日蓮大聖人は「国」について『教機時国抄』に、
「四に国とは、仏教は必ず国に依(よ)って之を弘むべし。国には寒国・熱国・貧国・富国・中国・辺国・大国・小国、一向偸盗(ちゅうとうこく)国・一向殺生国・一向不孝国等之有り。又一向小乗の国・一向大乗の国・大小兼学の国も之有り。而(しか)るに日本国は一向に小乗の国か、一向に大乗の国か、大小兼学の国か、能く能く之を勘(かんが)ふべし」(御書271)
と仰せです。国とは、国土世間を意味し、大聖人も御指南のように、国も色々あるわけです。その国の状況を事前に鑑みていくことが、生きていく上で大事です。国によって価値観や常識が異なります。自分が培った努力と信念も、それぞれの国によって、どう受け入れられるのか、国情により、微妙に対応を変えなければいけない考慮が必要です。国を知るということは、自己中心的な気持ちを捨てて、相手の国の事情をよく考えるように説かれた教えです。国を知ることで、相手と友好関係を結び、異体同心をはかることが出来ます。
国とは一般的な日本やアメリカ・中国などという意味を持ちますが、仏法で説く国土世間とは、更に奥の深いものがあります。日本の中でも都道府県によって地域性があります。更にそれぞれの県内でも、一つ市の境を超えると地域性が変わります。その町の中でも、町内という範囲、そして、それぞれの家庭という細かい国土世間があります。家族間にも、様々な繋がりが、そこに厳然と存在するのであります。信心では、御本尊様を受持するところ、以上の国土世間が、修行を深めていくところ、明らかに見ていくことが可能です。それが、正しく御本尊様から頂く尊い功徳であり、信心するところに、本当の国を知る意味が具わるのです。
それぞれの国土世間において、相手国を知らないで、自分の努力と信念が全て受け入れられるとは、到底いえません。反対され批判を受けることが必ずあります。人は十人十色です。この反対と批判に耐えうる精神をつくることがまた大事です。信心では「柔和忍辱衣」を心に纏うことで乗り越えていきます。相手の国情を察しながら、同時にその国の風土に似合った、「柔和忍辱衣」という衣が出来上がります。柔和とは、水の信心といわれる、水の柔軟性を十分に発揮し、その国土に一番最適な忍辱衣へと、御本尊様の力用によって、命に刻まれます。
これは、自分の努力と信念だけでつくることは出来ません。御本尊様の尊い力を頂いて「柔和忍辱衣」という衣を身に纏うことが出来ます。この点も十分考えなければいけません。信心をし日蓮大聖人の仏法を学べばここまで汲み取り、努力と信念を確実に実られる方向へ、御本尊様の力用によって導いて下さいます。
国には、様々な状況があります。折伏においても、国情を知って「随方毘尼(ずいほうびに)」を心得ることが必要です。『月水御書』に、
「日本国は神国なり。此の国の習ひとして、仏菩薩の垂迹不思議に経論にあいにぬ(相似)事も多く侍るに、是をそむけば現に当罰あり。委細に経論を考へ見るに、仏法の中に随方毘尼(ずいほうびに)と申す戒の法門は是に当たれり」(御書304)
と仰せのように、「随方毘尼」とは、正法が弘りにくい場所において、方便的に、その地域の風俗や習慣、時代の風習に従ってもよいということです。随方とは、随方随時という、時代や地域の風習に随うことです。毘尼とは、戒律のことで、仏法宣揚のため、時と所に応じた弘教方法の必要性を示したものです。
信心では、国を知るところに、幸せな境遇があると説きます。日蓮大聖人の御指南のもと、信行学を志すところに、明らかな国を知ることが出来ます。