そもそも「ボキャ貧」などという見出しが平気でつけられる、その発想に学力低下の根があるとしか思えないのだが…毎日からの記事である。
大学生:ボキャ貧、危機的 私大生19%の“中学生”--独立行政法人調査(毎日)
(引用ここから)
◇「授業成り立たぬ心配」
大学生の語彙(ごい)力が低下していることが、大学、短大の中堅校
を対象にした調査で分かった。独立行政法人メディア教育開発センター(千葉市)が実施し、私立大1年生の19%、短大1年生の35%が「中学生レベル」と
判定された。補習や授業で「日本語技法」「日本語コミュニケーション演習」などを開講する大学が増えているが、調査はこうした大学側の不安を裏付けた。
(15面に「理系白書」)
◇「鶴の一声」って…?
同センターの小野博教授らは02年、中・高校生約20万人に予備調査を実施。この結果に基づいて、日本語力を「中1」から「高3以上」までの6レベルに分けた。
一方、「読む・書く・話す」といういわゆる「日本語力」は、語彙の豊富さから類推できるため、今回の調査用に75の言葉の意味を選択肢から選ぶマークシー
ト方式の「日本語力判定テスト」を作成。19大学、6短大と国立高等専門学校の計26校の昨春の新入生7052人に、このテストを受けてもらい、予備調査
結果と照らし合わせてレベルを判定した。
その結果、「鶴の一声」「露骨に」などの意味が分からない「中3レベル」以下の学生の割合は、国立大(3校)で6%、私立大(16校)で19%に上った。短大では35%と、3人に1人が中学生レベルだった。国立高専は4%にとどまった。
大学の授業を理解するには、高校レベルの日本語力が必要とされる。98~00年に実施した同様の調査では、中学生レベルの割合は国立0・3%、私立6・8%、短大18・7%。語彙力の低下ぶりが目立つ。
小野教授は「ゆとり教育、活字離れに加えて、学科試験を課さないAO入試や推薦入学など大学入試が多様化したため、私立大では多様な学生が混在する状況だ。短大も日本語の補習なしでは授業が成り立たなくなる心配がある」と指摘する。【元村有希子】
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◇各レベルの代表的な例題◇(正しい意味を五つの選択肢から選ぶ)
<中1>重視
(1)重たいこと(2)大事だと考えること(3)目が疲れること(4)見えにくいこと(5)じっと見ること
<中2>さじを投げる
(1)ひどく怒る(2)乱暴な様子(3)非常識(4)あきらめる(5)好き嫌いをする
<中3>一目置く
(1)周囲をみわたすうちに目を留める(2)検分していた目を休める(3)大勢で特定の人物を凝視する(4)相手の目をじっと見て真意を確かめる(5)相手を自分より優れたものと認める
<高1>露骨に
(1)ためらいがちに(2)おおげさに(3)あらわに(4)下品に(5)ひそかに
<高2>奔走する
(1)逃げ出す(2)競争する(3)忙しく立ち回る(4)無駄な努力をする(5)大変な目にあう
<高3以上>嫡流
(1)激しい流れ(2)正当な流れ(3)清らかな流れ(4)よどんだ流れ(5)亜流
<同>憂える
(1)うとましく思う(2)たじろぐ(3)喜ぶ(4)心配する(5)進歩する
<同>懐柔する
(1)賄賂(わいろ)をもらう(2)気持ちを落ち着ける(3)優しくいたわる(4)手なずける(5)抱きしめる
=答えは上から順に(2)、(4)、(5)、(3)、(3)、(2)、(4)、(4)
(引用ここまで)
語彙力が学力の一部であるという前提に立つならば、この調査が統計的に信用できるものである限り、学力低下は着実に進んでいると言うべきであろう。
>学科試験を課さないAO入試や推薦入学など大学入試が多様化したため、私立大では多様な学生が混在する状況だ。
と
は、まるで私立大ではAO入試や推薦入学を行うせいで、語彙力が低下していると言わんばかりである。AOや推薦で合格した学生の中に、語彙力が弱い学生が
多いという仮説なのだから。全国の、AOや推薦で合格した大学生は、「推薦だからバカだ」と言われないように、日々語彙力の増強に励んでもらいたい。
そのためにやれることは数多くある。毎日、気になった日本語の単語を国語辞典で調べるだけで、漢字力も含めてかなり違ってくる。私も年のせいか、日本語も
英語もよく忘れるが、「困ったらすぐに調べる」の精神で日々辞書を引いている。最近は電子辞書という便利なものがあるので、電子辞書の広辞苑が役に立って
いる。
また、「ボキャ貧」などの「スラング(笑)」に頼らず、「正確な日本語ではこういう状態を何というのか」という姿勢を持ち続けることも重要である。スラングに頼っているうちに、堅い日本語のほとんどを忘れる可能性は極めて高いと思う。
多くの小中学校では、90年代後半から、どうせ生徒がやらないからという理由で、夏休みなどの長期休暇の宿題がなくなったと聞く。もしそれが本当であるならば、生徒がグダグダと「こんなことやってて何の役に立つんだよ~」とか言いながら、8/31あたりにひたすら書き取りの練習などをしていた経験が、実はしっかり役に立っていたということであろう。ここでも、「子供が自主的に、楽しんでやっていることこそ真の『学び』」とかいう日教組的な考え方がいかにアホかということがわかる。
そりゃ、やらされなきゃ語彙力なんて伸びるわけないわな。フランスの小学校も、週に10コマ以上もかけてフランス語を生徒にたたき込むそうだから。日本の小学校が、週に10コマも日本語の授業をやっているか?
漢字や計算練習などを、強制的にやらされることは「必要」である。子供がいやがることでも、信念を持って「やれ」と言える教師が少ないのだろう。虐待と教育の線引きができない大人が増えていることも背景にはあるのだろう。短
大といわず、小中高でも「国語」以外に「日本語」という科目を設定して、語彙力や漢字力を身につけさせるためだけの時間を設けてもよかろう。本来なら高校
の選択科目の一つである「国語表現」という科目も、工夫次第ではこういう使い方をして
も良いのだろうが、そもそも設定している高校は少ないだろうからな…。
朝鮮してみた。
"嫡流"間違えて、7/8ですた。
これって、やっぱなにげにヤバくなぁ~い。
白河さんらしくない部分も見えます。
今、小学校中学年ならば、この週五日制のもとでも週に7時間近くは国語が充当されています。
このご時世で、なんとかがんばっている方ではないですか?
>漢字や計算練習などを、強制的にやらされることは「必要」である。
>子供がいやがることでも、信念を持って「やれ」と言える教師が少ないのだろう。
>虐待と教育の線引きができない大人が増えていることも背景にはあるのだろう。
信念は持っていますが、周りが許さない風潮が一時期あったのです。
そのことへの批判は教師ではなく行政でしょう。
ようはやり方もありますが、教育行政側がぶれているのです。
日教組は解体状態で、何の力もありません。
(少なくとも私にとっては不要な紙を増やしてくれる人たちの集まりでしかない)
労働者として現場風を吹かせている人は今や貴重です。
東京都などは、都教委の号令の下で「へへー」ってなもんですよ。
都の国旗国歌問題処分者なんて、初任者の不採用者分くらいでしょう?
(たいしたことない問題じゃないですか)
現場じゃ、子どもが苦しんでいても完全には助けられないのが現状ですよ。
(一人じゃ全校児童は助けられない)
そっちの方が問題ですよねぇ。
あと、一つ反ばくすれば、語彙力も大切ですが、学力低下問題はカリキュラムの改変や減少などで、単純比較すれば低下傾向なのは当然。
実時数の国際比較を見れば納得です。
(日本は先進国内で少ない方)
だけれども、社会に対して痛烈な打撃を与えている数値は、まだどこにも示されていない。
(不景気やら社会的な立場やらいろいろなファクターを整理しきれていない)
ましてや、トータルでみた教育の効果は量られていないのが現状では?
(学力テストなんて、頓挫していて、復活したのはつい最近ですよね)
私の現在所属する自治体では、それこそ日教組の風がつい最近まで吹き荒れていましたが、学力テストはトップクラスですよ。
国立研究所などが出す、数値がいかに恣意的であるかは、多くの学者が指摘してます。
民間やその他のものも大同小異で疑ってかかる必要があると思います。
今、ひとまわり以上も違う歳の実習生をみていますが、学生をみている(他の場面でも)分には、それほど何か大きく不足があるようには思えませんが。
あ、ちなみに記事の語彙テストは私も含め、実習生二人も満点でした。
いつもコメントどうもありがとうございます。7/8なら、一般人としては十分だと思いますよ。「憂える」というのが高3以上のレベルという方にびっくりしました(笑)。
yoさんもコメントありがとうございます。今日か明日にお返事させて頂きます!最近は政治ネタが多いので、こういうご意見も頂いてありがたいです。