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日々一歩ずつ前に進むために書き綴ろう…。自分の中のちょっとした変化を大切に…。

故江村哲二氏を偲ぶ

2007-06-15 04:45:54 | 随想





故江村哲二氏の葬儀が15日、「葬儀の板橋 新横浜奉斎殿」でしめやかに行わ
れました…。

ゲーテの言葉に次のようなものがあります。

 音楽的才能は、おそらく最も早くあらわれるのだろう。なぜなら、音楽はまっ
 たく生来のもの、内的なものであって、外からの大きな養分も人生の経験も
 必要でないからだ。
 
 しかし、モーツァルトのような出現はたしかにいつまでたっても解けない奇
 蹟だろう。もし神が、どうして生まれてきたのかわからないでわれわれが驚
 くような偉大な人物を時おり出現させようとしなかったら、神はいたるとこ
 ろで奇蹟をおこなうなどとどうしていうことができよう。
                   (エッカーマン「ゲーテとの対話」)


江村哲二氏はこのゲーテの言葉とは真逆の“努力の音楽の天才”だったことが、
『音楽を「考える」』(茂木健一郎/江村哲二)から分かります。

実際、江村哲二氏は両親が音楽好きで、小さい頃からピアノを習ったり、家にレ
コードがたくさんあったりと、音楽に囲まれた生活環境で育ちました。

けれども、彼の作曲の感性は、そうした生育環境によってだけでなく、美術館で
ホンモノの美術に触れたり、小林秀雄、夏目漱石、ドストエフスキーなどの文学
やサイエンスなどさまざまな分野から培われたことを先の著書で述べています。


ですから、江村哲二氏の作曲した曲1つ1つは、彼のこれまでの人生から生まれた
魂の雫であったと言えるでしょう。

そして、だからこそ、彼は最後の一滴まで絞りきるべく、「トランスミュージッ
ク2007」での『語りとオーケストラのための《可能無限への頌詩》(2007)〜茂木
健一郎の英詩による〜』の世界初演をやり遂げたのではないでしょうか。自分の
生を全うするために…。


ただ、私は自分の生を生きるためだけでなく、この《可能無限への頌詩》をやり
遂げなければならない、もう1つの理由があったように思っています。

題名にある「可能無限」は、無限を把握出来るのは、限りがないということを確
認する操作が存在していることだけで、無限全体というのは認識出来ないとする
立場です。

逆にいうと、任意の対象がどのようにして作り出されるかが把握出来るという特
徴があるといえます。


そのことから推測するに、茂木健一郎の“クオリア”の概念に感化され、《地平
線のクオリア》を作曲した江村氏にとって、今回の作曲が、心脳問題の根源に迫
る、親愛なる友への応援楽曲であったような気がするのです…。

今となっては知る由もありませんが…。


いずれにしても1つの才能がこの世を去ったことへの悲愴な気持ちは変りません。

今日は武満徹作曲『ノスタルジア』を聴きながら、故人を偲びたいと思います…。

8 コメント

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1つの偉大なる ()
2007-06-16 05:09:22
才能がこの世を去ってしまいました。

私は実は「トランスミュージック2007」を聴きに行ったのですが、そのときの世界が震撼するような会場の雰囲気が今でも忘れられません。

病気であったことを微塵も感じさせなかった江村さんはやはり音楽に全身全霊を込めていたのでしょうし、そのような人間とその作品に触れることができたことは私にとって大きな財産になったと思います。

江村さんのご冥福を心からお祈りします。
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舞さん、 (コロン)
2007-06-16 06:08:29
コメントありがとうございます。

追悼の気持ちをどう表すのか…私は正直悩みました。ただ、私以上に悩んでおられるのは茂木先生でしょう。

実際、『クオリア日記』を読んでいると、淡々と書かれている中に、茂木先生の心痛を逆に感じています。

ですから、この文は私なりの茂木先生への応援文でもあるんです。

コメントの返事にはなっていませんが…江村さんの生き様を私自身、茂木先生を慕うものとしてどう汲み取れるのか、ゆっくり考えてみたいと思います。
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いまもその方の・・・ (風待人)
2007-06-16 06:14:42
昨日の…横浜は、その方の気配が感じられるような…
そんな気のする…高くって青い空と白く輝く雲が広がっていました。

なかなか言葉を取り戻せないままに、この数日間を過ごしました。

月曜日…江村さんと茂木先生のお話が
活字からですが…聴こえてきたように想えてなりません…

御霊の安らかならんことを、お祈りしております…
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そうですか… (コロン)
2007-06-17 05:03:31
風待人さんには、何か気配を感じるものがありましたか…。

確かに、江村さんの死は私自身も言葉を失ってしまいました。《可能無限への頌詩》の東京公演などいろいろ夢を膨らませていましたし…。

ただその現実を『クオリア日記』を読みながら整理していたのが実際です。

今はただ、ご冥福を祈るばかりです…。
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亡き人に (銀鏡反応)
2007-06-17 18:48:35
はじめまして。

さきほどコメントの投稿に失敗してしまいましたので、もう一度改めて投稿させていただきます。

江村哲二さんの死から、もう一週間ですね…。

おとといの告別式で、茂木さんが友人代表で弔辞を読み上げられたこと、そして江村さんの残されたお子さん二人が、今は亡きお父さんへの感謝の作文を読み上げられたことが、昨日の「クオリア日記」に書かれていて、その箇所を読んだ時、涙ぐんでしまいました。

私はその時、何て健気だろうと思うと同時に、この子達はきっとお父さんのような立派で心優しく、かつ強い人になってほしいと願い、その思いを「日記」にコメントしました。

『可能無限への頌詩』は、江村さんにとってかけがえのなき、よき友であった茂木さんの『クオリア論』への畏敬をこめたオマージュであると同時に、彼のこれからに向かっての大いなるエールであったと、今になって思われるのです。

茂木さんには江村さんの分まで長く生きて、ご自分の「ミッション」を貫いてほしいと思います。

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銀鏡反応さん、 (コロン)
2007-06-17 21:56:09
ありがとうございます…私のブログでお会いできるなんて、ほんとに嬉しい限りです!!

今回の江村さんの死は、私も突然のことでづお頭を整理してよいのか、正直分かりませんでした。

ただ、茂木先生がクオリア日記で時系列に葬儀、告別式のことを書かれていた中で、自分もその中に参列している気持ちで読んでおりました。

今回、ブログにこのような私なりの解釈で江村さんの作曲した曲のことを書きましたが、そのことの意味はおそらく茂木先生が一番よく感じられておられることがブログ記事を読んでいて感じました。

先日のラジオ放送や今日の日記の記事でもそうですが、茂木先生はもう今回の死を糧に前へ進もうとしている姿勢がありありと伝わってきます。

ですから茂木先生を慕う私たち自身も気持ちを切り替えて、新たな形でどう茂木先生の活動を見守り続けるか…そのことが問われているように思います。
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まさか永遠のお別れになるとは (アラヤシキ・ツネ)
2007-06-22 21:55:27
はじめまして。

一部と二部の間の休憩時間にロビーの
丸テーブルで珈琲を飲んでいると、
真横のテーブルに江村さんが突然現れたので
私は反射的にデジカメをバッグの中から
取り出していました。
その時のお写真が何枚も残っています。

まさか永遠のお別れになるとは
夢にも思わずに撮らせていただいたのですが。

>故江村哲二氏を偲ぶ

このような形で江村さんを偲んでくださるので、
江村さんは、
あの世からこちらをご覧になって
お喜びになっておられると思います。
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アラヤシキ・ツネさん (コロン)
2007-06-23 05:27:42
はじめまして…ようこそおいでくださいました。

江村さんとのエピソードとしてそのようなことがあると、なおさら今回の早すぎる死は受け入れられないではないでしょうか。

心痛お察しいたします…。

そのような中、私のこの記事に対し最高の賛辞をいただけたこと、これ以上の幸せはありません。


江村さんはとても人のつながりを大切にされている方であったように思います。

その意味でも、この記事で繋がったアラヤシキ・ツネさんとは江村さんがひきあわせてくださった縁として、これからも末永くお付き合いさせていただければ幸いです。

温かいコメント、心より感謝いたします…。

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