醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  455号  白井一道

2017-07-12 12:12:41 | 日記


 探鳥 「アオサギに貴婦人を想う」

 野生の動物はやせている。清水公園の外側に広がる水辺を三十倍の望遠鏡で眺めるとそこには今まで見たことも無かった世界が広かっていた。「イソシギがにいる。これは珍しいものを発見したぞ」。やや興奮したSさんの奥さんがイソシギをねらって望遠鏡の中にいれる。私はどこにイソシギがいるのか、分からない。夏草の生い茂った河原とその河原への侵入をふせぐ、防護柵が立っているだけの何の変哲もない風景が広がっているだけである。Sさんの奥さんが望遠鏡を指し、私をうながした。望遠鏡をのぞくと美しい形をしたスリムな体型の小鳥が
見えた。「それがイソシギですよ。映画の題名にもなった小鳥です」。Sさんが教えてくれた。「イソシギ」。私の記憶の片隅にもそんな映画の題名が浮かんだ。静かな山の中の湖のほとりで若い男と女で出会い、恋に落ちる。白い服を着たスリムな女性と黒っぽい服を無造作に着た色黒の若者が軽やかに走る。走りながら若い女性の手を求める。女性は手を若者に差し出す。結ばれた手と手が湖畔の霧の中に消える。こんなイメージが浮かんだ。
「川鵜(カワウ)がにいる」。ゆっくりSさんが言った。またもやどこに鳥がいるのか、分からない。双眼鏡で位置を確かめ、望遠鏡を操作する。望遠鏡を覗かせて頂くとポールの先端に両翼を広げた大型の黒い鳥が見えた。「水に潜って餌を取るので、翼を乾かしているんですよ」とSさんから説明していただにいた。ヨーロッパの貴族の紋章だ。ポールの先端から下々を眸睨している。灰色に曇った空に黒い翼を広げた姿がヨーロッパ中世の貴族を彷彿とやせた。きっとヨーロッパ中世に生きた貴族たちは猛禽類のように捧猛な存在であったのだろう。
「鵜飼をする鵜と同じ種の鳥です」。Sさんから説明があった。私は初めて自分の住まいの近くにこのような鳥がいることを知った。
「あれがアオサギですよ」。Sさんに促され、望遠鏡を覗くと柵の支柱の上に首を真っすぐに伸ばした美しい大型の鳥が見える。貴婦人だ。映画「神々のたそがれ・ルートヴツヒ」を思い出した。雪の降り積もった高地ドイツ、バイエルンのお城、ノイシュバンシュタインの舞踏会、イヴニングドレスを着た女性が背筋を伸ばした姿が瞼に浮かんだ。凛としている。誰におもねることもない。1人、すっくと立っている。見慣れた日常のゴミゴミとした世界を望遠鏡で眺めてみると全く異なった美しいものを見ることができるということを知った。6月下旬、あにいにく曇り空だった。「野鳥の少ない時期なんですよ。私たちもしばらくぶりなんです」。Sさんの奥さんが話された。月に1回、日曜日、清水公園など近場の山や水辺に集い野鳥を見ているという。素晴らしい趣味だと感じた。心が癒された一時だった。