塩哲の空即是色

日々の徒然日記

ミュージアム巡り 旗本御家人 寛政暦書

2014-03-13 05:42:28 | ミュージアム巡り_2014
 八代将軍徳川吉宗は、西洋の天文学の成果を取り入れた改暦に意
欲的だったが、吉宗の死後、宝暦5年(1755)から施行された宝暦暦
は貞享暦を多少修正したに止まり、施行40年で誤差が顕著になって
くる。

 そこで幕府は、寛政7年(1795)に大坂の天文学者・麻田剛立の門
人・高橋至時を天文方に任命。至時は同門の間重富ほかの協力を得
て寛政暦を作成する。
 至時や重富が主に研究したのは、中国・清の天文台長・クーゲラ
ーの「暦象考成後編」で、その結果、寛政暦は西洋の天文学を取り
入れた画期的なものとなる。

 展示されていた資料は、天文方の渋川景佑、山路諧孝、足立信頭
が著したもので、寛政の改暦に関する暦学理論、観測記録、観測器
具等の報告書。
(NAJ 千代田区北の丸公園3-2)


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