今月二日のこの記事でも考察したのだが、言語化できないモヤモヤ感が残っていた。そのモヤモヤとは何か。それは、従業員の存在である。
経営者が誰であり、働き方や広い意味でのビジネスモデルとしての「社風(会社風土、会社文化)」が何であろうとも、同じ効率で働けるロボットのような従業員であれば、株主の変化によって経営者が誰になろうとも、売り上げや利益は、設備や労働時間などの「外的要素」だけで変わるだろう。しかし、実際には経営者の「経営政策」や、経営者が作り出す「社風(先ほどの意味)」によって、従業員の労働効率は大きく変わるのだ。フジテレビとニッポン放送がお互いに納得した上で、フジテレビがTOBを行っていたにもかかわらず、いきなり乗っ取るようにライブドアが割り込んできた。このような参入の仕方をしてきた者が経営者に入ることで、ニッポン放送の従業員のモチベーションはどう変わるのか。10日ほど前に出たニッポン放送社員一同による声明を見ても、その答えは明らかであろう。
だとすると、出資者である株主が出資先の価値を高めたいのであれば、今まで問題もなく利益を上げてきた、ニッポン放送の従業員が反対している経営者(堀江たち)を受け入れることで、最悪の場合、多数の退職者を出す可能性まで考えた上での将来見通しを立てるべきだろう。サンプロで堀江は「帳簿上は、ニッポン放送はいつでも解散して良い状態」と豪語したが、その数値は以前ここでも採り上げたように、きわめて曖昧なものであるがゆえに、その妥当性も怪しい。また堀江は、「僕たちが入ればさらに企業価値を高めることができますよ」との主張も繰り返しているが、その前提として、「ニッポン放送の社員が、堀江たちが入ることで変わる社風によっても労働効率は悪化しない(仕事に支障を来しかねない退職者が出ない、という意味も含めて)」というものが入っていることを忘れてはならないだろう。そして、この前提も、前述したニッポン放送の社員声明より、成り立つとは考えにくいことがわかるだろう。
ここまで含めて考えると、仮に私がニッポン放送の株主であれば、今のフジテレビとニッポン放送の関係を維持することの方が、ライブドアからニッポン放送の役員を受け入れることより、ニッポン放送の価値は維持できるだろうと考える。もちろん、人によっては結論が逆になることもあるだろうから、それについて叩くつもりはない。ただ、従業員という要素まで考えると、単に「会社は株主のものだ!」と叫ぶだけでは、株主にとっても利益ではなく損失が出る可能性も高まることがあると指摘したかったのである。
さらに、「そういうリスクまでも含めて株主は投資しているんだ」という反論もあるだろうが、それも、実際に働く従業員の存在を忘れた発言だ。NHKのように、明らかな従業員の不正がある場合には、不正を正すという大義も立てられるが、ニッポン放送ではそのような不正も今のところ報じられていない。「ニッポン放送は敵対的買収に対する対策も立てず、ボケッとしていた」という指摘もあるが、
① 現法制下で、今回のような敵対的買収を未然に防ぐ「ほぼ完全な手段」はない。あったとしても、それは相応のリスクを伴う。TOBをせずに、フジテレビが市場でニッポン放送株をひたすら買うか、ニレコがやった「現在の全株主に新株予約権発行」くらいか。しかし、今回ニッポン放送がそれをしなかったからと言って責められるものではないだろう。そこまでの注意義務があったと言えるのだろうか?
※ニレコという会社の防衛策(これも、今回の件があってからの話)
http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20050314AT1C1400914032005.html
② 少なくともフジテレビがTOBをかけている時期であったのだから、ニッポン放送は経営者も社員もフジサンケイの一員としての形を整えようとしていた。
この二点は否定できまい。そのような時期に、ライブドアは強引に株を買い占めたのだから、ライブドアが経営を掌握したとしても、現場からの相当の反発は免れ得ないだろう。そういう動きも含めて「おれたちがニッポン放送の株を買い占めたんだ。文句言うな」と言うのは、企業価値向上をめざした動きではなく、無用の衝突を招いているという意味でニッポン放送にとって害悪にしかならない発言に聞こえる。自分たちが参入することで本当にニッポン放送やフジサンケイ(とライブドア)の企業価値を高めたいのであれば、まずはニッポン放送やフジテレビに、業務提携の可能性をさぐる行動をすべきであったろう。
そういうわけで、「会社は株主のものだ」という考え方は、真実の「一つ」であり、それだけでは企業が利益を上げることは不十分だ、とまとめておきたい。まだモヤモヤしているが…。
なるほど。堀江にはNHKを買ってもらえばいいわけか。ライブドアは、さらに借金しまくってNHKを買えばいいのだ。それでNHKも民営化(というより民放化)、受信料もなし、不祥事もなくなり、経営も効率化される。NHKの企業価値も上がる、余計な株主もいない、ライブドアから見れば放送免許も得られる、しかも衛星やハイビジョンつき、おかげでライブドアももうかる、堀江もメディア王って、全て丸く収まるんだから。え?高すぎる?いやいや、600億も株主に無断で借金できる強気さがあれば大丈夫でしょ?
<ポニーキャニオン社員、ほぼ全員がフジ残留を希望>
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050316-00000201-yom-bus_all
どうやら、経済学的な意味だけでなく、国語的な意味においても「敵対的買収」となりそうな気配である。
経営者が誰であり、働き方や広い意味でのビジネスモデルとしての「社風(会社風土、会社文化)」が何であろうとも、同じ効率で働けるロボットのような従業員であれば、株主の変化によって経営者が誰になろうとも、売り上げや利益は、設備や労働時間などの「外的要素」だけで変わるだろう。しかし、実際には経営者の「経営政策」や、経営者が作り出す「社風(先ほどの意味)」によって、従業員の労働効率は大きく変わるのだ。フジテレビとニッポン放送がお互いに納得した上で、フジテレビがTOBを行っていたにもかかわらず、いきなり乗っ取るようにライブドアが割り込んできた。このような参入の仕方をしてきた者が経営者に入ることで、ニッポン放送の従業員のモチベーションはどう変わるのか。10日ほど前に出たニッポン放送社員一同による声明を見ても、その答えは明らかであろう。
だとすると、出資者である株主が出資先の価値を高めたいのであれば、今まで問題もなく利益を上げてきた、ニッポン放送の従業員が反対している経営者(堀江たち)を受け入れることで、最悪の場合、多数の退職者を出す可能性まで考えた上での将来見通しを立てるべきだろう。サンプロで堀江は「帳簿上は、ニッポン放送はいつでも解散して良い状態」と豪語したが、その数値は以前ここでも採り上げたように、きわめて曖昧なものであるがゆえに、その妥当性も怪しい。また堀江は、「僕たちが入ればさらに企業価値を高めることができますよ」との主張も繰り返しているが、その前提として、「ニッポン放送の社員が、堀江たちが入ることで変わる社風によっても労働効率は悪化しない(仕事に支障を来しかねない退職者が出ない、という意味も含めて)」というものが入っていることを忘れてはならないだろう。そして、この前提も、前述したニッポン放送の社員声明より、成り立つとは考えにくいことがわかるだろう。
ここまで含めて考えると、仮に私がニッポン放送の株主であれば、今のフジテレビとニッポン放送の関係を維持することの方が、ライブドアからニッポン放送の役員を受け入れることより、ニッポン放送の価値は維持できるだろうと考える。もちろん、人によっては結論が逆になることもあるだろうから、それについて叩くつもりはない。ただ、従業員という要素まで考えると、単に「会社は株主のものだ!」と叫ぶだけでは、株主にとっても利益ではなく損失が出る可能性も高まることがあると指摘したかったのである。
さらに、「そういうリスクまでも含めて株主は投資しているんだ」という反論もあるだろうが、それも、実際に働く従業員の存在を忘れた発言だ。NHKのように、明らかな従業員の不正がある場合には、不正を正すという大義も立てられるが、ニッポン放送ではそのような不正も今のところ報じられていない。「ニッポン放送は敵対的買収に対する対策も立てず、ボケッとしていた」という指摘もあるが、
① 現法制下で、今回のような敵対的買収を未然に防ぐ「ほぼ完全な手段」はない。あったとしても、それは相応のリスクを伴う。TOBをせずに、フジテレビが市場でニッポン放送株をひたすら買うか、ニレコがやった「現在の全株主に新株予約権発行」くらいか。しかし、今回ニッポン放送がそれをしなかったからと言って責められるものではないだろう。そこまでの注意義務があったと言えるのだろうか?
※ニレコという会社の防衛策(これも、今回の件があってからの話)
http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20050314AT1C1400914032005.html
② 少なくともフジテレビがTOBをかけている時期であったのだから、ニッポン放送は経営者も社員もフジサンケイの一員としての形を整えようとしていた。
この二点は否定できまい。そのような時期に、ライブドアは強引に株を買い占めたのだから、ライブドアが経営を掌握したとしても、現場からの相当の反発は免れ得ないだろう。そういう動きも含めて「おれたちがニッポン放送の株を買い占めたんだ。文句言うな」と言うのは、企業価値向上をめざした動きではなく、無用の衝突を招いているという意味でニッポン放送にとって害悪にしかならない発言に聞こえる。自分たちが参入することで本当にニッポン放送やフジサンケイ(とライブドア)の企業価値を高めたいのであれば、まずはニッポン放送やフジテレビに、業務提携の可能性をさぐる行動をすべきであったろう。
そういうわけで、「会社は株主のものだ」という考え方は、真実の「一つ」であり、それだけでは企業が利益を上げることは不十分だ、とまとめておきたい。まだモヤモヤしているが…。
なるほど。堀江にはNHKを買ってもらえばいいわけか。ライブドアは、さらに借金しまくってNHKを買えばいいのだ。それでNHKも民営化(というより民放化)、受信料もなし、不祥事もなくなり、経営も効率化される。NHKの企業価値も上がる、余計な株主もいない、ライブドアから見れば放送免許も得られる、しかも衛星やハイビジョンつき、おかげでライブドアももうかる、堀江もメディア王って、全て丸く収まるんだから。え?高すぎる?いやいや、600億も株主に無断で借金できる強気さがあれば大丈夫でしょ?
<ポニーキャニオン社員、ほぼ全員がフジ残留を希望>
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050316-00000201-yom-bus_all
どうやら、経済学的な意味だけでなく、国語的な意味においても「敵対的買収」となりそうな気配である。
会社は株主だけのものではない。社員のものでもあるし、国や地域社会のものでもあるはずだ。それでも株主のものでもあるのは間違いのないことで、その株主の権利とその他のそれを天秤にかけたら今までは株主が圧倒的に軽かった。
株主の権利が軽すぎたから、村上氏が株主の「正当な」権利を得るために昨年の総会に出席して、改善しようとした。しかし、ニッポン放送は聞き入れなかった。
なぜか? 系列会社に難攻不落のフジテレビが控えているから。自事業で採算が取れなくても、分家のポニーキャニオンで埋め合わせが利くから。それらは甘えでしかない。高いCM料をとって、潤沢な資金をかき集めて、のんのんと暮らしてる王様が可愛がってくれるから。王様が民衆から搾取した金をまわしてもらえるから。
自分の家くらい自分で護れ。自分の家を自分で護れないから、王様から分け前もらったり、分家から吸い上げたりして、自分の家族を養っている。しかも大して稼ぎもしないくせに、家族が贅沢な生活を続けている。
それを遠目に眺めてた農民の一人は、小さい畑を高い生産性で耕してもうけた金で、いろんな人の土地を買い取ってどんどん仕事の幅を広げて行った。ある程度大きくなったときに、特権的な人しか耕せない土地があって、面白そうだから買い取ろうとした。
「おまえらはいい畑もってるんだから、しっかり耕して、いろんな作物植えろよ。おれが耕し方教えてあげるから。それから販売はおれらが手伝ってあげるから」っていう。
そんなことされたら、自分たちが今まで趣味程度にしか仕事してなかったのがばれるから怖い。
「なんで、こんなに畑が荒れてるんだ。なんでこんな仕事しかしてないのに、あんなに贅沢な暮らしをしてるんだ」って言われる「おまえらの仕事量からすれば、小遣いは今までの半分だ」。
家族会議を開いたら、家族の多くが、
「あんなやつの下で生活するの嫌だ。小遣いも減らされるし、仕事の仕方も口出しされるし」っていう。
お父さんが決意して、
「しょうがないじゃあ分家のポニーキャニオンを王様に差し上げよう。畑もできるだけ売りさばいて小さくしよう。もうどうにでもなれ。おれは王様の仕事を手伝うことにしよう」って自暴自棄になる。
王様は、
「せっかく信頼できる仲間を集めて、前の王を追い出して文句を言うやつもいなくなって楽しくやってるのに、なんだあの小僧は。とにかくいろんなところに手を回して、どんな手を使ってでもあいつを追い出せ」って言う。
いつまでたっても、変ろうとしない王様を見て、その農民は
「王の座をのっとろう。じゃないと変れない」と言って、本気で城ごと買い取ろうとする。
「あの城を買い取ったら、あの城に無意味に眠る宝石で返すから、ちょっと金を貸してくれ」っていろんな人に頼み込んで。
民衆は農民を応援するものと、王様を支持するものにわかれて、議論を酌み交わせる。王様は巧みに間接的に民衆から金を徴収するから、民衆は別に悪い王様だとは思わない。。。自由なんてもともと与えられていないことに気づきもせずに。
会社は誰のモノか? という問題設定を分析するツールは3つあります。①資本の論理,②組織の論理,③社会の論理,です。
テレビでもWEBでも,ほとんどの発言は,「会社は株主のものだ(資本の論理),上場しているのだから,誰が株主になってもよいのだから金があるほうが勝ち,何が悪い」的なものか,「以前は会社は社員のものだったが,日本は変わった。今は株主のものだ」といった進化論的発想のものです。
しかし,法的には確かに株主のものなのですが,社員(組織の論理)や社会を無視した発想は,最後は失敗します。
アメリカのように雇用の流動性が強い社会(つまり首切りが容易)であれば社員を無視した経営陣同士の争いもある程度可能ですが,日本の風土では難しいです。歴史のないIT企業であれば社員も若い人中心ですからいいのですが,ある程度歴史があると簡単ではありません。また,会社は社会を相手に商売するのですから,社会を無視した経営は,存立そのものを脅かしかねません。企業犯罪の末,倒産や廃業に追い込まれた企業は多いわけです。
いずれにしても,上手に和解しない限り,ライブドアはかなり危ない状況に追い込まれるように思えます。昨年来の人気はもう御破算でしょう。
あと,ニレコが採用するポイズンピル以外でも,黄金株など現行法でもできることはまだまだありますよ。
今後も自分のペースで少しずつ考えたことを書いていきますので、またご意見下さい。