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遠交近攻(えんこうきんこう)を忘れた日本

2012-10-05 14:48:28 | Weblog

日曜日のNHKスペシャル「日中外交はこうして始まった」は、台風報道もあり、ちょこちょこL字型表示になったので、改めて水曜深夜の再放送を録画する。

 

日曜にチラチラ見たときから思っていたが、このスペシャル放送自体が、

「近くの国とは仲良くすべき。なぜなら、国は引っ越せないのだから」

という「前提(presumption)」を強く置いたものになっていたのが不思議で不思議で仕方がない。

 

「近くの国とは仲良くすべき」という価値観が「普遍的(universal)」なものであるならば、なぜ韓国と北朝鮮が「統一」するよう、中国、韓国、日本は不断の外交努力を続けないのだ???

こういう問いを持たないままこのNHKスペシャルを見ることは、

「北朝鮮だけは特別」

という、これまた何の根拠もないpresumptionに染まった上でこの番組を見ていることと同じである。脳がそんな状態では、

「中国でも1960年代の外交記録が部分的に公開され、中ソ対立の中で日本と関係回復をはかった毛沢東・周恩来のしたたかな国際戦略が浮かび上がってきた」

などと、ドヤ顔で語る公式サイトが行おうとしている「洗脳」にただ染まってしまうだけである。

 

そもそも、漢文の授業で習ったであろう

「遠交近攻(えんこうきんこう)」

という概念は、中国発のものである。

wikipediaより。

遠交近攻(えんこうきんこう)は、兵法三十六計の第二十三計にあたる戦術。「遠きと交わり近きを攻める」の意味。

意外と「孫子」ではなく、范雎(はんしょ)の思想とのこと。この范雎が春秋戦国時代の秦の宰相として重用されてから、戦国時代における秦の優勢が決定的になったようだ。

 

この発想は、中韓を武力で征服しようなどと考えてはいない戦後の日本でも重要な思想と言っていいだろう。国家間の友好関係という精神的な観点から言っても、そこに確固たる「利益」あるいは「互恵関係」がない限りは、近隣諸国と友好関係である演出など百害あって一利なしである。むしろ、遠くの国と強い友好関係があれば、世界全体のパワーバランスが変わるときに大きな「支え」となる。戦前の日本において日英同盟がどれだけ役立ったかを考えれば、

・2000年代に日本が国連の常任理事国入りを本気で目指したときに主に中国がアフリカ諸国に働きかけ、中韓だけでなく、主にアフリカ諸国の反対を引き出すことでこれを阻止した

という逸話が、まさに中国から見た「遠交近攻」が見事に決まった事例であると言えよう。戦後の日本は石油の調達先としてアラブ諸国とは友好関係を築いてきたが、アフリカ諸国との関係はまだまだ希薄だったところを中国に見事に突かれた。中国はこういう事態を予見して、1990年代から着実にアフリカ諸国でのODAやジョイントベンチャーを積み上げてきたのだから。中国がアフリカにODAを拠出している間も、お人好しな日本は中国にODAを拠出し続けた。全くバカな国である。あのアホの孫崎享が外務官僚を務められるだけあるわけだ(笑)。

 

今から振り返れば、特に必要性もなかったところに、田中角栄らが「われわれが日中国交を復活させ、これで歴史に名を残そう」という虚栄心さえ持たなければ、もっと着実な段階を追って、必要がある範囲で日中国交回復ができたであろうにと嘆かざるを得ない、そんな番組でもあった。

拙速な準備にはその反作用としてどこかに必ずほころびが出てくる。例の「迷惑」発言だ。

 

 

<1972年9月25日、田中角栄首相率いる日本代表団は戦後の総理として初めて北京の地を踏む>

 

 

 

 

 

<その日の夜、中国が主催する晩餐会の会場で、田中角栄は以下のように演説した。>

 

 

<田中:「過去数十年にわたって日中関係は遺憾ながら

不幸な経過をたどってまいりました」>

 

<「この間我が国が中国国民に多大なご迷惑をおかけしたことについて」>

 

<「私は改めて深い反省の念を表明するものであります。」>

 

<ナレーション:「ところが、この演説の翻訳が配られると、会場は異様な空気に包まれる」>

 

 

 

<林通訳(周恩来側の通訳):田中総理の「迷惑をかけた」を、日本側の通訳は

添了麻煩(ティエンラ・マーファン)と訳したんですよね>

 

この発言で、周恩来を始めとする中国側が激怒した事件が、いわゆる「迷惑事件」である。

この番組によると、「添了麻煩」とは、日本語の「迷惑をかけた」とは意味合いが全く異なり、「女性のスカートに水をかけてしまったことに『すまない』と言うこと」程度の「迷惑をかけた」の意味合いであるとのこと。

 

wikipediaによると、あたかもこの翻訳が、外務省中国課長橋下恕が何度も推敲を重ねた結果、出されたものであるかのような記述となっている。

>中国側では通訳のミスではないかと思われたが「当時の日本の世論に配慮したぎりぎりの言葉づかい」(外務省中国課長橋本恕)であり、「何日も推敲を重ねて、精魂を傾けて書いた文章であり、田中首相、大平外相に何度も見せて『これでいこう』ということになった」ものだという(橋本)。

 

しかし、これまたwikipediaの別項目によると、この橋下恕は、外務省入省の研修時に中国語を学んでいないことも示されている。

>自民党親中派の意を受けて正常化交渉を行ったアジア局中国課長の橋本恕(後の駐中国大使)はアメリカスクール外交官であったこが見落とされている。

 

中国研究としては大御所である矢吹晋横浜市立大学名誉教授の以下の文章によると、橋本はやはり中国語ができていなかったようだ。(このページは、これだけで独立した、読み応えのあるものとなっている)

 

http://www.21ccs.jp/china_quarterly/China_Quarterly_01.html

 田中角栄の迷惑、毛沢東の迷惑、昭和天皇の迷惑

(該当部)

日本語の「迷惑」を用いることについて橋本が精魂を傾けた事情は理解できることだ。だがここで問われているのは、日本語の原文そのものではなく、それをどのように訳したかなのだ。にもかかわらず、橋本の回想は田中のゴーストライターとして歓迎宴スピーチの原稿を書いた原文の言い回しにむかってしまう。橋本がもし原文の推敲に費やしたエネルギーの一割でも、中国語訳文の推敲に費やしていたならば、歴史的誤解は避け得たのだ。この意味では中国語を解しない中国課長の限界というほかない。

(該当部ここまで)

 

この記述と、橋本中国課長が、外務省入省時に中国語を集中的に学んでいないことから合わせて判断すると、橋本が推敲を重ねたのは日本語の原文の方で、その翻訳については推敲の度合いは全くわからない、ということになる。

 

かくして、悪意があったのかどうかわからないが、通訳の「誤訳」で、未だに「迷惑」問題が尾を引きずっている。例えば、天安門事件後、中国で反日教育を強化した江沢民の日本に対する怨恨の一部はここから生じていると見ることもできるわけだ。

 

ただ、それにしても、「女性のスカートに水をかけた程度のこと」に対して、「改めて深い反省の念を表明する」という述語が続くのは、文脈上きわめて不自然だ。ただこれも、上記にリンクを貼った矢吹の文章から判断すると、

 

問題を整理しておきたい。一九七二年九月二五日、田中角栄は北京を訪れ、同日夜の歓迎宴において、日中戦争について「わが国が中国国民に多大なご迷惑をおかけしたことについて,私は改めて深い反省の念を表明するものであります」と述べた。これは「我国給中国国民添了很大的麻煩,我対此再次表示深切的反省之意」と訳され、謝罪の言葉としていかにも軽すぎると中国内外で大きな波紋を呼んだ。ここで田中は日中戦争について「多大なご迷惑をおかけした」と事実を確認し、この事実について「深い反省の念を表明」したのであるから、田中スピーチのキーワードは「迷惑、反省」の四文字である。


私も中国語は全くわからないが、「我対此再次表示深切的反省之意」という言葉では、「麻煩」という目的語に対しては、軽い謝罪の意味しか持ち得なかった、ということになるのだろう。



こうして見てみると、かえすがえすも、日本側の拙速さばかりが目立つ「日中国交正常化」であった、と言わざるを得ない。かくして、未だに日本は中国側の「遠交近攻」に嵌り続けている。ゆとり教育によって漢文が軽視されるようになったせいで、「遠交近攻」という概念そのものを忘れた日本人は、今後も外交で苦しみ続けることになるだろう。

 

 



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