皆様、明けましておめでとうございます。2016年初頭の今回は、昨年暮れにはシリアからの難民受け入れが当地カナダでも大きな話題になりましたので、難民の母語と受け入れ国の公用語に関係のある話題を取り上げてみましょう。
移民が受け入れ国で話されている言葉を習得する際に、どうしても母語の影響を「お国訛り」として残してしまう傾向があります。これが「母語の干渉」と呼ばれるものです。一例を挙げましょう。「自分の子供達」のことを話していて「サ」が濁らず、「メサンファン(mes enfants)」と発音する移民がいたら、その人の母語は、ほぼ間違いなくスペイン語だと言えます。同じように、「私の友達たち」は正しいフランス語の「メザミ(mes amis)」でなく「メサミ」と発音されます。
その理由は実はフランス語の方にあると言った方がいいかもしれません。仏語を外国語として習った日本人なら誰でも知っている「リエゾン(liaison)」がその理由です。フランス語では前の単語が発音されない/s/で終わって、後ろの単語が母音で始まる場合、この/s/はリエゾンの結果/z/と濁音化するという音韻規則もリエゾンに含まれるのです。その例が今例に挙げた「mes enfants」で、一語ずつ区切って発音されると「メ」+「アンファン」になりますが、必ず切らないで一語のように言われますので「メザンファン」とリエゾンされます。別の言い方をすると、フランス語では、「S intervocalique」つまり「母音と母音に挟まれたS」は、いつも/Z/と発音されるのです。日本料理が好きなケベックワたちが得意そうに発音する「スープ•ミゾ」(味噌汁)や「ワザビ」(山葵)の「ゾ」や「ザ」が濁音になるのもそのせいです。こちらはいちいち直したりしませんが、一度、大阪のことを「オーザカ」と発音されたのを聞いた時には、さすがに大都市の固有名詞ですから放っておけず、「おおさか」と清音に直してやりました。
スペイン語でも前の語の最後のSとそれに続く語の最初の母音が一緒になって一語のように発音されますが、こちらでは濁りません。ですからこの/S/はそのまま/S/で発音されて「メサンファン」となるわけです。外国語訛りのフランス語で、「あ、この人は中南米出身の移民だな」と気づくには、「リエゾンされるべき/S/がそのまま/S/で残る」かどうかが一番のチェックポイントとなります。かなり流暢なフランス語を駆使するスペイン語母語話者でも「メサミ」や「メサンファン」と言い続けるのが却って不思議なくらいです。かなり頑固な「母語の干渉」ですね。
そんなことを考えていた時、ふと日本語の連濁のことを思い出しました。連濁というのは、例えば「て(手)」に「かみ(紙)」が続いて、「てがみ(手紙)」になるという類の現象です。上の例で「メ•アンファン」が「メ•ザンファン」となる変化を見ました。さて、日本語でも、例えば、「かな(金)」に「さわ(沢)」が続いた地名では「かなざわ(金沢)」と、/s/が/z/に代わります。これらはよく似ていますが、連濁は日本語のリエゾンに当たるものなのでしょうか。
答えは否です。先ず、フランス語では前の語の最後に発音しない/S/がありますが、日本語にはありません。次に、日本語では二つの語が続いて一つの単語になる時に「しばしば」清音が濁音になるだけですが、フランス語の方は常にそれが起こり、いわば義務的です。さて、今「しばしば」と書いたのには、ちゃんと理由があります。決して連濁しないケースもあるからです。その一つが、清音で始まる後ろの語の中に濁音が既にある場合です。例えば「大きい空」は後ろが濁って「大空(おおぞら)」ですが、「大きい風」では「風」にすでに濁音の「ぜ」があるので「おおがぜ」ではなくて「おおかぜ」です。「首飾り」も同様で「くびがざり」という人はいませんよね。私自身、この「連濁回避のルール」をたまたまある機会に知ったのですが、殆どの日本人が気づかないでそのルールを守っていることに、実に驚いたものです。
さて、最後にモントリオールの街中で見た、リエゾンと連濁に関する秀逸な例をご紹介してお別れしましょう。それはダウンタウンのパーク通りにある日本料理店「居酒屋(いざかや)」の看板のことです。アルファベットで書かれた入り口の看板には「ISAKAYA」と書かれているのを見て、私は思わず手帳にメモを取りました。他にも店名に「いざかや」を含んだ日本料理店は市内に2、3軒あるのですが、全て「IZAKAYA」となっているのでなおさら驚きました。
日本語では(座るの意味の)「居(い)」と清音で始まる「酒屋(さかや)」が続くので、予想通りに連濁を起こして「いざかや」となるのですが、この看板が面白いのは、「ISAKAYA」のスペルを見たら、フランス語話者の客が反射的に/S/を濁らせて、ちゃんと「いざかや」と読んでくれるからです。「スープ•ミゾ効果」とでも言いましょうか。濁る理由はもうお分かりですね。二番目の/S/が母音と母音に挟まれているからで、一見、言語上の微笑ましい「日仏友好関係」を醸し出しています。想像するに、このお店をオープンするに当たって、経営者の方は/S/を使うか、/Z/を使うかでしばし立ち止まり、知恵を絞られたのではないでしょうか。その際に、/S/が選ばれた理由として、私は可能性が二つあると思います。
(1)オーナーが濁音を嫌ったこと。これは世界に知られた自動車メーカーの「トヨタ」が、本来は創立者の豊田佐吉の名前から「トヨダ」だったのを、濁音を嫌って「トヨタ」に代えたとされることと同じです。オートバイやピアノの有名なメーカー「ヤマハ」も同様で、創立者の苗字は「山葉(やまば)」でした。地名にもそうした例はあります。例えば九州の佐世保を土地の人は頑固に「サセホ」と発音し、「サセボと発音するのはヨソ者」と思っているのだそうです。(参照:外山滋比古「ことばの四季」)
(2)オーナーがフランス語を公用語とするケベック州の土地柄を考えて、自然に「いざかや」と濁って発音してくれる「ISAKAYA」にしたこと。どちらにしても、スペイン語はおろか日本語でさえ「いさかや」と発音してしまう「ISAKAYA」をあえて選択したところに、私はオーナーの心意気を感じてしまいました。それがこっちの勝手な思い込みなのかどうかを、次回お店の暖簾をくぐった時には、ぜひ伺ってみようと思います。
応援のクリック、どうぞよろしくお願い申し上げます。
2009年7月7日からのアクセス数
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移民が受け入れ国で話されている言葉を習得する際に、どうしても母語の影響を「お国訛り」として残してしまう傾向があります。これが「母語の干渉」と呼ばれるものです。一例を挙げましょう。「自分の子供達」のことを話していて「サ」が濁らず、「メサンファン(mes enfants)」と発音する移民がいたら、その人の母語は、ほぼ間違いなくスペイン語だと言えます。同じように、「私の友達たち」は正しいフランス語の「メザミ(mes amis)」でなく「メサミ」と発音されます。
その理由は実はフランス語の方にあると言った方がいいかもしれません。仏語を外国語として習った日本人なら誰でも知っている「リエゾン(liaison)」がその理由です。フランス語では前の単語が発音されない/s/で終わって、後ろの単語が母音で始まる場合、この/s/はリエゾンの結果/z/と濁音化するという音韻規則もリエゾンに含まれるのです。その例が今例に挙げた「mes enfants」で、一語ずつ区切って発音されると「メ」+「アンファン」になりますが、必ず切らないで一語のように言われますので「メザンファン」とリエゾンされます。別の言い方をすると、フランス語では、「S intervocalique」つまり「母音と母音に挟まれたS」は、いつも/Z/と発音されるのです。日本料理が好きなケベックワたちが得意そうに発音する「スープ•ミゾ」(味噌汁)や「ワザビ」(山葵)の「ゾ」や「ザ」が濁音になるのもそのせいです。こちらはいちいち直したりしませんが、一度、大阪のことを「オーザカ」と発音されたのを聞いた時には、さすがに大都市の固有名詞ですから放っておけず、「おおさか」と清音に直してやりました。
スペイン語でも前の語の最後のSとそれに続く語の最初の母音が一緒になって一語のように発音されますが、こちらでは濁りません。ですからこの/S/はそのまま/S/で発音されて「メサンファン」となるわけです。外国語訛りのフランス語で、「あ、この人は中南米出身の移民だな」と気づくには、「リエゾンされるべき/S/がそのまま/S/で残る」かどうかが一番のチェックポイントとなります。かなり流暢なフランス語を駆使するスペイン語母語話者でも「メサミ」や「メサンファン」と言い続けるのが却って不思議なくらいです。かなり頑固な「母語の干渉」ですね。
そんなことを考えていた時、ふと日本語の連濁のことを思い出しました。連濁というのは、例えば「て(手)」に「かみ(紙)」が続いて、「てがみ(手紙)」になるという類の現象です。上の例で「メ•アンファン」が「メ•ザンファン」となる変化を見ました。さて、日本語でも、例えば、「かな(金)」に「さわ(沢)」が続いた地名では「かなざわ(金沢)」と、/s/が/z/に代わります。これらはよく似ていますが、連濁は日本語のリエゾンに当たるものなのでしょうか。
答えは否です。先ず、フランス語では前の語の最後に発音しない/S/がありますが、日本語にはありません。次に、日本語では二つの語が続いて一つの単語になる時に「しばしば」清音が濁音になるだけですが、フランス語の方は常にそれが起こり、いわば義務的です。さて、今「しばしば」と書いたのには、ちゃんと理由があります。決して連濁しないケースもあるからです。その一つが、清音で始まる後ろの語の中に濁音が既にある場合です。例えば「大きい空」は後ろが濁って「大空(おおぞら)」ですが、「大きい風」では「風」にすでに濁音の「ぜ」があるので「おおがぜ」ではなくて「おおかぜ」です。「首飾り」も同様で「くびがざり」という人はいませんよね。私自身、この「連濁回避のルール」をたまたまある機会に知ったのですが、殆どの日本人が気づかないでそのルールを守っていることに、実に驚いたものです。
さて、最後にモントリオールの街中で見た、リエゾンと連濁に関する秀逸な例をご紹介してお別れしましょう。それはダウンタウンのパーク通りにある日本料理店「居酒屋(いざかや)」の看板のことです。アルファベットで書かれた入り口の看板には「ISAKAYA」と書かれているのを見て、私は思わず手帳にメモを取りました。他にも店名に「いざかや」を含んだ日本料理店は市内に2、3軒あるのですが、全て「IZAKAYA」となっているのでなおさら驚きました。
日本語では(座るの意味の)「居(い)」と清音で始まる「酒屋(さかや)」が続くので、予想通りに連濁を起こして「いざかや」となるのですが、この看板が面白いのは、「ISAKAYA」のスペルを見たら、フランス語話者の客が反射的に/S/を濁らせて、ちゃんと「いざかや」と読んでくれるからです。「スープ•ミゾ効果」とでも言いましょうか。濁る理由はもうお分かりですね。二番目の/S/が母音と母音に挟まれているからで、一見、言語上の微笑ましい「日仏友好関係」を醸し出しています。想像するに、このお店をオープンするに当たって、経営者の方は/S/を使うか、/Z/を使うかでしばし立ち止まり、知恵を絞られたのではないでしょうか。その際に、/S/が選ばれた理由として、私は可能性が二つあると思います。
(1)オーナーが濁音を嫌ったこと。これは世界に知られた自動車メーカーの「トヨタ」が、本来は創立者の豊田佐吉の名前から「トヨダ」だったのを、濁音を嫌って「トヨタ」に代えたとされることと同じです。オートバイやピアノの有名なメーカー「ヤマハ」も同様で、創立者の苗字は「山葉(やまば)」でした。地名にもそうした例はあります。例えば九州の佐世保を土地の人は頑固に「サセホ」と発音し、「サセボと発音するのはヨソ者」と思っているのだそうです。(参照:外山滋比古「ことばの四季」)
(2)オーナーがフランス語を公用語とするケベック州の土地柄を考えて、自然に「いざかや」と濁って発音してくれる「ISAKAYA」にしたこと。どちらにしても、スペイン語はおろか日本語でさえ「いさかや」と発音してしまう「ISAKAYA」をあえて選択したところに、私はオーナーの心意気を感じてしまいました。それがこっちの勝手な思い込みなのかどうかを、次回お店の暖簾をくぐった時には、ぜひ伺ってみようと思います。
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2009年7月7日からのアクセス数
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いますぐ暖簾をくぐつて、この件を確認してきてください。
次回更新を首をなが~くして待つてゐます。
ご無沙汰しております。嬉しい書き込み、ありがとうございます。またどこかでお会いしたいですね。次回帰国の際にはご連絡致します。
嬉しいですね、かういふ返信いただけるとは。
積もる話もあります。ぜひお会ひしませう。
帰国の連絡、こちらも首をなが~くして待つてゐます。
蛇足ですが、カナダの作家アリステア・マクラウド、何度読んでもいいですね。
リエゾンに関連してこの言葉を使われたと言うことは、
フランス語にも清音や濁音の概念が有ると言うことでしょうか。