正林寺法華講員手引書

『折伏・家庭訪問・教化育成・法統相続・教学研鑚・邪義破折・支部組織の充実強化に活用』 法華講正林寺支部 正林編集部

折伏成就は、挨拶から始まります

2005-11-21 | 手引書⑤

 何気ない「挨拶」が、人と人との繋(つな)がりを変えます。「挨拶」をすることは、仏法を学び修行をする以前の人間として行わなければいけない作法です。信心では「不軽菩薩」の精神を持って「挨拶」することが大切です。
 「挨拶」が折伏の成就にどのような働きがあるのか、疑問に思われる方もおられましょう。この「挨拶」には非常に深い意味があります。深い意味を理解し、折伏に活用することで成就に繋がるのであります。
 この「挨拶」の効果について考えてみましょう。まず丁寧に挨拶されたことにより、相手の気持ちが緩(ゆる)み、閉ざされた心の扉が開くのであります。この折伏する相手の気持ちを緩ませれば動執生疑を起こすことに繋がります。折伏では、相手に与える印象が大事であり、始めの「挨拶」が肝心です。「挨拶」によって親しみを感じ、相手に話しを聞いて貰う姿勢をつくります。「挨拶」を忘れた横柄な態度では、相手の心を閉ざしてしまい折伏成就は期待できず逆効果です。
 「挨拶」は外道の教え儒教でも「五常」という形で説いています。「五常」とは「仁義礼智信(じんぎれいちしん)」です。「五常」の「礼」が挨拶に当たります。低い外道の教えですら「礼儀」である「挨拶」を重んじていますので、正しい仏法を志す人は尚更に「礼儀」である「挨拶」を重んじて折伏することが大事であります。そこに折伏成就の第一歩と始まりがあります。
 特に信心を知らない若者の間では「挨拶」が多種多様であり、基本的な「挨拶」が身に付いていないところもあります。また「挨拶」を軽視する姿が見受けられます。「挨拶」をしないことで人間関係が縺(もつ)れ、相手方の命に三悪道の気持ちを作り上げることになります。「挨拶」のしたしないで醜い争いに発展することもあります。「挨拶」には重要な意義があるわけです。
 違う見方をすれば、非常に効果的であります。「挨拶」は人間の醜い気持ち三悪道の地獄餓鬼畜生の命を沈静化させることが出来ます。そして人界と天上界の命、平らかな気持ちと喜びの気持ちを施すことが出来ます。「挨拶」は人間関係を円滑にする潤滑油です。
 しかし、時として「挨拶」をしても、一闡提(いっせんだい)のような「挨拶」に反応を示さない人もいます。その人の心の状態を考えてみますと、いくつかの原因があります。生活する家庭環境に多大な原因があります。そこには「挨拶」を形骸化させてしまうものがあり、「挨拶」は無くても良いという風潮です。面倒臭さもありましょう。また心の悩みに気持ちが奪われ、周囲の人の行動が目に入らない場合もあります。相手の気持ちを察することが必要です。
 折伏では、以上のことから相手の機根、生命状態を「挨拶」することで察していくことが出来ます。折伏における「挨拶」の意味がそこにあります。「挨拶」により折伏する相手の反応を見て心の状態を知り、どのような環境で生活しているのか大方の予測が熟練すると具わります。家庭訪問をし折伏の回を重ねることで「挨拶」をして相手の様子を察する含蓄が身に付きます。経験を積めば、そこにはある傾向があり法則が見えてきます。それが六根清浄の功徳に磨きがかけられた御本尊様からの御利益です。お金では決して得ることの出来ない有り難い来世まで続く功徳です。そして信心で身に付けた含蓄を更に生活場や仕事場に活用することで「常寂光土」が現実のものになるのであります。
 折伏を成就するための「挨拶」には、以上のような非常に深い意味が秘められています。日蓮正宗の寺院に参詣されることで更に深い「挨拶」以外の教えを、永代経や御講で御住職様から請うことが出来ます。