正林寺法華講員手引書

『折伏・家庭訪問・教化育成・法統相続・教学研鑚・邪義破折・支部組織の充実強化に活用』 法華講正林寺支部 正林編集部

信行では当体蓮華と譬喩蓮華を

2005-11-21 | 手引書⑨

 「信行では当体蓮華と譬喩蓮華を」ということは、日蓮大聖人が説かれる根本的な仏法の当体は、譬え話である譬喩を理解することで、当体の意味を知ることが出来ます。故に成仏に大切な教学を理解することが出来るのです。
 また折伏でも、譬喩を巧みに引用して、論理を展開することが大切です。様々な人がいますので、受け止める機根、器にあった形で、適切な譬え話となる譬喩を用いて、当体を理解させることが大事です。当体は、尽未来際となる広宣流布の暁まで変わりませんが、譬喩はそれぞれの時代によって、縦横無尽に変わります。その時の状況を、御法主上人猊下の御指南のもと、勤行唱題根本に適切な譬喩を用いることです。そして、折伏する人に納得させ発心を促します。
 『当体義抄送状』に、
 「問ふ、当体蓮華解(げ)し難し。故に譬喩(ひゆ)を仮りて之を顕はすとは、経文に証拠有るか。答ふ、経に云はく『世間の法に染まざること、蓮華の水に在るが如し、地より涌出す』云云。地涌(じゆ)の菩薩(ぼさつ)の当体蓮華なり。譬喩は知んぬべし。以上後日に之を改め書すべし。此の法門は妙経所詮(しょせん)の理にして釈迦如来の御本懐(ほんがい)、地涌の大士に付嘱せる末法に弘通せん経の肝心なり。国主信心あらんの後始めて之を申すべき秘蔵の法門なり。日蓮より最蓮房(さいれんぼう)に伝へ畢(おわ)んぬ」(御書703)
と御指南であります。経文にも、当体蓮華が理解しがたいために、譬喩を仮りて顕わしていることを説かれています。
 当体を譬喩で理解できたら、その後は譬喩に固執することなく、当体蓮華を根本としていくことが大事であります。難信難解の由縁には、譬喩に執着を起こし、当体を重んじないところにもあります。信心では充分に注意していくことが必要です。時に譬喩が成仏の妨げになる場合があります。つまり、随自意と随他意を明らかにしていくことです。随自意が当体で、随他意が譬喩になります。随自意とは、仏様の立場を中心に説かれたもので、随他意が迷いの多き衆生を中心に説いた教えです。成仏は、随自意の当体を信じるところにあります。『日女御前御返事』に、
 「御本尊も只信心の二字にをさまれり。以信得入(いしんとくにゅう)とは是なり。日蓮が弟子檀那等『正直捨方便』『不受余経一偈(ふじゅよきょういちげ)』と無二に信ずる故によ(因)て、此の御本尊の宝塔の中へ入るべきなり」(御書1388)
と仰せのように、信心の根本となる御本尊様には、疑うことなく信じることが大事です。それが「以信得入」という、信を以て仏道に入れば、成仏の境界を得るのであります。更に、譬喩的意味を持つ、爾前権教に執着せず、正直に方便を捨てれば、御本尊様の有り難い宝塔の中に入り、功徳を自然と得るのです。信心以外の思想に惑うことなく、一途に「信」を貫けば、そこに「常寂光土」があります。
 信行を地道に高めるには、譬喩を理解して、当体を知り、また譬喩を理解して、当体を知るという繰り返しにより、信行が高められ、冥益の功徳のもとに顕現されます。寺院の永代経や御講の御法話には、この「譬喩を理解し、当体を知る」という繰り返しがあります。その意味を覚って寺院に参詣することが、更に信行を深めるのであり、雪山の寒苦鳥にならない気持ちが養われます。