1月の第3月曜日は、アメリカではキング牧師の誕生記念日に指定されています。今年は去る、1月16日でした。(キング牧師の本来の誕生日は、1月15日。)国民の祝日というわけではないようだけれど、政府機関や学校は基本的に休日です。
そのキング牧師が、市民権運動において非暴力の抵抗を行ったのは、ガンジーの教えに影響を受けたから、ということはよく知られています。キング牧師の伝記の著者によると、実はガンジーよりも、アメリカのある神学者のほうに影響を受けたそうですが、それはともかく、「平和=非暴力=ベジタリアン」という信条の元にベジタリアンをしている方は、現在多いようですね。そこで疑問。非暴力を信条としたキング牧師は、ベジタリアンだったのでしょうか?
わたし自身は、キング牧師がベジタリアンだったとは聞いたことがありません。たとえ牧師が菜食主義者だったとしても、あの時代に肉食を否定するような発言はできなかったと思います。「Soul food」と呼ばれる伝統的なアフリカ系アメリカ人料理には、豚の小腸(chitterling)が含まれているので、肉食を否定することは、アフリカ系の伝統食(少なくともその一部)を否定することにもなりかねなかったからです。アメリカ系の民族意識が高まっていた市民権運動の時代に、伝統食を否定するような発言はできなかったでしょうね。
キング牧師がベジタリアンでなかったとしても、非暴力の立場からベジタリアンだった市民権運動の活動家を、わたしは少なくとも1名知っています。コメディアンだった、Dick Gregoryという方です。現在もご健在のはず。食についての本も含めたGregoryさんの著作を何冊か、2004年の夏にまとめて読みました。細かいことは忘れましたが、「『非暴力』というのは、人間に対してだけではなく、動物も含む」ということを言っておられたし、抗議表明の手段として、断食もしていたようです。
そんなGregoryさんの本の中で一番印象に残っているのは、料理自体を否定していたこと。料理という人間の手を加えると、その食物は自然食ではなくなる、みたいなことを言っていたと思います。だから、「太陽の熱と光で十分に『料理された』」果物ばかり食べている、と言っていました。Gregoryさんは、これらの本を30年、40年も前に書いたので、今では考えが変わっているのかもしれませんが、現在でもベジタリアンではあるようです。料理された食物というのは、もはや自然食ではない―。ホント、食に対する考え方は、千差万別ですね。
そのキング牧師が、市民権運動において非暴力の抵抗を行ったのは、ガンジーの教えに影響を受けたから、ということはよく知られています。キング牧師の伝記の著者によると、実はガンジーよりも、アメリカのある神学者のほうに影響を受けたそうですが、それはともかく、「平和=非暴力=ベジタリアン」という信条の元にベジタリアンをしている方は、現在多いようですね。そこで疑問。非暴力を信条としたキング牧師は、ベジタリアンだったのでしょうか?
わたし自身は、キング牧師がベジタリアンだったとは聞いたことがありません。たとえ牧師が菜食主義者だったとしても、あの時代に肉食を否定するような発言はできなかったと思います。「Soul food」と呼ばれる伝統的なアフリカ系アメリカ人料理には、豚の小腸(chitterling)が含まれているので、肉食を否定することは、アフリカ系の伝統食(少なくともその一部)を否定することにもなりかねなかったからです。アメリカ系の民族意識が高まっていた市民権運動の時代に、伝統食を否定するような発言はできなかったでしょうね。
キング牧師がベジタリアンでなかったとしても、非暴力の立場からベジタリアンだった市民権運動の活動家を、わたしは少なくとも1名知っています。コメディアンだった、Dick Gregoryという方です。現在もご健在のはず。食についての本も含めたGregoryさんの著作を何冊か、2004年の夏にまとめて読みました。細かいことは忘れましたが、「『非暴力』というのは、人間に対してだけではなく、動物も含む」ということを言っておられたし、抗議表明の手段として、断食もしていたようです。
そんなGregoryさんの本の中で一番印象に残っているのは、料理自体を否定していたこと。料理という人間の手を加えると、その食物は自然食ではなくなる、みたいなことを言っていたと思います。だから、「太陽の熱と光で十分に『料理された』」果物ばかり食べている、と言っていました。Gregoryさんは、これらの本を30年、40年も前に書いたので、今では考えが変わっているのかもしれませんが、現在でもベジタリアンではあるようです。料理された食物というのは、もはや自然食ではない―。ホント、食に対する考え方は、千差万別ですね。