醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  387号  白井一道

2017-05-03 14:26:42 | 日記

 金子勝氏への手紙

 この手紙は9年前、朝日ニュースターに『ニュースにだまされるな』という番組がありました。この番組の司会を金子勝氏がしていました。この番組を見た感想を書いたものです。
 
 金子勝様
 「ニュースにだまされるな」を楽しみに見ているものです。お正月も四時間ずっと見ました。田原氏へのインタビューが印象に残りました。田原氏は石田さんがおっしゃっていたように政治をテレビで動かしているという自信を持っているせいか、金子さんの教養をもってしても悪戦苦闘してしまったということでしようか。田原氏は勝手に自分の主張を述べただけでした。金子さんは田原氏の間違いを指摘しているのに田原氏は自分の間違いに気がつかない。気がつかないどころか、金子さんは学者だから駄目だと失礼なことを平気で言う。のぼせあがっている田原氏は自分の主張の間違いに気がつかない。
 田原氏は主張しています。自民党をはじめ、日本の企業経営者たちは、国民に豊かな生活を保障してきた。できるだけ安くてよい商品を企業経営者は消費者に提供する。従業員にはできるだけ高い給与を支払う。これが経営者の目標だった。しかし、これができなくなった。今は国民に負担をお願いせざるを得ない状況になっているのだと。こう主張する田原氏を体制側になったと批判する人々に反発し、今の自民党ではだめだ、と述べ、民主党への期待を述べています。
 主観的には権力を批判しているつもりに田原氏はなっているのでしよう。権力の中枢を批判しているのだからという理由でしよう。しかし田原氏がテレビで行っていることは権力に協力しているということだと思います。いや、権力の一部になっているように思います。国民に負担をお願いするということは、日本国、日本経済がこれからも存続するためには国民に犠牲を受け入れさせるということだと思います。ここで前提されている「日本国」「日本経済」という言葉が意味していることです。この言葉が日本の国民や毎日額に汗をかいて働いている勤労者を意味していないということです。大企業の経営者や高級官僚、政権与党の人々を意味しているように思います。そうです。これが先進資本主義国の資本の意思ではないかと思います。ヨーロッパ諸国の資本も日本の資本もそれぞれアメリカの資本とは戦いながらもそれぞれ自分たちが支配している国民に対してはアメリカ資本と協力し合う国際体制をつくっているように思います。国民と国家が分裂してきているように思います。資本主義という経済の仕組みが存続するためにはもうどこの先進資本主義国でも国民に豊かな生活を保障することはできなくなった。自分たちの権力を維持するには負担を、犠牲を国民にお願いせざるを得ない。これが先進資本主義国資本の共通の課題になったということではないかと思います。今までのように経済成長ができない。利潤をえることができなくなってきた。富を創り出すことができない。株主・資本家の富を増やすことができない。株主・資本家の富を増やすことなしには自分たちの権力を維持することができない。だから会社は株主のものだと法律を改正した。こうして国民への富の分配を減らすことによって株主・資本家への富の分配を増やした。田原氏は気がついてみると資本の番犬となって国民を脅して負担を押し付ける。犠牲を強いることを国民に納得させる。これが自分の役割だと自覚したということでしようか。このことがなんで反体制なのでしようか。体制そのものだと私は思います。権力を持つもの同士の間では意見の違いがあるでしょう。それをもって自分を反体制だという。これは国民に田原氏の本当の姿を隠し、偽ったということです。こういうことを偽装したと言うのではないかと思います。しかし国民は見抜きます。田原氏がいくら主観的には反体制のつもりになっても化けの皮は剥がされます。田原氏は国民を甘く見ないほうがいいのではないかと思います。
 1960年代の後半に私は大学生活をしました。そのころ読んだ本の一つに「成長の限界」があります。ローマクラブという組織が提言したものです。その本の果たした役割を今、思い返してみると分かってくるような気がします。資源多消費型の産業では冷戦を勝ち抜くことはできないと言っていたのではないかと思うのです。冷戦を勝ち抜くためにはそれぞれの同盟国がそれぞれの国の国民に豊かな生活を保障することだと。国民に豊かな生活を保障することが資源多消費型の産業では限界があると提言したのが「成長の限界」という本の役割だったのではないかということです。
 1970年代になるとスタグフレーションという経済現象が起きました。資源多消費型の産業では国民に豊かな生活を保障できなくなってきました。「成長の限界」が予言したとおりになりました。「石油ショック」が起きたのです。この「石油ショック」という言葉には民族差別の意識が反映しているように思います。今まで先進資本主義国の忠実な部下だと思っていた者が反旗を翻したことにショックを受けたという正直な気持ちが反映していると思います。おとなしく礼をわきまえていた者に突然噛み付かれたということでしようか。飼い犬に噛み付かれたと。ここに産油国の人々に対する蔑視があるように感じます。エネルギー・資源産出国をいつまでも思い通りに言うことを聞かせるわけにはいかないということに資本は気づいたのです。このことを「成長の限界」は予見していたのではないかと思うのです。
 重厚長大産業から軽薄短小の産業へとシフトしなければならないということが資本の意思になりました。エネルギー・資源の多消費型産業からエネルギー・資源の効率的な産業への移行です。この移行期を「イギリス病」、「資本主義の黄昏」と言ったのではないでしようか。「黄昏のロンドンから」という本が人気をはくしました。共産主義勢力を封じ込めることに疲れてきたのです。ベトナム戦争に失敗しました。お陰でブレトン・ウッズ体制に綻びがおきたのです。固定為替の維持ができなくなったのです。変動為替相場制への移行は国際通貨としてのドルの威信を落としました。
だから1980年代になるとアメリカでは金融商品の開発が始まりました。資源・エネルギーを必要としない産業です。こうして西側諸国、発展途上国が作り出した富の上前をはねる産業を育成したのです。アメリカ資本は冷戦に疲れてきたのです。だから仲間から同盟国から協力金を徴収したのです。アメリカ資本の部下たちも上納金の徴収に不平を言わずに支払いました。犠牲になったのは国民です。そのころソ連もまた冷戦に疲れてきていたのです。そんなとき突然彗星のように冷戦に負けることを受け入れてもいいという政治家がソビエトに現れました。ゴルバチョフです。国民に豊かな生活を保障するという資本の戦略は勝利したのです。ソビエト政権は国民に豊かな生活を保障できなかったからです。
 冷戦に勝利したアメリカでは、いやすべての先進資本主義国の支配層はもう国民に豊かな生活を保障する必要はなくなったと冷戦の重圧から解放されました。新自由主義の誕生です。日本共産党はルールなき資本主義といいました。剥き出しの資本主義、アメリカはこの自分のOSを世界中の国々に強いました。グローバリゼーションです。IMFと世界銀行は世界的な規模で貧しい国、貧しい人々をつくりだしました。また豊かな国だといわれた国に貧しい人々をつくりだしました。その結果、アメリカの一部の者が巨万の富を築きました。先進資本主義国の一部の者もアメリカのおこぼれにあずかりました。この一部の人々が相対的に豊かな生活を謳歌したのです。トリクルダウンというのでしようか。だから日本のお金持ちも言いました。まず私たちがお金持ちになる。その結果、下々の者もおこぼれにあずかれるよ。だから待て。待て。お手を出すのは早い。待て。と。湯浅誠氏は言っていました。いつまで待てばいいのでしよう。いつまで待ってもおこぼれは落ちてこないと。おこぼれに預かった人々は世界中から珍味を集め、ご馳走を食べては鳥の羽で咽をくすぐっては吐き出し、またご馳走を食べ、ワインを飲みながら剣闘士奴隷の試合を見たパックス・ロマーナ時代のローマ市民のよう生活をしたのです。古代ローマにフーリガンがいたように、剣闘士奴隷に胸をときめかした乙女がいたようにサッカーという格闘技に夢中になったのです。一方、全世界の穀物の生産量は全世界の人々の需要の二倍もあります。豊かな国の豊かな人々が美味しい肉を食べ、ご馳走を食べる。ご馳走を食べるから貧しい国の貧しい人々が飢えと寒さに震えます。日本人の食べ残した食べ物でアフリカの飢餓を救うことができるといいます。豊かな国の貧しい人々もまた飢えと寒さに震えるようになりました。年越し派遣村には入村を希望する長い行列ができました。飢えと寒さに震える豊かな国の貧しい人々は古代ローマの無産市民がパンとぶどう酒を求め、剣闘士奴隷の試合に熱狂したようにサッカーという格闘技に熱狂してもいます。笑いに熱狂しています。何も残らない無意味な笑い。笑いに意味が付与されると番組は長続きしないとタモリは言っています。「笑っていいとも」は何年続いているのでしよう。笑いに意味がないからだと。無意味な笑いを追求して生き馬の目を抜く芸能界でタモリは生き抜いています。無意味な笑いを求める大衆がいるからです。
資本は自由を謳歌しています。自由は強いものをさらに強くします。強いものを強くすれば、おこぼれにあずかれるじゃないかと資本は弱いものを納得させようとします。田原氏は竹下登・福本邦雄につながる自民党権力者たちに立ち向かった小泉を支持することで権力に協力しました。これをもって田原氏は反体制だといいます。小泉がしたことは、弱いものを地獄へと導く道を舗装したことです。抵抗勢力という言葉が大衆を熱狂させました。ゲルマン民族の優越に熱狂した1930年代のドイツ民衆のように。国民は騙されてしまったのです。小泉の偽装を見抜いた国民は少数だったのです。田原氏は小泉の偽装を買って出たのです。
弱い者にとって自由ほど恐ろしいものはありません。アメリカの投資銀行は言いました。日本には金があるじゃないか、郵便貯金だよ。この郵便貯金で金融商品を買うよう郵便貯金者に促してくれ。わかりました。小泉純一郎は、アメリカの投資銀行が売る金融商品を買えるようにしました。ゼロ金利だ。しかたないじゃないか。このままじゃ減っていくばかりだ。少しでも金利のつくものをと老後の蓄えで投資信託を老人たちは買いました。郵便局は安心だ。銀行とは違う。郵便局長とは長い付き合いだ。安心して買った。安心していたその結果、日本の老人たちは老後の蓄えを奪われました。小泉、俺の老後を返してくれ。もう、おそい。青春が戻ってこないようにお金もまた戻ってこない。こうしてアメリカの投資銀行は金融商品を世界中で売り、小金持ちから金を巻き上げました。株主・資本家はますます豊かになりました。将に詐欺のようなものです。しかし搾取が詐欺でないように金融商品の販売は詐欺ではありません。十分説明を受けたうえで金融商品を購入したのですから。でも騙されたという気持ちは拭えないのです。アメリカ経済はまだまだ繁栄します。この言葉には真実があるように感じたのです。でも詐欺のようなものだったのです。だから五兆円もの詐欺をした人がウォール街にいたという金子さんのお話には納得しました。アメリカ資本はこうして世界中の貯金者たちからお金を掠め取ったのです。
格差の拡大は世界的な規模での需要の減少です。マルクスが資本論の中で述べているように資本の矛盾は恐慌を必然的に生み出します。資本主義を修正し、恐慌を防ぎ、国民に豊かな生活を保障する。このような経済政策は必要ない。冷戦に勝利したのだから。強いものがさらに強くなってどこが悪いのか。鄧小平も言ったじゃないか。豊かになれるものから豊かになろうと。富の平等な分配は、悪平等だ。これは社会の発展を妨げる。「社会主義」の崩壊が証明しているじゃないか。規制を緩和し、資本の自由を保障した結果がアメリカ投資銀行の破産でした。マルクスが見つけた資本の本質が真実であることを証明しました。だからマルクスは蘇ってくるのではないかと思います。マルクスと同時にトロツキーが蘇ってくるような気がします。アメリカ資本の世界化・グローバリゼーションは世界革命を結果するのではないかと。そうです世界革命です。トロツキーは第四インターナショナルを組織しようとしました。その第四インターナショナル・世界革命をめざす組織です。私は暴力革命を恐れます。なぜかというと田原氏がいうように国民に犠牲をしいるようなことをすれば発展途上国を中心に暴力革命勢力が強大になるのではないかと恐れます。ジンバブエでは、二億%以上のインフレだと朝日新聞は伝えていました。暴動が起きて当然です。自然発生的な暴動が世界各地で起きてくるとそれを指導するボルシェビキが生まれてくる危険性はないのでしようか。アメリカ発の金融危機は発展途上国に犠牲のしわ寄せが大きいように思います。IMF・世界銀行の化けの皮が剥がされる。アメリカ資本が弱くなる。アメリカ資本いいなりの政権が弱くなる。その結果、アメリカ資本言いなりの政権が次々に倒される。追い詰められたアメリカ資本が凶暴化する。第三次世界大戦の勃発か、同時世界革命か。こんなことを恐れます。後藤田正晴氏の回顧録を読むと1950年代・60年代よく共産革命がおきなかったものだと言っています。1960年6月30日、椎名悦三郎は福本邦雄に私と一緒に総理大臣官邸で殺されてくれと言ったと福本氏は言っています。本当に戦争か、革命か、そんな危機がいまあるように思うのです。
だから田原氏は金持ちに税金をたくさん払うよう金持ちに犠牲をお願いしなければならない。弱者にではなく、強者に負担を、犠牲を強いなければならない。このことを権力に納得させることが権力を擁護することだと気がつかなければならない。賢明な資本の犬は身を挺してご主人様を守らなければなりません。そうしなければ資本は生き残れないことを分からなければならない。そうでなければすべてを失うことになると気がつかなければならない。いま農奴を解放しなければならない。そうしなければ君たちはすべてを失うことになるとクリミア戦争に敗北したロシア皇帝アレキサンダー二世は貴族たちを説得しました。農奴解放という犠牲を、負担を貴族たちに求めたのです。こうして封建的な貴族勢力の温存をはかったのです。いま権力を維持するためには資本は犠牲を覚悟する必要がある。金持ちは高い税金を支払わなければならない。負担を受け入れなければならない。田原氏はこのことを理解しなければいけない。しかし無理だろうな。頭の固くなった田原氏には自分の役割を自覚することができない。金子さんの田原氏へのインタビューを聞いてこんなことを感じました。
 金子さんのテレビでの発言を聞いてそうだという気持ちを持つ人がここに独りいますよ。