金谷武洋の『日本語に主語はいらない』

英文法の安易な移植により生まれた日本語文法の「主語」信仰を論破する

第59回 「朝青龍、角界を去る」

2010-02-17 11:58:06 | 日本語ものがたり
日本語ものがたり(第59回) 「朝青龍、角界を去る」

 2年前、この連載51回目「横綱の品格」(2008年3月)に以下のような文章を書いた。ちょっと長いが2段落引用する。

「横綱朝青龍の「品格」が様々な出来事を通じて疑問視されているのはご周知の通りだ。朝青龍に横綱の品格が疑われる最大の理由は、「伝統的相撲精神」からの逸脱である。相手を睨みつけて威嚇したり、ガッツポーズと思える仕草をしたり、自分の親方との上下関係を理解せずに親方を無視したり、懸賞金を左手で受け取るなどのルール違反を平気でするからである。そこに感じられるのは「強ければいいんだろう」という驕りでしかない。

 何度も指摘されるように、横綱には強いだけではなく「心・技・体」が求められる。「けたぐり・張り手」など「小細工」を使わず、「自然物を彷彿とさせる」風格と勢いで相手を圧倒するしてこそ「横綱相撲」と日本人は賞賛してきたのだ。2006年11月場所8日目に朝青龍がけたぐりで勝った点について、女性初めての横綱審議委員である内館牧子が「けたぐりという言葉からして下品。あの品格のなさは何なんだと思う」と言い、朝青龍が仕切りのさいに廻しを叩いて気合を入れる仕草についても「みっともない」と喝破したが、私は全く同感だ。芭蕉の有名な俳句で言うなら、力士の理想は「古池」であって、「蛙」ではいけないのだ。蛙ですらいけないのに、四股名通りに「龍」になられてはさらに困る」

 その朝青龍が、去る2月4日に突然、引退を表明した。引退とはいうものの、その実は角界からの事実上の追放である。何しろ、泥酔した挙句に一般人に暴力を振るい、鼻骨を折る大怪我を負わせたというのだから深刻だ。しかも自分が優勝した初場所中の出来事である。これを受けて横綱審議委員会もついに重い腰を上げ、朝青龍の引退勧告書を日本相撲協会の武蔵川理事長に提出した。「一連の不祥事は畏敬さるべき横綱の品格を著しく損なうもの」と、「横綱失格」の烙印を最終的に押したのである。以前から心配されてはいたが、朝青龍はついに取り返しのつかない失態を演じてしまったのだ。

ここに至っては進退窮まり、追放されるよりはまだまし、と先手を打って「自発的に」引退届を出したのだが、他に取るべき道はなかったであろう。一般人に対する暴行事件であり、傷害罪で今後逮捕される可能性もあるのだから、伝統ある相撲史に残る一大不祥事と言わねばならない。今後、長いこと語り継がれるであろう。

上記引用箇所にも登場する内館牧子は、横審の任期中、朝青龍の素行の悪さを終始批判し続けた人物だが、今回の事件をこうコメントしている。「朝青龍が自ら引退したことはベストの選択だったと思う。「出処進退は自ら決める」というのは角界の美意識でもあり、横綱たる者がいかなる処分でも勧告されて従うというのは恥ずかしいことです。「天敵」と呼ばれた私ですが、この選択には安堵しています。今後、日本であれ、他の外国であれ、どこかで何かの仕事をなさるでしょうが、その際、その国とその業界、その仕事に対して敬意を払うことを忘れないで欲しいと思います。朝青龍は日本に、角界に、そして相撲という仕事に、敬意が欠けていた。それを持てば、彼のよさがもっとあらわれ、そして評価されると考えています」(朝日新聞:2月5日)

容赦のない批判ではあるものの、今後の身の振り方について適切なアドヴァイスもしているのはお見事と言うべきである。とりわけ私が注目したのは「日本に、角界に、そして相撲という仕事に、敬意が欠けていた」という一文で、朝青龍が言われ続けてきた「品格のなさ」はつまることろ「敬意のなさ」に発していたことを内館は鋭く見抜いている。「強ければいい」という驕った発想が、今回の事件を引き起こしたのだ。

相撲は奈良、平安に遡る「相撲の節(すまひのせち)」を起源とする、実に長い日本の伝統文化である。それは何よりも宮中で行われた神事であり、力士たちの姿は、強ければ強いほど、「たおやか」でなければいけなかった。「たおやか」とは、しなやかで優しく、柔らかいことである。つまり「荒々しい」の反対なのだ。横綱ともなれば、序列が下の荒々しい力士たちが力任せに当たってくるのを、ぐいと受け止め、たおやかに、しなやかに相手の力を圧倒して、まるで自然物のように倒すのが理想である。力士の四股名に「山、峰、海、洋」など自然物が多用されるのもそのために他ならない。

なお、「たおやか」の旧仮名は「たをやか」で、これで分かる様に「たわむ(撓む)」と同源である。和数字の「十(とお。旧仮名は「とを」)」もまた、手を撓む(5本の指を折ると10になる)が語源なのだとか。さらに興味深いのは、たおやかな女性を「たおやめ(手弱女)」と言い、この反対が「ますらお(益荒男)」であることだ。朝青龍の振る舞いを「強いんだから少々やんちゃでもいい」と男性の多くが許し、内館牧子を始め多くの女性が逆に眉をひそめたのも、この辺りに理由がありそうである。(2010年2月)

応援のクリック、よろしくお願いいたします。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿