正林寺法華講員手引書

『折伏・家庭訪問・教化育成・法統相続・教学研鑚・邪義破折・支部組織の充実強化に活用』 法華講正林寺支部 正林編集部

「命」を大切に

2005-11-20 | 手引書⑫

 人として生まれてくることは、非常に稀なことです。折角、人に生を受けたわけですから、人生に悔いを残さない生き方をしたいものです。
 人の命は、非常に儚いものであり、また人生の苦しみに弱い部分もあります。多くの人は、人生の苦しみを耐えうる術を知ることなく、彷徨い迷うわけです。その結果、命に対する重要性を見失い、自ら命を投げ出す人もいます。
 この時の心理は、生きることに対する気持ちが完全に消滅し、生きていること自体に、嫌悪感を持ちます。楽しいことも嬉しいことも、一切感じなくなり未来に期待を見出せなくなります。心がいつも不安定であり、恐怖心や不安と共に生活します。この気持ちが、「命」という存在を軽視させる心を生む、師子身中の虫であります。心が悪因に縁して、貪瞋癡の三毒や三惑が「歓喜」を失わせ、身心が煩悩に侵されているために、生きようとする本能的は気持ちを麻痺させているのです。ノイローゼや心身症などが現証となります。
 信心をしなければ、この気持ちの動揺を正しく扱うことが非常に困難であります。三毒などが体内に充満しているため、毒を変毒為薬していかなければいけません。つまり、御題目を御本尊様に唱え、楽しい事ばかりを心に思い浮かべ、「歓喜」を呼び起こさせます。「歓喜」は、心に生まれた貪瞋癡の三毒を、薬に変える大切な要素があります。三毒を「歓喜」で生まれる脳内物質に依って調合し、生命力を快復させ、更に「歓喜」を持続させていきます。それが信心では可能です。
 「命」が大切であるという、気持ちを芽生えさせ、正信を取り戻させるには、三大秘法の御本尊様に御題目を唱える以外に存在しません。
 釈尊は『如来寿量品第十六』に、
  「一心欲見佛、不自惜身命(一心に仏を見たてまつらんと欲して 自ら身命を惜しまず)」(法華経439)
と説かれています。私達が朝夕の勤行唱題で唱えるところです。如来寿量品を唱えることで、御本尊様から命の大切さを実感でき、正しい命の方向性を定めることが出来ます。私達の命を、仏様の仰せになる事に向けるのです。日蓮大聖人は、このことを「帰命」と御指南されています。『白米一俵御書』に、
 「帰命と申すは我が命を仏に奉ると申す事なり。我が身には分に随ひて妻子・眷属・所領・金銀等もてる人々もあり、また財なき人々もあり。財あるも財なきも命と申す財にすぎて候財は候はず」(御書1544)
と御教示であります。日蓮大聖人は「命」が一番の宝だと仰せで、「帰命」という我が身を、仏様の意に随わせることが、最高の「命」の価値を引き出すことになります。
 正しい仏法に縁しなければ、以上の考え方は生まれません。正しい仏法に縁することが非常に難しくなっている時代です。そのような時代に、縁出来たことは、仏様から「命」の大切さを学び、人生を悲観的に生きることは止め、我が命を「不惜身命」の気持ちで、正しい仏法を弘める折伏行に役立たせて頂くことです。これが最高の「命」のあり方です。
 「命」の大切さは、日蓮正宗の寺院で学ぶことが出来ます。御本尊様に御題目を唱えることで、「命」の本当の在り方を見つめ直し、人生を有意義にさせることが出来るのです。