きぼう屋

生きているから生きている

2010年03月06日 | 教会のこと
本日(もう昨日)は新聞に載ったので
急遽予定を変更して一日中教会にいました

問い合わせがきっと来るだろうから・・・


来ました

さらに
米と服も届けられました

京都新聞ってすごい!!

朝日や毎日に載ったときはここまでの反響ではなかったなあ


なので
教会でできる机仕事をずっとこなしておりました

今はもう一度ウチの教会の総会資料をすべて読み返して分析しております
ちょっと不思議な感じのするところはそのときの週報なども読みます

するといろいろ見えてきます

そんな中で
私が11年ですることがゆるされたことは
教会の深い歴史の只中でまさに歴史として起こされていることを確認できて

ホッとしました

もしかしたら
わたしのイメージで
ウチの教会の歴史を無視してしまっていないだろうか

というのが
今回の研究テーマのひとつでしたので
それがなくてよかったです

そしてこれまでは
歴史を重ねている部分をさらに深めることをしてきました
礼拝改革(なにしろ礼拝が続いているというのは感謝)
教会学校再生
女性会活動の深化とほかの会の再生
ろう伝道の継承と深化
などなど

そしてこれからは
歴史となりきれていない部分を修復することに挑戦です
それが今回の二つ目のテーマ
いろいろ見えてきました
教会音楽
継続的な研修
執事、役員、総務の深化
などなど

そして
社会的福音活動について
ずっと学習会を数十回にわたって開催してきましたが
具体的な活動になっていなかったので

そういう意味ではホームレス支援は
教会の信仰を強くしたなあと主に感謝するばかりです

さらに
実はわたしには夢があります

これはたまたま
二人の教会員から別々にしかしほぼ同じ夢を聞いたのですが

それは
経済的問題
精神や病の問題
関係性の問題
などなどで
勉強がなかなかできない状況にある子どもたちのための
塾なりフリースクールをしたい!

というものでした

ぜひともしたいです

しかも
ウチの教会のメンバーには
各教科の先生がいてくれておりますし
さらにホームレス支援にきてくれている他の教会員で先生をしている人も
この話をしたら
ぜひしたい!
と言ってくれておりますし

なんとか実現できるよう学んでいきたいと思います

寺子屋ならぬ教会小屋をしたいわけです

夕食をみんなで食べる塾!

みんなで礼拝もする塾!
困窮のない人(ないふりをする人)は
無神論という信仰にしがみつくことができるけれども
困窮を抱える人は
キリストの十字架という現実を知ることで
解放され突破することが必要なわけです

ここでいう礼拝は
多くの人の持つ厳粛なイメージというか
宗教的イメージのものではありません

真の意味での礼拝です


だからNPOや法人でなく
教会としてやりたいと思っております

といいつつ

実現できるのは
何年後でしょうか

でももう夢をもってしまっておりますので

それを持ち続けますので

さらに日々祈っておりますので

あとはキリストの返事を待っております


あとね
いろんな言葉のクラスもやりたいんです

英語
韓国語
中国語
ドイツ語
手話

ここまでは今の教会メンバーでできます

ちなみにわたしはどれもできませんが


うーん楽しくなってきた!!