できるだけごまかさないで考えてみる-try to think as accurately as possible

さまざまなことを「流さずに」考えてみよう。"slow-thinking"から"steady-thinking"へ

叩けば叩くほど、不思議な立ち位置をさらけ出す朝日さん<久間発言

2007-07-03 06:34:18 | Weblog

 「安倍内閣に仕込まれた時限爆弾のキューピーちゃん」ことキューマ防衛大臣だが、そろそろ自爆の時刻が来たのか、どさくさまぎれに、ど、どでかいカードを切ってしまった。これは「つい」というにはあまりにも大きい…。例の「しょうがない」発言のことだ。産経が詳しかった。

 


防衛相「原爆投下はしょうがない」 大学の講演で(産経、07.06.30)

 久間章生防衛相は30日、千葉県柏市の麗澤大学で講演し、昭和20年8月9日の米国による長崎への原爆投下が、終戦を早め、旧ソ連による北海道侵攻を防いだとの認識を示した上で「原爆を落とされて本当に悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったのだと、そういう頭の整理で今、しようがないなと思っている」と語った。

 久間氏は長崎県出身だが、「(米国は)日本が負けると分かっているのに、あえて広島と長崎に原爆を落とした。長崎に落とすことで日本が降参し、ソ連の参戦を止めることができると思ってやった」と指摘。その結果として戦後、日本が自由主義陣営に加わり、日米安全保障条約を結んだことを「わが国にとって良かった」と述べた。

 久間氏の発言に対し、野党側は鳩山由紀夫民主党幹事長が「日本国民としてとても許せない。大臣をやっている資格はまったくない」と語るなど一斉に反発し、罷免要求を含めて政府を攻撃する材料とする構えだ。

 安倍晋三首相は香川県丸亀市での会見で「米国のそのときの考え方を紹介すると同時に、原爆の惨禍の中にあった長崎について、『自分としては忸怩(じくじ)たるものがある』という考え方も披瀝(ひれき)されたと聞いている」と語り、問題はないとの認識を示した。

 久間氏は発言に批判が出ていることについて「原爆を落とすのを是認したように受け取られたのは残念だ」と記者団に語った。

防衛相の発言要旨

 日本が戦後、ドイツのように東西で仕切られなくて済んだのはソ連が(日本に)侵略しなかった点がある。米国はソ連に参戦してほしくなかった。日本に勝つのは分かっているのに日本はしぶとい。しぶといとソ連が出てくる可能性がある。

 日本が負けると分かっているのにあえて原爆を広島と長崎に落とした。長崎に落とすことで日本も降参するだろうと。そうすればソ連の参戦を止めることができると(原爆投下を)やった。

 長崎に落とされ悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で、しょうがないなと思っている。米国を恨むつもりはない。

 勝ち戦と分かっている時に原爆まで使う必要があったのかどうかという思いは今でもしているが、国際情勢、戦後の占領状態などからすると、そういうことも選択としてはあり得るのかなということも頭に入れながら考えなければいけない。

 

  身も蓋もない言い方をすれば、今現在の日本は、日米安保条約により、アメリカの「核の傘」で守られている。これは、厳然たる「現実」である。その意味で、バ菅直人が記者会見で息巻いていた

>民主党の菅直人代表代行は会見で「(原爆投下は)事情によって仕方ないという考えを表明すると、被爆国日本の核廃絶の主張と矛盾してくる」と述べ、(東京新聞より)

こういうセリフは、国際的にはただの「タテマエ」にしか聞こえないだろうに。日本がアメリカの核の傘で守られていることを知っている欧米人は、冷笑してこう言い放つだろう。

「現実に核の傘に守られている国が、『核廃絶』を訴えるって…日本人って、自国のこともわかってないバカばかりのようだな。」

と。

 

 したがって、この久間発言を正面切って批判できるのは、

・現在の日米安保体制に反対

・あらゆる意味で「日本が核兵器で守られること」に反対

な人だけだろうに。特に後者の思想を持つ人だけのはずだが。

 

 不思議なのは、この発言を根拠に久間大臣の罷免を要求している民主党、社民党、共産党、国民新党などのうち、社民党と共産党以外は日米安保体制に反対していないという点だ。

 日米安保を否定できずに、(すなわち、日本を核兵器で守ってもらっているという体制を維持しつつ)、

「(原爆投下は)事情によって仕方ないという考えを表明すると、被爆国日本の核廃絶の主張と矛盾してくる」

などと平気で言えるこの精神…。まさに、「ザ・朝日・平和ボケスピリッツ」と言わずして何であろう。そんなわけでやってくれました。7/2の朝日さんの社説。

 

久間発言―思慮のなさにあきれる(朝日 社説 07.07.02)

 広島、長崎で合わせて20万人を超す人々が原爆の犠牲になった。いまも後遺症に苦しむ人がいる。その原爆が使われたことを「しょうがない」と言い放つ無神経さには、あいた口がふさがらない。

 久間章生防衛相の発言だ。米国が第2次世界大戦末期に広島、長崎に原爆を投下したことについて「あれで戦争が終わったんだという頭の整理で今、しょうがないなと思っている」と述べた。

 「国際情勢とか戦後の占領状態からいくと、そういうこと(原爆投下)も選択肢としてはありうる」とも語った。

 生き地獄を経験し、肉親を失った人にとっては、今も忘れられない記憶である。元広島平和記念資料館長の高橋昭博さんは「怒りを通り越してあざ笑うしかない。自分が被爆しても同じ発言ができるでしょうか」と批判している。

 過去の核使用を「しょうがない」と容認するのは、必要があれば核を使ってもよいということになる。戦後日本が一貫して訴えてきた「核廃絶」の取り組みに、正面から冷や水を浴びせるものだ。

 まして久間氏は被爆地の長崎県出身であり、日本の防衛をあずかる立場でもある。そのことを一体どう考えたのか。

 原爆投下については、残念ながら他国の認識とは溝があるのは事実だ。

 広島出身の詩人、栗原貞子さんに「ヒロシマというとき」という作品がある。

 〈ヒロシマ〉というとき/〈ああヒロシマ〉と/やさしくこたえてくれるだろうか/〈ヒロシマ〉といえば〈パール・ハーバー〉/〈ヒロシマ〉といえば〈南京虐殺〉……〈ヒロシマ〉といえば/血と炎のこだまが 返ってくるのだ

 被爆を訴える日本の姿勢は、米国やアジア諸国の批判にさらされてきた。日本が始めた戦争だ、原爆のおかげでようやく戦争が終わったのではないか、と。

 ここに簡単な答えはない。しかし、私たちが始めた戦争だという加害責任を認めながらも、無防備な市民に対する無差別殺戮(さつりく)は許されないと主張することが、日本の立場であるべきだ。

 そして、戦勝国、敗戦国の壁を越えて痛みを共有する方向を目指す。日本の政治家にはそういう仕事に取り組んでほしい。「しょうがない」と言い捨てる態度は、歴史の忘却、米国の原爆正当化への追随でしかない。

 日本は米国の核の傘に守ってもらっている以上、政府の立場からすると核使用を完全には否定しきれない。そういう現実の壁があるのは確かだろう。

 しかし、それでも政府見解は「核兵器の使用は実定国際法に違反するとまでは言えないが、国際法の基盤にある人道主義の精神に合致しない」ということだった。久間発言は明らかな逸脱だ。

 久間氏は昨日、「被爆者を軽く見ているかのような印象に取られたとすれば、大変申し訳なかった」と弁明したが、印象や説明の仕方の話ではない。認識そのものが問題なのである。

 

  この社説のクセが悪いのは(=朝日さんがよくやる「読者だまし」は)、

>日本は米国の核の傘に守ってもらっている以上、政府の立場からすると核使用を完全には否定しきれない。そういう現実の壁があるのは確かだろう。

と、現実面を認めているフリをすることで「この社説は信頼できますよ~」と読者をだました上で

>しかし、それでも政府見解は「核兵器の使用は実定国際法に違反するとまでは言えないが、国際法の基盤にある人道主義の精神に合致しない」ということだった。久間発言は明らかな逸脱だ。

と、「久間発言はこの政府見解から逸脱している」と決め付けている点だ。

 そこでもう一度、上記に引用した久間大臣の発言を見てみよう。

>長崎に落とされ悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で、しょうがないなと思っている。米国を恨むつもりはない。

 …えーと、この発言のどこをどう解釈すれば、「核兵器の使用は、国際法の基盤にある人道主義の精神に合致する」と解釈することができるのかね?少なくとも、そう解釈できなければ、この朝日さんのように

>久間発言は明らかな逸脱だ。

などとは「断言」など決してできないはずだがねぇ。私が読む限り、最大限に朝日さん側に譲歩しても、「アメリカを恨むつもりはない」と言うために、「アメリカが原爆を落としたという『事情や判断』に酌むべき点がある」と言うるために「しょうがない」と言ったとしか解釈できないのだが。

 彼がこの前後で、「原爆なんか落とされて、長崎や広島の連中、ざまー見ろ」などと言っていればもちろん朝日さんや野党の言う通りだと思うが…言ってるか?そんなこと。

 

 安倍総理の言うように、「誤解を招きかねない発言は慎め」という趣旨の批判ならごもっともなのだが、ご覧の通り、全文引用しても、朝日さんはそういう角度からの批判は一切行っていない。鬼の首を取ったように

>印象や説明の仕方の話ではない。認識そのものが問題なのである。

などと、久間大臣の認識が「政府見解を逸脱している」ことを「事実」と決め付けた上での「締めくくり」を行っていることにも注意すべきだろう。

 

 つまり、朝日さんは、久間大臣の発言を曲解した上で必死に批判しているわけで、逆に言えば、彼の発言を強引に曲解しなければ、少なくとも「政府見解」という角度からは批判できないということを明確にさらけ出しているということだ。

 

こう考えていくと、どうも、

>あいた口がふさがらない。

などと、ことさらに激しい口調でこの発言を叩くことで、他ならず、この発言を叩く根拠に乏しいことを必死に隠しているように思えてならない。簡単に言えば、「激怒している雰囲気で、相手を打ち負かそう」という手法である。総会屋やチンピラや羽賀研二(今は容疑段階)と同レベルのことを、朝日さんは社説でやっているわけだ(苦笑)。

 

 さすが日本の「クオリティペーパー」、やることがいつも大胆ですな(爆)。「日本のクオリティペーパーとは、読む価値もなければケツも拭けない劣悪な紙のことなんだよ~」などという「ジャパニーズジョーク」でも作りたいくらいだ。

 

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 私はコスト面から、少なくとも今は日米安保体制を守るべきだという考えを持っている(安保条約の片務性は改善すべきだと考えている)。では、こんな私から見て久間発言は「問題なし!」となるかといえば、決してそうではない。日米安保体制を守りつつ、アメリカの原爆投下に対する評価をあえて言わないことが、「アメリカの原爆投下という歴史上の行為に対する評価を留保し続ける」という意味で、日米外交における一枚のカードとしての役割を果たすと考えている。

このカードが大きくなるか、小さくなるかが「外交力」の一つなわけで、今回の久間大臣の発言は、このカードを「切った」とアメリカ側に解釈されても、ある程度は仕方がない(閣僚の一人の発言として既成事実化されていく)と言わざるを得ない。

 だからこそ、この時限爆弾男は、もしかすると、わざと、アメリカの下院外交委員会で従軍慰安婦日本非難決議が採択されたという絶妙なタイミングで、こんなどでかい(ものになりうる)カードを切ってしまったという邪推までしてしまう。

 私の立場から見て、久間大臣は、アメリカが数十年かけて育て、送り込んだ刺客にしか見えない(苦笑)。彼がしゃべればしゃべるほど、日本のアメリカに対する発言力は、ただでさえ小さいのに、ますます小さくなっていくからだ。

 

 したがって、私から見た、久間発言の本質は「対米発言力の低下」であり、被爆国としての精神の否定などでは決してない。日米安保に基づき、日本が核の傘に入っていることを黙認している点で、被爆国としての精神は、とうに、ほとんど否定されている、ということに、もっともっと多くの日本人は、「事実」として気づくべきだろう。

 あとは、そういう事実を変えるために、日米安保を変えたり、消滅させたりという議論をすべきだろう。「被爆国としての精神」とやらを、日本の防衛の絶対条件にしたい人たちは。

 

 逆に、日米安保体制を維持すべきだという立場の人間も、彼の発言がいやおうなしに持つ「影響」を、もっともっと敏感に察知すべきだろうに。いつまで経っても、この系統の発言が「不毛な泥仕合(=閣僚の言葉狩りの材料)」に落とされていくのは、平和ボケした鈍感な連中がいかに多いかの証左にしかならない。

 日米安保を知っているアメリカ人は、「こんなバカザルどもを、なんで俺たちが命を張って守るんだ?」と思ってると思うよ。合理的に考えれば考えるほど、こういう「声」になるだろうな。

 


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