正林寺法華講員手引書

『折伏・家庭訪問・教化育成・法統相続・教学研鑚・邪義破折・支部組織の充実強化に活用』 法華講正林寺支部 正林編集部

他力本願にならない信心を志そう

2005-11-21 | 手引書⑩

 他力本願は、念仏である浄土宗や浄土真宗の考え方です。日蓮正宗は他力本願ではありません。「信力と行力」を起こし、御本尊様の「仏力と法力」を頂いていく信心です。『自他冥合』した「妙力」であります。
 日蓮大聖人は『念仏無間地獄抄』に、
 「観経(かんぎょう)等の三部経を浄土門と名づけ、此の浄土門を修行して他力本願を憑(たの)んで往生を願はん者は、十即十生百即百生とて十人は十人、百人は百人、決定往生すべしとすゝめたり」(御書40)
と仰せのように、「他力本願」は念仏宗の教えであります。他力本願は、自分自身の力に頼ることなく、他人に依存します。
 世間には、多くの福祉やボラティア団体がいます。福祉とボランティアの短所は、この「他力本願」を増大させる働きがあります。つまり、他人に依存してしまう人格を形成させることになるのです。一時的に、福祉やボランティアの活動は有り難いですが、長期に渡って見た場合に、相手を甘やかせる結果になります。時として、日蓮正宗を誹謗する方がおりますが、日蓮正宗の信心は、現当二世に渡って説かれている教えです。一時的な、御利益を施す安易なものではありません。福祉やボランティア活動をしない日蓮正宗を誹謗中傷する方は、この点を十分に考えて頂きたいと思います。
 日蓮正宗の信心は、『自他冥合』です。他力本願と自力本願のプラス面を向上させます。念仏は、他力本願のマイナス面を助長させ、信仰する人の生活を崩壊させます。そのため、日蓮大聖人は、念仏宗を「念仏無間」と破折されています。人間は、自力だけでも生きることが出来ません。また、他力だけでも生きられません。そのために『自他冥合』という他力本願と自力本願を兼ね備えた思想を掲げているのです。それが、三大秘法の御本尊様を信じる者同志が「異体同心」ということで、信心において繋がっていくのであります。
 第六十七世日顕上人は『自他冥合』について「撰時抄御説法」の折に、
 「真実の悟りとは、御本尊に対し信心をもってお題目を唱えるということに存するのです。そこには絶対の法と、その法を示されておる仏様の当体が顕されております。それを我々は信じて『南無妙法蓮華経』と唱え奉るわけです。しかしながら、我々の信心といっても、御本尊があって初めて我々は信心してお題目を唱えることができるのですから、仏道成就に至る肝要はただ法であり、ただ仏様によることであって『我が智慧、何かせん』と言うべきであります。しかしまた、我々の信心と修行があって初めて、そこに尊い御本尊の命を我々が受け頂くことができるのであります。そこに自力のみでなく他力により、また他力のみでなく自力によって真の成仏の功徳を得る、いわゆる自他冥合して不思議の功徳を得られるのであります。その不思議を称して『妙』と言うのです。ですから、自に非ず、他に非ず、しこうして自、しこうして他――我々の信心の一念が発露して『南無妙法蓮華経』と唱題するところに、しかも、その御本尊という正的に向かってお題目を唱え奉るところそのまま、自然に仏になるところが『妙力』というのです。ただし、御本尊から離れれば元の凡夫であり、そこに受持が肝要となります。ですから我々の信心修行の姿は自力でもなければ他力でもない、妙力であります」
と御指南です。つまり「自他冥合」とは、御本尊様の尊い力用である「妙力」であります。御本尊様から「仏力と法力」を頂くところに、「自他冥合」が出来上がり、「妙力」へと働くのです。
 「他力本願」にならない信心を身に付けるには、日蓮正宗の寺院に参詣することが一番です。唱題行により御本尊様から「妙力」を頂き、「他力本願」を完全に払拭させ、自他冥合して成仏を目指すことが出来ます。