oregonian way of life. 

オレゴンでの学生生活から南下して社会人生活へ。IT産業でホットなサンフランシスコ・ベイエリアで地味~に文系の仕事してます

人間界と自然界を分離する消費文化

2007-03-18 | 消費文化
enjoy_lohasさんが先日、「動物的感覚を取り戻したい」旨を書いておられました。わたしも動物的勘・・・、ないですね~。進化論を信じない人に言わせると、「人間は神が創造したのだ。動物的勘など、最初からあるわけがない!」ということになるのでしょうが。

先進国に住んでいる人間から動物的感覚がなくなっていったのって、人間と自然界とを明確に分離する消費文化の発展と比例しているのではないかと思います。アメリカではダーウィンの進化論などへの対応として、人間と動物の間に明確な線引きをするために「身だしなみ」を促進する広告に力を入れ始めた、というのは先日述べました。身だしなみにおいても特に「清潔志向」というのが、人間から動物的感覚を奪った一つの張本人だと思います。動物を含めた自然界と人間界との間に線引きをする一つの手段として石鹸、香水、マウスウオッシュなどを使用し、生物の証である「汚れ」や「匂い」を徹底排除。現在の広告をまともに受け取めていると、人間は無菌状態でいなければいけないようです。

アメリカ産業界や広告業界は、大量生産&消費社会の発達とともに人間界から自然界の要素を排除していった・・・。その現象を、ある学者が「disembodiment of abundance」と呼んでいます。加工食品をはじめとする商品から、生物的な要素を排除するのが一つの大きな目的。その結果、店頭に並んだ野菜に(自然の恵みを受けた証拠である)毛虫や土などがついているのは論外だし(キャー、汚い!)、りんごやみかんなどの果物にはワックスを塗ってピッカピカ。そんなりんごやみかんはまるで、自然界からの贈り物というよりは無菌状態の工場で生産されたようです。

それに、肉。「動物の死体」と呼んでしまっては、自然界の匂いがぷんぷん。だから、人間界ではきれいにパッキングして店頭に並べ、「お肉」という呼び名に・・・、誰が変化させてるの?なぜわたし達は、動物の死体の一部をお肉と呼ぶのでしょう?恐らく、自然界と人間界の間に明確な境界線を引くためではないでしょうか?「動物の死体」を「餌」として食べるのは他の動物やscavengers(腐肉を食べる動物)だけれど、「お肉」を「お食事」として食するのは「お上品な」人間。「うちは今晩、ステーキですの。最高級の松坂牛を仕入れましたのよ、オホホ!」ってか!?そう、どういう意味であれ、「人間と動物は別」なのです。

「肉を食べる」と一口に言っても、現在の先進国ように人間界と自然界をきっちりと分けた社会において肉を消費するのと、例えば現在のイヌイットや以前のネイティブ・アメリカンのように、自ら狩をして動物の肉を確保する社会、つまり、人間界や自然界などという概念が元々存在しない、あっても境目がない社会で肉を食べるのとでは、肉や動物に対する意識にかなりの違いがあると思います。どう違うのかは、今の時点では言葉でうまく説明できませんが。

消費面だけではなく、人間の動物的感覚がにぶる要素は他にもいっぱい。何てったって、空気の状態までテレビに頼れる時代です。冬の間は、NHKニュースがご丁寧に素肌乾燥情報を出していますね。(最初見たときはジョークかと思った。)そのニュースが素肌乾燥注意報でも出そうものなら、「姉さん、大変です!明日はお肌が乾燥するそうです!」(←『ホテル』の高嶋政伸か?)って、わたしもお肌のお手入れに気合を入れましたが。まあ、空気が乾燥することは、わたしを含めた多くの日本人にとっては地球温暖化より由々しきこと(?)だから、そのような由々しき事態に対して前もってテレビが注意報を出してくれるのは有難い!?

普段の生活では当たり前で気付かないけれど、人間から動物的感覚を奪う要素がいっぱいの現代社会。人間界と自然界を隔てる境界線を取っ払って世の中を観察すると、これまで気付かなかった「ヘンテコな現代社会」を垣間見ることができるかもしれません。

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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (enjoy_lohas)
2007-03-20 09:24:00
こんにちは~。
「姉さん、大変です!・・・」
かなり笑えました
そう考えると気づいてないところで、へんてこな
ことがいっぱいですね~。ふむふむ。

先住民族の人たちにとっての肉食、私も全く別物だと思っています。彼らにとって狩りはただたんに食べるための捕獲ではなく、祈りであって儀式。必要以上にとらないし、感謝をささげる。また、人間も自然のサイクルの一部であって逆に動物に食べられる危険性を常に持っていたんですよね。
もし、ネイティブの人たちの肉食を批判する人がいるのなら、その前にすべきこと優先事項はほかにあるのでは?と言いたくなってしまうネイティヴびいき(?)のenjoy_lohasなのでした~。
返信する
Unknown (enjoy_lohas)
2007-03-20 09:55:14
こんにちは~。
「姉さん、大変です!・・・」
かなり笑えました
そう考えると気づいてないところで、へんてこな
ことがいっぱいですね~。ふむふむ。

先住民族の人たちにとっての肉食、私も全く別物だと思っています。彼らにとって狩りはただたんに食べるための捕獲ではなく、祈りであって儀式。必要以上にとらないし、感謝をささげる。また、人間も自然のサイクルの一部であって逆に動物に食べられる危険性を常に持っていたんですよね。
もし、ネイティブの人たちの肉食を批判する人がいるのなら、その前にすべきこと優先事項はほかにあるのでは?と言いたくなってしまうネイティヴびいき(?)のenjoy_lohasなのでした~。
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原住民 (しんのすけ)
2007-03-21 08:53:01
ネイティブ・アメリカンは肉だけではなく、とうもろこしなどの作物に対しても感謝の儀式をしていたようですね。わたしも原住民の生活や価値観には興味津々。「狩りはただたんに食べるための捕獲ではなく、祈りであって儀式」か~。食というと人間中心というか、自分の健康や体型を中心に考える場合が多いけれど、このような「食観」がそもそも間違い?
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