正林寺法華講員手引書

『折伏・家庭訪問・教化育成・法統相続・教学研鑚・邪義破折・支部組織の充実強化に活用』 法華講正林寺支部 正林編集部

悪酒に酔う人々の心に宝珠あり(五百弟子受記品第八)

2005-11-15 | 妙法蓮華経並開結 略要旨私考

 『法華経』の「五百弟子受記品第八」(法華経290)に「貧人繋珠の譬え」があります。貧人繋珠の譬えとは、ある男が親友の家で酒に酔って眠ってしまいました。親友は外出するので、眠っている男の衣服の裏に無価の宝珠を縫いこんで出かけました。男はそれとも知らずに、他国を流浪し、少しの収入で満足していました。再び親友と出会った時、親友から宝珠のことを聞かされ、はじめてそれに気づいた男は、無価の宝珠を得ることができたのです。
 酒に酔って眠った男とは声聞、親友とは仏に譬えられ、小乗の悟りに満足する愚かな衆生が、仏の真実の教えを知って、はじめて成仏の大利益を得ることを説いています。
 世の中の信心を知らない多くの人々は、心の中に無価の宝珠があることを知らずに、様々な苦悩に喘ぎ、人生に息詰まっています。御本尊様を受持し御題目を唱えることで、悪酒の酔いから覚め、有り難い宝珠に気付くのであります。
 「五百弟子受記品第八」では、物忘れの激しい「須利槃特」が普明如来の記鱧を受けています。物忘れで悩む方は、御本尊様を受持し御題目を唱えれば、物忘れが解消され、必ず成仏するのです。教化育成で教える大事なところでしょう。
 『御義口伝』には、「五百弟子品三箇の大事」(御書1747)が説かれており、「第一 衣裏の事」「第二 酔酒而臥の事」「第三 身心遍歓喜の事」という三つの大事について仰せです。
 「第一 衣裏(えり)の事」では、
「御義口伝に云はく、此の品には無価(むげ)の宝珠を衣裏(えり)に繋(か)くる事を説くなり。所詮日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は、一乗妙法の智宝(ちほう)を信受するなり。信心を以て衣裏にかくと云ふなり。」(御書1747)
と仰せであります。「第二 酔酒而臥(すいしゅにが)の事」には、
「御義口伝に云はく、酒とは無明なり。無明は謗法なり。臥とは謗法の家に生まるゝ事なり。三千塵点の当初に悪縁の酒を呑みて五道六道に酔ひ廻(めぐ)りて今謗法の家に臥したり。酔とは不信なり、覚とは信なり。今日蓮等の類(たぐい)南無妙法蓮華経と唱へ奉る時無明の酒醒(さ)めたり。又云はく、酒に重々之有り。権教は酒、法華経は醒めたり。本迹相対する時迹門は酒なり、始覚の故なり。本門は醒めたり、本覚の故なり。又本迹二門は酒なり。南無妙法蓮華経は醒めたり。酒と醒むると相離れざるなり。酒は無明なり、醒むるは法性なり。法は酒なり、妙は醒めたり。妙法と唱ふれば無明法性体一なり。止の一に云はく『無明塵労即ち是菩提なり』と。」(御書1747)
と「悪酒」について御指南です。更に「悪酒」から目覚める方法を仰せなのであります。謗法の家には、「悪酒」が蔓延しており、悪道へ導く縁が蠢(うごめ)いています。生活の中では、謗法の「悪酒」に紛動されないように精進することが大事です。
 「悪酒」に酔っている人でも、正信に目覚めて信心に住すれば、御本尊様から「宝珠」を得て、安穏な生活を送ることが出来るのです。