Bread of Life

ディボーションタイムを助ける聖書講解

幸せの発見No2

2017-07-09 22:24:17 | Weblog
「きょう救がこの家にきた。この人もアブラハムの子なのだから。」(ルカ19:9)

至高の幸せを学んできましたがその2回目です。
至高の幸せの最上階は「与える幸せ」です。ザアカイが「自分の財産の半分を貧しい人々に与えます」と告白した時、彼がその領域に入ったことを示しています。 
気をつけなくてはならないのはいきなりそのレベルに飛び上がろうとする事です。なぜなら他者に与えると、見返りを期待して苛立つという自己矛盾に陥るからです。
この悪魔の罠と言うべき自己矛盾に陥らない為には、まず受けとめる幸せで心を満たしていなくてはならないのです。その時、他者からの報酬で心の空白を埋める必要が無いので、与える事自体が喜びとなり割引くことなく「与える幸せ」を楽しめるのです。
ザアカイがその原則を教えてくれています。彼の最大の悲しみは、誰も自分の友となってはくれない孤独にありました。でも木の上に隠れて一行をのぞき見していた時「ザアカイよ、おりてきなさい、今日私は貴方の家に泊まることにしている」と主が呼びかけられました。
つまり「私はザアカイの友達です」と人々に宣言されたのです。彼の心は海綿が水を吸い込む様に愛で潤され言葉にならない幸せを味わったのです。受け取る幸せ充満の経験です。
さらにイエスを自宅に招き入れ悩みを打ち明け、御言葉に傾聴しながら人間関係の回復に着手し始めました。それを暗示するのが「不正な取り立てをしていたなら4倍にして返します」です。彼は人々との新しい絆を構築するという「成し遂げる幸せ」を経験し大きな喜びを得たのです。
彼は最初に「受け取る幸せ」を経験しそれを土台として「成し遂げる幸せ」に至り「与える幸せ」にステップアップできたのです。これをご覧になった主が「この家に救いが来た、この人もアブラハムの子なのだから」とアブラハム契約に言及されたのです。なぜでしょうか。 
それは「受け取る幸せ」「成し遂げる幸せ」「与える幸せ」が構築する「この上もない幸せ」がアブラハム契約の最終モデルだからです。ザアカイの中にそれをご覧になったとき主は深く満足されたのです。それによって天の富を放棄して地上に来られた主の愛が報われるからです。
貴方もこのアブラハムの受けた祝福をキリストにあって継承すべきなのです。主はその為にご自身の命をも十字架で捧げられたからです。感謝ヤーダーがその祝福の土台である「受け取る幸せ」を貴方に据えつけるでしょう。
こうしてザアカイの時のように「貴方の家にも救いが来た、貴方もアブラハムの子なのだから」と主の喜びに加えていただこうではありませんか。