遠い昔の思い出話である。受験した大学が二つとも不合格だった私は北海道から上京し、予備校の寮に入ることになった。ぽっと出の田舎者にとって、首都圏での新生活は人生の大転機である。戦場のごとき予備校での一年間の詰め込み授業。翌年の春、何とか二浪を免れて新入生になった時は、心身ともに疲れ切っていた。
正門の近くに陣取って、キャンパスに入ろうとする学生に笑顔で近づき、話しかけてくる人たちがいた。若い女性が多かったように記憶するが、もちろん男性もいただろう。不思議なことにいつも二人組だった。「おはようございま~す」と声をかけて来ては、薮から棒にこう質問するのである。「神様に関心がありませんか?」
いわゆる新興宗教団体への勧誘なのだった。いきなり神様と言われても「はい、よくぞ聞いてくれました」と答えるような学生は、今も昔も日本には少ないだろう。私とて同様で、何も言わず手を振って足早に立ち去ったものだ。「東京ってとこは、何とも変な人たちがいるもんだなぁ」と思いながら。
数ヶ月後、彼らは戦術を変えていた。ある日を境に「神様」は姿を消し、質問はこう変わった。「幸せになりたいですか?」
最初の質問が変わっただけで後の勧誘は同じなのだが、なるほど、よく考えたものだ。確かに、この質問には「いいえ」とは答えにくい。マーケティングってやつだな、と彼らなりの工夫、戦術の改善にちょっぴり感心したものである。
そんな昔のことをふと思い出したのは、去る8月30日の衆議院総選挙がきっかけである。大川隆法主宰の宗教団体「幸福の科学」を母体とする政党の名前が「幸福実現党」だったからだ。「幸せになりたいですか?」と聞かれた学生時代が彷彿として蘇った。「幸福実現党」は、合計337人もの立候補者(小選挙区288人、比例代表区49人)を出したものの、大川総裁も含めて全員が落選している。
それもその筈である。全くの好奇心で「選挙公約」をインターネットで読んでみたが、内容は荒唐無稽。日本を大統領制に移行させるとか(大統領は当然大川総裁を想定しているのだろう)、歴史上初めて減り始めた日本国の人口を2030年には三億人まで増加させ、GDP世界一の国家にする、しかし日本人だけでは無理なので、うち一億人(!)は移民でまかなうとか、まさにトンデモ公約なのだった。
さて、このエッセイは「日本語ものがたり」だから、後半は言葉の話をすることにしよう。和語の「しあわせ」の語源、それから漢字「幸」の字源を調べてみた。
「しあわせ」という言葉を、例えば紫式部は知らなかった。これは室町時代になって初めて生まれた語だからである。さらに意味も今日とは違っていた。今でも時には「仕合わせ」と書くように、語源的には複合動詞(し+合う)の使役形「しあわせる(し+合わ+せる)」の名詞形であり、今日で言う「巡り合わせ」と同じ意味だったのだ。当初は「しあわせ善し、しあわせ悪し」と評価の形容詞を伴って用いられた理由もそこにある。江戸時代になって、「しあわせ」のみで「幸運な事態」を表すようになり、さらに「事態」から「気持ち」へと意味が移って、漢字も「仕合わせ」から次第に「幸せ」と書くようになったのである。
「しあわせ」という和語の元の意味を正しく理解して作ったと思われる歌があるのでご紹介したい。中島みゆき作詞作曲の「糸」(1992)だ。実は順序が逆で、この歌を聞いてから「しあわせ」の語源を調べてみようと思ったのだけれど。
なぜめぐり逢うのかを 私たちはなにも知らない
いつめぐり逢うのかを 私たちはいつも知らない
どこにいたの 生きてきたの
遠い空の下 ふたつの物語
縦の糸はあなた 横の糸は私
織りなす布はいつか誰かを暖めうるかもしれない
縦の糸はあなた 横の糸は私
逢うべき糸に出遭えることを人は「仕合せ」と呼びます
ご覧のように、漢語は一つも使われておらず、すべて和語(大和言葉)の歌詞となっている。日本に生まれてよかった、日本語ってこんなに美しい、としみじみ思えるような作品だ。
続いて漢字「幸」の字源を調べてみた。字源には色々な説があるが、有力なのは「(刑罰として手にはめる)手かせ」の象形文字であるとする説だ。この説が正しいとすると、原意は「手かせ」や「刑罰」だったが、後に「手かせをはめられる危険から免れたこと」を意味するようになり、「思いもよらぬ運に恵まれたこと」から「幸運、幸せ」へと変わったことになる。
「幸=手かせ」と考えてこそ、「執(=つかまえる):手かせ+人が身体を丸めた姿」や「報(=仕返し):手かせ+膝まづかせた姿+手」など他の漢字もうまく理解出来ることを考えると、この字源説には説得力がある。
これで、和語の「しあわせ」と漢字の「幸」の共通点が見えて来た。それは、両者ともに長い旅を経て現在の意味に到ったという点である。幸福も得てしてそういうものかも知れない。(2009年9月)
応援のクリック、よろしくお願いいたします。
正門の近くに陣取って、キャンパスに入ろうとする学生に笑顔で近づき、話しかけてくる人たちがいた。若い女性が多かったように記憶するが、もちろん男性もいただろう。不思議なことにいつも二人組だった。「おはようございま~す」と声をかけて来ては、薮から棒にこう質問するのである。「神様に関心がありませんか?」
いわゆる新興宗教団体への勧誘なのだった。いきなり神様と言われても「はい、よくぞ聞いてくれました」と答えるような学生は、今も昔も日本には少ないだろう。私とて同様で、何も言わず手を振って足早に立ち去ったものだ。「東京ってとこは、何とも変な人たちがいるもんだなぁ」と思いながら。
数ヶ月後、彼らは戦術を変えていた。ある日を境に「神様」は姿を消し、質問はこう変わった。「幸せになりたいですか?」
最初の質問が変わっただけで後の勧誘は同じなのだが、なるほど、よく考えたものだ。確かに、この質問には「いいえ」とは答えにくい。マーケティングってやつだな、と彼らなりの工夫、戦術の改善にちょっぴり感心したものである。
そんな昔のことをふと思い出したのは、去る8月30日の衆議院総選挙がきっかけである。大川隆法主宰の宗教団体「幸福の科学」を母体とする政党の名前が「幸福実現党」だったからだ。「幸せになりたいですか?」と聞かれた学生時代が彷彿として蘇った。「幸福実現党」は、合計337人もの立候補者(小選挙区288人、比例代表区49人)を出したものの、大川総裁も含めて全員が落選している。
それもその筈である。全くの好奇心で「選挙公約」をインターネットで読んでみたが、内容は荒唐無稽。日本を大統領制に移行させるとか(大統領は当然大川総裁を想定しているのだろう)、歴史上初めて減り始めた日本国の人口を2030年には三億人まで増加させ、GDP世界一の国家にする、しかし日本人だけでは無理なので、うち一億人(!)は移民でまかなうとか、まさにトンデモ公約なのだった。
さて、このエッセイは「日本語ものがたり」だから、後半は言葉の話をすることにしよう。和語の「しあわせ」の語源、それから漢字「幸」の字源を調べてみた。
「しあわせ」という言葉を、例えば紫式部は知らなかった。これは室町時代になって初めて生まれた語だからである。さらに意味も今日とは違っていた。今でも時には「仕合わせ」と書くように、語源的には複合動詞(し+合う)の使役形「しあわせる(し+合わ+せる)」の名詞形であり、今日で言う「巡り合わせ」と同じ意味だったのだ。当初は「しあわせ善し、しあわせ悪し」と評価の形容詞を伴って用いられた理由もそこにある。江戸時代になって、「しあわせ」のみで「幸運な事態」を表すようになり、さらに「事態」から「気持ち」へと意味が移って、漢字も「仕合わせ」から次第に「幸せ」と書くようになったのである。
「しあわせ」という和語の元の意味を正しく理解して作ったと思われる歌があるのでご紹介したい。中島みゆき作詞作曲の「糸」(1992)だ。実は順序が逆で、この歌を聞いてから「しあわせ」の語源を調べてみようと思ったのだけれど。
なぜめぐり逢うのかを 私たちはなにも知らない
いつめぐり逢うのかを 私たちはいつも知らない
どこにいたの 生きてきたの
遠い空の下 ふたつの物語
縦の糸はあなた 横の糸は私
織りなす布はいつか誰かを暖めうるかもしれない
縦の糸はあなた 横の糸は私
逢うべき糸に出遭えることを人は「仕合せ」と呼びます
ご覧のように、漢語は一つも使われておらず、すべて和語(大和言葉)の歌詞となっている。日本に生まれてよかった、日本語ってこんなに美しい、としみじみ思えるような作品だ。
続いて漢字「幸」の字源を調べてみた。字源には色々な説があるが、有力なのは「(刑罰として手にはめる)手かせ」の象形文字であるとする説だ。この説が正しいとすると、原意は「手かせ」や「刑罰」だったが、後に「手かせをはめられる危険から免れたこと」を意味するようになり、「思いもよらぬ運に恵まれたこと」から「幸運、幸せ」へと変わったことになる。
「幸=手かせ」と考えてこそ、「執(=つかまえる):手かせ+人が身体を丸めた姿」や「報(=仕返し):手かせ+膝まづかせた姿+手」など他の漢字もうまく理解出来ることを考えると、この字源説には説得力がある。
これで、和語の「しあわせ」と漢字の「幸」の共通点が見えて来た。それは、両者ともに長い旅を経て現在の意味に到ったという点である。幸福も得てしてそういうものかも知れない。(2009年9月)
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ハンドルネームはカンムリですか。トヨタ・カムリの話を教室でしましたよね。あれは何年前のことでしょう。
今度は会えるといいですね。ご主人によろしく。
(と言ってもミクシィ以外には分からないだろうが)
ときどきクラスで「漢字の足し算」ってのをやってる。
辛=>幸=>南 とかね。
日本の南に住む幸せな嵐。辛いことなんてないべさ。
「糸」は大好きな歌で、聴くたびに感動してます。
仕合わせ、しあわせ、幸せ。
出会い、運、手かせ。
面白いですね。
ちなみに社名「つき」はLucky:幸運の意味です!
帰国されましたら、是非名酒「冬の月」をお試し下さい。蔵本は(今、調べましたら)岡山の嘉美心酒造です。
いつも新しい発見をさせてもらってます。
ところで
今年も「冬の月」がまもなく発売されます。
蔵元によると今年は少しはやめで、12月第一週のようです。今年で発売から10年目、おかげさまで「冬の月」の人気はうなぎのぼりです。
たき先生が宣伝してくれているとは感激です。
おや、ミクシィがこっちに溢れてきたね。ありがとう。
嵐センセの書き込みもあったし。
「冬の月」は名酒だけど、あの「ぐい呑」に書かれた文がジーンと来ます。
運がいいとか悪いとか、自分の心が決めている
心が変われば運命が変わる
ツキを呼ぶぐい呑
冬の月 おーい