醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  448号  白井一道

2017-07-05 11:46:13 | 日記

   啄木の酒

  いつも来るこの酒舗(さかみせ)のかなしさよ夕日赤々と
      酒に射し入る今日も安酒をもとめて       石川啄木
啄木は行きつけの酒屋に行く。軒先に並べられた一升瓶に夕日が射してにいる。啄木はその一升瓶を見つめる。酒屋の主人は酒樽の栓を抜き、シュッシュッとそそぎでてくる酒を桝に受ける。その晩、1人で呑むだけの酒を啄木は買い求める。小さな空き瓶に大きな桝で量った酒を注ぎいれてくれる。少量の酒を買い求める自分の姿を啄木は酒瓶に射し入る夕日のなかに見ている。冷たい風が足元から入ってくる晩秋の夕暮れ、酒屋の店頭に立つ自分を悲しいと詠った。啄木の酒は悲しい。悲しい酒が啄木の歌だった。
 時ありて猫のまねなどして
笑ふ三十路の友が酒のめば泣く     啄木
そばにいるだけでいつも腹をかかえて笑っていなければならない、そんな友がいる。そんな友にも深い哀しみがある。酒を呑むと理性の抑えがなくなり、いっきに悲しみが口を突いて出てくる。親しい仲間と酒を飲むと全く無防備になるからなのだろう。自分よりにいくつも年上の友を啄木は優しくながめている。啄木にはその哀しみが伝わってきたのだろう。そんな時、静かに飲む酒、分かる。
百姓の多くは洒をやめしといふ。
  もっと困らば、何をやめるらむ。
 民衆が酒を飲めるようになったのは幕末の頃からである。それ以前の時代には、ほとんどの民衆が日常的に酒を嗜むことはなかった。江戸時代の末期に至って、初めて民衆の生活状況がよくなり、酒を嗜む人々が増えていく。その証拠にそのころから日本の各地に酒蔵ができていく。近江商人が関東にやってきて、その地で酒造りを始める。
 明治の頃の農民が酒蔵で酒を買い求め飲むということが一般的な風習として定着していたかというと、そんなことはなかった。酒は買って飲むものではなく、自分たちで造って飲むものだった。
 百姓の多くは酒をやめしといふ。と啄木が詠っていることは、お百姓さんの多くが酒造りをやめたということを意味している。洒造りをする米の余裕がなくなったということ表現している。
 相対的に農民の生活が苦しくなってきたことを啄木は詠っている。この歌で詠われている農民は、中規模の自作農であろう。そうした自作農が困っていく哀しみを詠った。
 今日もまた酒のめるかな酒のめば
      胸のむかつく癖を知りつつ
 啄木は病を得ていた。思う存分、叱ってほしい。叱ってくれる人が恋しい。孤独の淵に沈む啄木の心は今日も酒を求めずにはいられない。胸がむかつき、苦しい思いをすることがわかっていながら酒を求める。どうにもならなにい自分の気持ちを啄木はもてあましている。
 しっとりと酒のかおりにひたりたる
    脳の重みを感じて帰る
 啄木の体は、酒を受け付けなかった。友と酒場の暖簾をくぐり、酒を楽しむ友を見てしっとりと酒の香りを飲んで啄木は帰った。飲まずに呑ん平の相手した啄木はぐったり疲れてしまった。頭の芯が疲れて堅くなった。