日蓮大聖人は『戒体即身成仏義』に、
「権経を以て実経を失ふは、子が親の頚を切りたるが如し」(御書9)
と仰せであります。子が親を殺生する事件が、時々世の中を震撼させます。子供が親を殺害する原因には、正法である実教(法華経)を信心しないで爾前権教といわれる方便の教え、念仏・真言・禅宗等を信仰するからです。それを大聖人が『戒体即身成仏義』で御指摘されているのであります。正しくその通りであり、「親徳」を具えられた御本仏・日蓮大聖人を蔑ろにし、偽の「親徳」をもつ権仏や迹仏を信じ崇めているのが現実です。日蓮大聖人の教えを信じなければ「親徳」はなく、当然子供が親を敬うこともありません。
子供が親を敬わない背景には、尊敬に値する人格に欠けていたり、過剰な子供への干渉が原因です。尊敬に値する人格に欠ける理由に「親徳」を持たない間違った仏教や宗教を信仰するところにあります。これらと根本から違う日蓮正宗の信心は、「親徳」を勤行唱題によって御本尊様から頂き人格を根底から変え、親として持つべき「親徳」を自然と身に付けていきます。それが「冥益」です。そして過剰な干渉を防ぐには、感情的な言動は慎み、我田引水で子供の心を探るのではなく、御本尊様から尊い「仏眼」を頂き子供の心・気持ちを明らかに五感で感じ取ることが大事でしょう。そこに適切な子供への教化育成があり、信心に大切な「法統相続」へと繋がっていきます。「親徳」を具えて育成することが大切です。
「親徳」とは、主師親三徳の一つであり御本仏日蓮大聖人が最高の「親徳」を具えられ、私達に御教示下さっています。親の徳とは、子供を正しい方向へ導く智慧を持つことです。人生の好き師となり、世の中を生きていく範と道を明らかに示していく役目があります。 世の中には、信心をしないために親権を放棄する人がいますが、親の役目を身に付けるには、日蓮正宗の信心をしなければありません。多くの若い世代の親御さんは、「親徳」を身に付けないままに、親となっている姿があります。それが原因となり未来に災いが生じています。正信を失い、世俗の欲望を擽る思想に執着するため、毒気深入し本心を失っています。このような生命を持つ方に縁する人は大変です。自分自身の生活が揺さぶられます。この揺さぶられるのを阻止する方法が折伏です。折伏をして悪縁を遠ざけ、我此土安穏な境涯を維持していきます。折伏を拒む人は、悪友に人生を翻弄される要素を多分に持っています。自行だけの一人信心に執着する人は、このことを今一度考え直すことが大事です。
「法統相続」において結婚という一生の一大転機には、「親徳」を充分に教化育成することが非常に重要です。信心をしていても「親徳」について、教えるか教えないかで、人生が大きく左右し「法統相続」にも大きく影響してきます。
また信心しない場合の現証が、様々な形で世の中に明らかと出ております。正しく邪宗教を信仰する害毒です。折伏では「親徳」を養うことが大切です。
結果として「親徳」がないと幼児虐待や児童虐待が起こり、それが原因になり親子関係が上手くいかなくなり家庭崩壊を招きます。虐待を受けた子供は将来、二重人格や多重人格という「行為障害」を引き起こす可能性があります。そして悪鬼入其身した、恐ろしい事件を起こす可能性もあります。更にその子が親になったとき、同じように子供へ虐待をする傾向があります。正法に縁することなく謗法の害毒がもたらす現証でしょう。正しい仏法を軽んじ、因果の理法を無視したところに多大な原因があります。日蓮大聖人の教えのもとに「親徳」が身に付いていれば問題はないのです。
『出家功徳御書』に、
「我が身は天よりもふらず、地よりも出でず、父母の肉身を分けたる身なり。我が身を損ずるは父母の身を損ずるなり。此の道理を弁(わきま)へて親の命(おおせ)に随ふを孝行と云ひ、親の命に背くを不孝と申すなり」(御書1372)
と仰せの如く、「親徳」を信心で身に付ければ、子供は親に随う孝行をし、親に徳がなければ子は親不孝ものへと人格が出来上がります。
『聖愚問答抄』に、
「此くの如く三界の間を車輪のごとく回り、父子の中にも親の親たる子の子たる事をさとらず、夫婦の会(あ)ひ遇(あ)へるも会ひ遇ひたる事をしらず、迷へる事は羊目(ようもく)に等しく、暗き事は狼眼(ろうげん)に同じ。我を生みたる母の由来をもしらず、生を受けたる我が身も死の終はりをしらず。鳴呼(ああ)受け難き人界の生をうけ、値ひ難き如来の聖教に値ひ奉れり、一眼の亀の浮木(ふもく)の穴にあへるがごとし」(御書382)
と御指南のように、世の中は「親の親たる子の子たる事」を知らない家族が多くいます。本当の親子関係を築くには寺院参詣が必要です。御住職様の御指導を頂くことで、「親徳」を身に付け子供を正しく教育していくことが出来ます。
日蓮正宗では、宗祖日蓮大聖人から血脈相伝の上に、七百年の昔から今現在まで「親徳」を正しく伝えてきているのであります。