正林寺法華講員手引書

『折伏・家庭訪問・教化育成・法統相続・教学研鑚・邪義破折・支部組織の充実強化に活用』 法華講正林寺支部 正林編集部

毒を変じて薬と為す「変毒為薬」

2005-11-21 | 手引書⑪

 日蓮大聖人は「変毒為薬」について『太田殿女房御返事』に、
 「竜樹菩薩の大論(だいろん)と申す論に『譬へば大薬師の能(よ)く毒を以て薬と為(な)すが如し』と申す釈こそ、此の一字を心へさせ給ひたりけるかと見へて候へ。毒と申すは苦集(くじゅう)の二諦、生死の因果は毒の中の毒にて候ぞかし。此の毒を生死即涅槃・煩悩即菩提となし候を、妙の極とは申しけるなり。良薬(ろうやく)と申すは毒の変じて薬となりけるを良薬とは申し候ひけり」(御書1472)
と仰せであります。
 私達においての身近な毒とは、心の中に生じる貪瞋癡の三毒です。薬品などの毒薬は、多くのものがあり、手にすることが先ずありません。この貪瞋癡という三毒が、信心することで成仏に欠かせない秘薬になります。
 三つの毒は、仏様が仰せになる使用方法を無視し、間違えると生命に危険をさらすことになります。貪である貪欲により、使用方法を間違えれば、弊害が生まれ、欲望に翻弄され生活を堕落させます。例えば、物欲に浸り過ぎ、その結果、金銭が底をつき借金をすることになり、また食欲が旺盛なために、生活習慣病を誘発させ生命に危険をさらします。瞋である怒りについては、切れた勢いのあまり、人を殺傷するということになります。また瞋り続けることは、自分自身の生命にもよくありません。癡である愚癡は、人間関係を気まずくする作用があり、本人が、何気なく言った愚癡が、ある人の感情を逆撫でたり、更にある人の三毒を誘発させる働きをなします。これが、貪瞋癡の三毒となる働きです。三毒は人間関係を破滅させます。
 信心をすることで、三毒を薬に変えていきます。それが「変毒為薬」であります。三毒は、一生涯共に付き合わなければいけない、心の中の毒です。正しい使用方法を理解していた方が、得策であります。日蓮正宗の信心をしなければ、完全に毒を薬にすることができません。
 御本尊様に御題目を唱えることで、貪瞋癡の三毒を薬に変えていきます。更に勤行唱題以外、瞬時に変化する生活の場で、三毒を直ちに薬に変えます。この時、善知識というプラス思考が必要になります。信心に立脚して、貪瞋癡の三毒の働きが、されていることを明らかに自覚できるよう、勤行唱題で意識を高めていきます。そして、貪瞋癡を止めて、三毒の生まれる気持ちを、違うことに集中させ分散させることが大事です。空仮中円融三諦を観じることです。
 貪欲に何時までも集中していれば、心が何時までも餓鬼界であり、瞋である瞋りに執着していれば地獄界であり、愚癡が心の中を覆っていれば、畜生界です。この三毒が、多くの災いを生む原因となります。「禅定」に心が維持できれば、三毒の働きが、明らかに見えるようになるはずです。そこに、即身成仏に繋がる尊い道が隠されているのであり、三毒を止めるところに幸せがあります。
 次に、貪瞋癡の三毒が薬となる場合について考えましょう。貪欲は、悪い一面だけではありません。人間は「善悪不二」であります。利用方法を間違えなければ、人生を快適にするものです。貪欲は、ある目標に向かって進むときに重要な力になります。この貪欲が、仏様の仰せになるように活用すれば人生を大成させます。瞋りは、瞬間的に巨大なパワーを持ちます。薬とするには、悲観的になる気持ちや絶望感を感じるときに、瞋りの気持ちが薬となります。瞋りという薬は、飲み過ぎないように気を付けなければいけません。相手に、瞋りを感じさせない程度の、心の瞋りが適量で、気持ちを豊にしていきます。空仮中円融三諦を御本尊様により観じていきます。愚癡は、無意識のうちに口から言葉が出てきます。この言葉は非常に無駄です。御題目を唱えたり、折伏のために口の働きを使い、愚癡は自行化他の時間まで心に貯金することが大事です。「変毒為薬」の方法は、御本尊様に向かう勤行唱題しかありません。それ以外では、三毒が益々強盛になります。寺院での勤行唱題は、唯一「変毒為薬」の修行です。