枚のみとしました。学生にはこの30首を詳しく説明し、さらに最初の5を聞いて取り札の最初の7が言える様、練習に練習を重ねて本番に臨みました。当日、日本人チームを迎える学生はどきどきはらはら。こんなに楽しい授業はなかなかないことです。
先輩の晴れ姿を見ようと応援の下級生が周りを囲み、一枚取るごとに歓声が上がるという異様な盛り上がりの中、勝敗はどうだったかと言うと、日本語三年生チームの2戦2勝、圧勝でした。この結果に、参加された日本人も吃驚されていましたが、この紙面を借りてその理由を打ち明けましょう。実は簡単な「作戦勝ち」でした。子供時代の記憶を頼りに私が学生一人一人に「自分の担当札」を予め決めておいたからです。七名で30首ですから、平均4枚強。「この歌は君だよ」、と学生一人一人に指示。自分担当の4首に関してだけは、上の5を聞いて下の7がすぐ思いつくように、条件反射の「パブロフの犬」よろしく特訓してあったという訳です。これでは「北海道ルール」の「乙女」とあまり変わらない、限りなくインチキ(出来レース?)に近い歌留多大会であったと言わなければならず、「何か変だなぁ」と首を傾げていた日本人参加者の皆様に、この紙面を持って深くお詫びする次第です。学生達の日本語学習の励みになれば、とでも思われて、どうか失礼の段、ご海容ください。
 さて、紙面が少なくなってきましたが、そろそろ「日本語ものがたり」と題するこのシリーズの顔を立てなくてはなりません。そこで表題の「咲くやこの花冬ごもり」です。百人一首の歌留多大会の慣例として、一番最初に百人一首に入っていない歌を読み、その歌に続いて最初の札の上の句を読むことになっています。そしてその際に「難波津の歌」と呼ばれる歌が選ばれるしきたりなので、今回のイベントでもこの歌を読んで貰いました。それが「難波津に咲くやこの花冬ごもり明日は春べと咲くやこの花」という歌で「難波津に花が咲いています。今こそ春が来たとて花が咲いております」というような意味です。初めて大和王朝の日本へ論語と千字文を伝えたと言われる百済からの渡来人、王仁(わに)の作とされていますが、ここで問題にしたいのは、この「花」が果たして梅なのか桜なのか、という点です。これまでは、春一番先に咲くという意味で梅と思われてきました。ところが、いや、実は桜だったろうと、文化勲章受賞者で国語学者の山田孝雄は主張しているのです。その根拠は語源で、この時代の日本語には「や」と「ら」の交替がよく見られるからと言うのです。そう言えば「所謂(いわゆる)、あらゆる」なども本来は「言わるる(=言われる)、あらるる(=有られる)」であったのが変化したものです。もしそうであったらこの和歌には「花」=「梅」と見せかけてもう一つ裏の意味があり、「難波津に桜、この花冬ごもり 明日は春べと桜、この花」」とも読めることになります。日本語習得で苦労したに違いない渡来人の王仁は、「や・ら」の交替を意識しつつ、「梅」の国、中国から論語と千字文を伝えた「桜」の国日本、その両国の橋渡しをした自分と子音の交替を重ねつつこの歌を詠んで、意外や意外、密かにほくそ笑んでいたのかも知れません。

2012年4月24日



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第74回 「早く宿題やって遊ぶべ」

2012-02-19 11:24:30 | 日本語ものがたり
 ご周知の通り、現代日本語の母音は『あ・い・う・え・お』の5つです。とは言っても、その使われ方は一様ではなく、「え」は他の4つと比べて使われる頻度がかなり少ないのです。先ず、国語学者大野晋の「日本語の文法を考える」(岩波新書:1978)に挙げられているデータをご紹介しましょう。それは、万葉集の5,14,15,17,18,19,20合計7巻に使用された万葉仮名の総数を音節ごとに集計したもので、音節の総数は4万1947。その母音ごとの分布は下記のようでした。なお、ここでア列音というのは「あ・か・さ・た・な・は・ま」のように、母音アを含んだ音節のことです。

ア列音:  12,120 28.9%,
イ列音:  9,633 23.0%,
ウ列音:  6,415 15.3%,
エ列音:  3,838 9.1%,
オ列音:  9.941 23.7%

 ご覧の様にエ列音は大変少なく、ア列音の三分の一以下です。さらに、エ列音は単語の始めに出て来ることが非常に少ないこと、僅かしかないエ列音で始まる単語の半数以上は漢語であること、の2点を踏まえて、大野は「歴史以前の日本語にはエという母音はなかった」という大胆な仮説を立てました。大野によれば、エ音は「a+i」あるいは「i+a」の二重母音から日本語に二次的に発生した母音なのです。例えば命令形の「行け」も時を遡れば、「行き+あ」であったらしく、確かに、各地の方言には「行きあ〜(あるいは行きや〜」)と言う表現が今でも各地に残っています。このブログの読者も日本各地にいらしゃるでしょうから、あるいは心当たりがあるかも知れません。

 さて、そこでハタと思い当たるのはモントリオールで日常耳にするフランス語で「家」のことを「メゾン」と言うことです。これもスペルを見ますと「méson」ではなく「maison」ですね。スペルから、昔は恐らく表記通りに「マイソン」と発音されたであろうと想像されますが、二重母音の「アイ」が「エ」と変わったことと、上記の「アとイの連続から新しい母音エが出来た」という日本語の状況は実によく似ています。

 長々と書いて来ましたが、ここまでが実は今回の話題の「枕」なのです。今回お話ししたかったのは「何故形容詞で『い』の前にエ音が来ないか」という問題です。

 国文法で言うところの用言(文中で形が変わるもの)である形容詞は全て「い」で終わりますが、「あかい・かわいい・古い・面白い」のように最後の「い」の前は「あ・い・う・お」の4つのみで、「え」の場合を探してもなかなか見つかりません。日本語の母音は「あ・い・う・え・お」の5つだと思っていてはこうした状況は説明出来ませんが、「エ音」は昔の日本語になかったと知ると何となく納得できます。先月まで2回の記事で扱った「な形容詞」では「有名な」「綺麗な」など「え+い」は可能ですが、これらも「有名・綺麗」が本来は漢語だということで例外扱いが出来る訳です。

ところが、です。探してみると例外はあるもので、和語でしかも「い形容詞」でありながら「い」の前が「エ」である単語が実は数例あるのです。いえ、「あった」と言うべきかもしれません。もう現在では使われていないからです。そんな例外を二つだけご紹介しましょう。

  一つは「至る所にいる(ある)という意味の」「あまねい」です。これは現代日本語では副詞の「あまねく」にかろうじて姿をとどめています。古語は「あまねし」で、本来であれば「青し」が「青い」になったように「あまねい」という言葉になる筈でしたが、廃れてしまいました。「言葉は生きている」とよく言われますが、それは単語にとっては熾烈な生存競争でもあって、その過程で「あまねい」は生き残ることができなかったわけです。もう一つの例は「そうあって当然だ」という意味の「〜べし」です。こちらはやや畏まった文語表現として、連体形の『べき』とともに平成の御代まで生き残りました。それが「日本人のあるべき姿」とか「断固主張すべし」などという表現です。さらに「べし」が幸運だったのは「し」が「い」となった形すら方言には残ったことで、それが東北、北海道などでよく耳にする「べい」(あるいはそれが短くなった「べ」)です。かく申す私も道産子なので、子供の時によく友達に「早く宿題やって遊ぶべ」などと言っていたことを今では懐かしく思い出します。(2012年2月)


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第73回 「嫌いな食べ物」

2011-11-20 22:06:32 | 日本語ものがたり
 このブログを読んでくださっている方からのアドバイスで、今回から「です・ます」調で書くことにしました。これまでの記事を書き換えることはしませんが、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

 日本語を教えるという仕事していると、「あれ、どうして?」と思うことがしばしばですが、今回の表題、「嫌いな食べ物」もそんな一例です。この日本語のどこが「あれ?」なのでしょう。ありふれた日本語だと、どなたも思われるに違いありません。ところが、実はそうでもないのです。それを分かって頂くためには、先ず日本語の形容詞を巡る状況を説明しなければなりません。      

 日本語には二種類の形容詞があります。日本の学校の国語の時間ではなく、外国語としての日本語教育ではこの二つを通常「い形容詞」と「な形容詞」に二分しています。名詞の前で「な」が現れるもの(例:「元気な人」の「元気」)を「な形容詞」、「面白い人」のように名詞の前に何も付かない「面白い」などが「い形容詞」です。

 日本語が母語の我々にとっては、後ろに名詞が続く時に「な」を付けるかどうかで両者は簡単に区別出来ますが、そのチェック能力を持たない学習者には、別の見分けかたを教えなくてはいけません。先ず教えるのは次の二つです。

 (1)漢語を含めた外来の形容詞は全て「な形容詞」。「元気、親切、便利」などは漢語、「キュート、エレガント、カラフル」などは英語であることは、漢字やカタカナの使い方を見ても一目瞭然です。

 (2)次に、和語(大和言葉)であっても、最後が「い」でなければ、「い形容詞」でないことは言うまでもありません。「静か、賑やか、好き」などがそうした例です。たとえ漢字が使われても「送り仮名」があれば、それは必ず和語です。

 以上の二つで、ほとんど全ての形容詞は学習者にも区別出来ます。つまり、(1)和語であって、しかも(2)「い」で終わる形容詞だけが「い形容詞」ということです。一見「い」で終わる様に見える「有名、綺麗、丁寧、曖昧、不快」なども、もとは漢語ですから、「い形容詞」ではなく、やはり「な形容詞」です。そもそも「有名、綺麗、丁寧」では「い」と書いても、その前の母音「え」と共に長母音の「ee」と発音されるのが普通で、「い」は見せかけにすぎません。関西の方言で「けったいな」というのがありますが、これまた元は漢語の「卦体(けたい)」です。以前(第67回)でお話しした「◯◯ちゃんみたいに」の「みたい」も「見た様」から来ているので、これまた「な」が付きます。

 さて、そこで表題の「嫌いな食べ物」に戻りましょう。「嫌い」は送り仮名もあって、どう見ても和語です。しかも「い」で終わっています。ですから、上の(1)と(2)だけを教えていては、間違いなく「い形容詞」と学習者が思う単語なのですが、「嫌いな食べ物」のように、「な」が使われるので、見かけとは裏腹に、これまた「な形容詞」なのです。

 実は「美味しい、面白い」などの「い形容詞」と違って、「嫌い」の裏には動詞があるのです。言うまでもありません。その動詞は「嫌う」です。そこで、同じ様に「-au」で終わる他の動詞と比べてみると、「出会う・間違う・祝う」などすぐ思いつきます。これらには一様に「出会い・間違い・祝い」など「い」で終わる名詞が対応しています。「嫌い」も「凝りすぎる嫌いがある」とか「好き」を上に付けた「好き嫌い」なら、「好き嫌いがある・ない」など、よく使う名詞となります。ただ、「出会い・間違い・祝い」の後に、さらに別な名詞を続けるには、「出会いの場所・間違いの訂正・祝いの酒」など「な」ではなくて「の」が選ばれます。ではどうして「嫌い」だけが「嫌いの人」ではなく「嫌いな人」と「な形容詞」になるのでしょう。

 その答えは、単語の意味にあるのです。「嫌い」は「好き」の反意語で、ともに気持ちを表す言葉です。たとえ「嫌う、好く」が動詞でも、それは「出会う・間違う・祝う」など積極的な行為を表すものと性格が違います。「嫌い」は確かに和語で「い」で終わりますが、形が共通の行為動詞の方は名詞となるのに、形は違っても意味に共通性のある「好き」の方に近づいて、「嫌い」は「な形容詞」の進路をとったものと思われます。

今回は、「嫌いな食べ物」に「あれ?」と思わされた理由と、たった一つの単語にも「小説よりも面白い」ストーリーがある、という好例をご紹介しました。これをお読みの方で、他にも「嫌いな」のような言葉をご存知の方は是非コメント欄でご連絡ください。(2011年11月)


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第72回 「したらね」

2011-10-17 21:22:13 | 日本語ものがたり
 前回、話題となった古川柳「左見右見して鰻屋へ山の芋」に追加したいのは「山芋が鰻になる」という表現があるということである。意味は「物事が急に意外なものに変わること。また、身分の低い者が急に成り上がること」(「広辞苑」)

 隠語の「山の芋=僧」という意味を知らないと笑うことが出来ない川柳と比べて「山芋が鰻になる」の方はいかにも文字通りで、頭を傾げる必要はなさそうだ。この表現と川柳がどういう関係なのかがよく分からないのは残念だが、江戸時代の庶民は「鰻」と聞いて「山芋」を連想したのだろう。

 「左見右見(とみこうみ)」という言葉から二つの方向を見るという話となった。「あ・こ」のペアから「あれこれ」「あれやこれや」「あちこち」「ああ言えばこう言う」「ああでもないこうでもない」など、もう一方の「そ・こ」のペアでは「そうこうするうちに」「それやこれやで」など多くの表現があることを見たが、それとも関連する日本語の「別れの挨拶」を今回は考えてみたいと思う。

 日本語の別れの表現というと、先ず筆頭に挙げられるのは「さようなら」だろう。何の疑問もなく使っている日常表現なのだが、その起源を考えるとなかなか面白いことがわかる。今やローマ字で書かれ外国語でも使われる「Sayonara」だが、言うまでもなく「左様ならば」が崩れたもので、意味は「そのようなら」。これもよく使われる「じゃそういうことで」と同じ発想の表現である。

 「そのようなら」の「そ」は、明らかに「こ・そ・あ・ど」の「そ」であるから、対話の相手を指して「あなたがそうおっしゃるなら」という意味で、もっと簡単な「それじゃ」、それが詰まった「じゃね」も結局同じ発想の表現ということになる。

 こう考えると「さようなら・それじゃ・じゃ・じゃね」などは極めて「他人志向」の表現だと言えるだろう。その「他力」ぶりは西洋語や中国語、朝鮮語などと比べるとさらに際立って顕著だ。「再び会いましょう」と再会を祈念するのが「再見(北京語)、Au revoir(仏語)、Auf Wiedersehen(独語)、Arrivederci(イタリア語)」など。「神様のご加護がありますように」と相手の無事を祈るのが「Good by(英語)、Adios(スペイン語)、Adieu(仏語)」など。神に言及はせずともやはり別れる相手の安寧・健康を祈る「Salut(仏語)、アンニョンヒー・カセヨ(ケセヨ)(朝鮮語)」などで、これらに見られる、話し手の積極的な意志性が「さようなら」には奇妙に欠如しているのだ。強いて探せば英語の「Well, then」、仏語の「Alors」などに近い。

「さよなら」は日常的でも、その源流の「左様ならば」まで遡れば俄然厳(いか)めしくなる。実は、日本人は歴史上一貫して他力の発想で別れの言葉を使ってきたのだ。「左様ならば」の別の言い方が「さあらば・さあらばよ」で、前者は「さらば」、後者は「あばよ」になった。つまり、武士の「さらばじゃ」から町人・侠客の「あばよ」まで、その底は「他人志向」という大きな流れで繋がっている。

思えば、子供の頃、北海道で育った私は「したらね」と言ってよく友達と別れたものだった。時間空間ともに故郷から遠く離れて今ではもはや使うことはないが、明らかに「そうしたらね」の「そ」が落ちた、これまた他力志向の表現である。高校で同期だった友人、新谷恭明君が最近出版した歌集「林檎の感触」にあった歌をご紹介しよう。昔日の言語空間が懐かしく胸に蘇ってくる。

したらねとあなたは小さく手を振つて二人の暮らしに終止符を打つ           新谷休呆  



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第71回  「左見右見(とみこうみ)して鰻屋へ山の芋」

2011-09-19 09:56:52 | 日本語ものがたり
 「左見右見して鰻屋へ山の芋」は、江戸時代の古川柳の一つである。優れた古川柳を集めた「俳風柳多留」には、当時の庶民のユーモアと感性の豊かさが横溢しており、江戸風俗の資料としても大変貴重なものである。

 柄井川柳(1718-90)は浅草新堀端に居を構え、竜宝寺門前町の名主でもあった。柄井が確立した古典的な川柳が古川柳と呼ばれ、明治以後復興されたものとは区別されている。下に挙げるものなどは、どれも代表的な古川柳だが、どなたもよくご存知のものばかりだろう。平成の現代日本にも通用するものが多い。

役人の子はにぎにぎをよく覚え
寝ていても団扇のうごく親ごころ
泥棒を捕らえてみれば我が子なり
居候三杯目にはそっと出し
本降りになって出て行く雨宿り

 ところが、表題の「左見右見して鰻屋へ山の芋」を初めて目にしたとき、私は意味が分からなかった。「山の芋」とは一体何だろう。それから、「左見右見」には「とみこうみ」と振り仮名がしてあったが、「み=見」はいいとして、「左」を「と」、「右」に「こう」と読むことに興味を引かれた。「さゆう」や「ひだりみぎ」なら分かるが「とこう」という読み方は珍しい。

 「故事ことわざ辞典」(学研1988)を見ると「左見右見」の意味がこう述べられている。「左を見たり、右を見たりすること、あちらこちら見ること」。どうやら漢語の「右顧左眄(うこさべん)」と似たような意味の和語が「とみこうみ」らしいと知れたが、それにしても右顧左眄では右が先なのに、なぜ左見右見では逆なのだろう、と思わないでもなかった。

 次に「山の芋」の意味だが、こちらはネットで調べて分かった。何と当時の隠語で「僧」のことを「山の芋」と言ったらしい。かくして、この川柳は「あちらこちらきょろきょろ見ながら、坊さんが鰻屋へ入って行く」という意味となる。そんな姿を江戸人が笑った理由も明らかで、僧たるもの、殺生戒と言って生き物は殺しても食べてもいけなかったからである。世間の目を忍ぶがゆえの「とみこうみ」が可笑しい。そう言えば、お酒を呑んでいけない不飲酒戒もあったから、こちらは「般若湯」(知恵の湧き出ずる湯)と称して、やはりちゃっかり呑んでいた。宗教人とは言っても、日本では絶対を掲げる原理主義でなく、建前と本音を使い分けるところが却って健(したた)かと言うべきか。

 右が先か、左が先かという問題は置くとしても、「と」と「こう」のペアからも面白いことが分かった。先ず「こう」の古形が「かく(=斯く、是く)」だったということ。岩波古語辞典には「とみかうみ」とあり、「かく=>かう=>こう」と推移したことが分かる。そう言えば、「かく」の入った「かくなる上は」「かくして」「かくも盛大な」などがあるが、これらは「こう」で置き換えられる。

 「と・こう」の新しいペアの例は少なくても、古い方の「と・かく」なら多くの語例がある。「ともあれかくもあれ」とその約の「とまれかくまれ」、「とにもせよかくにもせよ」とそれが煮詰まっていった「とにもかくにも」「ともかくも」「ともかく」「とにかく」「とかく」だどだが、全て「あれやこれや、どっちにしても」という意味で、やはり二つ比べていることになる。二方向を「見る」のが「左見右見(とみこうみ)」、「ある」のが「ともあれかくもあれ」、「する」のが「とにもせよかくにもせよ」と、二方向の後に動詞が続く点でも共通している。

 「と・こう」や「と・かく」と似たものに、「あ・こ」のペアがある。「あれこれ」「あれやこれや」「あちこち」「ああ言えばこう言う」「ああでもないこうでもない」などと多い。「そ・こ」のペアでは「そうこうするうちに」「それやこれやで」など。いずれの場合も、二方向を見るという点では共通しており、そう考えると、和語の「とみこうみ」(左見右見)」に漢字の「左右」が使われたことも至極納得出来るというものだ。     (2011年9月)

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第70回 「東日本大震災から2週間がたちました」

2011-06-17 17:46:24 | 日本語ものがたり
 変化しつつある日本語を数回にわたって取り上げているが、今回の話題は「数量を表す副詞の名詞化」である。

 日本語は、よく知られているように、数量の表現が英仏語などとかなり違っている。例をあげると、「He bought five tickets/Il acheta cinq billets」において、数量である「five/cinq」は形容詞的に名詞を修飾している。これに対して、日本語の数量は、動詞にかかる副詞となるのだ。副詞だから文の中で移動することも出来て、「切符を5枚買った」でも「5枚切符を買った」でもいい。つまり、ここの「5枚」は、「切符」というモノにかかるのではなく、「買う」というコトにかかっていると言っていいだろう。数量だけで副詞だから、「が・を」などの格助詞をつける必要もない。

 一方、英仏語の「five/cinq」は明らかにモノにかかっているから移動の自由はなく、そのモノの前に置かれる。もっとも、「five tickets」のように直前の場合と、「five expensive tickets」の様に、間に他の形容詞が挟まる場合があるが。

 対象がお金の場合だと、さらに面白い違いが出て来る。自分の財布をのぞいて予期せぬお金に気付いた日本人なら、「おっ、5000円ある!」とでも言うところだろう。で、ここで何があるかと問われれば「お金」である。だから格助詞の「が」は「お金」にはついても「5000円」にはつかない。モノであるお金の「あり方」を、やはりこの場合も副詞の「5000円」で示すのだ。ただし、「円」や「ドル」がつけば、それだけでお金であることは明らかだから、わざわざ「お金が5000円ある!」と言う人は先ずいない。

 お金の場合、英仏語ではどうなるだろう。今度は上で見た「five tickets」のように名詞にかかるのではなく、金額が名詞そのものとなるのだ。「I have 5000 yen/J’ai 5000 yen」というような文となり、副詞のままとどまる日本語とは大きく違っている。

 さて、以上が日本語における数量表現の基本なのだが、どうやらこの原則が揺らいできたようである。以下の例をご覧戴きたい。
この新しい傾向が気になるのは、これらが特にマスコミで多用されるからだ。ニュース原稿などは標準的・模範的とされる文章で、校正も経て使われており、その意味からも国民に与える影響は大きかろうと予想される。

(1) 520人が犠牲となった日航機墜落事故から12日で25年がたちました。
(2) 大阪・堺市のホテルで、死後約一週間がたった男性の遺体が見つかりました。
(3) 犯人の発砲を受けて、警察の特殊部隊が応戦し、銃撃戦となった。犯人は射殺されたが人質も9人が死亡した。
(4) 地元メディアによると、車には4人が乗っていたということです。

 これらの例でも明らかなように、私がメモを取った限りでは、「数量表現+格助詞」の用例は人数と時間に集中している。つまり上に例として出したような文では、まだ「5枚を買いました」や「5000円がある!」などと言い換えられてはいない。それでも名詞に数量を続けて「切符5枚を買いました」ならよく聞くし、英仏語に似た形容詞的な用法である「三匹の子豚」や「七人の侍」なども既に定着した語彙である。こうしたことを考えると、今後さらに時間が経てば、人数と時間以外のモノに関しても、「数量表現の形容詞的用法や名詞化」が進む可能性はありそうだ。
 
 さて、今月、数量の問題を取り上げたきっかけは、キャンディーズのスーちゃんこと、田中好子さんのお葬式である。ついこの間、4月21日に乳がんで亡くなったスーちゃんは、ファンに向けてのメッセージを亡くなる直前に吹き込んで用意してくれていた。そのメッセージが弱々しい声で葬儀場に流れる。

 「こんにちは、田中好子です。きょうは3月29日、東日本大震災から2週間たちました。被災された皆様のことを思うと、心が破裂するような...、破裂するように痛み、ただただ、亡くなられた方々のご冥福をお祈りするばかりです。わたしも、一生懸命病気と闘ってきましたが、もしかすると負けてしまうかもしれません…」

 死ぬ直前に被災者のことを思いやる優しさに心が揺さぶられるが、それと同時に、次の一点で大いに憤りを覚えた。スーちゃんは「2週間たちました」と正しく言ってるのに、私が見たFNNの字幕では「2週間がたちました」と「が」が加えられ、副詞の「2週間」は名詞に変えられていたのだ。スーちゃんが病床で何度も推敲したに違いないメッセージを、簡単に変えてしまうマスコミの不遜さ。これではスーちゃんが浮かばれない。人生最後の、魂を振り絞ったような言葉を勝手に「校正」する権利など、誰にもない筈だ。(2011年6月)


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第69回 「日本人が出所直後に逮捕です」

2011-04-29 20:06:47 | 日本語ものがたり
 前回から、変化しつつある日本語の新しい状況をいくつか取り上げている。第二回目は、「動詞文が名詞文に化ける」傾向だ。分かりやすく言いかえれば「〜ます」とその様々な変化形で終わっていた動詞文が、たった一つの「名詞+です」に全て収斂してしまうことだ。聞いていて「あれ?」と思わされるこうした「疑似名詞文」が、特にニュースで多用されていることに気づいたのは最近のことである。先ずは実例をご覧いただこう。

(1)「長寿大国日本が抱える問題点を検証です」
 「長寿大国日本が抱える問題点を検証します」のことだとは分かるが、思わず「え?」と言いたくなる。さらにいくつか、インターネットで聞いてメモしたニュースの引用を下に並べてみた。(2)から(7)までは、全て実際にアナウンサーやレポーターが口にしたものである。アナウンサーの場合は間違いなく原稿を読んでいるのだから、これらは正しい文として原稿が書かれ、校正さえパスしたことになる。

(2)「北海道で降った激しい雨による崖崩れが温泉街を直撃です」
(3)「逃げた男の写真を公開です」
(4)「逮捕されたのは17歳の少年で、小学六年生の胸や腹などを刺し、殺害した疑いです」
(5)「日本人が出所直後に逮捕です」
(6)「来月上海でのSMAPコンサートにも暗雲です」
(7)「人気の知事が不出馬を表明です」
(8)「菅さん、どういう答弁をするかが注目だったんですけど…」

 私にはこれら全てが「耳障り」なのだが、このブログをお読みの皆さんはどう思われるだろう。文によっては意見が分かれるかも知れない。明らかな誤用は別として、文として自然(=正しい)か不自然(=間違い)かの判断は人によって微妙に異なるからだ。

 明らかな間違いと思われた表現がいつしか市民権を得て、正しい表現となることは実は珍しくない。コセリウという言語学者の有名な著作を和訳したときに、風流な、しかし原題とは全く関係のない題をつけた国語学者、亀井孝のことを思い出した。訳書のタイトルは「うつりゆくこそことばなれ」というのである。単語のレベルの顕著な例を一つだけ挙げるなら「新しい」の読みも「あらたしい」から、いつしか「あたらしい」に変わってしまった。(昔の読み方は今でも「気持ちを新たにする」などに残っている)

 そうした事情を十分理解した上だが、もし私が校正を任されたデスクなら、これら(1)から(8)の全てに迷うことなく朱を入れるだろう。そして文末をこう変える。(2)「直撃しました」(3)「公開しました」(4)「殺害した疑いが持たれています」(5)「逮捕されました」(6)「暗雲が立ちこめています」(7)「不出馬を表明しました」(8)「菅さん、どういう答弁をするかが注目されたんですけど…」 結局、ワンパターンに「です」で終わっていた「疑似名詞文」を、「ます」(とその変化形)を使って本来の「動詞文」に復元するだけのことだから、誰にでも簡単に出来る操作である。

 添削したい理由は簡単で、私の耳に(1)から(8)までの文が、こなれた自然な文に聞こえないことに尽きる。不自然に聞こえる理由はないわけではない。「を・に・で」などの格助詞(を伴う補語)は動詞文に現れるのが基本で、名詞文では使われにくいからだ。だから、「結果を発表した」の方が「結果を発表だ」より文の坐りがいい。「結果の発表だ」ならまだしも。

 人によっては、例えば上記の(5)において、一体問題となっている日本人が「逮捕した」のか、「逮捕された」のかが曖昧だから悪文だ、と言う人がいるかも知れないが、それはちょっと違うだろう。文の意味は文脈で分かればいいので、全ての事実関係を明らかにする文がいい文だとは言えないからだ。この点で別な例を挙げれば、「田中さんが好きだ」などという文は、話題の田中さんが「好いている」のか、「好かれている」のか、両方の可能性があるけれど、対話の場という「文脈」さえ与えられれば、全く自然に聞こえる。

 とは言っても、おそらくは、(5)「日本人が出所直後に逮捕です」のような新傾向の文も、これから多用され続けるに従って、若い世代の日本人には自然な文と見なされていくのだろう。前回取り上げた「為替介入を実施を致しました」のような「を入れ文」が、今の所は誤用と見なされるのに対して、今回の「疑似名詞文」の方は、「正誤」ではなくて「好き嫌い」で評価される状況なのだと思う。いずれにしても、今から一世代も後になったら、「え、どこが問題なの?」と逆に聞かれるようになるに違いない。栄枯盛衰、盛者必衰、諸行無常でこそ「生きた言葉」というものなのだから。「うつりゆくこそことばなれ」は、蓋し名言である。(2011年4月)


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第68回 「一貫を致しているところであります」

2011-04-04 09:58:47 | 日本語ものがたり
 日本へ帰るたびに同胞の、それも若者の日本語に耳を傾けるが、さすがは母語でほぼ完全に理解出来るのは嬉しい限りだ。最近の日本語は変わりつつあると言う人が多いが、せいぜい外来語、あるいは日本語らしく味付けした和製英語が増えたぐらいではなかろうか。今日の日本語も、基本的には、30年以上前に私が日本で話していた言葉そのまま、という印象を受けている。

 とは言え、やはり言葉は生き物である。さらに目を凝らし、耳を澄ませば、「あれ?」と思う変化がないわけではない。面白いのは、インターネットのYouTubeなど動画サイトで、話し言葉に字幕が添えられる場合に、両者に微妙な違いが現れることだ。これは、話し言葉の表現がいまだに「間違い」と見なされ、そのエラーが字幕で修正されるからだろう。私のような言葉ウォッチャーには見逃せない用例で、せっせとメモを取っている。

 これから「最近の日本語」を三回ほどの連載で試みたいと思う。第一回は、「行為名詞+する」のケースだ。行為名詞はほとんどが二字の漢語で、「勉強、運転、許可、判断、研究、観光」など、何でもいい。これに和語の「する」を添えて動詞化したものを仮に「行為の複合名詞」と呼んでみよう。

 「行為の複合名詞」が最近、妙な使われ方をする。その前に直接目的補語「名詞+を」を伴ったときに、「行為名詞+する」に余計な「を」が出現するのだ。結果として「を」が二回現れる。何とも不思議なのは、際立って政治家に使用例が多いことである。

 例えば私がメモを取った例では、岡田克也外相(当時)が、インドの核実験をコメントして、こう述べている。「そういうことがあれば我々としては協力を停止をします」。前外相に負けてはならじと思ったか、前原誠司外相(当時)も「核ミサイル・拉致、この問題を解決をした上で…」と言っている。どう考えても、岡田氏は「停止します」、前原氏は「解決した上で」と言った方が良かった。その証拠に、動画の編集段階で正誤の判断が下され、どちらの場合も字幕スーパーではちゃんと2つ目の「を」が消されている。

 実はこれらは日本語教室でもよく見られる間違いで、「漢字を練習する」と「漢字の練習をする」はどちらも正しいが「漢字を練習をする」と言ったり書いたりしたら、これはペケで、教師は迷わず直す。日本の政治家に直す人がいないのは残念である。

 あまりに多いのでもうメモを取るのは止めたのだが、ノートに残っている誤用を列挙してみよう。なお、最初の例については第46回「安倍首相の日本語力」でも取り上げた。
(安倍晋三首相(当時))「先ほど、党の五役に対しまして私の考え、決意を、お伝えを致しました」
(野田佳彦財務相)「先ほど為替介入を実施を致しました」(字幕は「実施しました」)
(原口一博総務大臣(当時))「小沢さんの支持を表明をさせていただきたいと思います」(字幕は「表明させて」)
(同)「非常にこの地域(=尖閣諸島)の重要さ、それを痛感をしたところでございます」(字幕は「重要さを痛感した」)

 さて、上で「(名詞)を(行為名詞)をする」の例を誤用と見なす根拠は、「を」の不必要な重複と言えるだろう。ところが、『お言葉ですが…(5):キライなことば勢揃い』(文春文庫2004)を読んでいたら、先行の「名詞+を」がないものまで、筆者の高島俊男氏は「耳障り」だと見なしているのに気がついた。読者のお手紙にまで「耳障り」と断じるのは高島氏らしいが、何とも手厳しい。

 「新幹線のアナウンスで「まもなく発車をします」「次は名古屋で停車をします」。読者のお手紙にも「感動をしました」「お待たせを致しました」とありますが、耳障りです」 

 そんな高島氏に是非お見せして感想を聞いてみたい、とっておきの文が菅首相の国会答弁の中に登場した。
(菅直人首相)「私のこの考え方は一切ぶれておらず、一貫を致しているところであります」(字幕は「一貫している」)

  これなどは誤用を越えて、もはや滑稽の領域ではなかろうか。「一貫する・一貫している・一貫して」は一続きの単語で、「一貫を・する」とは普通切らない。「協力を・する」などとはかなり性格が違うのだ。そして「一貫を・する」が変なら「一貫を・致す」も同様に変ということになる。むしろここでは「一貫する」を切らずに「一貫しております」と言うべきだったろう。上記の高島氏ならずとも「一貫を致しております」で既に耳障りだが、菅首相はさらに、行為の進行形と誤解されそうな「しているところ」を続けたために、被害をさらに大きくしてしまった。(2011年3月)

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第67回 「◯◯ちゃんみたく可愛くなりたい」

2011-02-16 22:51:25 | 日本語ものがたり
 言葉に関する「よしなしごと」をこのブログで書き続けているわけだが、とりわけ嬉しいのは読んだ人からコメントや質問が寄せられる時である。間違いを正して下さる方、知らなかった新事実を教えて下さる方、どちらも有難く大助かりで、手を合わせてお礼申し上げている。

 今回の表題「◯◯ちゃんみたく可愛くなりたい」もそうだった。前回、「馬鹿みたい」のような「みたい」は「見た様」が崩れたものだから、「馬鹿みたいだった」とは言うが、「馬鹿みたかった」とは言わないと書いた。すると、ある方からこういうお便りを頂いたのである。「拝啓。(…)確かに『馬鹿みたかった』は間違いで、『馬鹿みたいだった』が正しいと思います。でも『◯◯ちゃんみたく可愛くなりたい』という言い方はどうですか。若い人ならよくこんな風に言いますよ。勿論『◯◯ちゃんみたいに可愛くなりたい』の方が正式でしょうが」
 
 う〜ん、なるほど。仰せの通りである。これは盲点を突かれました。しかし、この方がいみじくも「若い人ならよくこんな風に言いますよ」というところにご注目頂きたい。これは若者言葉なのである。ちなみに『日本俗語大辞典』(米川明彦:東京堂出版2003)を見ると、こう書いてある。

 ☆みたく(助): 「みたいに」というべきを形容詞的に活用したもの。〜みたいに。〜のように。東北・北関東では昔からあることばで、それが東京に入り、関東地方に広まった新方言。若者語。

 さらにインターネットの検索エンジン、グーグルに「みたく みたいに」と単語を二つ放り込んでを調べてみた。すると、出てくるわ、出てくるわ。この二つの表現の比較に、日本人と日本語学習者の多くが情熱を燃やしていることがわかった。面白かったのは、まるで東京の電話帳みたいに(電話帳みたく?)分厚い、あの『現代用語の基礎知識』の1983年版には既に『みたく』が「若者用語」として収録されているという話で、そうすると30年近く前にはもう「みたく」が若者の間で使われていたことになる。

 さらに驚いたのは、それより早い1979年に、かつて一世を風靡したピンク・レディーが歌っていたという「Do Your Best」の歌詞である。こういう所があるらしい。「イエス・キリストみたくやさしく、ジュリアス・シーザー以上にsexyな男」  この歌で「みたいに」を「みたく」にしたのは、明らかに若者ファンを意識したものだろう。早速「ググって」みたら、作詞は伊達歩という人である。1975年に日本を離れカナダにやってきた私は聞いたこともない歌だが、皆さんはご存知でしたか。

 それにしても、「みたく」が誤りか、そうでないのか、という話に突然「ピンク・レディー」が登場したという見事なオチに、しばし笑ってしまった。というのは、このコンビがアメリカに進出した際に、グループ名が間違いだと言われたことからである。確かに、「ピンク・レディー」と呼ぶのは英語では「誤り」で、(ミーとケイの)二人なら「ピンク・レディーズ」と複数でなくてはならない。ビートルズの4人が登場しようとするステージで、司会者が「ザ・ビートル!」と叫ぶ滑稽さを想像してみよう。一世を風靡したアメリカの兄妹コンビ、あの「ザ・カーペンターズ」だって、コンビだから「ズ」がつくので、苗字は「カーペンター」だった。澄んだ声が印象的だったが、可哀想に拒食症で亡くなってしまった妹はカレン・カーペンターである。

 さて、最後に前回の宿題を取り上げる。残っていた問題は、「食べにくい」と「食べづらい」が、全く同じ意味で取り替え自由なのか、ということだった。「〜するのが難しい」という意味で現在も使われる「づらい」と「にくい」のニュアンスに果たして違いはあるのか。

 結論を言えば、ここにも時代の流れがあるのだ。「食べがたい」とはもう言わないように、「かたい・つらい・にくい」の三人組で一番古いのは「かたい」だったが、その次が来たエースが「にくい」なのである。以下、早稲田大学講師、飯間浩明さんのブログ『ことばのページ』に頼りながら書くと、山田俊雄の『ことば散策』(岩波新書1999)によれば、夏目漱石はもっぱら「〜にくい」を使っており、「〜づらい」は僅かに『草枕』の中に出て来る「生きづらからう」だけであるらしい。また山田自身も漱石に賛成で「〜にくい」ばかりを使っており、「〜づらい」は「私の耳底を刺激する」から不快だ、とまで書いているとのこと。

 しかし、漱石や山田氏のような「にくい派」は、今ではほとんどいないだろう。優勢だった「にくい」の領域を、後発の「づらい」が次第に席巻して行って、現在は両者の力が拮抗していると思われる。私自身も「言いにくい」と「言いづらい」を両方ともよく使う。しかし、使う場面が微妙に違うような気がしないではない。「言いにくい」のは、例えば、お金を落としてしまった子供が母親にそのことをなかなか言えないような場合の「意志的・主観的な拘り」。一方、「言いづらい」は、どちらかと言えば、「特許許可局許可局長」のような早口言葉の場合の「無意志的・客観的・技術的困難」で使うことが多い。もっとも、完全に分けているのではなく、あくまでも傾向だが。

 例えば、「見えにくい・聞こえにくい」と言って、「見えづらい・聞こえづらい」とは言いにくい。これも、「見える・聞こえる」が無意志動詞だからではないだろうか。とは言え、言葉は生きて変化しつづけている。両者の使い方は人によって違うのだろう。結局、新参者の「づらい」が「にくい」を押しのけて勝利する出世物語に、現代の日本人は立ち会っているということかも知れない。   (2011年2月)

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第66回 「和語と親しむ(6): つらい・かたい・にくい」

2011-01-27 22:10:30 | 日本語ものがたり
 今月も和語の話を続けてその6回目としよう。表題は和語の形容詞「つらい・かたい・にくい」とした。漢字で書けば「つらい」は「辛い」、「にくい」は「憎い」だ。「かたい」には様々な漢字があって、「硬い・固い・堅い」などとあれこれ思いつく。

 これらの形容詞を取り上げるのは、これらが一つの顕著な特徴を共有しているからだ。それが何か、ご存知だろうか。もしすぐ答えられる人がいたとしたら、きっと日本語を外国語として教えた経験があるに違いない。

 正解は、これらの形容詞の全てが、動詞の連用形に後置して「〜するのが難しい」という意味を表すという点である。だから「信じがたい、言いにくい、食べづらい」などとなる。この共通点が分かりにくいのは、おそらく「連濁(れんだく)」のせいである。トリオの内、「つらい」と「かたい」では、語頭が濁って「づらい(例:分かりづらい)」、「がたい(♫忘れがたきふるさと」などとなるからだ。これに対して「にくい」の「に」は、これに対する有声音はないから、そのまま「にくい(覚えにくい)で使われる。なお「かたい」や「にくい」を「難い」と書くことがあって、振り仮名が無ければ「言い難い」が「言いがたい」なのか「言いにくい」なのか区別出来なくなる。
 
 さて、ここまで読まれた方の頭の中に、いま、疑問符「?」が点滅してはいませんか。何故意味が同じなのに、3つも形容詞があるのだろう…?という疑問が。因みに、逆の意味の「〜するのが易しい」の場合、動詞の連用形につくのは「やすい」一語である。難しいの方が三つある理由の一つは、「日本語が時代とともに変化したから」だ。その証拠に、これら三つの和語には歴史的盛衰(浮き沈み)があった。早い話が「つらい・かたい・にくい」の中には、動詞との新しい組み合わせを作る力をもはや失ったものが一つある。

 それは「かたい」だ。「♫忘れがたきふるさと、曰(いわ)く言いがたい、忍びがたきを忍び耐えがたきを耐え…」などは、それぞれ歌詞、昔から言い継がれた常套句、終戦の勅語であって、日常生活では「動詞+がたい」はもはや新たに作り出されない。例えば、何かを食べようと箸でつまもうをするが、表面がつるつるして滑り落ちてしまう。そんな時、皆さんならどう言うだろうか。「取りにくい・取りづらい」とは言うが、「これ、ちょっと取りがたいね」などと言うのは相当変わった人だ。「かたい」は残り2つの形容詞に跡を譲って、この仕事をリタイヤした、と言っていいだろう。「かたい」さん、長年のお勤め、お疲れさまでした。

 もっとも「かたい」氏は、日本語に大変重要な足跡を残し、まさに功労賞ものの大和言葉である。お気づきだろう、日本人なら今日でも毎日数回は使う、最もありふれた感謝の言葉「ありがとう」が「かたい」氏の残した作品なのだ。「有難い」とも書くように、「あることが難しい」が原意である。面白いのは外国語との共通点で、「硬い」の意味の英語hard、仏語durがそれぞれ動詞を伴って「hard to say/dur a dire」(aにはアクサン・グラーヴがつく)となると俄然「〜するのは難しい」の意味となる。ヒトが何かを「難しい」と感じるときに、その状況を具体的な皮膚感覚で「硬い・hard・dur」と表現することにはきっと普遍性があるのだろう。それは問題が「氷解」したり、素直でない人間について「頑(かたく)な・頑固(がんこ)・石頭」などと、いずれも「固いイメージ」を使うことにも明らかだ。

 「ありがとう」が「あり+かたい」から来ていることを現代日本人が意識しないのと同様に、語源が意識されないもう一つの例は、「きれい・美しい」の反意語の「みにくい」である。よく「醜い」と漢字で書かれるせいか、これが「見ることが難しい」の「見・にくい」から来ていることも、なかなか気づかれない。これとよく似ているのが「馬鹿みたい!」という時の「みたい」で、ここにも「見る」が隠れている。とは言え、「見たい」ではなく、その語源は「見たよう(=様)」である。「馬鹿みたいな話」とは「馬鹿見たような話」から「みたような=>みたよな=>みたいな」と変化した。その証拠に、「馬鹿みたいだ」の過去は「馬鹿みたかった」ではなく、「馬鹿みたいだった」となる。もし語源が「見たい」であったら「見たかった」となる筈だから。

 一度学生から「あいにく(生憎)」という言葉について、「これは「会い(合う)+にくい」から来ているんですか」と聞かれたことがある。なるほど「生憎」は「(両者の都合が)合いにくい」と解釈出来ることも出来るし、実にいい質問だ。しかし、実は半分しか合っていない。「あいにく」は古語の「あやにく」の崩れたもので、「あや」は動詞でなく感動詞なのだ。後半は「生憎」とも書くように確かに「憎し」の語幹で、意味は「あぁ、憎たらしい」である。「あやにく」が「あいにく」になったのは「や=>い」の変化で、これは「みたよな」が「よ=>い」と転じて現代日本語で「みたいな」になったこととよく似ている。

 最後に残った問題は、「がたい」が生産性を失った現代日本で依然使われている「づらい」と「にくい」のニュアンスの違いだ。果たして「食べにくい」と「食べづらい」が全く同じ意味なのかどうか、次回はそれを考えてみよう。(2011年1月)

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第65回 「和語と親しむ(5):消せど燃ゆる魔性の火」

2010-11-21 22:59:07 | 日本語ものがたり
 前回、和語の面白さの一つとして「時を越える働き」を指摘した。英語ならば「to ask」と「to listen」に分かれる行為が、和語では「きく(訊く・聞く)」一語で間に合う、というような例をいつくかあげた。

 この「きく」の例では、さらに「効く」を加えていいかもしれない。いたずらをした子供に「そんなことをしては駄目だよ」と、よく言い「聞かせた」とき、叱られた子供が言われたことをその後よく守ったら、その子は「聞き」分けがよいとされる。すると、「(言いつけを)聞く」のは、叱った効果があったわけで、その意味では「(薬が)効く」と同じかも知れない。「訊く=>聞く」から、さらに「聞く=>効く」まで、漢字でこそ書き分けるものの、和語としては一つの「きく」が「時を越えて」行く。考えてみると、そもそも「時(とき)」という言葉自体が、「解き、溶き、融き」と同じ語源なのだ。時間の流れに沿った変化がここでも暗示・予想されている。

 他の動詞では『よむ』がある。ある風景に心を動かされて俳句や短歌が浮かんだとしよう。これは「詠む」ので、創作の営為である。その作品を、誰か他の人が鑑賞するなら、そちらは「読む」わけだ。ここにもかなり長い時間の推移がある。

 さて、こんな和語の世界と実に対照的なのが英仏語の動詞である。こちらは、時を延ばしていく和語とは逆方向に、時を縮め、一瞬の出来事のように表現することが多い。そうした例を日本語と対比しながらいくつか見ることにしよう。

 先ず「to drown」という動詞が思いつく(仏語は「se noyer」)。「He drowned in the river」」はどういう意味だろうか。これを「彼は川で溺れた」と和訳してはいけないことを知って、大変驚いたことがある。

 何故か。日本語の「溺れる」では、まだ死んだかどうか、分からない。だから「川で溺れたが、危ないところで助けられた」と言える。ところが「to drown」の意味は「溺れる」ではなく「溺れ死ぬ、溺死する」なのである。だから「He drowned in the river, but he was saved」は意味をなさない。

 同様に「to burn」も「燃やす・燃える」だけでは不十分で、日本語なら「手紙を燃やしたが、燃えなかった」と言えるのに、英語の「I burnt the letter, but it didn’t burn」は意味的に矛盾した文となる。

 結局、辞書にはいちいち書いていないが、「burn」の厳密な意味を日本語で言えば「燃やし尽くす、燃え尽きる」なのである。反意語の「to extinguish/to put out」の「消す」も、日本語なら、今回のタイトルのように「消せど燃ゆる魔性の火」は可能だが、英語には直訳出来ない。これは2000年の大ヒット曲「TSUNAMI」(作詞作曲:桑田佳祐)の歌詞の中にある表現だ。その直前には「止めど流る清(さや)か水よ」という言葉もあるが、やはりここでも同様のことが言える。英語なら「to try」などの動詞を加え、「消そうとしても燃え続ける」なり「止めようとしても流れてしまう」などという文に変えなくてはいけないだろう。日本人がよく口にする「死んでも死にきれない」などという表現も、そのままは「Even if I am dead, I can't die completely」などとは訳せない。

 ここで少しまとめると、日本語では一つの動詞である状況の様々な局面を表現出来る。つまり一語に対応する時間がゴムのように長く引き延ばされるわけだ。一方、英語では「drown、burn」の例のように、こちらは「溺れたと思ったらもう死んでいる」「火がついて燃え尽きる」わけだから、時間の流れがそこには殆ど感じられない。「溺れつつある」「まだ燃えている」なら「be + ing」とわざわざ現在進行形にしなければいけないのだ。

 こうした日本語と英語の特徴的な違いを考察した著作が影山太郎の『ケジメのない日本語』(2002年、岩波書店)である。影山はその本のなかで、二つの言語は結局「物の見方(視座)が違う」からだと説明している。そしてさらに踏み込んで、これは単なる語彙の問題ではなく、文章の構成の点でも、英文では結論を先に述べてしまうのに、日本語では前置きが長く、結局何が言いたいのか、最後まで読んで初めて分かる、と述べている。確かに大いに思い当たるフシがあって、説得力があると思われた。

 影山があげている相撲の決まり手の例が面白いのでご紹介しよう。英語なら「The komusubi thrust the yokozuna out of the ring」で十分意味が通じるが、これを日本語に直訳した「小結が横綱を土俵の外へ突いた」は何とも滑稽である。確かにこの場合は「突いた」ではなく「突き出した」と言わなければいけない。「決まり手」だから、英語のように結果まで含んだ言い方をするわけだ。考えてみると、「突き出し、押し倒し、押し出し、はたき込み、寄り切り、送り出し」などと決まり手のほとんどが動詞二語の「合わせ言葉」になっている。そうしないと「ケジメ」がつかないのが、良くも悪くも、日本語ということなのだろう。(2010年11月)

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第64回 「和語と親しむ(4): 時の流れに身をまかせ」

2010-10-17 22:04:20 | 日本語ものがたり
日本語ものがたり(第64回) 「和語と親しむ(4):時の流れに身をまかせ」

 和語の面白さの一つに「時を越える働き」があると思う。ある状況の様々な局面が、英仏語などで幾つかの語彙にまたがるのに、和語ではたった一つの動詞で表現できる例が多い。かつて一世を風靡した歌姫テレサ・テンではないが、大和言葉も「時の流れに身をまかせ〜」と洒落たいところだ。気付いたままに5つほど例を挙げるが、他にもたくさん別の例があるに違いない。

 前もってお断りしておきたいのは、その様々な局面が複数の漢字で書き分けられる可能性である。漢字が違うので、一見別の言葉であるように思われがちだが、和語としては一語である。日本語は漢字が導入される前から存在していたことを忘れてはいけない。

 トップバッターは「はなす」。これには「放す・離す」と「話す」の二つの意味がある。「放す」は「to set off, to release」だが、それと「話す」の「to speak」とは英語では全く別の動詞である。それなのに、何故日本語では、「放して下さい」と「話して下さい」が同じ発音の文になるのだろう。それは「放す・離す」と「話す」が、漢字導入以前の和語では一つの単語だったからだ。

 日本人が何か物を言うとき、それは頭の中にある思いを「解き放す」行為と考えられたのである。「思い」は口から解放された時に初めて「言葉」となる。第一、「ことば」とは「ことのは」が原意で、「コト(事)」の「(ほんの)ハシ(端)」にすぎないものだ。(岩波古語辞典)。ゆえに、言葉を「放す」行為と、その結果の「話す」は切れておらず、繋がっていることになる。

 次の例は「きく」、これもかなり面白い。自分がどこにいるのか、分からなくなったとしよう。道行く人を呼び止めて「あのう、すみません…」と道を「聞く・訊く」。これは「to ask」だ。たまたま相手がいい人で、いろいろと親切に説明してくれたとしよう。そうするとその説明をやはりこちらは「聞く」わけで、これは英語なら「to listen」だ。この例などは先ず最初に話し手の「聞く(訊く)」がなければ聞き手からの答えを「聞く」こともできないわけで、やはり「時を越え」ているのだが、古来より日本人は一つの繋がった状況と捉えてきたことがわかる。

 3つ目の例は「あやまる」。「放す・話す」と同様に、こちらも漢字では「誤る・謝る」と書き分けているが、和語としてはまたしても同じ一つのものだ。何かしくじったり間違えることを「誤る」(to mistake)といい、それに気付いて「すみませんでした」と言うのが「謝る」(to apologize)である。この例においては、英語では全く違う単語だし、もし自分のエラーにすぐ気付かなかった場合、あるいは気付いてもすぐには謝らなかった場合には、さらに長い時間の隔たりが生じることになる。

 生き方を間違えるという意味で「身を誤る」という言い方もあるから、「身を誤ったのは五年前だが、まだ迷惑をかけた人たちに謝っていない」などとも言うことも可能だ。それでも、その長い時の流れに身をまかせて「あやまる」の一語ですませてしまう和語の鷹揚さは一体どこから来ているのだろう。

 それで思い出したのが「起きる」と「寝る」である。よくご存知のように「起きる」には「目を覚ます」意味の「to awake」と、床を離れる「to get up」の2つがある。もう一方の「寝る」には「to go to bed」と「to fall asleep」そしてさらに「to sleep」と、対応する英単語は3つにわたる。ここにも時間差があるわけで、寝つきの悪い、いわゆる不眠症の人ともなれば、就寝は10時だったのに、実際に寝入る(「就眠」ともいうらしい)のは午前1時だったというような悲惨なことにもなる。そして寝入った後は数時間「眠る」わけだが、日本語はそれもまた「寝る」と言えるのだから誠に一貫している。かくして、「10時に寝た」といえば「to go to bed」(あるいは「to fall asleep」)の意味だが、「ああ、よく寝た」とか「10時間も寝た」なら、これは明らかに「to sleep」の方である。

 さて、これら5つの例の共通点をさぐってみると、「時の流れ」とは「原因」と「結果」の融合でもあることがわかる。ある連続する変化の相(アスペクト)が一語の和語に溶け合っているのだ。たとえば「誤ったから謝る」のだし、「聞く(=尋ねる)からその答えを聞く」のだし、「寝て(=床について)、その結果、寝て(=寝入って)、その結果、8時間寝る(=眠る)」のである。あたかも全てが繋がっているように見える和語の世界は誠に興味がつきない。(2010年10月)

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第63回 「和語と親しむ(3):隠された動詞」

2010-09-17 12:08:50 | 日本語ものがたり
 和語の魅力をさらに追いかけていこう。あるとき、小説を読んでいたのだが「愁子がふらりとやって来たのは、日曜日であった」という文に目が止まって、先に進めなくなった。「日曜日であった」か。ここは「日曜日だった」とも言えるな、と思い始めたら、そこからどんどん和語の面白さが頭の中に広がっていったのである。

 そう言えば、明治期の言文一致運動の過程で、例えば「我輩は猫である」のような文の終わりが「猫である」=>「猫であ」=>「猫だ」と変化したと、どこかで読んだ気がする。もしそうなら「であ(dea)」が「だ(da)」になるのは、上の例で「日曜日であった」と「日曜日だった」の違いと並行している。

 つまり連続する二母音のうち一つが落ちて単母音になったのだ。「千曲川旅情の歌」(1905)で島崎藤村は「小諸なる古城のほとり」と美しく詠んだが、この「小諸なる」の元は明らかに「小諸にある」で、ここでも同様に「nia」から「na」への、つまり二母音の連続から単母音への変化が見てとれる。

 事ほど左様に、日本語には、母音連続を避けて子音(C)と母音(V)を交互に「CVCVCV」と並べる傾向がある。そのための手段には二通りあって、一つは上でみた、母音を一つ落とす方法。つまり「CVV」を「CV」とするやり方である。もう一つは、本来はない筈の子音をわざわざ持って来て、連続する二母音の間に挟んで分離するという離れ業だ。こちらの方法では「CVV」は「CV」でなく「CVCV」となる。

 えっ、そんなことしてるの、と驚かれるかもしれないが、この例は結構多い。例えば「氷雨」という言葉は好例だろう。本来は「ひあめ」だが「hiame」が言いにくいので、子音「S」を持って来て間に挟み「hi-S-ame」とした。これが「ひさめ」の誕生である。

 それから一段活用動詞の終止・連体形もそうした例だ。語幹が子音で終わる動詞を学校文法で五段活用動詞と呼んでいるが、その語幹に「u」を続けた語形が「nom-u、kak-u、hashir-u」。つまり終止・連体形「飲む・書く・走る」となる。一方、一段動詞は語幹が母音で終わる(例:「食べ、起き、上げ」)ものだから、五段動詞のように「u」を加えると、母音連続(例:「tabe-u」)が発生してしまう。そこで「氷雨」の時のように子音を挟む。ここで選ばれた子音は「R」である。かくして終止・連体形は「tabe-R-u、oki-R-u、age-R-u(食べる・起きる・上げる)」となっているわけだ。

 これと関連するのが、二つの動詞が繋がっている複合動詞において、後ろの動詞が「あ」で始まる場合である。それが「あう・ある・あぐ」の動詞トリオだ。前が五段動詞である場合、その語幹は子音だから、後ろの動詞の「あ」と融合して、日本人の好む「CV」が出来上がる。しかし結果として一つの問題が起きる。それは、他の子音と融合した「あ」が別の平仮名になって、語源が見えにくくなってしまうことなのだ。その意味で、複合動詞における「あう・ある・あぐ」のトリオはまさに「隠された動詞」である。これは歴史的仮名遣い(=旧仮名)を使っても駄目で、ローマ字のみが明らかに出来る語源だ。

 トップバッターの「ある」は漢字で書けば「在る、有る、生る」で、「ある状況でそこにある」、つまり動作主の意志を超えてその状況で「ある」、あるいは「そういう状況になる」という意味が加わる。日本語の自動詞の多くがこの形をしているのも当然だろう。例:閉まる(shim-ARU)、分かる(wak-ARU)、始まる(hajim-ARU)、曲がる(mag-ARU)、変わる(kaw-ARU)

 続く二番手は「あう」。これは「合う、会う、逢う」で、「お互いに、あるいは協力してに何かをする」と言う意味が共通している。上の自動詞を作る「ある」ほど例は多くないものの、そう言われて初めて「共同性」に気づく動詞ばかりだ。例:戦う(tatak-AU)、向かう(muk-AU)、語らう(katar-AU)、住まう(sum-AU)

 「語り合う」なら「合う」に気づくのに、それとよく似た動詞の「語らう」はもはやローマ字で書かないと「-AU」は出て来ない。同様に「戦う」の原型が「叩き合う」だったことを意識して使っている日本人は少ないだろう。それに気づくには、かなりの想像力が必要だ。狂言の太郎冠者がよく「これはこのあたりに住まひいたす者でござる」とやるが、「住まい」とはその地に他の村人と共同生活をしている、という「住み合う」意味を含んだものであったことも、ローマ字で書いて初めて分かるというものだ。なるほど、一人で暮らしていては、村は出来ない。そもそも「村」とは「群れ」と同じ語源から来ているのだから。

 さらに加えると「夜這い」がある。これは「夜+這う」と書かれることもあって、男が夜、人目を忍びつつ女の家に這って行くと思われがちだが、語源は「呼び+合う」からと言われる。なるほど、男女の合意がなければ大変なことになるのだから、ここは男女は互いに呼び合った方が無難というものだろう。

 さらに例は少なくなるが、三番目の「あぐ」も同様。これは「上ぐ、揚ぐ、挙ぐ」で、文字通り「上方に移動する」意味が加わる。例:捧ぐ(sas-AGU)、もたぐ(mot-AGU)

「捧ぐ」とは「差し上ぐ」、蛇が鎌首を「もたぐ」のも「持ち上ぐ」とほぼ同じ意味である。もっとも「あぐ」は古語で、現代日本語では「あげる」に変わった。今では、それぞれ「捧げる」と「もたげる」と言うわけである。(2010年9月)

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第62回 「和語と親しむ(2):平仮名の向こうに」

2010-05-31 10:19:43 | 日本語ものがたり
 和語の「男と女」を取り上げた前回のつづきである。「おとこ」に対応する語は、本来は「おんな」でなく、「おとめ」だったことが先ずわかった。(旧仮名は「をとこ・をとめ」)そこで、次に、二語の共通部分である「おと」を消去して、残りの「こ」と「め」こそが「男女差」を表す和語の最小単位であることを見た。最後に、他に「こ」vs「め」で男女差が言い表せる例があるかどうかを探したところ、男女の子供をいう「むすこ・むすめ」、若い男女を呼んだ「いらつこ・いらつめ」、元来は「太陽の子」という意味だった「ひこ(彦)・ひめ(姫)」の三つが見つかった、というのが前回のお話である。今回は「こ・め」をさらに短く出来ないかをさぐってみよう。結論を言えば、それが出来そうなのである。

 その前につけ加えるべきことが一つある。「男女差」を表す和語には、「こ・め」以外に、どうやらもう一組あったらしいのだ。それは、先月の記事の前半で述べた、老年の男女を意味する「おきな・おみな」から明らかである。若い男女の「おとこ・おとめ」から「こ・め」が出て来たのだが、「おきな・おみな」のペアにおいては、男女差を表しているのは「き・み」だ。

 そこで、前回と同じように「き・み」が男女差を表す言葉を探ってみると、岩波古語辞典が一つだけ教えてくれた。古事記に登場する日本神話の「いざなき・いざなみ」である。漢字では「伊邪那岐・伊邪那美」などと書かれるが、ここでは和語が問題であって漢字表記の「岐・美」は当て字にすぎない。また「いざなき」の最後は「ぎ」と濁ることがあるが本来は清音の「き」である。言うまでもなく、この二柱の男女神は夫婦であって、大八洲(おおやしま)と呼ばれる日本国土を生み(=「国生み」)、皇祖天照(アマテラス)大神やその弟スサノヲらを生んだ(=「神生み」)とされている。

 さて、それではここで「こ・め」と「き・み」を並べてみよう。するとすこぶる興味深いことがわかる。二つのペアに共通点があるのだ。それは子音で、どちらの場合も「K・M」で対立している。他の子音が多数ある中で、同じ子音のペアが二回も同じ意味で使われるなど、まさか偶然の一致ではありえない。おまけに「き・み」は母音が同じではないか。すると、結局男女差は子音同士の「K・M」に行き着くことになる。

 また、以前「沖縄のことば(47回)」でも書いたように、大昔の日本語には母音が「ア・イ・ウ」の三つしかなかったというのが大変有力な仮説であることを思えば、もう一方の「こ・め」だって、「K・M+本来日本語にはなかった母音」とは少なくとも言えるから、こちらのペアからも同じ結論が引き出せそうである。すると、初めは二組あると思われた「こ・め」と「き・み」は、さらに短い、しかも一組だけの子音「K・M」というに収斂してしまうのだ。

 こんなに面白いことを日本の国語の時間になぜ教えないのだろう。教えてほしかったと思う。学校で教えてくれないのは、おそらく「活用表」を始め国語の文法が平仮名で説明されるからではないだろうか。「K・M」はどちらも平仮名で書けない。

 アルファベットを使って初めて気付かされる和語の素晴らしさの好例をもう一つだけあげるなら、和数字がある。「あめあめふれふれかあさんが(56回)」でもちょっと触れたが、日本人は物を数える時に、「いち・にい・さん・しい・ごう・ろく・しち・はち・きゅう・じゅう」と漢数字を使うか、あるいは「ひい・ふう・みい・よう・いつ・なな・やあ・ここ・とお」と和語を使う。この稿をお読みのみなさんはどちらだろう。56回では、漢数字、和数字のいずれの場合も、全て二拍(モーラ)で数えられているということに注目したのだが、今回は同じ和数字を別の角度から眺めてみよう。「ひい・ふう・みい…」に使われている子音だけを取り出して、そこに何か規則性がないか、考えて頂きたいのだ。子音はこの順で「H-H-M-Y-T-M-N-Y-K-T」である。

 よく見ると「H、M、Y、T」の四つが二回ずつ使われていることがわかる。あとは「N、K」が一回ずつだ。次に、「H、M、Y、T」に数字を当てはめてみると「H(1、2)、M(3、6)、Y(4、8)、T(5、10)」。それぞれ倍数になっているのだ。同じ子音が二回ずつ使われる理由はここにある。1から10までの中で倍数関係に加われないのは「7、9」の二つ。それがゆえに「N、K」は一回ずつなのである。

 この和数字の倍数法については大野晋著『日本語の起源』(1957)に教えてもらった。何故か「H(1、2)、M(3、6)、Y(4、8)」の4例だけで、「T(5、10)」は取り上げられていなかったが。その後、田中克彦の『国家語をこえて』(1993)を読んでいたら、中に「ヒフミの倍加説」という論文があり、既に江戸時代に荻生徂徠が「ふたつはひとつの音を転ずるなり」という語源解釈をしていたことが述べられていた。

 ことほどさように、和語の世界はハマるとなかなか出て来られないほど魅力的である。とりわけ「平仮名の壁」を越えたところに、日本人にもあまり知られていない和語の秘密がかくされていると言えるだろう。学校文法はその点からも大きく見直す必要があると思われてならない。(2010年5月)

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