いや~、書くのにえらい時間がかかった。日曜のサンプロの、永沢徹弁護士って、その後もテレ朝でよく取材されている。昔からそうだったのかどうかは覚えていないけど。今後もよく出てくるのだろう。
サンプロでの彼の発言で気になったことがもう一つある。それは、「会社は株主のもの。株を買われて困るのなら上場しなければいい」という主張を繰り返していたことだ。この主張は、堀江氏が20日あたりにさまざまな番組で繰り返していたフレーズだ。
この言葉ばかり金科玉条のように繰り返されると、ニッポン放送がフジテレビを対象に新株予約権を発行したこと自体もネガティブにとらえられやすくなる。なぜなら、特定の相手だけに新株を発行するのは、株を平等に買う権利を侵害するものだからだ。
しかし、株式会社というシステムであっても、誰でも自由に株を買う権利が保証されているわけではない。現金の代わりに取引先に交付したり、取締役や従業員のやる気アップのために、自社の社員に交付したりすることもある。これは、短期的な利益や平等性よりも、従業員のやる気(インセンティブ)や取引先との取引関係維持など、長期的な利益をもたらすものとして正当化されるだろう。
参考 http://sakaba.chu.jp/blog/archives/2005/02/post_51.html
(ふたたび 猫の法学教室様。今回の新株予約権については厳しい見解であるが。)
だとすると、「会社は株主のものだ!」と息巻く場合は、その会社の長期的な利益までをも見通しを持って叫ぶべきだろう。単純に、「株式会社という制度は、自由市場で平等に株が買えるシステムだ」という印象を与えるような説明では、実情と違ったイメージを抱かせると思う。
教育業界でも事情はよく似ている。塾や予備校にお金を払っている「お客様」は、生徒ではなく「親」である。だから、教え方をチェックする権利は生徒にではなく、親御さんの方にあるということを授業でも毎年言っている。だからといって、一度だけ授業を見てもらい、親御さんが納得がいかなければ、その授業は変えた方がいいのかということである。そこには「こういう指導を受けたら長期的には成績が上がるか」という視点が不可欠だ。顧客の方にそういう視点がなければ、我々教える方も「その日、その授業だけが楽しければ、志望校に合格しなくてもかまわない」教え方で教えるようになってしまうのだ。
こういう文脈で考えると、ニッポン放送という会社も、「ただ独立してそこに存在する会社」ではなく、単独のラジオ会社としてスタートし、不振だったサンケイ新聞と業務提携をし、フジテレビを作り…などという「経過」や「ネットワーク」までをも含めて、ライブドアが口を出す効果を考えなければ、「会社は株主のもの」と叫べば叫ぶほど、他の会社とのつながりを無視してニッポン放送の短期的政策をコロコロ変えざるを得なくなり、その結果利益がむしろ出なくなる、という悪循環に陥る危険性が高くなるだろう。
…そうは言っても、各種世論調査などで、ライブドアの評判はすこぶるいいということだから、きっと多くの人は「そんな理屈をこねずに、ライブドアにやらせれば良くない?」と思っているのだろうと思う。私も、ライブドアがメディア企業をイチから自前で作るのであれば同様に思う。自分でリスクを取っているのだから、その結果も全て自己責任の範囲で取ればいい。ただ、今回はフジサンケイグループ(少なくともにニッポン放送)という、「もともと別にあった組織」を少なくとも一定割合コントロールしようとしている(※)。その上で、もし業務提携の上でライブドア(「新」ニッポン放送)のプランがコケたら、もともと何の関係もなかったニッポン放送の社員も一緒にコケることになる。それをも含めて「資本主義だから」というのは、あまりにも無責任な発想だと思う。業務提携なり、吸収合併するのであれば、両方の組織に勤めている人間にそれ相応の影響を与えるのだから、根回しをし、少なくともある割合の社員の合意を取り付けるべきだと思う。
こういう考え方が古いと思っている人は、自分の勤めている会社がある日敵対的買収にかかり、次の株主総会から経営者が代わり、業績が悪化して自分がリストラされるとしても、全く文句はないのだろう。今回「ライブドアマンセー」もしくは「フジサンケイむかつく~」と言っている人は、「もしも自分にこういうことが起こったら」という発想がないのだろうか。もしもこういう角度からの発想を持っているのであれば、一般的に「敵対的買収は是か非か」という角度からの意見がもう少しあっても良さそうなものである。
まあ、それでもライブドアはうまくやるさと思っている人には、この言葉は届かないのだろうな。ライブドアがまだ「オンザエッヂ」という社名で、ライブドアとは別会社だった頃、ライブドアは飛ぶ鳥を落とす勢いだった。(ライブドアという会社は、堀江氏が社長だったオンザエッヂが吸収した、別会社である)
http://www.itmedia.co.jp/news/0105/16/livedoor.html
「5年後には会員数1000万人」と豪語していたのが、1年半たつとこうなる。
http://www.itmedia.co.jp/broadband/0210/31/08.html
(日付の違いに注目)
あっさり「オンザエッヂ」に吸収されてしまった。しぼむときはこんなもんである。ここだけじゃなく、数年前は「光通信」という名前の、当時はけっこう有名だった(ような気がする)IT会社もいきなりつぶれたり(再建したんだっけか?)、申し訳ないが、勢いがあるように見えるIT会社って、あまり信用できないのだ。昨日も書いたが、特にライブドアは、コンテンツを見てもオリジナリティや美しさやおもしろさを全く感じないのでなおさらだ。例えば「ラジオをネットでいつでも聴けるように」って言うけど、それが権利的に難しいから実現していないんじゃないの?
…こういう思いは純粋に私の主観なので、読者を説得しようとも思わないのだが、一般ピーポーの「ライブドアならうまくやるさ」などの楽観的な思いこみで、同意もなくフジサンケイグループの社員の人生に影響を与えるのは、私にはできないし、企業文化としても定着して欲しくないと思う。
念のために書いておくと、だから結果オーライで今回の新株予約権は問題なし!と言うつもりもない。とにかく、ニッポン放送の言う「トータルとしての企業価値の向上」という理屈が、裁判所に通るかどうか、という点がポイントであろう。素人なりにいろいろ考えてみても、この理屈さえ通れば、商法280の10をクリアできると考えている。
余談だが、「フジテレビや日枝がむかつく」からと言ってライブドアを応援する、という論理もわからない。フジテレビや日枝氏がむかつくのであれば、フジサンケイグループそのものの没落を願えば済む話で、わざわざライブドアを入れ、ライブドアにいじめられる(笑)フジサンケイを見て笑いたいのであれば、少なくともライブドアが好きでなければ肯定できないイメージであろう。なんだかんだ言ってライブドアファンなんじゃないの~?と思う次第だ。
※「支配」だとか「提携」だとか、言い方はいろいろあるだろうが、株主としての発言権を行使しようとする限りはその内実は、「一定の影響力を行使する」という意味で同じである。
サンプロでの彼の発言で気になったことがもう一つある。それは、「会社は株主のもの。株を買われて困るのなら上場しなければいい」という主張を繰り返していたことだ。この主張は、堀江氏が20日あたりにさまざまな番組で繰り返していたフレーズだ。
この言葉ばかり金科玉条のように繰り返されると、ニッポン放送がフジテレビを対象に新株予約権を発行したこと自体もネガティブにとらえられやすくなる。なぜなら、特定の相手だけに新株を発行するのは、株を平等に買う権利を侵害するものだからだ。
しかし、株式会社というシステムであっても、誰でも自由に株を買う権利が保証されているわけではない。現金の代わりに取引先に交付したり、取締役や従業員のやる気アップのために、自社の社員に交付したりすることもある。これは、短期的な利益や平等性よりも、従業員のやる気(インセンティブ)や取引先との取引関係維持など、長期的な利益をもたらすものとして正当化されるだろう。
参考 http://sakaba.chu.jp/blog/archives/2005/02/post_51.html
(ふたたび 猫の法学教室様。今回の新株予約権については厳しい見解であるが。)
だとすると、「会社は株主のものだ!」と息巻く場合は、その会社の長期的な利益までをも見通しを持って叫ぶべきだろう。単純に、「株式会社という制度は、自由市場で平等に株が買えるシステムだ」という印象を与えるような説明では、実情と違ったイメージを抱かせると思う。
教育業界でも事情はよく似ている。塾や予備校にお金を払っている「お客様」は、生徒ではなく「親」である。だから、教え方をチェックする権利は生徒にではなく、親御さんの方にあるということを授業でも毎年言っている。だからといって、一度だけ授業を見てもらい、親御さんが納得がいかなければ、その授業は変えた方がいいのかということである。そこには「こういう指導を受けたら長期的には成績が上がるか」という視点が不可欠だ。顧客の方にそういう視点がなければ、我々教える方も「その日、その授業だけが楽しければ、志望校に合格しなくてもかまわない」教え方で教えるようになってしまうのだ。
こういう文脈で考えると、ニッポン放送という会社も、「ただ独立してそこに存在する会社」ではなく、単独のラジオ会社としてスタートし、不振だったサンケイ新聞と業務提携をし、フジテレビを作り…などという「経過」や「ネットワーク」までをも含めて、ライブドアが口を出す効果を考えなければ、「会社は株主のもの」と叫べば叫ぶほど、他の会社とのつながりを無視してニッポン放送の短期的政策をコロコロ変えざるを得なくなり、その結果利益がむしろ出なくなる、という悪循環に陥る危険性が高くなるだろう。
…そうは言っても、各種世論調査などで、ライブドアの評判はすこぶるいいということだから、きっと多くの人は「そんな理屈をこねずに、ライブドアにやらせれば良くない?」と思っているのだろうと思う。私も、ライブドアがメディア企業をイチから自前で作るのであれば同様に思う。自分でリスクを取っているのだから、その結果も全て自己責任の範囲で取ればいい。ただ、今回はフジサンケイグループ(少なくともにニッポン放送)という、「もともと別にあった組織」を少なくとも一定割合コントロールしようとしている(※)。その上で、もし業務提携の上でライブドア(「新」ニッポン放送)のプランがコケたら、もともと何の関係もなかったニッポン放送の社員も一緒にコケることになる。それをも含めて「資本主義だから」というのは、あまりにも無責任な発想だと思う。業務提携なり、吸収合併するのであれば、両方の組織に勤めている人間にそれ相応の影響を与えるのだから、根回しをし、少なくともある割合の社員の合意を取り付けるべきだと思う。
こういう考え方が古いと思っている人は、自分の勤めている会社がある日敵対的買収にかかり、次の株主総会から経営者が代わり、業績が悪化して自分がリストラされるとしても、全く文句はないのだろう。今回「ライブドアマンセー」もしくは「フジサンケイむかつく~」と言っている人は、「もしも自分にこういうことが起こったら」という発想がないのだろうか。もしもこういう角度からの発想を持っているのであれば、一般的に「敵対的買収は是か非か」という角度からの意見がもう少しあっても良さそうなものである。
まあ、それでもライブドアはうまくやるさと思っている人には、この言葉は届かないのだろうな。ライブドアがまだ「オンザエッヂ」という社名で、ライブドアとは別会社だった頃、ライブドアは飛ぶ鳥を落とす勢いだった。(ライブドアという会社は、堀江氏が社長だったオンザエッヂが吸収した、別会社である)
http://www.itmedia.co.jp/news/0105/16/livedoor.html
「5年後には会員数1000万人」と豪語していたのが、1年半たつとこうなる。
http://www.itmedia.co.jp/broadband/0210/31/08.html
(日付の違いに注目)
あっさり「オンザエッヂ」に吸収されてしまった。しぼむときはこんなもんである。ここだけじゃなく、数年前は「光通信」という名前の、当時はけっこう有名だった(ような気がする)IT会社もいきなりつぶれたり(再建したんだっけか?)、申し訳ないが、勢いがあるように見えるIT会社って、あまり信用できないのだ。昨日も書いたが、特にライブドアは、コンテンツを見てもオリジナリティや美しさやおもしろさを全く感じないのでなおさらだ。例えば「ラジオをネットでいつでも聴けるように」って言うけど、それが権利的に難しいから実現していないんじゃないの?
…こういう思いは純粋に私の主観なので、読者を説得しようとも思わないのだが、一般ピーポーの「ライブドアならうまくやるさ」などの楽観的な思いこみで、同意もなくフジサンケイグループの社員の人生に影響を与えるのは、私にはできないし、企業文化としても定着して欲しくないと思う。
念のために書いておくと、だから結果オーライで今回の新株予約権は問題なし!と言うつもりもない。とにかく、ニッポン放送の言う「トータルとしての企業価値の向上」という理屈が、裁判所に通るかどうか、という点がポイントであろう。素人なりにいろいろ考えてみても、この理屈さえ通れば、商法280の10をクリアできると考えている。
余談だが、「フジテレビや日枝がむかつく」からと言ってライブドアを応援する、という論理もわからない。フジテレビや日枝氏がむかつくのであれば、フジサンケイグループそのものの没落を願えば済む話で、わざわざライブドアを入れ、ライブドアにいじめられる(笑)フジサンケイを見て笑いたいのであれば、少なくともライブドアが好きでなければ肯定できないイメージであろう。なんだかんだ言ってライブドアファンなんじゃないの~?と思う次第だ。
※「支配」だとか「提携」だとか、言い方はいろいろあるだろうが、株主としての発言権を行使しようとする限りはその内実は、「一定の影響力を行使する」という意味で同じである。
読ませてもらってますが、
まったくまったく同感です。
株については疎いですが、
このサイトで理論的にに納得させて
もらいました。
直感的にホリエモンのうさんくささは感じます。
でも、これって今少数派意見なのですかね?
そう、私も彼がイチから新しい放送局をつくるのなら
好きにやっていいし、開拓者として
認めるのですが、こういう社長の下では
絶対に働きたくないし、彼の主張は
単なるアメリカの追随で何の新しさも
感じません。
「株式市場に一石を投じたい」との発言が
最近ありますが、それならニッポン放送は
ただ利用されているだけのようで、
そういうカラクリに対して世間の人は
なんにも感じないのでしょうか?
昨年定年退職しましたが、父がニッポン放送に
勤めていたり、フジやポニーキャニオンにも
友人がいるので、他人事とは思えません。
株式会社は市場に上場することにより、上場審査を通過したという信頼性を得ることができる。誰でも買うことができる市場に公開することによって株の流通の促進による資本獲得の利便性を得ることができます。その反面、誰でも買うことができるため、今回のようなのっとりにあう可能性もあります。
それがイヤならば市場に上場せずに株式を公開せず閉鎖会社として企業運営をすればいいということになります。
後半におっしゃられていることには納得なのですが、今回のニッポン放送は株式市場に公開することによって他者からの信頼と資本獲得の利便性というメリットを得ていました。それにもかかわらず、一度デメリットにさらされたときにゴネはじめるというのはおかしいのではないかと思います。
これはニッポン放送の取締役がデメリットに対する対策をしないという怠慢な経営をしていたという事情がある以上、後半におっしゃられている論理のみで判断するのはいかがなものかと思います。
>株式会社は会社の所有権を株の単位に分割して売却することによって資金を得る会社形体です。「株式会社という制度は、自由市場で平等に株が買えるシステム」というのは株式市場に上場することを言っているのだと思います。
>株式会社は市場に上場することにより、上場審査を通過したという信頼性を得ることができる。誰でも買うことができる市場に公開することによって株の流通の促進による資本獲得の利便性を得ることができます。その反面、誰でも買うことができるため、今回のようなのっとりにあう可能性もあります。
>それがイヤならば市場に上場せずに株式を公開せず閉鎖会社として企業運営をすればいいということになります。
この部分は、元記事第4段落の、
>>しかし、株式会社というシステムであっても、誰でも自由に株を買う権利が保証されているわけではない。現金の代わりに取引先に交付したり、取締役や従業員のやる気アップのために、自社の社員に交付したりすることもある。これは、短期的な利益や平等性よりも、従業員のやる気(インセンティブ)や取引先との取引関係維持など、長期的な利益をもたらすものとして正当化されるだろう。
とは反対の主張であるにもかかわらず、なぜこれがおかしいのか?という指摘にはなってないように見えます。
テレビやネットなど、さまざまなメディアで、「ライブドアとフジテレビのどちらを応援する?」という調査をしても、たいていの調査ではライブドア:フジテレビ=2:1くらいの比率になるんですよね。ゆえに、フジテレビを応援する私のような立場はどうしても「少数派」扱いになると思います。
>「株式市場に一石を投じたい」との発言が最近ありますが、それならニッポン放送はただ利用されているだけのようで、そういうカラクリに対して世間の人はなんにも感じないのでしょうか?
そういう気持ちよりも、堀江軍団をおもしろがる気持ちがはるかに大きいのでしょうね。また、元々フジサンケイグループを快く思っていない連中も、これに便乗しているように見えます。どっかに書いてありましたね。フジテレビの会長の日枝氏を「ヒエ・ジョンイル」などと。じゃあ堀江氏は「ホリ・ジョンイル」だと思うのですがね。人間の感情とは恐ろしいものです。
株式会社であるという一事を持って誰でも株式を買う権利があるわけではない。しかし、証券取引所で公開している株式会社の株は誰でも買う権利があります。
証券取引所で公開しない会社は閉鎖会社と呼ばれ、この場合は株の移譲は株式会社がコントロールできます。
ニッポン放送は公開会社なので、「誰でも自由に株を買う権利が保証されているわけではない。」とは言えません。
取引先への交付や従業員への交付もできますが、それは新株発行であったり、自社株を保有している場合です。しかし、これは市場で取引できるか否かとは関係ありません。交付を受けた取引先や従業員はその株を市場で売買できます。それを買うことも当然可能です。
取引先との関係や従業員のやる気を引き出すための交付というのは市場には何の影響力も及ぼしません。
買収によって取引先や従業員との関係が悪化する。従業員の給料などが下がるなどのリスクは証券取引所に公開している会社ならば常に負うものであり、それを防ぐ義務は取締役にあります。
「株式会社だからといって誰でも株を買うことができるわけではない」しかし、ニッポン放送は公開会社である以上誰でも株を買うことができる。
取引先や従業員に関してはそれが買収によってデメリットをこうむるとしても、公開会社が常に買収のリスクを負っている以上、そのリスクを回避する義務は取締役にあるということです。今回でいえばそういったリスクを回避する義務はニッポン放送にありライブドアが買収をしてはいけない理由にはなりません。
株式会社のうち公開会社は「自由市場で平等に株が買えるシステム」です。
とおっしゃっているのですが、
>取引先への交付や従業員への交付もできますが、それは新株発行であったり、自社株を保有している場合です。
この点を認めているのですから、この点であなたと私は意見はぶつかっていません。同様のことを言っているわけです。ですから、反論なりコメントなりなさる意図がわかりません。そういう意味で、指摘になっているようには見えないと書きました。
>しかし、これは市場で取引できるか否かとは関係ありません。交付を受けた取引先や従業員はその株を市場で売買できます。それを買うことも当然可能です。
ニッポン放送の新株予約権も同様ですから、これも意図がわかりません。フジテレビの経営者も、新株の交付を受け、その新株を市場で売買できますから。
>取引先との関係や従業員のやる気を引き出すための交付というのは市場には何の影響力も及ぼしません。
…株数が増えるのですから、従来の株主の議決権に影響を与える場合もあるでしょう。議決権付きの新株であれば。
>買収によって取引先や従業員との関係が悪化する。従業員の給料などが下がるなどのリスクは証券取引所に公開している会社ならば常に負うものであり、それを防ぐ義務は取締役にあります。
それは、次の株主総会、もしくは株主による臨時総会の後でしょう。株主総会以外の時期は、「所有と経営の分離」という原則で、現取締役に経営を委託しているわけですから。
私が指摘したいのは、
エントリ中の
①>しかし、株式会社というシステムであっても、誰でも自由に株を買う権利が保証されているわけではない。
②>現金の代わりに取引先に交付したり、取締役や従業員のやる気アップのために、自社の社員に交付したりすることもある。これは、短期的な利益や平等性よりも、従業員のやる気(インセンティブ)や取引先との取引関係維持など、長期的な利益をもたらすものとして正当化されるだろう。
③>だとすると、「会社は株主のものだ!」と息巻く場合は、その会社の長期的な利益までをも見通しを持って叫ぶべきだろう。単純に、「株式会社という制度は、自由市場で平等に株が買えるシステムだ」という印象を与えるような説明では、実情と違ったイメージを抱かせると思う。
一つは①の部分、公開会社である以上、誰でも株は買えます。
二つ目は文脈が①>ゆえに②>とつなげていることに疑問があります。取引先や従業員に株を交付できることと市場取引は関係ありません。取引先・従業員に株を交付できることと公開会社の株式が市場で自由、平等に取引できることは何の関係もありません。
会社(取締役)から取引先・従業員に株が交付され、取締役がそれらの株に取引先との関係や従業員のやる気などの長期的利益を目していたとして、買収などによってそういった長期的利益が侵害されないようにする義務は取締役にあります。
>>買収によって取引先や従業員との関係が悪化する。従業員の給料などが下がるなどのリスクは証券取引所に公開している会社ならば常に負うものであり、それを防ぐ義務は取締役にあります。
>それは、次の株主総会、もしくは株主による臨時総会の後でしょう。株主総会以外の時期は、「所有と経営の分離」という原則で、現取締役に経営を委託しているわけですから。
これは何のことをおっしゃっているのかよく分かりませんが。今、ニッポン放送がライブドアに買収されかかっているのは、現取締役が買収に対する対策を何も立てていなかったからですよね。この買収によって上記の長期的利益が侵害されるとしても、それは現取締役が買収に対して何の対策もしていなかったからですよ。
だとしたら、ニッポン放送がフジテレビという取引先に、新株予約権という形で株を交付することも、あなたの論理で言えば「市場取引とは関係ないレベルの話」になりますが。
>この買収によって上記の長期的利益が侵害されるとしても、それは現取締役が買収に対して何の対策もしていなかったからですよ。
ここは元記事の内容があなたに伝わっていないのでしょう。法の網の目をくぐり抜けた、あらゆる形の企業買収に対する防御策をあらかじめ全て用意しておくのは可能だとお思いですか?
>だとしたら、ニッポン放送がフジテレビという取引先に、新株予約権という形で株を交付することも、あなたの論理で言えば「市場取引とは関係ないレベルの話」になりますが。
「」内が違いますね「市場で取引できることとは関係ない」です。
>誰でも自由に株を買う権利が保証されているわけではない。
これが違うといっている部分ですよ。
私の文章には「市場で自由、平等に取引『できる』こと」と書いてありますが。
>法の網の目をくぐり抜けた、あらゆる形の企業買収に対する防御策をあらかじめ全て用意しておくのは可能だとお思いですか?
「あらゆる買収に対する防御は不可能=防御しなくてもよい」ではありません。持っている資産に比べて株価が低ければ買収されるおそれがあると判断し株価を上昇させる手立てをとる、より株価の高い会社と株式交換するなどして子会社となることを提案するなどの方法は取れます。
ポイズンピルなどの技術的対応策もありますが、対応策の基本は自社の資産を最大限活用して株価を上げ、買収者のリスクを高めることです。
>>だとしたら、ニッポン放送がフジテレビという取引先に、新株予約権という形で株を交付することも、あなたの論理で言えば「市場取引とは関係ないレベルの話」になりますが。
>「」内が違いますね「市場で取引できることとは関係ない」です。
>>誰でも自由に株を買う権利が保証されているわけではない。
これが違うといっている部分ですよ。
私の文章には「市場で自由、平等に取引『できる』こと」と書いてありますが。
「」内が「市場で自由、平等に取引『できる』こと」に変わることで意味内容はどう変わるのでしょう。フジテレビが新株予約権を行使して新株を買った後は、フジテレビはその株を市場で自由、平等に取引できますよ。
>「あらゆる買収に対する防御は不可能=防御しなくてもよい」ではありません。持っている資産に比べて株価が低ければ買収されるおそれがあると判断し株価を上昇させる手立てをとる、より株価の高い会社と株式交換するなどして子会社となることを提案するなどの方法は取れます。
資産に比べてどのくらい株価が低ければ「資産に比べて株価が低い」と言えるのでしょうか。そういう基準がないから、乗っ取り対策が難しいのではないのですか?それとも、経営者の主観的な判断で、株価を煽ってでも上げるべきだと?だとするとまさにライブドアのやっていることですね。