団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

セクハラ騒動を考える

2018-04-25 11:15:34 | Weblog
 福田事務次官のセクハラ騒動で国会が揺れている。本来、セクハラ問題でこんなに大きい事件にはならないが、やはり事務次官という立場の人がやってしまったからだろう。この問題をちょっと考えてみたい。
 まず責任のある立場の人の劣化があげられる。つい先日もあった新潟の米山知事もこのケーズだが、せめてその重責にある時は、身を慎むべきであろう。これは末端の警察官、教師にもいえることで、やってはいけない一線を超えて自分の欲望を満たすことに躊躇がない。日本人がダメになっている一例だ。
 次に、財務省を含めて役人のセクハラ意識がきわめて低いことだ。民間では考えられないことで、結局は外部との接触が希薄で、自分たちの価値観だけで仕事をしているから、世界標準の意識が育たない。こういう問題があって、ようやく意識が変わっていくのだろう。
 福田事務次官を取材した女性記者はどうだろうか。何度も会ってセクハラにあったといっている。しかし最初からセクハラ発言をされたら、それで激高して二度と取材はしないだろうし、他の記者に代わることができる。それをしなかったということは、事務次官の持っているネタを記事にしたいスケベ心があったとしか思えない。上もセクハラをするぐらい気に入られていると思ったのだろう。
 問題はなぜ今の時期に公になったか。安倍内閣の支持率が急降下しており、さらに拍車をかけたい朝日新聞系のテレビ朝日が判断したか。憲法改正を進める安倍内閣は朝日新聞にとっては不倶戴天の敵。この程度のことはやらかすだろう。
 もう一つの問題は、週刊誌の議事だけでここまで人を断罪していいのか。福田事務次官はセクハラを否定している。今のところ、被害の女性は名乗り出ておらず、真相は藪の中ではあるが、福田事務次官は完全な悪者。証拠はICレコーダーの声だけである。
 やはり裁判で黒白をつける問題であるだろう。むろん福田事務次官の旗色は悪いと思うが、信念があるなら堂々と裁判をすべきだ。
 週刊新潮も文春も、ちょっとメディアの驕りがあるのではないか。権力に抗し世を正す、というメディアの役割はあるが、思い通りに動く世間に対して甘くなっていないか。
 以上が私が感じた今回のセクハラ騒動だ。時代が変わったとはいえ、かつての名優・森繁久彌にタッチしてもらいたい、と女優らは並んだそうだ。今は昔である。

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