空色のきもち

晴天の日も、雨の日もあるけれど、好きなものと一緒に毎日を過ごしています。

『推し、燃ゆ』

2021-05-01 23:24:20 | 本の森
『推し、燃ゆ』宇佐見りん を読む。




第164回 芥川賞受賞作。

「あたし」の、推しに対する距離感は
すぺて「わかるわかる!」になるわけもなく、
でもどこかしら、ここの感覚は私もそうだ、と感じたり、
別の場面では、いや、そりゃ、やりすぎ…極端だな…と思ったりする。

そして、文中で病名とかははっきりとは述べられないけれど、
この「あたし」の生きにくさ、特性と似たような感覚を、持っているんだろうな…と想像できる人が、
身近にもいる気がした。
本人の生きにくさ、その姉、その母親、
(ちょっと父親の言葉には反発…)
のそれぞれの気持ちを思うと、あぁ…

生き甲斐を、自分以外の人に託すように生きている場合、
その人がそれこそ、「燃ゆ」になったら
どうなるんだろう。
このあとどうやって生きていくんだろう。


いいなーと思っていた芸能人に
突如何かしらが起きて、急にいなくなる…
そんな経験、2回くらいあった。
私の場合、そこまで入れ込んでいたわけでもない。
それでもやっぱり、結構ダメージ食らった。ショックだった。
長いこと引きずっている(進行形)。
思い出す頻度が減るだけで、忘れることはない。

そういう痛い、苦い、苦しい、
また、今どうしてる?
な気持ちも思い出した。

そしてまた、一般人に戻った推しは、どう生きていくんだろうね。



ゴールデンウィーク。
悩んだ末、県内別地方に住む義母に会いに行った。
90になり、電話で会話することがままならない。
ボソボソ話す夫とは、電話はもちろん、顔を会わせて話しても会話が成り立たない。
(思いやりをもって話せよ、夫…)

それでもどうやら、私の声は聞き取りやすいらしく、
疫病の話から、親戚の話、
夫もはじめてきいた!という義母の結婚前の話などをいろいろ話してくれた。
(耳以外はいたって元気いっぱいな義母)

苦労した話を聞いていると
今の私の大変さなんて、屁でもないわね、と思う。
いつ会っても私に元気や勇気をくれる義母。

久しぶりにひとと話ができたわーと喜んでくれて、
それはそれでよかったけれど。

私はたまにいくから、ゆっくり時間をかけてお相手もできるけれど、
毎日を共に過ごしている義兄夫婦(特に義姉)には頭が下がる。

それぞれに、それぞれの悩みを抱えながら、生きている。
時には楽しいこともあるけどね。
悩みをなくすことはなかなか難しいけれど、
後で思い出すなら、楽しい想い出の方を、
1つだけでもいいから多く思い出したい。

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