醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  402号  白井一道

2017-05-19 10:27:26 | 日記

 坪遊びの思い出

 新聞配達をしているゼンちゃんは親からI町歩ほどの土地を相続した農民だった。篤農家で朝早くから夕方暗くなるまで、真面目によく働にいた。悲劇の始まりは奥さんの病死だった。心臓発作をおこし、あっけなく亡くなった。三人の子供を残し、奥さんは亡くなった。そのとき、両親は他界してにいなかった。男手一人で三人の子供を育てることは無理だと判断し、施設に預かってもらった。広い農家の屋敷に男1人残されてみるとガランとして寒々しい。寂しさも手伝って居酒屋で酒を楽しむようになった。そんな時だった。1970年代、田中角栄の日本列島改造論が打ち上げられた。
 ゼンちゃんのところにも土地を売ってもらえませんか、と言ってくる不動産屋さんが引きも切らずやってきた。相手にしてにいなかったゼンちゃんだったが、魔がさした。税金の支払い時期が迫っていたのにその時の所持金では足りなかった。思い切って二反歩の畑を売った。当時の金で三〇〇万になった。お金を手にすると気が大きくなり、飲み友だちと連れ合って春日部のキャバレーに行った。ススキが茫々と生えた草むらの向こうに大さなキャバーがあった。生バンドの演奏でホステスさんとチークダンスをした。生まれて初めての経験だった。竜宮城に行ったような気分だった。二万円のお金を一度に使ったときは、親に申し訳ないような気分になった。しかし、日暮れになると春日部に行きたくてしかたがなかった。家には誰もにいなかった。最初のうちは友だちの都合が悪にいとキャバレーに行けなかった。一人でキャバレーに行く勇気がなかった。もんもんと一人寂しい思いをしていたとき、思い切って友だちに奢るから行かないかと、電話した。友だちはニコニコして付いてきた。それからだ。徐々に気が大きくなってきた。そのうち一人でもキャバレーに行けるようになった。支配人とも知り合った。
 ゼンちゃんがキャバレーに行くと支配人が入り口で土下座して迎えるようになった。一晩で十万円も散在しても、平気になった。みる間に土地を売ったお金が底をついた。土地をまた売りたくなった。ゼンちゃんが土地を売ることに反対する家族はいなかった。四十代の半ばだったゼンちゃんは男盛りだった。土地を売り、遊び始めると止まらなくなってしまった。金払にいの良いゼンちゃんはホステスさんたちにとても人気があった。若く綺麗な女の子にチヤホヤヤされて囲まれている楽しさは時間を忘れさせてくれた。
 乗用車を乗り回し、ホステスさんと鬼怒川への旅行、毎日が楽しかった。初めて土地を売ったときは、親への後ろめたい気持ちがあった。二度目に土地を売っだときは、大胆にお金をつかうようになった。三度目になると、お金を湯水のようにつかっだ。友だちも増えた。農業をしてにいたゼンちゃんは、時間に制約されることがなかった。友だちに誘われるとゴルフに行くようになった。馴染みのホステスを呼び出し、一緒にコースをまわった。お金がなくなるとまた土地を売った。土地の値段が毎月のように値上がりしていた。まだまだ土地はある思っていたが、気が付にいてみると親から相続した土地の半分以上が無くなってにいた。それでも一度覚えた遊びをやめることはできなかった。
 ゼンちゃんが住む家の宅地を除にいてすべての土地を売り払うまで五年ほどだったという。お金がなくなると友だちも来なくなった。お酒の味を覚えたゼンちゃんは居酒屋で美味しいお酒を少々たしなむだけで満足する。陽気なお酒を楽しんで一人で帰る。朝、早く起き、寒にい朝、元気に新聞を配達する。