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東電組合員の「無謬性」というやつですか?<東電労組、「報いをこうむってもらう」発言

2012-06-01 22:33:09 | Weblog

短いが考えさせられるニュース。 しかもこの発言を朝日さんしか報道していないところもすごい。逆に朝日さんは、どういう意図でこれをニュースとして流したのだろうか、とつい勘ぐってしまう。

 

 

「裏切った民主議員に報いを」 東電労組トップが不満 (朝日さん 2012年5月30日8時33分)

 「裏切った民主党議員には、報いをこうむってもらう」。東京電力労働組合の新井行夫・中央執行委員長は29日、愛知県犬山市であった中部電力労働組合の大会に来賓として出席し、そうあいさつした。

 「脱原発」をかかげる民主党政権のエネルギー政策などに、支持団体トップが不満を示した発言。中部電労組の出席組合員約360人からは、どよめきが上がった。

 新井氏は東電の福島第一原発の事故について「(東電に)不法行為はない。国の認可をきちっと受け、現場の組合員はこれを守っていれば安全と思ってやってきた」と述べた。事故後の政権の対応を踏まえ、「支援してくれるだろうと思って投票した方々が、必ずしも期待にこたえていない」とも語った。(ここまで)

 

「原子力ムラ」という言葉の生みの親が飯田哲也だったとは、先週の報道ステーション問題を見るまで全く知らなかったが、飯田の言うその「原子力ムラ」とは、

 

・2030年までに、二酸化炭素排出量を削減するために、原発依存度を53%にする!

 

と息巻いていた鳩山政権下の民主党のことか?

 

>2010年6月、民主党政権下で閣議決定したエネルギー基本計画は、鳩山由起夫元首相が打ち出した「温室効果ガス25%削減」を視界に入れ、「エコロジーのための原子力」というロジックが貫かれた。

>つまり、CO2を排出しない原子力に比重を置かざるを得ないという判断のもと、2030年までに原子力発電所を14基新増設し、電力の53%を賄うという目標を設定した。

リンク元はこちら。寺島実郎ソースというのがきな臭いが。

 

というわけで、まず、311後にネトサヨ(笑)たちによって流布されてきた、

・原発推進=自民党

・脱原発=民主党

という間違ったイメージをお持ちの読者がいたら、これを機に考えを改めるのが良かろう。

 

 

次に、朝日さんが、

>「脱原発」をかかげる民主党政権のエネルギー政策などに、支持団体トップが不満を示した発言。

と表現したことであるが、これは、東京電力の労働組合的には、「原発を増やしてくれないと東京電力がもうからない」という認識を示した、ということか?それとも、朝日さんがそのように意味づけたいのだろうか?

まあ、原子力発電で使われる、 E=mc^2(2乗)のエネルギーは、化石燃料が生み出すエネルギーと比べるとまさしく桁が違うので、東電自身が身銭を数百億円切っても、化石燃料よりはるかに燃料費が浮くエネルギーである。飯田の言うような「原子力ムラ」なる「集団」がなくても、落ち着いて利害を判断できる人なら、原子力発電中心の方が、はるかに経済合理的であろう。

で、こんな話をするとすぐに「でも福島はああなったじゃないか!!(いや、『フクシマ』と表現するアホの方が多いか)」と怒り出す人がいるが、このブログでは何度も繰り返しているように、福島原発よりより震源地に近かった女川原発は健在だったのだから、今回の事故は原発に内在している(すなわち、原発がある限りなくせない)タイプの事故ではなく、予備電源を、津波にも備えて高いところに設置していれば良かったという「ヒューマンエラー」がその原因である、ということは、あの池田信夫でさえ繰り返し述べている。その教訓を今後の原発行政に生かし、今回の福島の事故については、必要な範囲で丁寧に賠償すればいいだけである。これも前に書いたが、原発を止めたことによる、化石燃料価格上昇に伴うコスト増は、東京電力、しかも2011年だけをとっても8000億円である。日本全国の電力会社を合わせれば、軽く一兆円を越えるだろう。そのコストを考えれば、気軽に反原発などと言える方がはるかにおかしいのである。

 

で、最後の話に移るが、

>「(東電に)不法行為はない。国の認可をきちっと受け、現場の組合員はこれを守っていれば安全と思ってやってきた」

この発言がひどい。私はとにかく東電を擁護したくてこういう記事を書いているのではない。是々非々である。この発言は、東電労組の組合員(社員)たちが、まるで公務員であるかのように「無謬性(おかしな点が何もないこと)」を当たり前の前提として言葉を発している。

上述したように、今回の福島原発事故には、ヒューマンエラーの側面がある可能性がある。仮に東電に、会社としての不法行為が法律的にはなかったとしても、建屋の上方に予備電源を用意すべきだという勧告が以前なされていたにもかかわらず、していなかったとすれば、これはヒューマンエラーと言わざるを得ない。

さらに、昨年NHKでやっていた「シリーズ原発危機」でも、首相官邸がベントするよう東電に要請したとき、

「ベントするのかよ・・・東電終わったな」

とつぶやく東電社員がいたことをNHKが報じていた、ということを私は今でも忘れることができない。NHKのことなので、これが捏造である可能性も大いにあるので、もしもNHKのこのセリフが事実だったら、という仮定の話になるが、このセリフがもしも事実だったならば、東電の社員のクセして、

「東電終わったな」

と平気で言える精神は、東電に不法行為はない!とドヤ顔で逆ギレすることのできる、東電労組の新井委員長の

・極めつけの無責任精神

そのものである。

 

やっぱり労組ってこうなっちゃうのかね。社会主義思想に無意識のうちに染まり、

・リーダーに責任があり、

・組合員はリーダーの指示を守っただけ。責任は我々にはない。

という「現場無責任論」を簡単に展開できるのだから。「自己責任否定論」を展開するネトサヨ(笑)と全く同じである。

 

権利はあっても、責任はない。全く、ネトサヨ君とは便利な頭脳をしているものだ(笑)。

 

 



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